写真・紙もの資料・手紙

アレ・ブレ・ボケの写真家、森山大道の希少なヌード写真集「蜉蝣」をお譲りいただきました。


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アレ・ブレ・ボケの写真家、森山大道の希少なヌード写真集「蜉蝣」をお譲りいただきました。

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スナップ写真で有名な森山大道唯一のヌード写真集といわれている「蜉蝣」
唯一と言われているのもそのはずで、アーティストの横尾忠則とのニューヨーク渡航費用を稼ぐことを目的に制作された写真集だからです。

しかもこの写真集、官能小説家の団鬼六が協力しているそうで:shock:
出版目的も交友関係も豪華すぎてなにがなんだか.....

ただ、けして「やっつけ」仕事なわけではなくちゃんとしていますが、なんでしょう
やはりヌード写真が多くないからでしょうか、ちょっと女性の緊縛を撮るのに不慣れな感じもして
なかなか新鮮な印象のある写真集に思います。

 

ヨシダ

 


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写真:篠山紀信、監修:団鬼六、構成:宇野亜喜良 豪華布陣による緊縛写真集「緊縛大全」をお譲りいただきました。


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写真:篠山紀信、監修:団鬼六、構成:宇野亜喜良 豪華布陣による緊縛写真集「緊縛大全」をお譲りいただきました。

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この豪華な布陣。そのひとたちが力を合せて作った緊縛写真。
もはや一周まわって異色としか言いようがないんじゃないでしょうか。
(今の時代じゃ作られないですよw.....)

名の通り趣向性の強い一冊となっておりますが、やはりこの豪華メンバーにやって構成されているだけあって
構成もグラフィックのレイアウトやデザインからもはや一言で「エロス」とはいえず
アートにより近いものになっていると私は感じます。

 

ヨシダ


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《神奈川県横浜市港南区!》貴金属・お茶道具・煎茶道具・カメラなどを即日買取させていただきました


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今回は鉄道マニアの方から多くの鉄道グッツをお譲りいただきました!!
その中には1960年代~1980年代までに使用された切符もたくさんございました。

マニア向けの国鉄時代の硬券の数々…。
日本の鉄道チケットはサイズによって、基本的に A券(3 cm×5.75 cm)、B券(2.5 cm×5.75 cm)、C券(6 cm×8.75 cm)、D券(3 cm×8.75 cm)と区別されており、ここもマニアがこだわるところですね!
行き先を見てみると、お持ちだった方は日本全国を旅されたことがわかり、「国鉄線」の表示が時代を感じさせます。
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そして1960年代半ばに発行された「周遊券」の外袋の数々。レトロな雰囲気が魅力ですね!
地域の特色を反映したもの、モダンなデザインのものなど…このシンプルさに昭和を感じます。
またJRになる直前の青春18キップもありましたが、今とはデザインも大きさも別物ですね~

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そしてそして、極め付けはこちら!!
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加山雄三の父で伝説的な二枚目俳優・上原謙と昭和を代表する美人女優・高峰三枝子、往年の美男美女コンビが数十年振りに復活し、世のおじいちゃんおばあちゃんを喜ばせたフルムーンの広告入りチケット袋まで(涙)
さすがは昭和のウルトラスターだけあってお二人とも華やかでバブリーで、様になっております!

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※若い頃のお二人(1940年頃)

高峰三枝子さんは市川崑監督の「犬神家の一族」で「佐清!この薄情な人たちに仮面をめくっておやり!」と家族会議の場面で叫ぶ長女・松子夫人(すけきよの母)を演じたことでも知られていますが、高峰三枝子ファンの私としましては終戦直後に制作された五所平之助監督の映画「今ひとたびの」の気高く美しい姿を忘れることができません。

…と話がだいぶそれてしまいましたが、フルムーンのチケットは現在でいうところの休日倶楽部のようなのですすが、規約をみると特にシニア向け、60歳以上限定などの制約はなく、70歳以上は割引になるとのことのみ記されているので、年齢は関係なく夫婦割引のようなものだったようですね。

くまねこ堂では古書や古美術品のほかにも、鉄道グッズなどのコレクターズアイテムも積極買取をさせていただいております。

byこばちゃん

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【杉並区善福寺】 絵画、酒瓶大量(サントリー等)、酒類ノベルティ、ビアマグ、日本刀、銀製品(タバコケース、銀杯)、戦時品、ベルト、切子グラス(デカンタ)、腕時計、レコード、ガラス瓶、置き物、万年筆、ネクタイピン、記念コインなどをお譲りいただきました!


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今回お譲りいただいた中には、『復員引揚の皆様への栞』(香川県厚生課・同胞援護会香川県支部)、『復員の手引』(舞鶴上陸地支局)など、大東亜戦争から帰還した復員者に配布された貴重な冊子や書類などがございました!
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戦後50年と言われた時代からはや20年以上も経過し、今年で戦後72年という歳月が流れました。
兵士として戦地に赴き、或いは銃後を護った世代も90代以上の御高齢となり、今やなかなか当時の話を伺うのも難しい時代となりつつあります。
仙花紙といわれた粗悪な洋紙に印刷された案内の数々はかなり興味深いものばかり。
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『復員の手引』に目を落としてみますと、
【皆様長い間ほんとうに御苦労様でした。幾多の苦難を突破して今日祖国日本への期間が実現しまして皆様の御喜びは如何ばかりでせう。私達も心から御喜び致します。又御留守宅ではどんなに御待ちでせう】
とあり、このやさしい言い回しに胸を打たれる思いがいたします。
【後一両日であこがれの内地に到着されますが終戦後祖国は明朗に又健全に復興を続けております。どうかご安心下さい】
とあるので、復員船に乗船した際に配布されたものであろうことが推測でき、また実際の日本の状況とは異なる「明朗」「健全」「復興」などの希望の言葉が散りばめられてあるのが引っ掛かります。
他に貴重な記載として、復員者の支援がどこでどのように行われていたかが明確に記されており、「元陸軍省が復員局になった」「厚生省の中に引揚援護院が開設されていた」などなど、とても勉強になります!
また「未だに帰らない人々の消息を教えてください」「帰郷されたら」などの解説がされておりますが、私が注目したのは「身分処理について」という部分。
【軍籍にあったからとて  内地に帰還してから労役に服したり、戦争犯罪者に問われたりすることは決してありません。安心して家庭に帰れます。】
とあります。終戦後に多くの噂が飛び交い、戦犯として処分されるのではないかと軍籍のあった方々や文化人の方々まで心配されたということを耳にしたことがあります。それにしても、生々しく当時の様子が伝わってきますね。

