1970年代半ばの予備校案内や大学入試案内を紹介します

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 今回は、1970年代半ばの予備校案内や大学入試案内を紹介します。

代ゼミ

 上掲の画像は、代々木ゼミナールによる1975年版の、夏期講習案内と模試案内です。ちょうどこの時期ぐらいから、業者テストを通じて偏差値を基準にした受験対策が全国的に広まっていったとされています。『代々木ゼミナールα会通信テスト』というパンフレットによれば、「君の学力は偏差値により科学的に評価できる!」と強調されているのも、そうした時代背景と整合しています。偏差値とは、統計学上の正規分布(グラフにすると中央に山の頂点ができる)を前提に、自分の得点が受験生全体の中でどこに位置するのか知るためのものでした。偏差値を用いることで、単なる順位や、平均点を参考とした場合よりも、より正確に個々の成績の優劣を判断できる、というわけで、「科学的」とされていたのです。

 しかし、点数の分布が、そのまま志望校の決定に直結するわけではないはずです。とくに大学入試に関しては、入学して何をしたいのかが、まず第一に判断の材料になることは当然のように思われます。ところで、中央大学の1975年パンフには、「大学の存在理由は、学問を通じて客観性を確認する場であるところに存じます」とあります。大学の側は、「その客観性とは、統計学上の成績分布だ!」と受験生が思ってしまうような、偏差値に偏った受験指導についてどのように考えていたのでしょうか。

 とはいえ、大学入試に合格できなければ、その後の学びも皮算用になってしまうではないか、という心配はつきまといます。その意味で、現状の自分の成績が、全体でどこに位置するのか知ることは必要ではあります。しかし、偏差値が「科学的」というなら、その現実を知らされたときに受験生がどのような反応をするのか、統計学以外の科学の観点から再考しなければならないのではないか、とも思います。

 (1)思い通りでない成績に終わった場合、普通はがっかりしてイジけるようです。たしかに私の高校生時代を振り返ってみても、周りにはそういう人が多かったですし、塾講師の経験でも同様の感触がありました。

 (2)他方で、惨憺たる結果を受けて、妙にヤル気を出す受験生も少数ながらいました。こういう受験生は、合格後の学びへの思いが強かった気がします。けれども、そうした未来を思い描きながら、彼らは劣等感も強く持っていた印象があります。

大学受験パンフ
▲上智大学、中央大学、早稲田大学の受験案内

 (3)さらに少数ながら、国語や歴史の模試を読書やクロスワードパズルのように面白がっている受験生もいました。この種の愉快な人たちが抜群の偏差値を叩き出したりするのですが、当人は自身の偏差値には関心がなかったりします。ただ、満点か否か、問題文が面白かったかどうか、ということが彼らにとって重要なのです。かくいう私は受験生のころ、(3)でありたいと願い、しばしば(2)に陥っていました。

 こうした経験を通じて感じたのは、受験の成否を決めるのは、偏差値の外側にある本人の価値観なのではないか、ということです。こうした感触を科学的に裏づけていくことを、受験における科学といってみることも、あながち間違いではないのでしょうか。ともかく今回の紹介を通じて、(3)にあてはまるような子どもが増えていくにはどうすればよいのか、偏差値の外側の科学についてこれまでどれほど関心を払ってきただろうか、と考えるきっかけになった次第です。

小野坂


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