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本日は「満洲」関係の資料をご紹介したいと思います!

皆さん満洲といえば、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
戦争が大きくからむことから、当時の政府の思惑、アジア諸国との軋轢もあり、政治・思想の違いによって抱く想いは様々だと思いますが、戦前に残された資料や当時を知る人からのお話を総括すると、開拓団に参加されて苦しい思いをされた方々が大勢いる反面、満洲一の繁華街であった哈爾濱(ハルピン)はエキゾチックな、遠くて近く、憧れや妖しさが漂う国際都市という感覚だったようです。

満洲は、現在の中国東北部にあたる地域に昭和7年に建国された国でした。
映画「ラストエンペラー」はこの満洲国の皇帝であった愛新覚羅溥儀をモデルに制作されたものということは、広く知られていますね。
首都は新京という街で、ほかに哈爾濱、大連、奉天、安東などの都市がありました。
満洲では満州語が使用されていましたが、地元民、中国人、朝鮮人のほか、日本人、ロシア人の割合も高く、昭和10年頃には人口50万人を突破したとの資料も残されています。
当時を知る人に伺ったところによると基本的にどこでも日本語が通じたということです。
満洲は、短期間ながらも大日本帝国が構想した「多人種が手を組みあって共存共栄する」ことを実現することができた理想郷だったと、どこかで読んだことがあります。

実際に満洲はどんな都市だったのか、とても面白い資料を入荷いたしました↓

 

哈爾濱の鳥瞰図と満洲地図を描いた絵葉書になります!
この鳥瞰図をみると、いかに満洲の繁華街・哈爾濱が栄えていたかということが分かってきます。哈爾濱にはヨーロッパ風の洋館が立ち並び、キタイスカヤ、モストワヤなどロシア風の名称が付けられ、日本人が経営するダンスホールやバー、ホテルなどがひしめき合い、劇場には世界一流の演奏家やアーティストが来満し公演を行う等のほか、当時の観光案内に目を落としてみると、競馬場、飛行場」、ロシア人墓地、教会、各国の銀行ほか、日本人が旅行をしやすいように「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」という会社も存在していたそうで、まさに「国際都市」の一言に尽きる繁栄ぶりがうかがえます。

踊り場を出でて帰れば石だたみ 楡を通して夜の白みゆく

この歌は、与謝野寛が満洲で詠んだものだそうで、踊り場とはダンスホールのこと。哈爾濱名物だった楡の並木と夜通し営業が行われていたダンスホールの情景をうたったこの作品からは異国情緒が感じられ、モダン味が漂います。

満洲といえば、南満州鉄道株式会社(満鉄)ですが、満鉄からは↑のようなガイドブックも発行されております。
当時の哈爾濱の町並みの写真をみると、まるでヨーロッパのよう!ここに現地人をはじめ、日本、ロシア、アメリカほかアジア諸国の人々が肩を寄せ合って生活していたかと思うと、今では信じられないような思いがいたします。

そしてこれらの資料をみていて、思わずみとれてしまった満鉄のモダンでスマートな社名フォントのすばらしさ!
これも政府が仕掛けたイメージ戦略だったのでしょうか?と思ってしまう部分もあります。

これらの資料を検品しておりましたら、すっかり満洲に旅行した気分になってしまいした(笑)
皆さんも幻の都に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

byこばちゃん

 


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