また香川県で発行された『復員引揚の皆様への栞』には、
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【皆様を迎へる日本の国状は予想以上に荒廃して居ります(略)】と記されてあります。

これらを踏まえ、復員の流れとしては
《外地で復員船に乗船》→《舞鶴港・函館港に到着》→《予防接種やDDTを受ける》→《日本に上陸》→《復員連絡所》→《帰宅》
となっていたようです。

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買取をさせていただいた中には、日本に上陸するにあたって受けた予防接種の證明書も含まれておりました。現在の日本では耳にすることはありませんが、当時としては身近な恐ろしい病気であった「コレラ」や「腸チブス」(チフスに非ず)などが記されております。

本当に戦争とは大変なことなんだなぁとつくづく感じられる貴重な資料ありがとうございました!

このようなことを書いていると、耳の奥底から田端義夫さんの「かえり船」が聴こえてくるようです。

byこばちゃん

 


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中野区: 即日出張にて、軍服、勲章、真鍮の印泥入れ、楽焼のグイ飲み、古書を買取させていただきました


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今回お譲りいただきました、第二次世界大戦中の指揮官として戦史に名を遺された某陸軍大佐(死後に中将となる)の遺品を紹介させていただきたいと思います!※プライバシー保護のため名前を伏せさせていただきました、ご了承くださいませ。

お譲りいただいた遺品の中には、ご本人が使用された大礼服から軍服の装飾品、未使用の襟章や勲章などがございましたが、特に写真の数々には今となっては見ることが出来ない貴重な様子が記録されておりました。
この陸軍大佐の簡単な経歴を記載させていただきますと、陸軍士官学校を卒業後ドイツに留学し、帰国後は横浜専門学校、陸軍士官学校のドイツ語教師などを経て、1940年に某連隊の連隊長に就任します。
当時の軍人と言えば豪傑なイメージがありますが、氏は学者肌の軍人だったということで、写真帖にはピアノを奏でる写真も含まれておりました!着物にピアノ、大正ロマンを思わせる一枚ですね。

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また1937年には朝鮮・安東の陸軍学校(?)にも赴任しており、当時の日記帳も残されておりました!
日記帳を紐解いてみますと…
「6月11日(金)晴 大分生徒の行儀が悪いので河内大尉のいやみあり。生徒一同を集め教官の顔に泥を塗るなと訓示する所あり。実際生徒の行動は公明正大でなく不快なり」と指導者らしい記載もありつつ、ほかにも日々の軍の行事などについて人間的な冷静な感想もみられるので「学者肌の軍人」だったという人物像にも納得ができます。
注目は日中戦争(当時は支那事変、日支事変などと言われた)の勃発時の日記!!
「…北支事変(ママ)に関しての準備なり…」などの記載があり、当時の軍人の様子を如実に知ることが出来ます。
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そして、このような時代を経て、1943年頃フィリピンのレイテ島に移駐したことが、その後の氏の運命をかえます…。

レイテ島の戦い(レイテとうのたたかい)は、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピンレイテ島で行われた、日本軍アメリカ軍の陸上戦闘である。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった(Wikipédiaより)

以上のように第二次世界大戦史のなかに特記されるほどの激戦となったレイテ島の戦いですが、この陸軍大佐も敵の砲弾を受けながら奇跡的に生還しましたが数日後に自決をされたとのことでした。日本軍の戦死者は 79,261名。本当に戦争は恐ろしいと実感させられますね。

今回お譲りいただいた写真には、氏がレイテ島に移駐した1943~1944年10月までのものが数十葉あり、激戦直前のレイテ島の様子を撮影した歴史的なショットがたくさん含まれておりました。
そもそも第二次世界大戦は、当時日本では大東亜戦争と称されており、1941年の真珠湾攻撃後、国際社会から孤立した日本は、連合軍側から資源の輸入を止められてしまうという状況に陥ったため、あらたな資源を求めるべくフィリピンやマレーシアなどの南方地方の国々を占領していき「大東亜共栄圏」を築き上げていきます。
その大東亜共栄圏時代のフィリピンの様子を記録したスナップ写真はかなり貴重といえますが、その理由としては「撮影できる人間が限られていたこと」「激戦のために写真が消滅」してしまったことがあげられるかと思います。そんな状況の中、激戦前の数ケ月間に内地の家族へ沢山の写真を送っていたことが、これだけの写真が残った理由になります。

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1943年夏に撮影されたこの写真の裏面には「俘虜訓化所修業式」とあります。俘虜とは捕虜のことですが、訓化所とはどんなところだったのでしょうか?日の丸を掲げ、日本軍人が現地人に訓示を行っている様子は、当時の様子を象徴しているように思います。

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上写真と同時期に撮影されたこちらの写真には「コンセプションにて」と書き込みがされております。例えば「演説」や「訓示」と記さず、コンセプション(=「英語、フランス語で概念受胎などを意味する。(Wikipediaより)」)と記入してあるところに当時の日本軍の思惑をくみ取ることができます。

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こちらは現地の町長、知事、警察隊長らと撮影した一枚で、移駐した挨拶に訪れたときに撮影されたものでしょうか。割れた窓ガラスの目隠しに、当時日本で発行されたプロパガンダ写真誌が貼付されているのが、素朴で面白くもあり、どこか意味深な印象を受けます。

平和な時間が流れているような写真の数々ですが、これら写真が撮影された1年ほどの間に多くの命が奪われた「レイテ島の戦い」が勃発するのです。
1944年10月23日に 氏が自決したのちも戦いは続けられ、その2日後、レイテ島市街地を占領しかけていた米軍に対して「日本軍斬り込み」というとんでもない作戦が遂行されました。
当時の新聞によれば

『部隊長も斬込み(新聞名不明)』
「○○部隊長は自ら手兵数十名を引き連れて廿五日夜高地からタクロバン市街の敵陣地目がけて殴り込みを敢行、敵兵どもを震撼せしめた、
この部隊長自らの斬り込みは同戦線の最悪事態を示すものでなく旺盛な攻撃精神が抑へ切れず遂に同部隊長をして奮然突撃敢行をなさ
しめたものでこのため同部隊の士気はますます昂っている」

とあり、実際には部隊長であった氏は自決しているので作戦には参加しておらず虚報といえるでしょう。しかし報道する側もかつてのような美辞麗句を並べ立てて過大な戦果報告をするという姿勢はありません。日本軍の被害は一切記されてはおりませんが小さな記事にまとまられ、どこか負け戦が想像できるような記載になっています。

そして10月28日、氏なき部隊は玉砕。
これらの写真に写り込んでいる軍人や兵隊の殆どが、米軍との激戦で戦死したと思われますが、フィリピン現地の人々も犠牲になったのでしょうか?

