★千葉市中央区、流山市にお伺いしました 松戸市、流山市にもお伺いいたします!
やっと秋らしくなってまいりました!
相変わらず、くまねこ堂では多くのお客様から色々なお品をお譲りいただき、新規のお客様、リピーター様、誠にありがとうございます!
私達スタッフはいつも面白い品々に囲まれてお仕事をさせていただいておりますが、今回買い取りさせていただきました商品の中に、大正後期から昭和30年頃までの少年犯罪関係の資料をまとめたスクラップ帖がございました!!
特に昭和初期の記事が中心なのですが、これらの記事をみると「浅草」「モボ・モガ」のキーワードがやけに多く使用されております。
昭和レトロブームでモボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)が持て囃されて、お洒落で先端的な存在というイメージが強いところですが、実は「不良」として見られていたことが伺いしれます。
そんなモボが女性に声をかける際の手口が当時の新聞に掲載されておりました…
「握り、さわり」「語り」「送り」「つけ文」「打込み」「すみません」「ありがとう、おちます」「おたずね」…
と項目が振るっています(笑)
いまから90年ほど前の記事なので古く感じますが、実は現在の男性の手口とそんなに変化がないように思われますが如何でしょうか?
また今や世界中から多くの観光客が集結する浅草も、実は不良少年たちの巣窟だったんですね…
この周辺のことは、川端康成の小説「浅草紅團」(前進社 1930年)に詳しく描き出されています。
そんな昼間の浅草をゆく少年たちに「なぜ浅草にいるのか?」という質問の返答もなかなかなものです。
「なんとなく遊びに来た」「遅刻したから」「月謝を使い込んだから」…
なんか今の少年たちも、こんな言い訳をしそうです(笑)
そしてそして…戦後の記事で最も目立つのは、やはり「ヒロポン」です!!
ヒロポンは戦時中に日本で製造された覚せい剤で、終戦直後に軍の放出品として日本に氾濫したということですが、なにしろ昭和20年代まで薬局に「ヒロポンあります」の貼り紙があったということで…戦後の混乱期は想像できないほど凄い時代だったんですね~
特に芸能界でのヒロポン蔓延はものすごく、吉本専属の漫才師ミス・ワカナはヒロポン中毒で死亡し、漫談家のM・Yや、歌手のH・О、N・Kなどもヒロポンに蝕まれてていたそうです。
しかし昭和20年代後半頃からヒロポン廃絶運動が高まり、非合法の覚せい剤として認知されるようになります。
このスクラップブックには↓のようなビラも貼付されておりました。
学校で習ったり、テレビなどで放送される歴史はどうしても表面のきれいな部分でしかありませんが、このような民衆がたどった裏面史もなかなか面白いものですね!
くまねこ堂では美術品ばかりではなく、江戸、明治、大正、昭和の紙モノ資料も買取させていただいてります!