朝鮮人学校閉鎖命令と1948年4月の「神戸・大阪事件」~「非常事態宣言」をめぐる国会審議

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 今回ご紹介するのは、戦後日本、すなわち日本国憲法下で初めて発令された「非常事態宣言」に関する文献です。

官報号外

 官報号外に掲載された、衆議院会議録(1948年4月28日、5月1日、5月7日発行)になります。ここでの質疑で取り上げられているのは、いわゆる1948年4月の「神戸・大阪事件」、あるいは「四・二四教育闘争」や「阪神教育闘争」と呼ばれる一件です(以下、「神戸・大阪事件」とします)。

 「神戸・大阪事件」とは、1948年1月24日の文部省通達を受けた、各都道府県における同年3月からの朝鮮人学校閉鎖命令に端を発した事件です。こうした政府当局の措置への抗議として、神戸と大阪で朝鮮人団体を中心とした大規模なデモが発生しました。

 当時の日本は米軍を主とする占領軍の統治下にありました。米軍は4月23日の神戸でのデモに対して、神戸基地管内に「非常事態宣言」を発令し、2000人余りを検挙しました。他方、大阪では、26日の抗議集会に警官隊が発砲し、死者1名、多数の重傷者を出しました。弾圧事件後の5月3日、に朝鮮人教育対策委員会と文部大臣との会談で朝鮮人学校の私学申請を認めるとの合意がなされ、「神戸・大阪事件」はひとまずは収束にいたりました。上記の官報号外の衆議院議事録は、この間の質疑を記録したものになります。

 近年では、第三国のイギリスの外交文書をもとに、「神戸・大阪事件」を再検討した研究も発表されています。今回の投稿にあたって参照したのは、鄭栄桓「イギリス外交文書のなかの『四・二四教育闘争』」『明治学院大学教養教育センター付属研究所年報』2018年度(2019年3月)10-13頁です。上記の事実関係も、この報告記事に依拠しています。

 ところで、4月27日の衆議院本会議における「神戸・大阪事件」についての審議で、政府側の答弁者であった森戸辰男文相は、朝鮮人学校閉鎖に関する措置がいかに適法であるか縷々述べています。それは、文部省の立場をご理解ください、といわんばかりの内容でした。けれども、「最後に申し述べておきたいことは」から始まる部分も、森戸の偽らざる思いであったはずです。その箇所を引用します。

官報号外

 「なお、最後に申し述べておきたいことは、この問題は、隣邦朝鮮と、また敗戰日本の、両民族の間にある問題でありまして、これが民族感情の反撥にならないように、あくまで努力いたさなければなりません。そのことは、東洋が平和な國として成長いたすには何よりも大事なことであると思うのであります。新しい憲法は、さいわいに平和主義と民主主義とを基調といたし、新しい学校教育と教育基本法とはこの精神によつておりまするのでどうか新しい教育の精神を生かして、両國民が平和と民主の線に沿うて手を携えて伸び行くように、私ども文部当局としては最善の努力をいたしたいと存じておる次第でございます。」

※第2回国会 衆議院 本会議 第43号 昭和23年4月27日(国会会議録検索システム)より引用。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100205254X04319480427&current=76

 それから、70年余りが経過しました。森戸がいうように、「東洋が平和な國として成長いたす」ためには、何が必要だったのでしょうか。そのことを考えるにあたって私は、米軍による「非常事態宣言」と「平和主義と民主主義」の新憲法とが同居していた当時の日本の現実の厳しさ、これをより正確に理解していきたいと考えています。その上で、この問題が今日いたるまで未解決であるという歴史の重みに打ちのめされるのではないかと思っています。けれども、そこからがようやく出発点なのだろう、というのが今回紹介しました議事録を読んで私が感じたことです。

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小野坂


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