氏の戦死は新聞でも報道され、東京湾要塞司令部の司令官で、かねてから友人関係にあり一時期はフィリピンにも移駐していた陸軍中将・大場四平(1890-1963)は氏の戦死の報せを受けて以下のような書簡を、1945年1月に遺族へ送付しています。

「(略)忠誠一徹なる閣下の御性格よりすればタクロバン附近に於ける斬込戦の御勇姿も眼前に髣髴として来り定めし鬼神を泣かしむる壮烈無比而も武功抜群なりしものと確信(略)茲に謹みてご生前に於ける深甚なる御友情を深謝し併せて敬弔の誠を捧げ候」

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大場四平陸軍中将の人柄が垣間見れる書簡ですね。
そしてレイテ島の激戦から1年も経っていない1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏で敗戦となったわけです。

くまねこ堂では陶磁器、書画などの骨董品以外にも、日本軍に関する軍服、大礼服、刀緒や勲章などの軍装品、古写真まで幅広く買取をさせていただいております!

byこばちゃん


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珍品◆1960年代に発売された電化製品カタログを大量入荷いたしました◆東芝、ソニー、ナショナルぼうや、紙モノ、昭和30年代


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買い取らせていただきました1960年代に発売された電化製品のカタログをご紹介させていただきたいと思います!

戦後、朝鮮戦争の特需景気や神武景気を経て、1959年今上天皇の御成婚、1964年の東京オリンピックなど明るいニュースが続いた高度経済成長期。それまで戦争の傷を負っていた日本から一気に世界の経済大国にのし上がり、総中流家庭といわれる時代に突入します。
その高度経済成長時代の象徴といえるのが、一般家庭への電化製品の普及だったのではないでしょうか?
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今回の買い取りでは1960年代に発売された電化製品のカタログが大量にございました!!
まず抱くのは戦後の惨めな時代から抜け出た「豊かな国 日本」というイメージです。
昭和30年代を語る際に欠かせない「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)ほか、掃除機やポンプ、タイマー、炊飯器、フィッシュグリルなどのカタログの数々…

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中身を見てみると、とにかく楽しいです!

↓は東芝冷蔵庫(GR100ND形)のカタログですが、この人工着色的色彩がたまりません!
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基本的な形や配置は変わりないかと思いますが、冷凍庫の部分が冷蔵部分と同じフロアになっていますね。

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また別購入のオプションとして、冷水器(380円)やアイスクリームフリーザー(4500円)などが紹介されており、今もあったらいいなぁと思われるような品々が紹介されております。自動でアイスクリームができるというアイスクリームフリーザ―の4500円は結構高価だったのではないでしょうか?

また掃除についてのページには
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「直接水をかけて掃除しますと、絶縁が悪くなりますから…」

『絶縁』って!?

ちょっと穏やかではない感じがします(笑)

そして↓「電気釜」のパンフレットもなかなか面白いです。
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この時代の電気釜はお米を入れる釜の部分だけではなく、外釜の部分にも水を入れたんですね!
ご飯が炊けると勝手にスイッチが落ち、そこから20分くらい蒸らすとあるので、今と比べると幾つか手順が多いようですが、当時としては画期的だったと推測ができます。

これら日本人の貴重な生活資料、お譲り下さいましたお客様ありがとうございました!

こばちゃん

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戦前の紙モノ資料のご紹介です。【東京朝日新聞/東朝 歴史資料】


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ありがとうございました(*^-^*)!

本日も、お譲りいただいた戦前の紙モノ資料をご紹介させていただきます!

こちらは「東京朝日新聞」の郵便はがき。左は「新聞のできるまで(Ⅲ)」、右は「東朝社管轄の重なる通信販売網図」と題されています。

朝日はがき

『東京朝日新聞(東朝)』は、いまの『朝日新聞』の東地区における旧題で、1940年に西地区の『大阪朝日新聞』と統合され、現在の名前に改題されました。

朝日新聞といえば、2014年に慰安婦強制連行に関する記事の一部を捏造と認め、謝罪・訂正したことが大きな話題となりました。深刻な国際問題に発展してしまった事案であるだけに、検証不十分な記事が掲載され、長らく訂正されずに放置されたことは残念でなりません。
(参考「記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

こちらの絵葉書裏面には、以下のような文言が印字されていました。

朝日はがき

「新聞は権利に動かされず、黄金に惑わされぬものを以つて第一とします」(「東朝社管轄の重なる通信販売網図」裏面より)

朝日はがき

「広告には読者層の最も堅実な朝日新聞を利用しませう」(「新聞の出来るまで(三)」)

朝日新聞は、自らが誇る「最も健実な」(ママ)読者層が離れないように努めてほしいと願います。

メディアが多様化した今日においても、いまだ新聞の影響力は絶大です。
いずれの新聞社も、私たち一般市民が社会を正しく知ることができるよう、誠実な報道姿勢を貫いてほしいと思います。

貴重な歴史資料をお譲りいただきありがとうございました!

 

Byクラニャン


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さいたま市大宮区にて、土門拳・写真集、ミュシャの複製ポスター、銅製の薬缶、CD、象牙の彫像をお譲りいただきました。


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★★
お譲りいただきましてありがとうございます!

