買取事例

神奈川県のお客様より陶器やガラス製品をお譲りいただきました。

こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。

ついこのあいだ年が明けたなーと思っていたら、もう早くも五月に入りまして、光陰矢の如しを実感しております。それというのも昨年から外出自粛を意識するようになり、愈ふだんの生活でめったに新奇なことに巡り合わなくなったからである気がしております。

日に日に気温が上がっているこの頃ですが、みなさん衣替えはもう済みましたでしょうか。どうでもよいことですが、私は五月に入ってから夏服を着始めました。北国の出身なもので暑がりなのかもしれません。

さて、聞くに堪えない私個人についての話はここまでとして、本日参りました出張買取のご紹介をしたいと思います。

此度のお客様は、神奈川県は横須賀市の方で、マイセンの食器やボヘミアのガラス製品をはじめとする洋食器、香蘭社や深川製磁の有田焼、絵画、額、リトグラフや種々のギフトといったお品物を譲っていただきました。

下の写真は、お譲りいただいた品物から一部選び取って撮影したものです。

ご興味のある方は是非調べてみてはいかがでしょうか。

くまねこ堂では、新型コロナウイルス感染症対策を最大限に講じながら、古本・骨董の買取を行っております。買い取ってほしいお品物をお持ちの方は、是非ご気軽にご相談ください。

拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。

赤尾

 


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シベリア出兵に従軍した第7師団歩兵25連隊の行軍を記録した鉄筒をお譲りいただきました!

 世田谷区のお客様より買取のご依頼をいただきました。その際には、眼鏡、ハーモニカ、フルート、時計、ネクタイピン、外国コインをお譲りいただきました、ありがとうございます!

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 いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。

 以前の投稿で、日中戦争期の額装品について扱いました。それは、日中戦争の勃発を受けて中国北部の北京・天津地方に派遣された日本軍に所属する、安治県豆張荘警備隊長であった石井泰作に対して、1937年11月付で贈呈されたものです。その送り主は、天津市内の武清第三区地方治安維持会(主席委員:黎子明)となっています。ここに描かれているのは、北京の萬壽山の全景です(※)。

(※)日中戦争期の額装品とアルバムをお譲りいただきました! ~その2 武清県治安維持会とは何か? 傀儡政権?!(くまねこ堂骨董ブログ、2021年4月26日)
https://www.kumaneko-antique.com/17371/

 今回は、上記の石井泰作警備隊長の、日中戦争以前の従軍に関する記録について紹介します。その記録は、謄写版で用いられる鉄筆かそれに似たような刃物で、文字が鉄の筒に刻まれたものとなっています。

シベリア出兵

 画像では文字が判読しづらいので、冒頭部分を、適宜句読点を補って以下に転記しました。

~~~~~~~
   歩兵第二十五連隊第二大隊行動詳記
大正六年五月十二日鉄嶺駐箚地着。翌七年八月九日午後十一時応急準備下令。同年同月十六日午後二時三十分鉄嶺出発
~~~~~~~

シベリア出兵

 歩兵第25連隊は、北海道に置かれた常備師団の第7師団に属しています。鉄嶺とは中国東北部、満州の都市ですが、ここに歩兵第二十五連隊が大正6年(1917年)5月12日に到着したという記述から、この記録は始まっています。1917年といえば、ロシアで二度の革命が起こり、帝政が転覆されて、共産主義勢力を中心とするソヴィエト政権が樹立された年になります。その翌1918年8月9日に、「応急準備」という命令が歩兵第25連隊に下されたというわけです。いったい何の「応急準備」だというのでしょう。

 続く鉄筒の記録を確認してみましょう。1918年8月16日に鉄嶺を出発した歩兵第25連隊は、それ以降、長春、哈爾浜、海拉爾、を経て満州里に8月22日に到着したと記載してあります。この時期と地名から、何の「応急準備」かといえば、疑いもなくシベリア出兵です。

