川崎市中原区で、戦前の日露戦争戦跡めぐりのスタンプ帖をお譲り頂きました
川崎市中原区で、戦前の日露戦争戦跡めぐりのスタンプ帖をお譲り頂きました 。
約7×8.5センチほどの小さなもので、スタンプの日付は昭和15年でした。
さてさて、めくってみましょう。
旅順表忠塔 15.4.25
塔は旅順港そばの白玉山(高さ約130メートル)山頂にあり、高さ66.8メートル。日露戦争に勝った日本が、軍の重鎮だった東郷平八郎と乃木希典の発案で、1909年に戦死者追悼のために建立。日本統治時代の旅順を代表する建築物で、新中国成立後、「白玉山塔」と改名。・・・大連市観光局のwebサイト参照
右: 旅順 東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざんきたほるい)
日露戦争時、堡塁の正面で2.3tのダイナマイトを爆破させ、これに乗じて日本軍が堡塁を占領。この戦闘で日本軍は約8,000人の死者が。・・・Wiki
右:旅順戦跡二〇三高地 巡拝記念 15.4.25
ロシア海軍の基地のあった旅順港を巡り、日露の争奪戦による激戦地となった場所・・・Wiki
左:旅順戦跡 爾霊山高地 記念
乃木希典は自作の漢詩で203高地を二〇三(に・れい・さん)の当て字で爾霊山(にれいさん)と詠んだ。 ・・・Wiki
右:奉天忠霊塔 忠霊塔とは陸軍による戦争の跡地に建立された戦死者を慰霊する塔・・・Wiki
左:奉天同善堂
右:奉天 昭和15年5月12日
左:北大営戦跡 (昭和九年九月十八日ニ於ケル) 戦跡記念塔
昭和9年9月18日とは満州事変の日付ですね。
事件現場の柳条湖近くには国民革命軍(中国軍)の兵営である「北大営」があり、関東軍は爆音に驚いて出てきた中国兵を射殺し、北大営を占拠。・・・Wiki
右:奉天神社
1915(大正4)年に建立された、天照大神、明治天皇を祭神とする神社。現在はもうないそうです。
左は明治神宮外苑の聖徳記念絵画館なので、日本ですね。
この方が中国で戦跡めぐりをした昭和15年とはどんな年だったのか、おさらいしてみました。
内務省より芸名などのカタカナ名を漢字名へ改名命令。隣組強化法が制度化。
ぜいたく禁止令が発令され、東京には「ぜいたくは敵だ」の立看板が。
国民服の着用が義務化。
ゼロ戦登場。。。
ちなみに、翌年には上野動物園の熊を射殺。12月に真珠湾攻撃をし、開戦。
、、、、軍事色一色の時代に押されたスタンプ帖だったのでした。
byキョーコ