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【第5回- ②】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


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こんにちは~クラニャンです♪

昨日は、汝窯を考えるシリーズ第5回「汝窯ってこんなもの…?」と題し、①青白磁(景徳鎮窯)=汝窯ではないか?という、20世紀初頭のイギリスで提唱された説をご紹介しました。
本日はその続きとして、②耀州窯=汝窯?という説について考えてみたいと思います。

【第5回】汝窯ってこんなもの…?
     20世紀前半における汝窯像の変遷

②耀州窯=汝窯?(1931年~50年代頃)
1931年2月、原田玄訥(はらだげんとし)師という西本願寺の僧侶が中国で大きな発見をしました。
河南省の臨汝窯(りんじょよう)という古い窯跡を調査中、:hoshi1:青磁の陶片:hoshi1:を見つけたのです。
なんでお坊さんがやきものの調査をしているの?と思われるかもしれませんが、こちらは同じ本願寺派の法主 大谷 光瑞(おおたにこうずい、1876-1948)師 ↓から与えられたミッションでした。

大谷 光瑞

大谷 光瑞師(Wikipédiaより)

大谷師は仏教資料の研究のため、西域の調査を精力的に行った人物として知られています。
3度にわたり派遣された「大谷探検隊」(1902-14年)↓ は、シルクロード研究を大きく前進させたことで有名ですね。

大谷探検隊

大谷探検隊(龍谷大学文学HPhttp://www.let.ryukoku.ac.jp/about/isan.htmlより)

 

さて大谷師の命で発見された青磁の陶片ですが、当時の日本人はこれこそが汝窯だろう!と考えました。
原田師が調査した河南省の臨汝窯(りんじょよう)は、その後おとなりの陝西省で発見された耀州窯(ようしゅうよう)の一系統とみなされますが、その作風は次のようなものでした。

耀州窯

愛知県陶磁資料館HP「中国陶磁器生産地地図」に加筆

 

耀州窯

《青白刻花牡丹唐草文瓶》耀州窯、北宋時代、大阪市立東洋陶磁美術館(『聚美』Vol.22、46頁より)

 

なんと、今まで見てきた青磁とずいぶん印象が違いますね~Σ(・ω・ノ)ノ!!
オリーヴグリーンの釉薬がシャープな彫り模様に溜まり、なんとも渋い風格を醸し出しています。
当時の人々は、このような厳しさをたたえた造形こそが宮中の御用品に相応しい美だと考えたようです。

しかし、北宋の皇帝が目指した青磁は「天青色」であったはず。
「天青色」とは、「雨過天青 雲破処(うかてんせいくもやぶるるところ)」という言葉から生まれた色名です。「雨上がり、雲のあいだからのぞく空の青」という意味ですね。

雨過天晴

大阪市立東洋陶磁美術館HP(http://www.moco.or.jp/exhibition/past/?e=366)より

 

北宋に先立つ後周時代、皇帝の柴栄(さいえい)が理想の青磁の色をこのように表現し、その実現に尽力するよう御用窯に命じられたと伝えられます。
しかし、天空のような澄んだ青色を出すのは至難の業。それをやっと実現させたのが、北宋8代皇帝の徽宗がつくらせた汝窯青磁だと言われています。

柴栄や徽宗は、雨上がりの青空を国難を乗り越えて得られる平和の象徴とみなしていたそうです。
そう考えると、耀州窯のオリーブ色はちょっと違うのではないかな~と思いませんか?
深みのある素敵な色味ですが、雨上がりの空がこんな色だったらちょっと嫌かも…(;´・ω・`)

でもわが国では、このような耀州窯の作品を汝窯とみなしていた時期があったんですね。

次の第6回はいよいよ、これらの先行する汝窯像を覆し、その実像に迫ったパーシヴァル・ディヴィッド卿の功績についてご紹介します(^▽^)/

 

By クラニャン

なお、耀州窯に関してましては、出川哲郎氏「耀州窯の青磁について」という記事に詳しく説明されています。
(大阪市立東洋陶磁美術館HP http://www.moco.or.jp/journal/171/
ご関心のある方、ぜひご覧くださいませ。


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【第5回 - ①】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


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こんにちは、クラニャンです!