 シベリア出兵とは、ロシアの共産主義に基づく革命勢力による国家建設を妨害すべく、イギリス・フランス・アメリカ・日本など第一次世界大戦の連合国が、共同でシベリアに軍隊を派遣したことを指しています。日本政府は1918年8月2日、シベリア出兵を宣言しました。それを受けて満州に駐屯していた歩兵第25連隊が「応急準備」に入ったことを、再度確認しておきます。共同派兵で認められていたウラジオストクからのルートではなく、この満州からシベリアに侵攻する作戦は、日本軍の独断によるものでした。

麻田雅文、マーティン・メイリア
▲麻田雅文『シベリア出兵――近代日本の忘れられた七年戦争』(中央公論新社、2016年)、マーティン・メイリア『ソヴィエトの悲劇(上巻)――ロシアにおける社会主義の歴史1917~1991』(草思社、1997年)【セット本で出品中!https://amzn.to/33ge7Ip

 ところで、「出兵」というと単に出かけていったような軽い感じを受けますが、実態はもちろん物見遊山ではありません。The Allied Intervention in Russia 『ロシアへの連合干渉』と近年刊行された本のタイトル(※)となっているように、第一次世界大戦の連合国による対ロシア干渉のための戦争と呼ぶほうが、現実に即しています。当然ながら、この干渉戦争は、ロシア人からみたら、外国の軍隊に祖国を蹂躙されたという事態にほかなりません。

※Ian C. D. Moffat, The Allied Intervention in Russia, 1918-1920: The Diplomacy of Chaos (London: Palgrave Macmillan, 2015)

 なお、英語版ウィキペディアでは、日本の「シベリア出兵(Siberian intervention)」と、連合国全体の軍事行動を扱った項目が別々になっています。後者はAllied intervention in the Russian Civil War(ロシア内戦への連合干渉)というタイトルで、日本語ページはありません。この事実をもってしても、「シベリア出兵」という用語が、どれだけ世界標準の認識から離れているのか感じられると思います。

 このように述べたからといって、日本に即した認識がただちに間違っているといっているわけではありません。特殊日本的な「シベリア出兵」と、国際関係の視点からみた連合国による「ロシア内戦への干渉」といった認識の落差に注意する必要があるということを、歩兵第25連隊の足取りを追って気づきました、と報告したかったのです。歩兵第25連隊がたどった、満州からシベリアに侵攻する作戦は日本軍の独断であったと先に述べましたが、こういうところにも、日本の「シベリア出兵」と連合国による「ロシア内戦への干渉」の違いが出ています。

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 くまねこ堂では様々なお品物の買取を行っております。それらお譲りいただきました品々を、なるべくタイムリーな形で当ブログで紹介してまいります。また、書籍・古道具などのご処分をご検討の際は、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。

 お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


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日中戦争期の額装品とアルバムをお譲りいただきました! ~その2 武清県治安維持会とは何か? 傀儡政権?!

 いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。 

 前回の投稿(※)で、近年の日中戦争「和平工作」研究においては、これまで詳しく論じられてこなかった対日協力者をめぐる諸問題に光が当てられている、というお話しをしました。たしかに、対日協力者は南京政府の汪兆銘だけではなかったのです。今回は、この点に関する書籍を参照しつつ、最近入荷した日中戦争期の額装品とアルバムを紹介していきます。

※日中戦争期の額装品やアルバムをお譲りいただきました! あわせて日中戦争研究の必読書、戸部良一『ピース・フィーラー――支那事変和平工作の群像』(論創社、1991年)が入荷しました!(くまねこ堂骨董ブログ、2021年4月23日)
https://www.kumaneko-antique.com/17368/

