「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」(1960年10月20日、日比谷公会堂)をお譲りいただきました~60年後の現在を考えるきっかけに
葛飾区鎌倉のお宅に買取にうかがわせていただきました!
陶磁器、洋食器、金銅仏、青銅器、懐中時計、アクセサリー、達磨、備前焼等をお譲りいただきました。ありがとうございます!
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別件ではありますが、先日の買取品の中より、「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」1960年10月20日(於日比谷公会堂)を発見しました。
浅沼稲次郎(1898-1960年)は、早稲田大学在学中に日本共産党結党(1921年)に加わり、第二次世界大戦後は社会党の指導者として活躍した人物です。1960年の安保改定をめぐって社会党から右派が分離して民主社会党が結成された際、浅沼は社会党委員長に就任しました。一方の与党自民党は、1960年6月の日米安保条約の改定をめぐる安保闘争から岸信介内閣退陣、そして所得倍増計画を掲げる池田勇人内閣の成立(同年7月19日)というように、日米安保から経済成長に力点を移していきました。安保闘争が退潮していく中で、同年11月20日予定された衆議院総選挙の前哨戦となった各地の知事選の結果は、社会党推薦候補の惨敗に終わります。
そんな中で発生したのが、10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件でした。現場は自民党・社会党・民社党3党首立会演説会が行われていたに日比谷公会堂。浅沼が登壇し、ヤジが一段と激しくなっていました。司会の静止によりいったんヤジはおさまったものの、次の瞬間、思いもよらぬ事態が発生します。浅沼が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺されたのです。
各党首の演説会の場での暴力の問題、それを防げなかった警備、政治報道・事件報道のあり方など、現在でも議論が両極端に振れがちな主題が散見されます。議会制民主主義のルールに則った上での対立において政治的な緊張を維持し、よりよい政策の形成へとどのようにつなげていくべきなのか。現在の視点から、歴史的事実もふまえながら考えていく必要があります。それは、国会審議が議論として成り立っていない現在だからこそ、正面から取り組むべきなのではないでしょうか。
そのような観点で見ると、上掲の追悼歌のメッセージも当時とは異なった形で受け取れるのかもしれません。それは必ずしも、「二大政党制」「社会党政権」の実現を一つのゴールとする話ではありません。議会制民主主義のルールに則った上での対立の困難さを振り返るとき、「野党」あるいは「左翼」の言い分にまずは耳を傾けるべきではないでしょうか。
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小野坂