神奈川県鎌倉市にて、柳原白蓮直筆の短冊をお譲り頂きました。


人気ブログランキングへ

 

神奈川県鎌倉市にて、柳原白蓮(1885-1967年)直筆の短冊をお譲り頂きました。

 DSC07824

 

NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の放映で、主役の村岡花子以上にメディアに注目されたのが柳原蓮子であったのではないかしら、と思っていましたが、その白蓮直筆の短冊が今手元にあるのは何とも不思議な気がします。くまねこ堂ならではです。:wa-i:

 

白蓮は大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる高い身分ではありましたが、妾の子として生まれ、早くに父母を亡くし、望まぬ養子縁組・不幸な結婚などを経て、社会運動家の宮崎竜介の元へ命がけの出奔をしました。 

当時新聞紙上をにぎわし社会的に大変な騒動となった 白蓮事件(wiki)の後、困窮した生活のためにたくさんの軸や短冊を書いたということですので、この短冊はその頃のものなのかもしれません。   

 

自由を踏みにじられ、不幸な生活を長く強いられた白蓮でしたが、身分を捨て、時代にも反し、とうとう自分の力で自由を勝ち取ります。

そのぶれない強い意思や行動力は、当時の女性たちに大きな影響力を与えたのでした。

 

柳原白蓮 年表

1885年 伯爵柳原前光原と芸者おりょうの間に蓮子誕生

1888年 母病死

1894年 父死亡により、北小路家の養女に

1900年 北小路資武と結婚、華族女学校中退

1901年 長男出産

1905年 離婚  北小路に子どもを残し、実家に戻る

1908年 東洋英和女学校入学 佐々木信綱の竹柏園歌会入門

1911年 伊藤伝右衛門と再婚

1912年 「心の花」に作品発表

1915年 第一歌集「踏絵」刊行 

1919年 詩集「几帳のかげ」、歌集「幻の華」刊行、戯曲「措鬘外道」発表

1921年 「新小説」に「短歌自叙伝」発表、大阪朝日に「近代の恋愛観」発表。 宮崎竜介 のもとに家出(白蓮事件)

1923年 宮崎竜介と再婚

1928年 自伝小説「荊棘の実」発表

1945年 学徒出陣中の香織(竜介との第一子)戦死

1946年 平和運動に参加、慈母の会結成

1967年 83歳で死亡

 

Byキョーコ 

人気ブログランキングへ


よろしければシェアお願いします

2014年11月に投稿したくまねこ堂の記事一覧

この記事のトラックバックURL

くまねこ堂 出張買取対応エリア

関東を中心に承っております。
詳しくは対応エリアをご確認ください。

PAGE TOP