 まずは、以下の額装品をご覧ください。

武清治安維持会

武清治安維持会
武清治安維持会

 武清治安維持会
 この額装品は、日中戦争の勃発を受けて中国北部の北京・天津地方に派遣された日本軍に所属すする、安治県豆張荘警備隊長であった石井泰作に対して、天津市内の武清第三区地方治安維持会(主席委員:黎子明)より1937年11月付で贈呈されたものです。題字は「深感維護」、宛名は「石井隊長 徳政」とあります。描かれているのは、北京の萬壽山の全景です。

 また、同時にお譲りいただいたアルバムを確認しますと、次の任務の写真がありました。

日中戦争アルバム
日中戦争アルバム
▲5行目、「固安県 隊長時代」

日中戦争アルバム

 石井泰作は、翌1938年1月から天津市に隣接する廊坊市の固安県警備隊長として戦闘に参加しています。1937年7月末に北京・天津地方を一応の占領下に置いた日本軍でしたが、当地の治安を維持するために、引き続き各地での転戦を余儀なくされていました。こうした石井警備隊の動きをみれば、治安維持のための戦闘は、年を超えても収束に向かっていなかったことがうかがえます。

※先の説明で出てきた、天津市武清区と廊坊市固安県の位置は、以下のグーグルマップ上に作図したものをご覧ください。

廊坊市固安県と天津市武清区

 それでは、額装品の送り手である「武清第三区地方治安維持会」とは何なのでしょうか? そもそも治安維持会とは? そして、北京・天津地方占領後の戦闘に従事していた石井警備隊長とどういった関係にあったのでしょうか? それらのことについて、広中一成『傀儡政権――日中戦争、対日協力政権史』(角川書店、2019年)を参照してみました。

 同書によると、1937年7月28日の総攻撃によって、北京・天津一帯を占領した日本軍は、同地域の治安維持のために対日協力者による傀儡政権の成立に向けて動いていたことが指摘されています。そのような傀儡政権が、○○治安維持会の名で各地に設けられていきました。武清県治安維持会も、そうした傀儡政権のひとつということです。額装品には「武清第三区地方治安維持会」とありますから、さらに区域ごとに分かれていたようです。こうした各地の治安維持会は日本軍にとって、とりわけ石井泰作率いる警備隊にしてみると、その任務の遂行において重要なパートナーであったのではないか、と思われます。

 しかしながら、これら各地の治安維持会の統廃合、その上で成立する新傀儡政権をめぐって、日本軍内部でも意見の違いがありました。また、そうした傀儡政権の対日協力者と、日本軍に抵抗する中国民衆との間で起こる対立は、避けようもありませんでした。こうして、状況は複雑化していきます。日本軍は、自らがつくり出した傀儡政権とともに、日中戦争の泥沼にはまっていくことになりました。

 なお、広中『傀儡政権』80頁の表で、武清県治安維持会の指導者名が空欄になっています。ともすると今回紹介した額装品にみられる人物のいずれかが、そこに記入され得るのかもしれません。

 以上のように、近年の日中戦争研究の動向に関わるようなお品物をお譲りいただく機会に恵まれました。記して感謝申し上げます。今回ご紹介したもの以外にも、取り上げるべきものもございます。それらについて追って投稿していく予定です。引き続きご覧くださいますようお願い申し上げます。

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小野坂


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即日出張買取で種々の骨董品を買い取らせていただきました。

こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。

本日は陽が強く射していて、マスクをしているせいでしょうか、何だか蒸し暑く感じられ、溽暑という言葉がぴったり当てはまるような昼間でした。

さてさて、本日は買取は買取でも即日出張買取に行って参りました。この度は江東区のお客様にご依頼いただき、レコード、洋画、銀製品(ティーセット)、腕時計、万年筆、外国のコインなどをお譲りいただきました。

レコードはかなりの枚数を買い取らせていただきました。

 

 

私はレコードが全盛期の時代にはまだ生まれていなかったので、口惜しくもレコードを見て懐古できるような過去を持っておりませんが、テレビなどで見聞きするに、「初めて買ったレコードは○○だ」というような、特定のレコードが自分の思い出の中の一部になっている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。そういうお話を聞くと、自分も昭和の良き時代に生まれたかったなとも思ったりしてしまいます。