これまで続けて戦前の英語教材をご紹介してきましたが、『村井・メドレー ザ・ニュー・アート 英作文詳解』が発行された翌年1937年には盧溝橋事件が起き、日中戦争が勃発します。
その後中国に肩入れしたイギリスやアメリカとも対立が深まり、1940年(昭和15年)に入ると英語は「敵性語」として排斥されるようになりました。野球のストライクが「よし、一本」、サイダーが「噴出水」、パーマが「電髪」などと言い換えられたこともよく知られていますね。
Wikipédiaで紹介されている『写真週報』には「看板から米英色を抹殺しよう」と書かれており、この時期にはとても英語学習どころではなかったと思います。

敵性語

Wikipédiaより
「看板から米英色を抹殺しよう」 昭和18年2月3日付『写真週報』第257号

 

この度お譲りいただいた語学教材も、当時見つかってしまえば持ち主の方は「非国民」のレッテルを貼られ、大変なことになったのではないでしょうか。そんな時代をくぐりぬけ、今に伝わった貴重な資料。
くまねこ堂にお譲りいただきありがとうございました:hoshi1::hoshi1:
大切に取り扱わせていただきます!

 

By クラニャン

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★東京都杉並区★松庵にて歴史書、図鑑、掛け軸、腕時計(オメガ等)、お酒(ジャックダニエル等のウイスキー類)、アクセサリー、銀杯、ワイングラス(カガミクリスタル)、江戸切子、ミニカー、キャンディキャンディ・水森亜土・サンリオ等のキャラクターグッズ、古本、古道具をお譲りいただきました!


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★★
ご用命くださいましてありがとうございます(*'ω'*)!

本日も戦前の絵葉書をご紹介致します♪
こちらも先日ご紹介した雑誌『少年倶樂部』付録の絵葉書です:hoshi1:

飯塚羚兒

今回お譲りいただいた絵葉書を裏面の印字によって分類すると、飯塚羚兒、伊藤幾久造、村上松次郎、松添健、鈴木御水、田代光という6名の作家が描いたものに分けることができました。

お写真を載せた9枚はすべて、そのうちもっとも枚数の多かった作家、飯塚羚兒(1904-2004)氏によるものです。
「伊豆新聞」(平成28年5月8日発行)の記事によると、飯塚氏は戦前より挿絵画家として活躍したのち、1955年に51歳で海洋画家に転身、以降は木版画なども精力的に手がけたそう。同氏の作品は神奈川県大和市の画廊「花の画房」の運営する「飯塚羚児資料室」で扱われたのち、昨2016年、主要作品の大半が国立昭和館(東京・九段)と玉泉寺(伊豆・下田)へ寄贈されています。(参考 http://www.geocities.jp/kamosuzu/iidukareijiten.html

1972年のこちらの木版画では、もはや軍艦ではなく帆船をモチーフにしていますね。

飯塚

「海王丸と日本丸」のうち、海王丸?
沖縄国際海洋博出品、1972年

 

飯塚氏は戦中、海軍省の職を辞して灯台職員の慰問や物資の調達・配給を行い、晩年には海事・海軍関係の慰霊活動も行っていたそうですが、同氏の戦争観や平和に対する想いはどのようなものだったのでしょうか。
今後も引き続き、海軍を描いた少年雑誌の付録をご紹介したいと思います!

 

By クラニャン


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古時計、帯留め、サーベルの柄などの古道具を買い取りました。中野区にて。


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本日ご紹介させていただくのは昭和10年に発売された「満洲國皇帝陛下 御来訪記念」絵はがきです!

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皆さん満洲(満州)といえば、なにを思い浮かべるでしょうか?

男装の麗人・川島芳子、李香蘭、第二次世界大戦、大陸の花嫁などなど…それぞれの視点や歴史、思いが
交錯する幻の国・満洲。

満洲国は1932年(昭和7)年に中国北東部に誕生した国で、皇帝となったのがかの有名な愛新覚羅溥儀、
のちに映画「ラスト・エンペラー」の主人公となる人物です。
満洲の首都は新京ですが、大連、奉天、満洲里(まんちゅり)、そして哈爾濱(ハルピン)などなど…
戦前の日本人からすると最も近い外国であり、ブルースの女王・淡谷のり子先生が「満洲ブルース」という
流行歌を歌っているほど!
どこか憧れさえ抱かせる都だったのです。

そんな異国情緒を感じさせる憧れの都の皇帝が来訪するとなると、当時の日本が大騒ぎにならない筈はあり
ません。
時は昭和10年、モダン都市文化の花盛り、戦争の影なんか見てとれない束の間の平和時代のこと。
絵はがきの中には当時の東京市(現在の東京23区を東京市と称しました)が発行した、電車乗車券が同封
されておりました!

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一枚には自動車乗車券(上)とありますが、タクシーの乗車券なのでしょうか…?

↓こちらが満洲国の国旗で、国花は蘭の花、「蘭花御紋徽」が使用されておりました。

 

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今年は満洲国建国85年。
くまねこ堂では満洲(満州)ほか、中国、朝鮮関係の資料、陶器、掛軸、書、絵画などの美術品を積極買取
させていただいております。

 

こばちゃん


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★”遺品買い取り(遺品整理)のご依頼でした。” ★古書・古本 広辞苑第六版 切手、年賀ハガキ、ハガキ ネクタイピン、アクセサリー レコード


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今回お譲りいただきました中には、江戸時代の福岡藩士から八幡製鉄所を設立し、貴族院男爵議員となった安川敬一郎(1849-1934)の書簡がございました!

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書簡といいましても、ご覧の通りに表装された巻物になっており、いかに大切に保管されて来たのか伺い知ることができます。

安川敬一郎氏の簡単な経歴を辿ると、嘉永2年に筑前国(現在の福岡県)に誕生し、江戸末期に福岡藩の教員となったものの、明治5年に上京し慶應義塾に入学したが、身内の不幸のために帰郷。

しかし故郷・福岡で炭鉱事業を立ち上げたことにより莫大な富を得、明治14年には頭山満の玄洋社に参加し、その安川氏の資金が玄洋社を支えていたんだとか。

その後、なんと孫文を神戸から東京に迎えて、4年もの間、毎月500円の生活費を提供していたそうです!!!