今年10月初めに、香港サザビーズの競売で「北宋汝窯天青釉洗」が中国陶磁器史上最高額で落札されました。 このニュースをきっかけに、くまねこ堂ブログでは「汝窯」の青磁ってどんなものなの?という疑問について、シリーズで考えてまいりました:hoshi1:

汝窯

「北宋汝窯天青釉洗」([香港 3日 ロイター]より)

第1~3回(10月15日~17日)ブログでは、まず汝窯青磁のイメージをつかむため、近年の国内展覧会から実際の作例をいくつか検討しましたね。
後半の第4~7回では、汝窯の研究史を振り返りながらもうすこし深く勉強していきたいと思います。

 

前回第4回(10月22日)は、「『汝窯』という名称はどこから出てきたの??」というテーマでお話ししました。
「汝窯」は、宮廷御用達のやきものを指す名前として、早くも北宋末~南宋時代の諸文献に登場します。
しかし長らく研究史上では、その「汝窯」が実際にどのような作品群を指しているのか突き止められずにいました。
今日明日は、第5回「これが汝窯…?」と題し、20世紀前半の研究者たちが抱いていた汝窯像の変遷を見ていきたいと思います。
なお前回に引き続き、『聚美』Vol.22、学研プラス(Gakken Mook)、2017年を参考文献としています。

 

【第5回】これが汝窯…?
     20世紀前半における汝窯像の変遷

①青白磁(景徳鎮窯)=汝窯?(20世紀初頭の説)
20世紀初頭、イギリスの研究者を中心に提唱されたというのが、汝窯とは「青白磁」↓ のことではないか?という説。

青白磁

《青白磁瓜形水注》景徳鎮窯、北宋時代、大阪市立東洋陶磁美術館(上掲書、45頁より)

んん…?これって青磁?白っぽく見えるけど…と思われるかもしれません。

そう、「青白磁」は青磁ではなく、青みがかった「白磁」に分類されるやきものです。
こちらは一般的な白磁と同じように、純白の胎土に透明な釉薬をかけてつくられますが、釉のなかに微量に含まれる鉄分が還元焼成によってうっすらと青く発色しています。以下↓の青白磁には、青みがもっとはっきりと出ていますね。

影青

「浦上蒼穹堂」さま2013/09/30コラムより(http://www.uragami.co.jp/blog/2013/09/19.html

 

青白磁は、宋・元時代の景徳鎮(けいとくちん)窯↓で盛んにつくられ流行しました。「影青(いんちん)」とも呼ばれ、月の光を浴びてぼんやりと発光するような青色が美しいとされています。

景徳鎮 地図

愛知県陶磁資料館HP「中国陶磁器生産地地図」に加筆

 

20世紀初頭のイギリスでは、このような磁器こそが宋代の文献に名高い「汝窯」だ!と考えられたのですね。

第5回「汝窯ってこんなもの…?」は明日へと続きます♪
by クラニャン


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【第4回】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!

こんにちは、クラニャンです!

今月初めに、香港サザビーズの競売で「北宋汝窯天青釉洗」が中国陶磁器史上最高額で落札されました。
このニュースをきっかけに、くまねこ堂ブログでは「汝窯」の青磁ってどんなものなの?という疑問について、シリーズで考えてみることにいたしました(*^-^*):hoshi1:

第1~3回(10月15日~17日)ブログでは、まず実際の作例を近年の国内展覧会からいくつか眺めてみました。釉調に幅はあったものの、どれも上品で神秘的な青が印象的でしたね。

後半の第4~6回では、そもそも「汝窯」とは何なのか?という問題について、研究史を簡単に振り返りながら勉強してみたいと思います。なおその際、『聚美』Vol.22、学研プラス(Gakken Mook)、2017年を参考文献とさせていただきました。

汝窯

 

まず今回のテーマは…
「汝窯」という名称はどこから出てきたの??
 北宋末~南宋時代:文献に記された「汝窯」

「汝窯」という窯名は、最近の研究者がつけたものではありません。
この名前が最初に登場するのは実は約900年も前、北宋時代(960年 - 1127年)末~南宋時代(1127年 - 1279年)の諸文献のなかでした。(※以下の引用部分は、今井敦「汝窯への道—青磁の理想像を求めて」上掲雑誌56頁に依拠しています。)

◆周輝『清波雜志』(南宋)