拙い文章ですが、以上ご覧いただきありがとうございました。

くまねこ堂では、新型コロナウイルス感染症対策に最大限配慮しながら、古書・骨董品の買取を行っております。買取をご希望のお品物をお持ちの方は、是非ご気軽にご相談ください。

赤尾

 


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日中戦争期の額装品やアルバムをお譲りいただきました! あわせて日中戦争研究の必読書、戸部良一『ピース・フィーラー――支那事変和平工作の群像』(論創社、1991年)が入荷しました!

先日は江東区古石場のお客様より                                   腕時計、オメガ、SEIKO、Nikon双眼鏡、カメラ、古銭等をお譲りいただきました。
ご依頼誠にありがとうございました。

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いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。 

 日中戦争(1937-45年)に関する書籍など、近代日本史の研究書が最近入荷しました。2017年は勃発から80年ということで各所でシンポジウムが開かれましたが、さらに近年の研究成果をふまえた書籍が続々出版されています。他方で、それら先端的な成果の土台となってきた、不朽の名作を改めて読み直す必要も感じています。

 そこでご紹介したいのは、次の一冊です。

戸部良一『ピースフィーラー』

戸部良一『ピース・フィーラー――支那事変和平工作の群像』(論創社、1991年)です。本書は、日中戦争の終結に向けた「和平工作」の実態を一次史料(当時の公文書や当事者の日記など)に基づいて詳細に分析し、この分野の研究水準を一段と引き上げた一冊です。それまでの研究にも重要なものはありますが、それらは旧軍人の回想録や証言をもとに行われていたという、史料上の制約は否めません(※)。ともかくここで確認したいのは、次の実感です。歴史研究の軌跡を振り返って感じるのは、その時々の史料の公開・整理の状況によって、その段階での最善が尽くされているということです。

※この点については、 衛藤瀋吉著作集編集委員会『衛藤瀋吉著作集〈第2巻〉東アジア政治史研究』(東方書店、2004年)の巻末の座談会記録を参照ください。くまねこ堂で現在出品中です。
https://amzn.to/3tH2YMy

 さて、『ピースフィーラー』のハイライトのひとつには、初期の「和平工作」の中で最も有望視されていた、ドイツの駐華大使トラウトマンによる日中間の仲介(トラウトマン工作)が挙げられます。日中戦争すべての時期にわたって戸部氏は、「和平工作」の争点を整理していますが、それをふまえて初期段階のトラウトマン工作が有効性が浮かび上がっているのです。その後は、トラウトマン工作に比すならば、失敗の連続といわざるを得ない展開が待っていました。いかに「ピースフィーラー」と呼ばれる非公式接触者が奮闘しようとも、事態は混迷を極めていったのです。つまり、日中戦争が泥沼の戦争であったことが、こともあろうに戦争の収拾のための努力の歴史である「和平工作史」によって示されているのです。このことに私は衝撃を受けました。

 こうした日中戦争の「和平工作」の研究は、軍事・外交両面にわたる深い知識が不可欠となります。とりわけ、一次史料を駆使した研究を成し遂げるにあたってはなおさらです。このことは、戸部氏が本書以後に発表した研究成果によっても裏づけられます。

戸部良一 日本陸軍と中国、外務省革新派

『日本陸軍と中国――「支那通」にみる夢と蹉跌』(講談社、1999年)、(『外務省革新派――世界新秩序の幻影』(中央公論新社、2010年)がそれにあたります。

 近年の「和平工作」研究は、これまで詳細に分析されていなかったある側面が注目されています。通常は、中国側の主要なプレイヤーとしては、蒋介石を中心とする重慶政府、日本側の工作によって成立した、汪兆銘率いる南京政府、ゲリラ戦を遂行する毛沢東が指導する共産党という三者が想定されます。しかしながら、対日協力者は汪兆銘だけではありません。日本側はそれぞれの経路で、数多くの対日協力者を求めて動いていました。しかも、そうした別個に進められた行動は、統制がとれないままでした。