安川敬一郎氏がいなければ「中国革命の父・孫文」もここまで大成しなかったのではないか…と思うと感慨深い書簡になります。
それにしても明治中期の500円といえば、現在に換算するとン千万になるでしょうから、中華民国のかげの立役者と言っても過言ではないでしょう。

この書簡は大正14年に知人へ宛てた近況報告ですが、なかり長い内容の手紙を読み進めてみると、普通選挙についての記述が出てくるので、恐らく大正14年に安川氏が貴族院議員として立候補した周辺の時期に差し出されたものと思われ、封筒と中身が合致していることがわかります。

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「乱筆御免」からはじまる書面からは几帳面な性格や、大物こその相手に対する気配りや常識を兼ね備えていた人物だったことが伝わってきます。
歴史上の人物はやっぱり違うな!と思わせる貴重なお品でございました。
ありがとうございました!

くまねこ堂では、歴史上の人物や政治家による真筆揮毫(書画、掛軸、色紙、短冊、書簡、原稿)などのお品も高価買取をさせていただいております!!

こばちゃん


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★千葉市中央区、流山市にお伺いしました 松戸市、流山市にもお伺いいたします!

やっと秋らしくなってまいりました!

相変わらず、くまねこ堂では多くのお客様から色々なお品をお譲りいただき、新規のお客様、リピーター様、誠にありがとうございます!

私達スタッフはいつも面白い品々に囲まれてお仕事をさせていただいておりますが、今回買い取りさせていただきました商品の中に、大正後期から昭和30年頃までの少年犯罪関係の資料をまとめたスクラップ帖がございました!!

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特に昭和初期の記事が中心なのですが、これらの記事をみると「浅草」「モボ・モガ」のキーワードがやけに多く使用されております。

昭和レトロブームでモボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)が持て囃されて、お洒落で先端的な存在というイメージが強いところですが、実は「不良」として見られていたことが伺いしれます。

そんなモボが女性に声をかける際の手口が当時の新聞に掲載されておりました…

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「握り、さわり」「語り」「送り」「つけ文」「打込み」「すみません」「ありがとう、おちます」「おたずね」…

と項目が振るっています(笑)

いまから90年ほど前の記事なので古く感じますが、実は現在の男性の手口とそんなに変化がないように思われますが如何でしょうか?

 

また今や世界中から多くの観光客が集結する浅草も、実は不良少年たちの巣窟だったんですね…

この周辺のことは、川端康成の小説「浅草紅團」(前進社 1930年)に詳しく描き出されています。

そんな昼間の浅草をゆく少年たちに「なぜ浅草にいるのか?」という質問の返答もなかなかなものです。

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「なんとなく遊びに来た」「遅刻したから」「月謝を使い込んだから」…
なんか今の少年たちも、こんな言い訳をしそうです(笑)

 

そしてそして…戦後の記事で最も目立つのは、やはり「ヒロポン」です!!

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ヒロポンは戦時中に日本で製造された覚せい剤で、終戦直後に軍の放出品として日本に氾濫したということですが、なにしろ昭和20年代まで薬局に「ヒロポンあります」の貼り紙があったということで…戦後の混乱期は想像できないほど凄い時代だったんですね~
特に芸能界でのヒロポン蔓延はものすごく、吉本専属の漫才師ミス・ワカナはヒロポン中毒で死亡し、漫談家のM・Yや、歌手のH・О、N・Kなどもヒロポンに蝕まれてていたそうです。
しかし昭和20年代後半頃からヒロポン廃絶運動が高まり、非合法の覚せい剤として認知されるようになります。

このスクラップブックには↓のようなビラも貼付されておりました。
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学校で習ったり、テレビなどで放送される歴史はどうしても表面のきれいな部分でしかありませんが、このような民衆がたどった裏面史もなかなか面白いものですね!

くまねこ堂では美術品ばかりではなく、江戸、明治、大正、昭和の紙モノ資料も買取させていただいてります!

こばちゃん

東京都葛飾区・江東区で、金銅仏、木彫仏、仏具法具(独鈷杵・三鈷杵)、仏画、仏教美術、複製品レプリカ等をお譲りいただきました!


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東京都葛飾区・江東区で、金銅仏、木彫仏、仏具法具(独鈷杵・三鈷杵)、仏画、仏教美術、複製品レプリカ等をお譲りいただきました!どうもありがとうございます(^◇^)

本日は「帝國海軍の旗」と題された絵葉書をご紹介させていただきます♪
こちら裏面に「少年倶樂部繪はがき」と書かれており、1914年から46年に刊行された月刊少年雑誌『少年倶楽部』(1946年に『少年クラブ』と改称)の付録とわかります。

旭日旗

発行年が印字されていないため確証はありませんが、過去のオークション履歴によれば1936年(昭和11年)の付録のようです。日中戦争が勃発する前年ですね。

日章旗(日の丸)に光線が加わった意匠の旗は、「旭日旗(きょくじつき)」と呼ばれます。
1870年より帝国陸軍の軍旗、1889年より帝国海軍の軍艦旗として採用され、現在も陸海自衛隊の旗として用いられています。

私が「旭日旗」としてイメージするのは、右下の「軍艦旗」に採用された光線(光条)が16条のものでしたが、その他にも光条の数が違うものや、地と図の色が反転したものなど、いろいろなバリエーションがあるのですね(゜▽゜)!ちなみにWikipédiaにも、旧海軍の旗のデザインがまとめられています。
旭日旗2

ふむふむ、絵はがきと同じだな…と思って見ていると、ん?日の丸の位置が違う?
「軍艦旗」の日の丸は、はがきでは右寄り、Wikipédiaでは左寄りにあるけど…大丈夫?