例えばこちら、周輝という人物が著した『清波雜志(せいはざっし)』には、以下のような記述がみられます。

「汝窯は宮中の禁焼なり、[…] ただ御に供え、揀[えら]び退けてまさに出売を許す。近ごろ尤も得難し。」
(汝窯は宮中専用のやきものである。[…] 通常は天子のためだけに供され、選別され焼成不良品とされたものだけが販売を許される。近ごろとりわけ入手が困難である。)

◆陸游『老学庵筆記』(南宋)

また、南宋の代表的詩人としても知られる陸游(りくゆう)が著した書物にも、次のように書かれています。

「故都の時定器は禁中に入らず、ただ汝器を用う[…]」
(北宋の時代に定窯で焼かれた白磁は宮中に入ることがなく、もっぱら汝窯で焼かれた青磁が用いられた[…])

 

このような文献を読んだ後世の人々は、
「北宋時代、汝窯と呼ばれる窯で宮廷御用達のやきものが焼かれていたらしい……南宋時代にはすでに超レアアイテム(「近ごろ尤も得難し」)だったらしいが、いったいどのようなやきものなのか?今も目にすることは可能なのか?……気になる(゜゜)!!!」

と強い関心をそそられたようです。
こうして、文献中に記された汝窯とはどのようなものか?という問題が、長く中国陶磁史研究上の一大懸案となりました。
つまり研究史の流れとしては、まず「汝窯」という名前が先に知られており、その指し示す作品群を突き止めるという方向で調査が進められたのですね。

 

次回以降は、20世紀の研究者たちがどのような作品を汝窯とみなしてきたか、その変遷を見ていきたいと思います(^ω^)/

 

by クラニャン

 

「中国文物局の蝋印入り骨董品」と「中華人民共和国文物保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」について~第一弾!


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秋も深まり、朝夕は涼しい季節になってきましたね!
急須 蝋印

 

以前ご紹介させていただきました「中国文物局の蝋印入り骨董品」についての記事ですが、
思いのほかのご反響をいただいておりまして、誠にありがとうございます!
※我々が日ごろよく口にする「骨董」という言葉、中国では「文物」と表記されます。

中国では骨董品の国外輸出についての規定がもうけられていること等を書かせていただきましたが、
改めまして…まず、いつから持ち出し制限がかかったのかと申しますと(当ブログ9月4日、掲載より)

『そもそも1960年に施行された「文化財輸出鑑定参考基準」から輸出制限が開始さ れ、現在では旧
法令は廃止されておりますが、2007年に公布された「中華人民共 和国文物保護法」「中華人民共和
国文物保護法実施条例」に基づいて制定された 「文化財の海外持ち出し審査基準」によって、中国の
骨董品は現在も国家から守られております。』

1960年に施行された「文化財輸出鑑定参考基準」では、1795年(清代乾隆帝)以前の骨董品・美術品
などが対象になっていたそうですが、2007年に公布された「中華人民共 和国文物保護法」「中華人民
共和国文物保護法実施条例」に基づいて制定された 「文化財の海外持ち出し審査基準」では、急激に
時代が下って、分類によって「一律持ち出し禁止」のものから「1911年以前のものは持出禁止」「19
49年以前のものは持出禁止」「1966年以前のものは持出禁止」などと年代が細かく選別されたうえ、
規準がかなり厳しくなってしまいました。

それから、どのように鑑定が行われるかといいますと、まず中国文物局に集められた骨董品は、
文物局内に設置されている文物鑑定セン ターの専門家によって鑑定がなされ、規定から外れた骨董品
のみが「文物局鑑定証明書」「文物局公認の鑑定印」(蝋印)を押印されて、市場に流出する、という
流れになっております。

もちろん、海外への貴重な骨董品の流出防止策を立てているのは中国ばかりではありません!!
実は日本にも「文化財保護法及び関係法令」が設けられており、これは国内での文化財保護のためのみ
ならず、重要文化財クラスの骨董および美術品の海外流出を防ぐためにも重要な役割を果たしており、
文化庁ホームページでは、

『円滑な通関検査に資するとともに,貴重な国民の財産である文化財が誤って海外に流出することを防
ぐため,古美術品を海外に輸出しようとする際には,当該輸出品目が国宝・重要文化財に指定されてお
らず,重要美術品等認定物件にも該当しないことの証明を,税関に対し提出する取扱いとなっております』

と『古美術品輸出鑑査証明書』の発行を推奨しております。

これらを踏まえて…
本日から複数回に分けまして在中国日本大使館のHP内にある
【「文化財海外持ち出し審査基準」に関する通知(仮訳)】をもとにして、くまねこ堂流に記事を
掘り下げていきたいと思います。

