旧満州国の郵政事業、紙幣流通に関する記録・物品をお譲り頂きました!
先日、郵政事業を担当していた、とある官僚の方のご遺族のお宅へ買取にうかがいました。官僚の方ご本人は、戦後では、東京郵政監察局に勤務していたこともあります。この部局は、1948年の郵政省設置法に根拠があり、郵便物の配送や、郵便貯金や簡易保険の運用などを監督する役割を担っていました。俗に「郵政Gメン」と呼ばれます。
興味深いのは、この方がかつての満州国(1932~45年)の郵政事業にも携わっていたことです。なぜ興味深いのかといえば、若干教科書めいてしまいますが、近代国家を形づくる際に必要なものが、通貨、鉄道、そして郵便である、ということと関連します。つまり、1932年に建国された満州国の郵政事業を担当し、戦後は「郵政Gメン」であったという経歴は、「郵政から見た近代国家」を映し出すといっても過言ではないかもしれません。
お譲りいただきましたのは、紙幣やアルバムなどの品々です。このようなご機会を賜りましたこと、大変感謝申し上げます。
その中で今回紹介いたしますのは、中国聯合準備銀行券、蒙古聯合自治政府下の蒙疆銀行など日本の傀儡政権下で発行された紙幣です。
もちろん、ご本人が外地で使用するお金だったのかもしれません。しかし、郵政事業に関わる官僚ということであれば、少し違った見方もできます。それは、満州国が認めていない、ひいては日本政府の意向に沿わない貨幣の流通をどのように阻止できるか、このことが満州国の建国初期に決定的に重要だったからです。ともすると、郵政事業の監督と称して各地を回り、満州の軍閥やモンゴル(日本側は蒙彊と呼称)の地方政府や商人が発行した通貨を引き取って、満州国など日本の傀儡政権が発行した通貨で交換していたのかもしれません。数々の紙幣とともに、モンゴルの地図が同封されていたことが、想像力をかき立てます。
さらに、以下に掲げましたのは、蒙彊銀行券の五角紙幣ですが、「角」というのは少額紙幣に用いられた単位です。蒙彊銀行というのは、日本の傀儡政権のひとつ蒙古聯合自治政府の中央銀行ですが、ここで少額紙幣を発行して、すでに流通していた少額の貨幣と交換していたのかもしれません。
そうした各地の風景は、お譲りいただいたアルバムの中に収められているかもしれません。
このような興味深い記録などに出会うべく、精力的に買取業務をおこなっております。そして可能な限りブログという形でご紹介してまいりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
小野坂