 おそらくは、それぞれの部隊に別々の支援者がいる状態で、対日協力者を一本化することは、日本軍にとっては誰かの立場を切り捨てることになります。日本軍はそれを恐れたがゆえに、「和平工作」の一本化を果たせなかったのではないでしょうか。しかし、それぞれの部隊による工作の乱立を放置していたら、どうなるでしょうか? 決定的な瞬間に、中国に駐屯している日本軍内部で齟齬をきたすことにもなりかねません。まして、東京の中央政府における、人事異動や内閣の交代という問題もあります。在外の駐屯軍と中央政府との行き違いも考慮すると、日本側で「和平工作」の全体像を把握していた人物がいるのかどうかさえ、疑わしくなってきます。事実、「和平工作」の経過は、そのような混乱を含んでいました。

 そのような日本軍の日中戦争に際しての戦略のちぐはぐさを分析する上で、汪兆銘だけではなく、他の対日協力者(中国人からすると漢奸と呼ばれた人々)の詳細に光を当てようとする試みが、近年なされているのです。次回の投稿では、そうした研究の一端と、最近入荷した日中戦争に関する額装品とアルバムを紹介していきます。

小野坂


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即日出張買取で木彫、リトグラフ、加山又造などをお譲りいただきました。

こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをお読みいただきありがとうございます。

 

そろそろ上着もいらないんじゃないかな~というような気温になってきました。

今年は桜が咲くのも散るのも早かったですし、もしかすると夏がとても暑くなりそうで怯えておりますnaku02.gif その代わりにアイスはおいしく食べられそうですね🍧

 

本日は即日出張買取で横浜市神奈川区のお客様より、木彫、リトグラフ、加山又造などをお譲りいただきました。有難うございました。

 

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本日は買取品関連でこちらを紹介させていただきたいと思います。

 

「加山又造の日本画」です。

現代の琳派と呼ばれる加山又造さんの絵は、大胆な構図の花や草木などの作品が多いようですね。

自分は牡丹が好きなのですが、綺麗な色合いで立派な牡丹の絵があったので思わず見入ってしまいました。

 

墨で描かれたものもあるようですね。どれも素敵です。

猫がいる絵も何枚かあるようです。こちらも個人的にですが猫が好きなので可愛い!と見入ってしまいました🐈

 

そして、こちらは制作過程のようなのですが、

 

ドライヤーのようなものを使っていて「⁉」となってしまいました。乾かすのにドライヤーを使うんですね😂そんなことは全然知らなかったので、絵にドライヤーを使うって面白いな~と思いましたが、確かに早く乾きそうですもんね😳

 

くまねこ堂では、古本はもちろん、古道具や骨董、古いおもちゃやアクセサリー、時計、万年筆など、幅広いお品物の買取を行っております。ご整理やご処分にお困りのものがおありのお客様は是非一度ご相談ください。また、場合によっては即日で出張買取の対応が可能ですので、お気軽にご連絡くださいませ。

重いお品物や大量のご整理でも、体力のあるスタッフがスムーズにお手伝いいたしますのでご安心ください!

 

お電話、メールフォーム、またはLINEにてスタッフ一同心よりお待ちしております。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 


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昭和30~40年代にタイムスリップ!!(その③)

いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。

先日は東京都練馬区のお客様よりカメラ、コンタックス、ニコン、キャノン、貴金属、切手、古銭、銀貨、カルティエ、Gucciなどをお譲りいただきました。ありがとうございます!

**********

昭和30~40年代のおもちゃやおまけの第3弾です!(前回前々回はそれぞれこちらからご覧ください!)