まず第一回目は中国文物「書画」について書き進めていきたいと思います!
書画については以下のように分類がなされ、規定が定められております(在中国日本大使館HPより)

3絵画、書法
3.1中国画及び書法 1911年以前のものは持出禁止
1911年より後のものは人名表を参照して執行
肖像、映像、画像、風俗画、戦功図、紀事図、行楽図等 1949年以前のものは持出禁止
本人またはその親族に属する肖像、映像、画像等はこの限りではない
3.2油絵、水彩画、ガッシュ デッサン(スケッチを含む)、マンガ、版画の原作と原版等を含む 1949年以前のものは持出禁止
1949年以前のものは人名表を参照して執行
重大な歴史的、芸術的価値を有し、広範な社会的影響を伴うもの 一律持出禁止
3.3壁画 宮殿、廟宇、石窟、古墳中の壁画等 1949年以前のものは持出禁止
近現代の著名な壁画の原稿、設計案及び設計図 一律持出禁止

書画以外にも多くの文物鑑定の規定が「1911年」と「1949年」に置かれているのですが、1911年は辛亥
革命によって中華民国が建国した年、1949年中国大革命によって中華人民共和国が建国した年というこ
とに由来していると推測ができます。

文物局には鑑定の際に基本となる人名表が存在するそうですが、残念ながらHPなどでは公表はされて
おりません。
100年前に既に「四億の民がいる」と歌にまで唄われているだけあって、なにしろ中国の代表的書家の
多さときたら大変なものなので、清から中華人民共和国の時代に活躍したほんの一部、それも独断と
偏見、順不同での名前のご紹介となりますこと、ご了承くださいませ。

金農(1687-1763)、何紹基(1799-1873)、呉昌碩(1844-1927)、康有為(1858-1927)
于右任(1879-1964)、王雪濤(1903-1982)、賀天健(1891-1977)、黄君壁(1899-1991)
魏紫煕(1915-2002)、啓功(1912-2005)、黄冑(1925-1997)、黄賓虹(1865-1955)
呉湖帆(1894-1968)、劉海粟(1896―1994)、謝稚柳(1910-1997)、李苦禅(1899-1983)

などなど。。。
いずれも人気の高い書家、画家になりますが、王雪濤は中国美術家協会の理事長、黄冑は同協会の
常務理事をされた方で、また政治家の傍ら書家として名を成した方には于右任、康有為のほか、
毛沢東も中国の代表的な書家として数えられております。
これらの方々が文物局の鑑定人名表のなかに登録されていると推測ができますが、恐らくこちらも
人物によって「一律持出禁止」「物によって」などの規定が定められていることと思われます。
いずれにせよ骨董の世界は奥深いですね~

また後日、中国文物について第二弾を掲載させていただきたいと思います!!!

こばちゃん

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【漢詩人・画家】江馬細香


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江馬細香 02 江馬 細香

   えま さいこう

   1787年5月20日(天明7年4月4日) ~ 1861年10月7日(文久元年9月4日)

   美濃大垣 出身

 

:nikukyu: 関連買取事例

◆買取事例ブログ挿入コマンド◆

 

:nikukyu: 略歴

漢詩人であり、画家でもある。
漢詩は頼山陽に、絵は浦上玉堂の長子、浦上春琴に師事。

 

:nikukyu: 作品

江馬細香02江馬細香 02

 

:nikukyu: 外部リンク

Wikipedia 江馬細香

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【日本画家】田中一村


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田中一村 米邨 01

 田中 一村(米邨)

   たなか いっそん (べいそん)

   1908(明治41年)7月22日 ~ 1977年(昭和52年)9月11日

   栃木県 下都賀郡栃木町 出身

 

:nikukyu: 関連買取事例

【東京都新宿区高田馬場】掛軸、錫の盃、古銭、切手、戦前の置時計、茶道具、書道具などを買取りしました

 

:nikukyu: 略歴

1908年 彫刻家の田中彌吉(号:稲村)の家に6人兄弟の長男として生まれる
1915年 児童画展で受賞
1926年 東京美術学校日本画科に入学(同期には東山魁夷、橋本明治ら)
1931年 それまで描いていた南画と決別
1947年 川端龍子主催の青龍社展に『白い花』で入選
1955年 九州・四国・紀州をスケッチして回る
1958年 奄美大島に渡り絵を描き始める

:nikukyu: 作品

田中一村 02田中一村 米邨 01

 

:nikukyu: 外部リンク

Wikipedia 田中一村

田中一村記念美術館

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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国立西洋美術館「アルチンボルド展」


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Amazon班フジタンも注目している展示会が今年の6月に国立西洋美術館にやってきます。

アルチンボルド展です!

