東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。その4
収容所内でドイツ語の通訳をしていた方の記したノートです。
輸送中、俘虜心得 1919年1月1日
左ページに日本語、右ページにはドイツ語。
俘虜郵便物検閲要領
(我同盟國ニ居住スル敵國人ト敵本國トノ通信ヲ禁セシムル~など)
↓ 左ページ:俘虜毛髪皮膚識別人員表 大正八年五月調
欄外の備考 本表ハ似島俘虜収容所俘虜四九三人ニ付調査セリ
毛髪別に観察スレバ金髪最モ多シ
皮膚別に観察スレバ赭(あかつち)最モ多シ
↑ 右ページ:大正八年度俸給表(年額)
大将7,800から少尉783まで。単位は円でしょうか、、、?
検閲印見本イラスト?
右ページ:スイス大使館に宛てた手紙の覚え書き?
赤十字戦争捕虜関連の部署への手紙宛名見本?
↓ 名古屋俘虜収容所人員増員表
↓ 俘虜労役一覧表
↓ 俘虜特殊技能調査票
↓ 俘虜病類別新患統計表
↓ 救恤金及寄贈金一覧表
解放ニ際シテ一言ス 大正八年十二月二十四日
似島俘虜収容所長 菅沼大佐 (左ページ:日本語、右ページ:ドイツ語)
他にも様々な書きこみがありました。
このノート以外に似島俘虜収容所の記録資料が一体どれだけ残っているのでしょうか!?
次回はこのノートの書き手の方の「驚きのラベルコレクション」をご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