と思ってすこし調べると、海軍の旭日旗の日章位置は、左右というより「旗竿側」に寄せるというルールがあるのですね。というのも、当初は「軍艦旗」も旧陸軍と同じように日章を中央に置いたところ、軍艦が海風のなかスピードを出して進むため旗が強くはためき、日章部分が視認しづらくなってしまったとのこと。そこで1889年の制定時には、日章位置を風の影響を受けにくい旗竿側に6分の1ずらすことになったそうです。
現在バングラディシュの国旗も同じ工夫を採っていますね。

バングラデシュ国旗

バングラデシュ国旗

これにより、日章が中央にある旧陸軍旗↓との区別もつきやすくなりました。

旧陸軍の旭日旗

旧陸軍の旭日旗

 

まあよく考えれば、旗は両面に意匠が刷られるのですから、表裏で左右が反転するのは当然でしょうか(;・∀・)地図帳などには、通常国旗のおもて?面(旗竿が左にある面)だけが掲載されているので、私はアメリカ星条旗といえば星の位置は左上!といった左右のイメージで記憶していました。でも実際は裏面もありますよね~:ase1::ase1:

アメリカ星条旗

アメリカ国旗

 

日本の歴史の重要な一部分である「旭日旗」ですが、とくに近年はこの意匠が軍国主義を想起させるとして忌避されがちです。私もこれまでじっくり見たり、その歴史をきちんと学ぶ機会がありませんでしたので、この度は大変勉強になりました!
貴重な資料をどうもありがとうございます:hoshi1:

くまねこ堂では、古い紙もの、古資料、古絵葉書など、価値ある歴史資料のお取り扱いをしております。
ぜひご用命くださいませ:heart:

 

By クラニャン

 

 


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船橋市西船橋にお住まいのお客様より硯、墨、書道道具、オペラ・クラシック・声楽のCDを買い取りいたしました


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今回お譲りいただきましたのは昭和の映画スターのプロマイドの数々です!!!
約13.5cm、約8.5cmサイズでブロマイドともプロマイドとも称されますが、実はこのサイズ、日本だけで通用するサイズということはご存じだったでしょうか?
日本では元々キャビネサイズで撮影したネガを使用して、映画のスチール写真などからトリミングをしたものがプロマイドとして販売されたのですが、世界基準のアメ
リカでは8インチ×10インチ(エイトバイテン)が基本サイズになっており、プロマイドではなくポートレートサイズが本来のコレクターズアイテムとしての基準になっております。
今でも根強い人気があり、喜劇王チャップリンやデートリッヒ、アステア、早川雪洲などなどハリウッド俳優たちのポートレート即売会が神田神保町で催されたことも。

今回は戦時中から1950年頃にかけての往年の邦画スターのプロマイドが中心で、時代劇あり、現代劇あり、歌手ありと、時代がタイムスリップしたようです!

IMG_1151[1]

こちらのお二人、右側が上原謙さん、左が市川右太衛門さんになります。
松竹映画の二枚目俳優として名をはせた上原謙さんは加山雄三さんのお父様としても有名ですね!
高峰三枝子さんとフルムーンのCMをされていた時のことを思い出します…
市川右太衛門さんの息子さんが北大路欣也さん、やはり面影が感じられますね~

IMG_1152[1]

続いてのお二人は、津島恵子さんに嵐寛寿郎さん。
津島恵子さんといえば私の子供時代の憧れのお姉さんでした、清純で上品で…
終戦直後の焼け野原を舞台にした映画「悲しき口笛」では、幼い美空ひばりさん演じる戦災孤児と明るく生活を送るお姉さん役だった津島さん、まさにはまり役でした。

そしてそして、次は昭和歌謡ファンにはたまらないお二人!

IMG_1153[1]
バタヤンこと田端義夫さん(右)、ハイカツこと灰田勝彦さん!
「野球が本業で、歌手は内職」とおっしゃるほど野球を愛したハイカツさん、とびきり楽しい方だったというバタヤンさん。お二人は映画にも積極的に出演されて、大変な人気を集められました。

くまねこ堂では映画関係の資料(パンフレット、ブロマイド、ニュース、ポスター、書籍)なども買い取りさせていただいております。

 

こばちゃん


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東京都世田谷区のお客さまより!大型本、写真集、画集、色紙、置き物、陶器(ウェッジウッド)、絵画、スクラップブック(お菓子のパッケージ等)をお譲りいただきました!

東京都世田谷のお客さまより、本(大型本、写真集、画集)色紙、置き物、陶器(ウェッジウッド)、絵画、スクラップブック(お菓子のパッケージ等)をお譲りいただきました!ありがとうございます(^◇^)

久々に絵葉書のご紹介♪

世田谷。絵葉書

 

な、なにこれ~(゜゜)))):ase1::ase1:ワニがうじゃうじゃ…
下端のキャプションによれば、こちらは「カリフォルニア州ロサンゼルス、カリフォルニア・ワニ園(California Alligator Farm, Los Angels, Cal.)」の絵葉書で、それぞれ「ワニの巣、卵、母親ワニと子ワニたち(Alligators' Nest, Eggs, Mother and Brood)」および「ランチタイム(Lunch Time) 」とタイトルがつけられています。

こちらのカリフォルニア・ワニ園は、1907年にフランシス・アーネスト夫妻により設立され、1953年の移転を経て1980年代初頭に閉園したそう。1941年の広告によれば、当時1000頭(!)ものワニが飼育されていたらしく、熱川バナナワニ園の飼育頭数が「20種約200頭」(Wikipédiaより)であることを考えると、その規模に驚かされますね。

ちなみにロサンゼルス公立図書館のコレクションデータベースを検索すると、当時のワニ園を映した29件の写真がヒットしたのですが… ↓

美女たちが危ない:ase1:!!

世田谷区、ワニ園

Los Angeles Public Libraryデータベースより

 

そ、そこの犬…:ase1::ase1:

世田谷区、ワニ園

Los Angeles Public Libraryデータベースより

 

きゃ~子どもまで…:ase1::ase1::ase1:

世田谷区、ワニ園

Los Angeles Public Libraryデータベースより

 

 

ワニって案外おとなしいのでしょうか…?
現代ではこの距離の近さはありえないですよね(; ・`д・´)
知らない時代の知らない常識を教えてくれる、たいへん貴重な絵葉書でした:hoshi1:

くまねこ堂では、「戦前・戦後など当時の様子や風俗が分かるもの、長年大切に保管されていた絵葉書や昔の書簡、パンフレットや絵葉書など」、紙もののお品物もどしどし買い取らせていただきます!
ぜひご用命くださいませ(^^♪

 

Byクラニャン

★即日出張買取★掛け軸、画帳、漱石、田能村直入、仏画をお譲りいただきました【東京都中野区】

東京都中野区にて当日お電話をいただきましたお客様のお宅へ、即日出張買取へ行かせていただきました:b_body_jump:
お電話ありがとうございました:b_body_jump:
(古本、骨董の出張買取の日程はご予約も承っております。ただすでにご予約が入っている日程等もあり、お客様のご都合に100%添えない事もございます。あらかじめご了承いただければ幸いです。)