Arcimboldo

だまし絵の「先駆者」とも言われたアルチンボルドですが、今回はお馴染みの

<春><夏><秋><冬>

も展示されるそうです。
この作品は美術の教科書に載っていることも多いので、作者は知らなくても作品は知っているという人は多いのではないでしょうか。

アルチンボルドは画家業だけにとどまらず、デザイナーとして、またはプランナーとして技師として活躍し
その博学さや才能の幅の広さはレオナルド・ダ・ヴィンチにも匹敵するんじゃないでしょうか

ただ、ダ・ヴィンチと異なる部分はそれらの業績となるものが散逸してしまったということです。
いま現在残っている「だまし絵」だけが私たちを楽しませ、影響を与えているんでしょう。

そんな素晴らしいアルチンボルド展は
6月20日~9月24日と会期長めです。 

↓ アルチンボルド展「特別開設サイト」のページです。

 http://arcimboldo2017.jp/

 

ヨシダ


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【帝室技芸員】鏑木清方


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待ち猫08

 

 鏑木 清方

   かぶらき きよかた

 

   1878(明治11年)8月31日 ~ 1972年(昭和47年)3月2日

   東京都 神田 出身

  

:nikukyu: 略歴

1891年 浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門する。
1901年 仲間の画家らと「烏合会」を結成する。
1916年 吉川霊華、平福百穂らと金鈴会を結成する。
1927年 帝展にて帝国美術院賞を受賞する。
1944年 帝室技芸員になる。
1954年 文化勲章を受章する。

 

:nikukyu: 受賞

1927年 帝展 帝国美術院賞

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 鏑木清方」

「鎌倉市鏑木清方記念美術館」

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】宮川香山


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待ち猫12 宮川 香山

みやがわ こうざん

   1842(天保13年)1月6日 ~ 1916年(大正5年)5月20日

京都真葛ヶ原 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1866年 幕府より、御所献納品の依頼される。
1970年 真葛窯を横浜に開く。
金を多量に使用する薩摩焼は製作費がかかるため、香山は金のかわりに精密な彫刻を掘り込むことで表現した「高浮彫」の技法を生み出した。
1896年 帝室技芸員に選ばれる。
:nikukyu: 外部リンク

「Wikipedia 宮川 香山」

 「宮川香山 真葛ミュージアム」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】川合玉堂


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待ち猫10 川合 玉堂

   かわい ぎょくどう

 

   1873(明治6年)11月24日 ~ 1957年(昭和32年)6月30日

   愛知県 葉栗郡 外割田村 出身

 

:nikukyu: 略歴

1890年 「玉堂」と号するようになる。
1896年 橋本雅邦に師事する。
1898年 日本美術院に参加する。
1900年 私塾「長流画塾」を主宰する。
1915年 東京美術学校日本画科教授になる。
1917年 帝室技芸員に選ばれる。
1931年 フランス政府より、レジオンドヌール勲章が送られる。
1933年 ドイツ政府より、赤十字第一等名誉章が送られる。
1940年 文化勲章を受章する。
1957年 勲一等旭日大綬章を受章する。

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 川合玉堂」

「玉堂美術館ホームページ」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】横山大観


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横山大観 横山 大観

   よこやま たいかん

    1868年11月2日(明治元年9月18日) ~ 1958年(昭和33年)2月26日

   茨城県 水戸市 出身

 

:nikukyu: 略歴

1888年 横山家の養子となる。
1907年 文部省美術展覧会の審査員を務める。
1934年 朝日文化章を受賞する。
1937年 文化勲章を受章する。
1958年 勲一等旭日大綬章が送られる。

 

:nikukyu: 受賞

1934年 朝日文化章

 

:nikukyu: 作品

横山大観

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 横山大観」

 「横山大観記念館」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】伊東陶山


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待ち猫07 伊東 陶山

   いとう とうざん

 

