東京都杉並区で、古い黄銅のいぶし銀茶壺/茶入れをお譲り頂きました
東京都杉並区で、古い黄銅のいぶし銀茶壺/茶入れをお譲り頂きました。
打出丸鎚目文で、 底には、「いぶし銀 黄銅 銀川堂」と彫られています。
経年により黒く変色していますが、ふたの内側に光沢が残り当時の面影が、、、
黄銅( 真鍮 )は金色の光沢をもつことから、金の代用品として仏具や金管楽器、工業用品などにも使われてきました。鋳造・加工が容易なのだそうです。
この茶壺はいぶし銀とも銘が入っていますから、外側がいぶし銀の落ち着いた仕上げに対し、内側に黄銅の金の光沢が入り、色彩のコントラストが見られたのかなと想像します。
そして、茶壺と言えば、、、子どもの頃に「ずいずいずっころばし~茶壺に追われてドッピンシャン」なんて意味も分からず歌っていませんでしたか?この歌詞には以下のような由来があるのだそうです。
「江戸時代、現在の京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われ、東海道や中山道の街道筋では「茶壺道中」と呼ばれた。幕末まで続いたこの行事は、江戸時代中期に徳川吉宗の倹約令が出るまでは行列の規模が年々ふくれあがり、その数は一時は数百人から数千人にも達したという。田舎の大名行列を凌ぐ茶壺の行列の様子は、現代でも童歌のずいずいずっころばしで歌い継がれている。」(Wiki)
由来については諸説あるようですが、茶壺道中なるものがあったのは事実。
今では考えられませんね!
byキョーコ