戦時中の郵便貯金の証書を紹介します

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 今回は、絵はがきの整理をしていた最中に、紛れ込んでいたものをご紹介します。大きさは、はがきとほぼ同じものです。

特別据置貯金証書

アジア・太平洋戦争(当時、大東亜戦争と呼ばれた)の時期の、特別据置貯金証書です。特別据置貯金証書とは、画像の説明書き中にあるように、「郵便貯金法及其ノ付属法」に基づいた貯金の証明書というわけです。とりあえずは、ここに記載された14円が、戦時中の郵便貯金であり、それも定期預金の金額であったことがわかります。

 とすると、いくつか疑問が浮かびます。「特別」据置貯金証書というのは、何が「特別」なのでしょうか。それは「郵便貯金法及其ノ付属法」にあたってみるほかありませんので、即答はできませんが、戦時中だから「特別」なのでしょうか。また、上記の証書の場合では、1943年3月4日から5年間の「据置」すなわち定期預金であり、その満了は1948年3月3日となっています。周知のとおり日本は1945年8月に敗戦するわけですが、この特別据置貯金という定期預金は、その満了を迎えたときに引き出せたのでしょうか。

 おそらく現金化することは不可能であったことでしょう。確実なことはいえませんが、これから挙げるいくつかの理由から、特別据置貯金証書は「紙くず同然」となったと思われます。

・敗戦後のハイパーインフレーションに対処するため、1946年2月の金融緊急措置令によって預金封鎖・新円切り替えが実施されました。そのため、戦時中の旧円の証書である特別据置貯金証書で預金を引き出すことは不可能であったのではないでしょうか。
・特別据置貯金の根拠となる「郵便貯金法及其ノ付属法」では、据置期間が満了を迎える前に、戦争が終わることを想定していなかったかもしれません。「大東亜戦争」の特別据置貯金の満期が、当然のように5年後の1948年3月3日満了と証書に記載されているように、もはや戦争が日常化していたのでしょう。以下に掲げた3枚めの画像では、5年後の満了日が1949年8月6日になっています。

特別据置貯金証書

 ともかく、戦時下の定期郵便貯金である「特別据置貯金」が、敗戦後にどのように扱われたのか、法的根拠を示しながら述べる準備は、今のところありません。おそらくは、透明性とは程遠い、複雑怪奇な制度であったことでしょう。たとえば、「満了以前に敗戦したので、払い戻しの手続きは法的に存在しません!」と居直る政府に対して、その責任を追及することは困難だろうと想像します。

 やはり、この証書は、換金されずにこうして絵はがきに混ざっているような代物である、ということに立ち返るべきなのでしょう。こういう状態を「紙くず同然」と呼んでも差し支えないはずで、このことをひとまずの結論としておきます。

 一方で、戦時中における郵便貯金の役割は当時から重要視されていました。この点は、その重要性ゆえにいくつかの注目すべき書籍や文献に依拠して調べることができましたので、その一端にふれてみたいと思います。

 戦前の日本においては、日中戦争勃発後の1938年、国民精神総動員運動の一環として、貯蓄奨励運動が盛んに展開されました。第一次近衛文麿内閣の賀屋興宣(かや・おきのり)蔵相は、率先して貯蓄奨励のための講演で全国を回りました。賀屋がそこまでして貯蓄奨励にこだわった意図とはなんでしょうか? このことについて、1937年9月10日に公布された臨時軍事費特別会計法とその運用を検証した鈴木晟氏は、賀屋の講演に依拠して次のようにまとめています。

 「臨時軍事費の財源の多くが公債であることは前述したが、賀屋によれば支那事変(日中戦争)が始まってから昭和14年(1939年)5月27日までに発行した国債の総額は74億6000万円で、その消化の内訳は、大蔵省預金部(郵便貯金などを運用)が引き受けたのが14億3000万円、国債引受銀行団が1億円、『日本銀行がまず一手に引受けたものを民間等に売却したものが49億1600万円』である。(中略)このような公債の消化は国民の貯蓄の増加に依存している。大蔵省預金部にしろ、また市中の銀行・信託会社・保険会社にしろ、その保持している公債の元手は、郵便貯金や銀行預金にほかならない」

(※)鈴木晟『臨時軍事費特別会計――帝国日本を破滅させた魔性の制度』(講談社、2013年)142‐143頁。

特別据置貯金

 このようにして戦中の日本は、国民の預貯金を根拠にして発行された大量の国債を用いて、戦争を続けたわけです。こうした財源上のからくりによって、日本の軍国主義が支えられていたことについては、敗戦後、経済復興のための調査研究に従事した日本人自身によっても問題視されました。

 外務省調査局事務官の大来佐武郎(おおきた・さぶろう)が中心となり、技術系の専門家やエコノミストや・経済学者らが集結してまとめた外務省特別調査委員会の報告書「日本経済再建の基本問題」(1946年3月、同年9月に改訂)には、以下のような記述があります(現代仮名遣いに改めて引用し、代名詞などは適宜ひらがなとしています)。

 「証券取引が未発達であり、国民の投資に対する関心が薄く貯蓄は大部分郵便貯金または銀行預金の形をとり、直接株式その他の企業投資に向かうことが少なかった。その結果として金融機関は自己または政府の意志に基いて自由に運用し得る多額の預貯金を持つことが出来たのである。かくて集中せられた資金は軍需工場の拡大や政府公債の引受等に向けられ、国民大衆の利益に還元し来ることが極めて少なかったのである」

(※)外務省特別調査委員会「改訂日本経済再建の基本問題」1946年9月、中村隆英、大森とく子編『資料・戦後日本の経済政策構想』第1巻(東京大学出版会、1990年)166頁。

 ここで指摘されている「国民の投資に対する関心が薄く貯蓄は大部分郵便貯金または銀行預金の形をと」っている状況は、現在でもあまり変わりません。戦後の高度成長を経た日本では、価値が安定した円が、大量に預金されているということを前提に、政府が国債を発行し続けてきたという事情があります。けれどもその前提がいつまで通用するかわかりません。

 今回紹介した、特別据置貯金証書の存在が示しているのは、定期の郵便貯金が紙くず同然になったという戦時~敗戦の教訓です。戦争に加担した郵便貯金、敗戦後に無価値となった郵便貯金という凄まじい話なわけです。しかもこの教訓の一部には、そうした預金の使途や後片付けについて、私たちがかなりの程度無関心であったことも含まれています。それを思うと、改めて現在の状況で、財政・金融について自分なりに考える必要を感じさせられます。

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小野坂


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