8月もあっという間に終わりました。
今年は記録的に雨模様の日が続き、夏らしい日が恋しくなってしまうくらいでした。
(暑すぎるのも、実際暑くなってしまうと、もう充分な気持ちになりますが:lol:
今月も古本、骨董、古道具等の出張買取のご依頼、沢山のお客様にご利用いただき大変感謝しております。
お暑い中、お邪魔させていただき、「家が片付いた!」「大量だったので自宅に来てくれて助かった!」「売れると思わなかった物も買取りしてもらって面白かった!」等、買取時にお喜びの声をいただけましたこと、大変嬉しく思います。
今後もどうぞ、くまねこ堂をよろしくお願いいたします:track::hoshi1::hoshi1::hoshi1:!!

popopoko

ペコリ:heart:

かこさん

☆プラチナの指輪等、ジュエリー、刀を買取させていただきました(東京都東部)☆

骨董品、古道具の買取ではお客様が処分寸前だった、ご自身では値がつかないと思われる品物も買い取らせていただけるものがあることがあります:wa-i:

さて学生の皆さん(大学生は除く)、いよいよ夏休みが終わりますね:kaomoji7:
今正に溜めに溜めた宿題をやっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?(私は小学生の頃はよく溜めて怒られていました)

もう時間がないのに自由研究どうしよう~!そんな泣きべそかいている君におすすめの自由研究!スクラップブック:nurse::hoshi1:
身近なパッケージを集めてみましょう:idea:

kannzume

こちらは魚介類の缶のラベルでしょうか。
こちらもお客様からお譲りいただいたスクラップブックに収められている、貴重な資料です!
台所という場所は、隠れた宝の山なのかもしれませんね:heart:

自由研究がまだの人は、お母さんの家事のお手伝いをしながら収集してみましょう:epuron:

かこさん

 

東京杉並区にてワインボトル、ウイスキー、ナポレオン、洋酒ミニボトル等をお譲りいただきました!

 

スクラップブックをパラパラ拝見させていただき、目に留まった商品券。
なになに?:neko:

cmcm

テレビ、ラジオに変わるC.M. 先着50名 無料サービス
早く!早く!行けばニッコリ! 商品券 大好評!

すごい急かされてます:kaomoji2:
行った先に一体何屋さんが待ち構えていたのでしょうか:ecoemoji2::hoshi1:
ちなみに、くまねこ堂では常時!商品券等なくとも、出張費は無料で買取に行かせていただいております。
皆様のご利用をスタッフ一同お待ちしております:hoshi1::track::hoshi1:

かこさん

★新宿区高田馬場★戦前の置時計、古銭、茶道具、書道具、掛け軸、色紙、短冊、錫製品、佐藤忠良リトグラフを買い取りいたしました!


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前回に引き続き、気になったスクラップをご紹介いたします:welcome2:

上野動物園の記念シールがありました!1966年(昭和41年)のモノのようです:hiyoko:

 

uenozoo

記念シールということなので、当時どのようなことが上野動物園であったのか、少し調べてみました:-D

この記念シールが発行された経緯ではなさそうですが:body_deject:この年は上野動物園内で2番目に長年飼育飼育されているイリエワニ、フックさん(オス)の来園した年でした!
現在もこのご長寿フックさんにお会いできるようで、今年(2017年)で推定51才になるそうです:ojiicyan::obaacyan:

人間にしましたら、果たしておいくつなのでしょうか。

かこさん

 


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[即日出張買取] 中野区のお客様より、掛け軸、画帳、漱石、田能村直入、仏画をお譲りいただきました!!

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ご利用ありがとうございました:track:
これからお引越しのご予定がある方やご自宅の整理、最近流行りの断捨離で出た、本棚〇個分!の大量の本や、棚や箪笥や蔵にしまったままの骨董、古道具の買い取りのご相談、お待ちしております!

 

 

この夏、お客様から新たに大量のスクラップブックをお譲りいただきました!

こちらのブログでも、以前から少しずつお譲りいただいたスクラップブックをご紹介しておりますが、
収集されているラベルやシール、印刷物の傾向は作成した方それぞれに大変個性があり、何冊見ても飽きが来ません:wa-i::upup:

 

 

 

なかなか集めない!と思い、驚いたページがありました。

kudamono

果物に直接貼られている品種シール(!)などなど、丸いシールが中心に集められたページ:idea::hoshi1:

私は果物を食べる時、目にも留まらず皮と一緒に捨ててしまっていたので、収集しようという発想がありませんでした。すごく面白い事だと思います。
果物を買うときや食べる時のひとつの楽しみだったのかなあと、ついつい作成された方に思いを馳せてしまいました:gakki:

家に帰ったら、そういえば昨日買ったバナナがあるので、どんなシールが貼られていたか早速見てみたいと思います:okaeri:

かこさん

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渋谷区広尾にて、レイモンペイネ、金アクセサリー、切手シートを買い取らせていただきました!

渋谷区広尾にて、レイモンペイネ、金アクセサリー、切手シートを買い取らせていただきました!
どうもありがとうございます♪♪

本日お見せするのは、ハワイのキラウエア火山(「Volcano of Kilauea」)の絵葉書。
3枚縦に並べてみると、日本の美術家タイガー立石(1941-1998年)氏のシュールなイラスト風に…:hoshi1:

渋谷区広尾、絵葉書

渋谷区広尾、絵葉書

タイガー立石《アンデスの汽車》(1997-98年)

 

古い絵葉書には、今の高画質のポストカードにはない不思議な凄みがありますよね~:hoshi1:
科学技術は高精細な画像やクリアな音質を追い求めてきましたが、それと芸術的な美しさや面白みは別の話だな~とつくづく思います。使い捨てカメラやカセットテープが再び流行しているのも、完璧すぎないクオリティーの魅力に回帰するひとが増えているからでしょうか(*´ω`*)

くまねこ堂では、下記のようなさまざまな懐かしもの、レトロアイテムも査定させていただいております。

古い王冠、コカコーラ 古い酒ぶた
ガムさや お菓子のおまけ
箸袋 弁当の包装紙
パッケージラベル パイプ
自動車メーカーの灰皿、ノベルティ タバコ、空き箱
マッチラベル 鉄道模型(Nゲージ、HOゲージ)
鉄道グッズ、切符、戦前 ブロマイド
バッジ(バッチ) キーホルダー

「こんなのどうせゴミでしょ?」と処分される前に、ぜひくまねこ堂にご用命くださいませ。
古くて新しい、魅力あるお品物をお待ちしております:heart:

 

Byクラニャン

目黒区大橋のお客様より、DVD大量、イギリスアンティーク電話機、計測機器、タイプライター、マウンテンバイクをお譲りいただきました!