   1846(弘化3年)4月10日 ~ 1920年(大正9年)9月24日

   京都府 粟田口 出身

 

:nikukyu: 略歴

1858年 丸山派の小泉東岳に絵画を学ぶ。
1863年 京都五条坂の陶工、亀屋旭亭に師事する。
1867年 京都粟田白川畔に窯を開く。
1896年 陶磁器試験場と伝習所を開設する。
1903年 浅井忠,宮永東山らと陶器研究団体「遊陶園」を結成する。
1917年 帝室技芸員に選ばれる。

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【人間国宝・無形文化財】音丸耕堂


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待ち猫10 音丸 耕堂

   おとまる こうどう

 

   1898(明治31年)6月15日 ~ 1997年(平成9年)9月8日

   香川県 高松市 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1918年 香川漆器の玉楮象谷の作風に惹かれ、私淑する。
             漆芸家の磯井如真、金工家の北原千鹿、大須賀喬らと交友する。
             大正期から昭和10年ころまで堆朱、堆黒、紅花緑葉など古来の色漆を用いた彫漆を行う。
             さらに緑漆と黒漆の色彩的コントラストをいかした西洋風の作風へと移行した。
1955年 重要無形文化財「彫漆」の保持者に認定される。
1973年 第20回日本伝統工芸展にて20周年記念特別賞を受賞する。
1982年 「公益信託音丸漆芸研究奨励基金」設立。

 :nikukyu: 受賞

1973年 第20回日本伝統工芸展 20周年記念特別賞

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【陶芸家】加藤唐九郎


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待ち猫01 加藤 唐九郎

   かとう とうくろう

   1987年(明治30年)7月19日 ~ 1985年(昭和60年)12月24日
    (戸籍上は1898年(明治31年)1月17日生まれ)

   愛知県 春日井郡 水野村(現・瀬戸市 水北町) 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1911年 中根宿に入門し、南画・漢籍を学ぶ。
1914年 本格的な作陶生活を始める。
1918年 瀬戸古窯の調査を始める。
1929年 瀬戸古窯調査保存会発足。常任理事となる。
1933年 瀬戸焼の祖とされる加藤四郎景正の実在を疑い、少なくとも開祖ではないと結論づける。
1934年 陶壁を試行する。
1952年 織部焼の無形文化財有資格者に認定される。
1956年 中日文化賞を受賞する。
1960年 鎌倉時代に造られたとされる瓶子が、加藤唐九郎の造った贋作であった。(Wikipedia 永仁の壺事件
1961年 無形文化財有資格者の認定を取り消される。
1965年 毎日芸術賞を受賞する。

 

:nikukyu: 受賞

1956年 中日文化賞
1965年 毎日芸術賞

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 加藤唐九郎」

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【陶芸家】河井寛次郎


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待ち猫08 
 河井 寛次郎

   かわい かんじろう

 

   1890(明治23年)8月24日 ~ 1966年(昭和41年)11月18日

   静岡県 安来町 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1910年 東京高等工業学校窯業科に入学する。
             板谷波山の指導を受ける。
1914年 卒業後、京都市陶磁器試験場に入所する。
             後輩の濱田庄司とともに釉薬の研究や、中国陶磁などの模倣や研究を行った。
1920年 五代清水六兵衛の技術的顧問を務めていた縁で、京都にある彼の窯を譲り受ける。
             「鐘渓窯」と名づけ自らの作品制作を開始する。
1929年頃 富本憲吉、黒田辰秋、バーナード・リーチらと合流する。
1937年 パリ万国博覧会にてグランプリを受賞する。
1957年 ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展にてグランプリを受賞する。

 

:nikukyu: 受賞

1937年 パリ万国博覧会 グランプリ
1957年 ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展 グランプリ

  

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 河井寛次郎」

 「河井寛次郎記念館」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【陶芸家】川喜田半泥子


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待ち猫12 川喜田 半泥子

   かわきた はんでいし

 

   1878(明治11年)11月6日 ~ 1963年(昭和38年)10月26日

   大阪府 出身

 

:nikukyu: 略歴

伊勢の豪商の家に生まれる。
生後すぐに祖父・父が他界し、1歳にして川喜田家十六代当主となる。
その後は祖母の手によって育てられる。
1903年 百五銀行の取締役に就任する。
1919年 第六代頭取となる。
1936年 加藤唐九郎と共同で翠松園に天狗窯を築窯する。
             金重陶陽、北大路呂山人との交流が始まる。
1937年 荒川豊蔵との交流が始まる。
1940年 荒川豊蔵と鳴滝の乾山窯を調査する。
1942年 荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休雪を千歳山に招き「からひね会」を結成する。
1956年 藍寿褒章を受章する。