今回はどんなものが出てくるのでしょう?icon_lol.gif
それではご紹介していきたいと思いますhappy0065.gif


こちらはメンコですね!野球選手やお相撲さん、役者さんなどの実写絵柄です。
…なんとなく、実写絵柄だと勝負の時よりバトル感が増す気がしますね(笑)
メンコってシンプルな遊びですけど意外と白熱しますよね。小さい頃兄と遊んだような記憶があります。
また好きな絵柄、好きな選手を集めるのも楽しそうです!


野球関連のものが色々と出てきました!!先ほどのメンコに加えてブロマイド、仁丹ガムのカード、ミスタージャイアンツのワッペンなどなど!
ベーゴマには当時人気の野球選手の苗字が書かれています。野球は全然詳しくないので、私には王さんや長嶋さんくらいしかわかりませんでしたが…( ̄▽ ̄;)
この時代はキャラクターものだけではなく野球関連のおまけなども多かったんですねっ icon_eek.gif

ベーゴマで遊んだことはないのですが、普通のコマなら子供の頃よく遊んでいました。その頃はツバメ返しも出来ました!icon_rolleyes.gif
ベーゴマはそもそも回すのが難しそうですね。コマが小さいので力加減がつかめず吹っ飛ばしてしまいそうです(笑)

3回にわたって昭和30~40年代のおまけやおもちゃなどをご紹介させていただきましたが、昭和レトロな雰囲気ってやっぱりいいですよねー!なんでしょう、独特の色味?のようなものが懐かしさを感じさせるんですかね?…まだその時代に生まれていない私が懐かしさというのも変な話なのですが。不思議と心地よさを感じます!

くまねこ堂ではこのような昭和のお菓子のおまけやおもちゃ、その他にも古本、CD、DVD、ゲームソフト、アクセサリーなど幅広いジャンルの商品の買取を行っております。
ご整理やご処分をお考えの方はお電話またはメールフォーム、LINEにてお気軽にご連絡ください。

スタッフ一同心よりお待ちしております!

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日本各地の温泉などの名勝の絵はがきやパンフレットなどをお譲りいただきました!

 いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。 

 日本各地の温泉などの名勝の絵はがきやパンフレットなどをお譲りいただきました。現在、鋭意整理中ですが、その途中経過として、以下記していきます。

温泉絵はがき

 近年、温泉の歴史研究が盛んですが、そんななか、貴重な資料にしてお品物に接することができました。これを機に温泉史について考えていきたいと思い始めました。

 ところで、日本における温泉研究は、かなり古い歴史を持っています。この分野で重きをなしている、日本温泉協会という1929年に発足した団体があります。日本温泉協会の本は、くまねこ堂では次の本を出品中です。

▲日本温泉協会編『目で見る日本の温泉』(日本交通公社、1953年)

 日本温泉協会の設立目的は同協会ウェブサイトによりますと、「温泉についての研究及び温泉知識の普及に努め、並びに温泉資源の保護、温泉利用施設の改善及び温泉利用の適正化を図り、もって国民保健の増進と観光資源の活用に寄与すること」とあります。その目的に沿って1933年に設けられた学術部委員会は、「温泉に関する医学、法学、化学、地質学、地球物理学、水文学、農学、工学、観光学などの最高権威の学者約40名」という構成をとっています。驚くべきことは、ここに歴史学が挙げられていないことです。もしかすると、温泉研究の歴史は古いものの、温泉研究に温泉史なし、という状況が長らく続いていたのではないでしょうか。その意味で、近年の温泉についての歴史研究の進展は、古くて新しい動きとして注目に値します。

※日本温泉協会について(概要)一般社団法人 日本温泉協会ウェブサイト
https://www.spa.or.jp/association/

 温泉以外の絵はがきにも、興味深いものが含まれています。非政府系民間紙の大連新聞・創刊10周年記念として1929年に発行された、「満洲八景」については、すでにお伝えしております。下記リンクよりご覧ください。

