日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり

 先日は横浜市都筑区のお宅へ買取りにうかがいました。和本、漢籍、日露戦争写真帖、絵葉書、岩波文庫をお譲りいただきました!

 その中より今回は、日露戦争写真帖、絵葉書を取り上げ、どういった性格の資料なのか可能な限りお伝えしていきます。

 その取っ掛かりとなるのが、「三十周年記念 日露戦役回顧写真帖」「三十周年記念 日露海戦回顧写真帖」です。これらは、タイトルの通り、日露戦争(1904-1905年)の30年後にあたる、1935年に陸海軍の親睦団体および東京日日新聞社・大阪毎日新聞社によって刊行されたものです。

日露戦争記念写真帖

 発行日を確認してみると、次のことがわかりました。「三十周年記念 日露戦役回顧写真帖」の発行は1935年3月9日とあります。これは陸軍記念日(1905年3月10日の奉天会戦での陸軍の戦勝記念)の前日にあたります。「三十周年記念 日露海戦回顧写真帖」では、1935年5月24日の発行となっています。これも5月27日の海軍記念日の直前に発行されたわけです。5月27日の日露戦争にまつわる記念とは、もちろん日本海海戦の戦勝のことです。

 日露戦争における陸海軍の戦勝記念日に合わせて、大手新聞社も関わって刊行されたこの写真帖に、何やらビジネスの気配がすると感じた方、かなり鋭いと思います。その予感を検証するために、同じくお譲りいただきました、昭和10年頃の「旅行案内」を見ていくことにしましょう。

鉄道省の旅行案内

 その「旅行案内」とは、鉄道省編『山水名光』(ジャパン・ツーリスト・ビューロー事業部、1934年)、鉄道省編『麗山名水』(ジャパン・ツーリスト・ビューロー事業部、1936年)です。
なお、ジャパン・ツーリスト・ビューローとは、JTBの前身の旅行会社のことです。これら冊子には興味深いことに、日本各地の名所の紹介を終えた後に6ページ分、朝鮮と満州での旅行先が扱われています。

鉄道省編『山水名光』

 実は、1930年代半ばの日本は、交通網の発達もあり、国内旅行どころか、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。その観光先として強力な、あるいは鉄板のコンテンツとなっていたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡だったのです。もしかすると、修学旅行と史跡観光のセットが定着していったのは、この時期の観光産業の勢いと関係があるのかもしれません。

 つまり、こうした旅行案内や写真帖が意味していることは、日本が植民地や在外権益を獲得として、その領域を拡大して「帝国日本」となっていった経過を追うように、観光産業が「帝国日本」の範囲で成長していった歴史なのでしょう。このような観点については、下記リンクの講演録が参考になります。近代日本史研究者のポートランド州立大学准教授・ケネス・ルオフ氏による学習院大学での講演です。この講演録をご一読されれば、今回ご紹介した旅行案内・写真帖の持つ意味がより理解できると思われます・

※ケネス・ルオフ「移動する帝国―絵葉書が語る大日本帝国―」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』第2号(2016年)、4-21頁
https://bit.ly/2VJKoU4

 買取でお譲りいただきましたものの中には、絵葉書や満州で撮影された写真もございます。追ってくまねこ堂ブログで紹介していきたいと考えておりますので、引き続きご注目くださると幸いです。

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小野坂


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