 

今日の絵葉書をご紹介します♪
上部に「ROUGH SEA, BLAKPOOL」と印字されているこちら、邦画「Shall We ダンス?」でも舞台となった、イギリス最大の保養地ブラックプールの一枚です。
「荒れた海(Rough Sea)」と書かれているだけあって、打ち寄せる波しぶきがすごい…(゜゜)!

川崎市、絵葉書

さて、この絵葉書を現在の写真↓と比べて、一番大きく違うところはどこでしょうか…(*´ω`*)?

川崎市、絵葉書

Wikipédiaより現在の写真

 

絵葉書に描かれている観覧車が写真にはないことに気がつきます。
こちらの観覧車、1897年にイギリスの退役軍人ウォルター・B.バセット (Walter Basset Basset, 1864 - 1907) により建設されたそうなのですが、観覧車を研究する福井優子氏によれば、「ブラックプールには、それ以前から建っていたタワー[クラニャン註:左手に見えますね!]が人気だったので、競争相手の娯楽会社がタワーに対抗するために観覧車を建てたのである。ところが客が海から吹く風を寒がり、また潮風のために鉄塔に錆がきたりして維持費が高くつき、結局、タワーに勝つことができず、結局、観覧車は取り壊されてしまった。」(http://www.kanda-zatsugaku.com/050325/0325.htm)そうです。そう考えると、お台場や葛西臨海公園の観覧車はどのように潮風対策をしているのでしょうかね~?
なお、バセットの観覧車はブラックプールからは姿を消してしまいましたが、ほかに建設された3基(ロンドン、ウィーン、パリ)のうち、ウィーンのものは現存しているそうです:hoshi1:

昔の街の姿を伝える貴重な絵葉書でした:heart:
一枚一枚に歴史がつまっていますね(>ω<)!

By クラニャン

 

東京都内で、宗教学・哲学・思想・日本史・国文学・書誌学・言語学・文学評論・中国史・中国文化の本、蔵書票を買い取らせていただきました!

東京都内で、宗教学・哲学・思想・日本史・国文学・書誌学・言語学・文学評論・中国史・中国文化の本、蔵書票を買い取らせていただきました!
どうもありがとうございます(*^-^*)

本日の絵葉書はこちら。

東京、絵葉書

うーむ。絶妙なバランスで直立していますね!このような岩は一般に「バランスロック」と呼ばれます。
左上には「Yosemite Valley」と印字されており、米国カリフォルニア州、ヨセミテ国立公園の絵葉書だと分かります。
ヨセミテ国立公園について情報交換を行うサイト「Yosemite Forum」によれば、この岩の存在は現在ではあまり注目されなくなったものの、19世紀にはそのイメージ↓が頻繁に出回っていたそうです。

東京都内、絵葉書

"Agassiz" Column, Yosemite, Carleton Watkinsにより1878年撮影(Paul Getty Museum より)

ちなみに、同サイトには2007年の写真もあげられていました~今もちゃんとありますね!

東京都内、絵葉書

http://www.yosemite.ca.us/forum/viewtopic.php?p=626より

 

ちなみにこの岩の絵、シュールレアリスムの画家ルネ・マグリット(1898-1967年)が晩年「石の時代」に好んで取り上げた、宙を浮かぶ石に印象が似ているような…もしかすると隠れた影響関係があるかも(*゜ω゜*)??

東京都内、絵葉書

ルネ・マグリット《現実の感覚》1963年、カンバスに油彩、宮崎県立美術館蔵

 

くまねこ堂では、貴重な古い絵葉書など紙ものも積極的に買い取らせていただいております♪
ぜひご用命くださいませ!

By クラニャン

練馬区桜台にて 。古本、鉄道の切符、使用済み切手をお譲りいただきました!

練馬区桜台で、 古本、鉄道の切符、使用済み切手をお譲りいただきました!
ありがとうございます!

本日もお譲りいただいたお品物から古い絵葉書をご紹介(*´▽`*)

練馬区桜台、絵葉書

王冠、王笏、宝玉、剣…いかにもお宝~:hoshi1:という雰囲気のこちら、右上に「Crown Jewels Tower of London」と印字されており、ロンドン王室の諸儀礼で用いられる戴冠宝器の絵葉書だと分かります。
王室に伝わる140点あまりのコレクションのうち、一部は現在もロンドン塔の宝物館で公開されています。
絵葉書のなかでピラミッドの頂点に陳列されているのは、1937年、ジョージ6世(1895-1952)戴冠時につくられたこちら↓の王冠のように見えるかな…いかがでしょうか。

八王子、絵葉書

The Imperial State Crown, 1937(ロンドン塔HP、https://www.hrp.org.uk/tower-of-london/explore/the-crown-jewels/より)

 

それにしてもきれい(*^-^*)!
くまねこ堂では、貴金属やアクセサリーの買取もいたしております。
お家に眠るお宝、喜んでご査定させていただきます:hoshi1:

 

By クラニャン

八王子市久保山町で、PC技術書、美術展図録、画集、電子回路の本をお譲りいただきました!

八王子市久保山町で、PC技術書、美術展図録、画集、電子回路の本をお譲りいただきました!
どうもありがとうございます!

今日も絵葉書のご紹介…と思い入荷品を物色していると、
こちらの絵葉書↓にコバちゃんがひと言。

「なんだか心中でもしそうなふたりですよねえ…」

八王子、絵葉書

確かに…(゜゜)))男女の目元が影になっているところが怖い。
右側の温泉マーク♨が雰囲気を和らげているようないないような…

 
古い絵葉書、写真、手紙など、くまねこ堂は紙ものもどしどし買い取らせていただいております!
お家に眠っているお品物、ぜひご相談くださいませ。

By クラニャン

 

 

 

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