昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代

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 今回も、昭和戦前期の満州を始めとした地図についてご紹介していきます。本ブログで3回目になります。

 この度継続してご紹介おります満州の地図などを残された、陸軍第一師団所属の〇〇技師は、先般取り上げました1933年5月の満州視察に続いて、1934年3月29日から1937年4月8日まで正式に満州で働くことになりました。満州での勤務にあたり関東軍経理部長となった〇〇技師は、満州国の建設業務を主に担当することになります。

原田家文書

 満州での建設事業は日本内地とは環境が異なります。それゆえにどのような困難に直面したのでしょうか? 〇〇技師は自身が作成した1937年4月付の「渡満三年」というガリ版刷り冊子で、次のように述べています。

「元来満州ハ工事期限ガ非常ニ短イ、即五月ニ於テ尚地下二尺ノ地点は結氷シテ居ル、十月ニナレバ既ニ結氷ヲ初メル従テ工事期ハ五、六、七、八、九、一〇の六ヶ月ガヤツトノ事デアル」

 このように満州の気候を理由としてた工期の短さゆえに「血ノ出ル思ヒデ仕事ヲ急グ、何ト苦シイ事デアル」ことを、〇〇技師は吐露しています。

 その他、満州における航空機航路の発達についての記述など、「渡満三年」ならではの興味深い記述が含まれています。

 この時期の図面には、建築計画を示した青焼きのものも含まれています。その一例として以下に掲げたのは、「関東軍司令官々邸庭園計画」です。縦横ともに約80センチの大きさのため、表題が判別できるところまで寄って撮影しています。

原田家文書

 また、発行された地図ですが、満州国首都の新京の市街図もございます。1936年9月20日発行のものです。

新京市街図

 新京市街図

 満州国の都市に特徴的な、中央から放射上に伸びた幹線道路がはっきり見てとれると思います。興味深いのは、この道路の赤線がただの配色の都合ではなくて、バスの路線図を示したものであることです。日本内地では実現しなかった都市計画の実験場として、〇〇技師は張り切って仕事をしたことでしょう。

新京市街図 
 なお、本ブログでは、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしましたこと、あらためてお伝えいたします。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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