※満州の資料 「大連新聞社公選 満州八景絵葉書」 をお譲りいただきました。(くまねこ堂骨董ブログ、2021年4月7日)
https://www.kumaneko-antique.com/17325/

 今回は、露国飢饉救済婦人有志会が発行した、「ロシア風俗ゑはがき(甲)」をご紹介します。

露国飢饉救済婦人有志会

 まず、露国飢饉救済婦人有志会なのですが、こちらは1921年頃から活動を始めた団体です。この時期のロシアは、1917年10月(西暦では11月7日)の共産主義革命とそれに続く内戦で国土や産業が荒廃し、深刻な食糧危機が発生していました。こうした状況に対し、アメリカやヨーロッパ諸国は、ロシア・東欧で飢饉にあえぐ人々の救済に乗り出していました。それに追随する形で、日本の社会主義者や女性運動家らによる、ロシア救済のための募金活動が、1921年頃から動き出していったのです。

※丸尾美保「大正期の『少年倶楽部』掲載ロシア関連記事の分析」『梅花女子心理こども学部紀要』第5号(2015年3月)91-101頁。

 この絵はがきもそうした寄付の呼びかけの一環として発行されたものです。その趣旨は、以下の画像にある文面の通りです。

露国飢饉救済婦人有志会

 さて、1921年といえば、日本は絶賛、シベリア出兵継続中でした。アメリカやヨーロッパ諸国も、ロシア革命に干渉すべくシベリアに出兵していましたが、1920年までにはそれら国々の軍隊は撤兵していました。そういうわけで、当初は共同出兵であったシベリア出兵を継続しているのは、この段階では日本一国となっていました。日本はこの出兵で何ら得るところなく、ロシア人の恨みを買っただけに終わりました。

 露国飢饉救済婦人有志会と、単独出兵となってもシベリア出兵を継続した日本政府とを比べて、どちらが先見の明があったでしょうか。軍隊は安全を保障したでしょうか。飢饉救済がどれだけの人命を救ったのでしょうか。そうしたことから、戦争、安全保障といった問題を考えるきっかけを与えてくれるのが、この絵はがきではないか、と思われてなりません。

===

先日は神奈川県横浜市のお客様より、木彫りの熊、アクセサリー、池波正太郎等をお譲りいただきました。                           
 くまねこ堂では様々なお品物の買取を行っております。それらお譲りいただきました品々を、なるべくタイムリーな形で当ブログで紹介してまいります。また、書籍・古道具などのご処分をご検討の際は、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。

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小野坂


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徴兵検査合格者への配布資料をお譲りいただきました。

ふと、IFの世界を想像したとき、
もし日本に徴兵令が残っていたら、
どうなってるんだろうと思うことはありませんか。

 

今回はお客様よりお譲りいただきました、
「徴兵検査合格者 甲種 第一乙種 第二乙種 丙種 及其父兄に與ふる注意」💂
という資料が気になりましたのでご紹介させていただきます!🍙🍙🍙

 

徴兵検査 戦時中 資料買取

 

 

軍事資料 出張買取

開くと、こういった内容です。

15ページ程だったので、全部くまねこ堂の休み時間に読めちゃいました~📖

結果、

・とにかく健康を維持するのですよ(入隊までの健康管理)^^
・入隊時の身なり、持ち物は無駄や華美があってはだめですよ(持ち物等)^^自分の身分にあったモノにするのです^^
・交通アクセスに関する諸注意

といった内容の印象でした。

あっ、これちょっと面白いな( ´艸`)💡と思った所は
父兄宛てのページに、

「若い兵卒が家にたくさんの金を欲求して来たならば、
それは必ず善いことに使って居るのではなく悪いことに使われているのです」
(※旧字体等を直しています。)

ときっぱり書いてあったところ!😲
勿論舐めてはいけない内容ですが、
小学校の保護者宛に配られるお便りの犯罪防止コーナーを連想しました。
今も昔も公的な団体や人物を装った詐欺って変わらないのね~~~sweat01.gif

