昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして
先日、東京都小平市のお宅に買取へうかがいました! 切手、外国のコイン、古銭、オリンピック参加賞、腕章、メダルなどをお譲りいただきました。ありがとうございます!
===
さて、別件での買取ですが、非常に貴重な史資料がくまねこ堂に入荷しました! 昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図です。陸軍第一師団所属の人物のご遺族の方よりお譲りいただきました。記して感謝申し上げます。
現在、鋭意整理中です。
まずは、本題に入る前に、地図の史資料的な価値について、若干ふれておきたいと思います。公的文書や政治家の書簡といった文字史料に比して、歴史を見ていく際に地図をどのように活用していくのか、ということは、未だ研究途上の課題なのです。
ただ、「昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図」ということであれば、もしかして戦争との関連が濃いのでは、と想像される方もおられるかもしれません。こうした点に関する研究として、小林茂『外邦図――帝国日本のアジア地図』(中公新書、2011年)があります。戦前の日本が作製したアジア太平洋地域の地図である「外邦図」がなぜ重要なのか、同書で小林氏は次のように述べています。
「海外の見知らぬ土地で戦闘する場合、地図がなければ攻撃目標だけでなく味方のいる場所さえわからない。また戦争の結果獲得した植民地での近代的行政をめざした帝国日本にとって、インフラの整備や徴税など、地図なしには進められない多様な業務が課題となった。戦争と植民統治は地図を要求し、それに応じて地図作製機関が整備され、多彩な地図が作られていった。」
戦争が切り口になるのでは、と考え小林氏の著作を参照しましたが、上記の引用からは、戦争からそれに引き続く占領統治、そして植民統治への過程で、軍事のみにとどまらない分野の問題が浮かび上がることや、地図を作製するという行為にまつわる組織の問題に気づかされます。こうした裾野が広く、かつ細部から目を切らないことが求められる戦前期日本軍の地図作製の研究は、やはり始まったばかりというべきでしょう。
ところで、なぜそうした重要性を孕む地図研究は始まったばかりなのか。それは、やはり戦争との関係が影響しています。地図が軍事機密であったことで隠匿されやすいものであったこと、日本の敗戦と軍の解体によって地図を管理する主体が消滅したことにより、そもそも研究素材としての地図の収集やその作製者・作製時期の特定が困難だったからです。
公文書で体系的に整理保存できたものでなかったからこそ、くまねこ堂で買い取らせていただくという機会を得られたわけで、そうした意味でも今回お譲りいただきました地図を中心とする史資料は、大変貴重なものといえます。
これらのことをふまえつつ、今回入荷しました地図につきまして随時紹介していこうと考えております。
次回は1931年9月の満州事変の勃発から、それが一応の収束を見た1933年5月末までの過程でのある興味深い出来事を取り上げてまいります。引き続きご覧くだされば幸いです。
なお、本ブログでは、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
小野坂