第一次石油危機における日本の玩具産業に関する重要な記録、『玩具通信』が入荷しました~昭和のおもちゃの買取依頼、大歓迎です!
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今回の投稿では、ひょっとして重要な歴史の史料かもしれない、ある業界誌を紹介します。
日本トイズサービス株式会社発行の、『玩具通信』が入荷しました。
『玩具通信』とは、1965年設立の日本トイズサービス株式会社が発行する玩具専門の業界誌です。1965年から現在にいたるまで、脈々と玩具業界の消息を伝えてきた週刊新聞になります。
そのため、日本の高度成長、石油危機、冷戦の終結、そしてバブル崩壊といった日本経済に大きな影響を与えた出来事について玩具業界を通じた追跡が可能となる記事が、『玩具通信』に含まれています。
そのような史料的価値のある記事を含むものとして、たとえば、1973年と1974年の『玩具通信』が挙げられます。この年はすなわち、第一次石油危機の前後にあたります。第一次石油危機のきっかけは、1973年10月の第4次中東戦争の勃発を受けて、産油国諸国(アラブ産油国、OAPEC)が石油価格の引き上げを宣言したことにあります。日本でも物価の高騰や、「トイレットペーパー騒動」として知られる日用品の買い占め騒ぎなどが起こりました。
玩具業界と石油危機との関連ということであれば、まず玩具の原材料費の高騰が思い当たるでしょう。玩具に用いるプラスチックは石油製の合成樹脂ですから、いうまでもなく石油価格高騰の影響を真っ先に受けることになります。小売店であれば輸送費の上昇も経営への打撃となったに違いありません。実際、ネット上で検索できる当時の記事でも、在米おもちゃ屋店主の証言として、「日本のおもちゃはプラスチック製のものが多いため、日本の玩具業界は石油危機の最初の犠牲者だ」といった発言が取り上げられています。
※ Richard Halloran, “Oil Crisis Raises Cost of Everything in Japanese City,” The New York Times (March 8, 1974).
https://www.nytimes.com/1974/03/08/archives/oil-crisis-raises-cost-of-everything-in-japanese-city-slow-since.html
そこで、1973年と1974年の『玩具通信』を確認してみると、一見しただけでも次のような記事がありました。
「プラ原材料、50~60%値上げ どう切り抜ける、玩具業界」(1973年12月18日)
「石油危機の影響SCにも 出店玩具店にも影響が」(1974年1月29日)
前者のプラ原材料費高騰記事は、当時の物価状況に対する玩具業界の反応を示すものとして重要です。一方、「SC」の記事は、意外にも込み入った問題を含んでいるかもしれません。「SC」とはショッピングセンター(計画、開発、所有、管理運営を含む商業・サービス施設の集合体)のことで、石油危機以前は大型化する傾向にありました。ところが該当の記事によれば、石油危機後はSCの小型化が求められるようになってきたことが報じられています。玩具店も、そうした小型SCを拠点に地域密着型の経営を目指すようになっていったようです。
とすると、現段階では詳細はわかりませんが、1990年代の日米構造協議におけるトイザらス(著名な大型玩具小売店)出店問題の前史として、石油危機後の小型SC化が重要な意味を持っているかもしれません。トイザらス出店問題とは、「大規模小売店舗法(大店法と略記)」という大規模小売店の事業を規制する法律をめぐる日米間の交渉のことです。この大店法は、小規模店舗を保護する目的を持ったものでしたが、アメリカ側の規制緩和要求を前にして2000年に廃止されました。
大店法の制定は1973年10月1日(施行は翌年3月1日)であり、本来は石油危機との関連を持った法律ではなさそうです。しかし、大店法による大型商業施設に対する規制は、石油危機後の玩具業界の小型化、地域密着型志向を支える働きをしたのかもしれません。そして、この規制が後に日米間の経済交渉である構造協議で争点となるわけです。ただし、この問題の解明には、経営、外交両分野の知識と、その両者をどのように架橋して論じるのかという方法の点など、相応の準備が求められるでしょう。
玩具業界をめぐる日米経済交渉という未解明の領域に取り組むため、『玩具通信』にふれてみるのはいかがでしょうか。『玩具通信』は経営や、外交の専門家におすすめの業界誌といってよいのではないでしょうか。ご関心がございましたら、このページのフリーダイヤル、あるいはLINEなどでご一報くださいますと幸いです。
小野坂