あとは入隊者の年齢もあってだと思いますが、
合格者本人が読むところは

「ああしなさ~い!こうしなさ~い!
これはここに書いてあるからよく読みなさ~い?」

といった感じで子に諭してる感じの文章なんですが、
それが当時くらいの児童書とおんなじよ~な、
時代独特と言ってよいのか、
はたまた箇条書きという概念がない?為に
一文が長~~い為か、
言い回しがいちいち濃くて(笑)
想像を掻き立てられました。

そんな諭さなきゃいけないような少年たちが、
兵隊になっていった時代に少しだけ思いを馳せた休み時間となったのでした。🏫

ーーーーーーーーーーーー

また、先日は東京都世田谷区のお客様より、アクセサリー、銀製品、金製品、レコード・SP盤・ソノシート(アニソン、歌謡曲)、ボールペン(クロス)、バッグ、帽子などファッション(モンベルなど)、香蘭社など食器・酒器・洋食器、古本(写真集、アニメソングのスコアなど)、鉄道グッズ等沢山のお品物をお家丸ごと拝見させていただきました!
くまねこ堂では上記のような古書、骨董、古道具等、幅広いお品物のご売却に関するご相談を承っております!

皆さまからのご相談、スタッフ一同心よりお待ちいたしております📞♬

 

かこさん


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満州の資料 「大連新聞社公選 満州八景絵葉書」 をお譲りいただきました。

旅行に行きたい。
このご時世、そんな欲求が紋々と頭の中を渦巻いている方、多いのではないでしょうか。
今このブログを書いている私も、、、そうで~す!( ;∀;)

今年のゴールデンウィーク、観光地めっちゃ密なんじゃないかwww?!?;
と、私は思っていたりしますemoji117.gif(GOTOキャンペーンってどうなるのでしょうか)

 

今回は以前、日本の観光地としても政策が取られていた満州!、の資料
「大連新聞社公選 滿洲八景絵葉書」 をお譲りいただきましたのでご紹介させていただきます!🏰

1929年3~4月、非政府系民間紙の大連新聞・創刊10周年記念として
「満洲八景」が公選されたそうです。その選ばれし八景の絵葉書が、こちらのようです。

 

滿洲 資料 出頭買取

満州 紙もの資料 出張買取

自分が思っていた満州の風景よりも、自然味溢れるかなり落ち着いた景色多し!
(満州と聞くと、アジアとロシアの異国情緒あふれる建物が入り混じる街並み等をなんとなく想像してしまったので🏰)

こちらの八景、当時大連新聞の2月25日の記事にて告知があり、
白熱した民間投票によって選ばれたという資料(「大連新聞」と「満洲八景」 – GMS学部 – 駒澤大学)を拝見しました。

上記の資料を抜粋させていただきますと、
ー「投票結果は 4 月 10 日に発表され 有効投票数は 3,552,499 にのぼった。 「八景」のほかに得票の順位により「五勝」も定められ 八景に次ぐ景勝地として推奨されることになった 。1929 年末の在満日本人口 203,002 人で計算すると 一人あたり約 18 票を投じたことになる。ー

そんなに投票あったんか~~~!!!Σ(・□・;)
一人あたり約18票、
なんだかアイドル総選挙のCD買えば1票になるから複数枚買っちゃう
みたいなことになってます🎤✨

新聞記事も、このイベントを盛り上げるべく豪華執筆ゲストや観光案内を交えた連載記事✑を15回に渡り掲載していたとの事ですから、街行く人達の気になる話題・・・今に例えるとツイッタートレンドみたいな事になっていたのではないでしょうか。

実際、当時満州にお住まいだった方々の心境が気になります。☕emoji310.gif

かこさん

 

 

 


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関東を中心に承っております。
詳しくは対応エリアをご確認ください。

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