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 川喜田半泥子」

 「廣永窯」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】初代 諏訪蘇山


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待ち猫07

 初代 諏訪 蘇山

   すわ そざん

 

   嘉永4年5月25日(1851年6月24日) ~ 1922年(大正11年)2月8日

   加賀国金沢 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1873年 任田屋徳次に陶画を学ぶ。
1875年 上京し、美術工芸、化学を学ぶ。
1884年 石川県工業考案者に任じられる。
1886年 高岡町で鉄瓶の蝋型改良に従事する。
1893年 大病から蘇生し、「蘇山」と号した。
1917年 帝室技芸員に選出される。

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 諏訪蘇山」

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】三代清風与平


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待ち猫12 三代 清風 与平

   せいふう よへい

    1851(嘉永4年) ~ 1914年(大正3年)7月15日

   播磨国印南郡大塩村(現・兵庫県 姫路市 大塩町) 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1863年 文人画家・田能村直入の内弟子になる。
1866年 京都清水の二代清風与平家の養子になる。
1872年 独立し新開家を創設し、新開清山と号する。
1878年 二代清風与平の死去に伴い、二代の子の後見人として清風家に戻る。
1889年 三代清風与平を襲名する。
1893年 陶工として初の帝室技芸員に任命される。
1895年 陶工として初の緑綬褒章受章。

 

:nikukyu: 受賞

1890年 第3回内国勧業博 一等賞
1895年 第4回内国勧業博 名誉賞銀牌
 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【茶碗師】樂吉左衛門


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待ち猫10

 

 樂 吉左衛門

   らく きちざえもん

 

 

 

:nikukyu: 略歴

初代  長次郎
二代  常慶
三代  道入
四代  一入
五代  宗入
六代  左入
七代  長入
八代  得入
九代  了入
十代  旦入
十一代 慶入
十二代 弘入
十三代 惺入
十四代 覚入
十五代 樂吉左衛門(当代)

 樂焼は16世紀に樂家初代である長次郎により始められました。
長次郎の父は、唐人の阿米也という人物で、中国より三彩陶の技法を伝えたとされています。 

そして、 樂家の焼いたものは「樂焼」と呼ばれるようになりました。

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 樂吉左衛門」

「樂焼 公式サイト」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【土風炉・焼物師】永樂善五郎


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永樂印 

 

 永樂 善五郎

   えいらく ぜんごろう

 

   

 :nikukyu: 関連買取事例

『東京都杉並区にて永樂善五郎の仁清写 柳に鞠茶碗をお譲り頂きました』

『東京都杉並区にて永樂善五郎の黄交趾 菊唐草菓子鉢をお譲り頂きました。』

:nikukyu: 略歴

初代  西村宗禅
二代  西村宗善
三代  西村宗全
四代  西村宗雲
五代  西村宗荃
六代  西村宗貞
七代  西村宗順
八代  西村宗圓
九代  西村宗巌
十代  永樂了全
十一代 永樂保全
十二代 永樂和全
十三代 永樂回全
十三代 永樂曲全
十四代 永樂得全
十四代 永樂妙全
十五代 永樂正全
十六代 永樂即全
十七代 永樂善五郎(当代)

「善五郎」とは京焼の家元であり、千家十職の 【土風炉・焼物師】です。
初代から九代は西村姓を名乗り土風炉を作製し、十代からは永樂姓として土風炉と茶陶を作製しています。

千家出入りになったのは、十代の了全からです。
了全が当代の1788年天明の大火に遭い、その後しばらくは三千家や十職のひとつ「樂家」の援助を受けました。
そういった経緯から、この頃より千家に出入りするようになったと考えられます。

 

:nikukyu: 作品

eirakuzengorou_01 eirakuzengoro marichawan01

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 善五郎」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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千家十職


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待ち猫02  

 千家十職

   せんけじっそく
   せんけじっしょく
   せんけじゅっしょく   

  

 

:nikukyu: 関連買取事例

「東京都杉並区にて永樂善五郎の黄交趾 菊唐草菓子鉢をお譲り頂きました。」

「東京都杉並区にて永樂善五郎の仁清写 柳に鞠茶碗をお譲り頂きました。」

 

