アルバム「昭和十二年度幹部候補生 陸軍自動車学校在校記念」が入荷しました~九四式六輪自動貨車の導入に向けた一幕か
くまねこ堂では、古書だけでもなく骨董も扱っております。お譲りいただいた骨董の中には、商業出版されていない文書資料(紙モノ)や写真のアルバムなども含まれます。そうした品々をこの骨董ブログで紹介してまいります。
今回取り上げるのは、このアルバムです。星マークとトラックから何が連想できるでしょうか?
これは「昭和十二年度幹部候補生 陸軍自動車学校在校記念」というタイトルのアルバムです。陸軍自動車学校は、1925年に発足した輜重兵(兵站を単層、現在の陸用自衛隊の輸送科にあたる)の自動車部隊の研究・教育機関です。所在地は現在の東京都世田谷区桜丘にあたります。この陸軍自動車学校の研究成果は、千葉県に設置された陸軍戦車学校の基礎となったようです。
こちらは、「尽忠至誠」、陸軍自動車学校長の陸軍少将(当時)・土橋一次です。彼は主に砲兵部隊の任務を歴任していました。歴代校長は輜重兵出身者が多いのですが、土橋と先代の井関隆昌の2人だけ、砲兵出身の校長でした。なお土橋は、同校長に就く前は陸軍技術本部総務部長も務めていました。
演習の様子を写した写真もあります。走行訓練のほうでは、かなりのヘアピンカーブと格闘していた様子がうかがえます。
こちらは休憩時間でしょうか。そしてこの車両は、おそらくは九四式六輪自動貨車だと思われます。このアルバムは昭和12(1937)年度のものですが、たしかに当時の陸軍自動車学校では、まさにこの九四式六輪自動貨車の導入に向け調査研究が進められていたのです。
戦争は、最前線で撃ち合うことだけで成立しているわけではありません。物資の輸送を担う輜重兵、彼らが乗る自動車の開発と整備なしには、最前線での華々しい活躍どころか、戦線を維持することもままなりません。また、自動車の生産を支えるために、いったいどれだけの人々が関わることになるでしょうか? このような視野で戦争を考えた場合に、無謀な戦争はやめようとなるのか、いったん始めてしまったら勝つまでやめられないとなるのか、究極にして案外私たちになじみ深い問いが浮かんできます。
冒頭に申し上げたとおり、くまねこ堂では、古書に限らず幅広い品々を対象としております。1回の出張買取で広くカバーしてまいりますので、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
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小野坂