:nikukyu: 略歴

千利休から続く茶道流派である千家。「千家十職」とは、その千家好みの茶道具を制作する十の職家のことである。

 

茶道具 職方
 土風炉・焼物師  永樂家
 樂焼・茶碗師  樂家
 釜師  大西家
 一閑張細工師  飛来家
 袋師  土田家
 塗師  中村家
 竹細工・柄杓師  黒田家
 表具師  奥村家
 指物師  駒澤家
 金物師  中川家

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 千家十職」

「樂美術館」

「大西清右衛門美術館」 

 

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】柴田是真


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待ち猫09 柴田 是真

   しばた ぜしん

 

   1807年3月15日(文化4年2月7日) ~ 1891年(明治24年)7月13日

   江戸 両国 橘町 出身

   

:nikukyu: 略歴

1817年 初代古満寛哉に蒔絵を学ぶ。
1826年 浅草東本願寺の依頼で障壁画を描く。
1830年 四条派の岡本豊彦の弟子となる。
1831年 字「儃然」と「是真」を号するようになる。
1873年 ウィーン万国博覧会で進歩賞牌受賞する。
1886年 皇居の杉戸絵を描く。
1890年 帝室技芸員になる。

 

:nikukyu: 受賞

1873年 ウィーン万国博覧会 進歩賞牌

 

:nikukyu: 外部リンク

「Wikipedia 柴田是真」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【芸術家】北大路魯山人


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kitaohji_rosanjin_02 北大路 魯山人

   きたおおじ ろさんじん

 

   1883(明治16年)3月23日 ~ 1959年(昭和34年)12月21日

   京都府 京都市 上賀茂 北大路町 出身

 

 

 

:nikukyu: 関連買取事例

「北大路魯山人の黄瀬戸 蓋物 耳付をお譲りいただきました」

 

:nikukyu: 略歴

1912年 「福田大観」の号で小蘭亭の天井画や襖絵、篆刻などを手掛ける。
1916年 「北大路魯山人」の号を使い始める。
1921年 会員制食堂「美食倶楽部」を発足する。
1925年 会員制料亭「星岡茶寮」を始める。
1927年 荒川豊蔵を鎌倉に招き、「魯山人窯芸研究所・星岡窯」を設立する。
1946年 銀座に「火土火土美房」を開店する。
1954年 ピカソ、シャガールを訪問。

 

:nikukyu: 作品

kitaohji_rosanjin_01

 

 

 

 

 

kitaohji_rosanjin_02

 

 

 

 

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 北大路魯山人」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【帝室技芸員】板谷波山


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待ち猫13 板谷 波山

   いたや はざん

 

   1972年4月10日(明治5年3月3日) ~ 1963年(昭和38年)10月10日

   茨城県 真壁郡 下館町 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1986年 石川工業高校彫刻科の主任教諭となる
1898~99年 「勤川」号を名乗る
1906年頃 「波山」号に改める
1910年 東京美術工芸展審査員となる
1911年 窯業共進会にて一等賞金牌を受賞する
1917年 日本美術協会展覧会にて金牌第1席を受賞する
1929年 帝国美術院会員となる
1930年 フランス政府よりバルム・オフィシェー・アカデミー賞が贈られる
1934年 帝室技芸員となる
1953年 文化勲章を受章する

 

:nikukyu: 受賞

1911年 窯業共進会 一等賞金牌

 

:nikukyu: 外部リンク 

「Wikipedia 板谷波山」

「板谷波山記念館」

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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【人間国宝・無形文化財】中里無庵


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待ち猫12 中里 無庵

   なかざと むあん

 

   1895(明治28年)4月11日 ~ 1985年(昭和60年)1月5日

   佐賀県 唐津市 出身

 

 

:nikukyu: 略歴

1927年 12代中里太郎右衛門を襲名する。
1929年 古唐津の窯址調査を開始する。
1966年 紫綬褒章を受章する。
1969年 京都紫野大徳寺本山にて得度をし、号の「無庵」を受ける。
             長男の忠夫が13代中里太郎右衛門を襲名する。
1976年 重要無形文化財「唐津焼」保持者に認定される。

  

:nikukyu: 外部リンク 

Wikipedia 中里無庵

(一部Wikipediaより抜粋)

 


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