大江満雄『蘭印・仏印史』(鶴書房、1943年)が入荷しました~「日本が自らの矛盾を正視し」たがゆえの戦争?!
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今回は、以前入荷した本なのですが、アジア・太平洋戦争を扱った当時の本をということもあり、このタイミングでアップすることといたしました。
大江満雄(1906-1991)は、高知県出身の詩人です。大江は、1930年代は日本プロレタリア作家同盟での活動を理由に数回の検挙を経験しています。そのような人物でありながら、あるいはだからこそなのか、1940年代に入ると、日本の軍国主義を礼賛するような書物をモノしています。
今回紹介するのは、大江満雄『蘭印・仏印史』(鶴書房、1943年)です。蘭印とはオランダ領東インドのことで、現在のインドネシアにあたり、仏印とはフランス領インドシナの略で現在のベトナム・ラオス・カンボジアを指しています。同書は、基本的には当該地域の歴史を古代から振り返ったものではあります。しかしながら、そうした歴史の延長線上に、現在の目から見れば侵略と呼ばざるを得ない「日本の南進」が正当化されているのもまた事実です。一時期は日本プロレタリア作家同盟で活動していた大江ですから、マルクス主義者・共産主義者として帝国主義戦争には反対だったはずです。その大江がなぜ、蘭印・仏印への日本軍の軍事行動を肯定するにいたったのでしょうか。
まずは、大江が戦争を肯定していることが明らかな文章を抜き出してみましょう。まず目を引くのはこちらです。
「日本が自らの矛盾を正視し、日本資本主義の弱体性を克服しつつ、国内体制を整え大東亜戦の全貌を表はしたのは昭和十六年十二月八日である。」(227頁)
この引用の「昭和十六年十二月八日」というのは日本がアメリカとイギリスに宣戦布告した日付です。たしかに対英米戦争を正当化している文ではあります。とはいえ、「日本が自らの矛盾を正視し」て始めた戦争だというのは、どういう意味でしょうか?
上記の文は、ちょっと現在の価値観では理解しがたいものがあります。当時の日本では、現在からは想像もつかないほどマルクス主義の影響力が強かったことに、やはり留意する必要があります。細かい話は省きますが、マルクス主義者の戦争観には、資本主義国家間の戦争が共産主義革命を促進するという考え方があります(※)。そこで当時の日本のマルクス主義者の多くは、戦争遂行のための改革を通じて資本主義体制を変革できるとの期待を抱いてしまったわけです。むろん言論弾圧の時代を生き延びるためという面もありますが、これまで蓄えたマルクス主義由来の知識をそのまま戦争の肯定に結びつけてしまう、というようなコースをたどった人物は珍しくなかったのです。
(※)戦争が革命に結びつくという考えと真逆の考えをとるマルクス主義者もいます。どういう考え方かというと、民衆の自発的な反戦運動が共産主義革命の基礎となるという見方です。昭和戦前の日本でこの見方を表明した場合、治安維持法を理由とした言論弾圧の対象となることはほぼ確実です。
ところで、大江は、それ以前の中国との戦争はどのように正当化していたのでしょうか。実は、英米と戦争が始まったことをもって、この地点から後づけで中国との戦争を肯定する、というような風潮が出てきたのです。大江もそこから例外ではありませんでした。『蘭印・仏印史』で大江は「支那(中国)は、すでにアメリカ、イギリス、ソビエートに侵食されていたから、支那と戦ふといふことは米英と戦ふ姿であった」(226頁)と述べています。こうした中国との戦争の正当化は、アメリカとイギリスに宣戦しなければ成り立ちません。あるいは、この正当化の仕方に傾いてしまうほどには、中国との戦争の正当性に対して疑念があったのかもしれません。この疑念が後に米英に宣戦することで、戦争の過剰な正当化に通じてしまったのであれば、なんと恐ろしいことでしょう。
現在の私達の感覚からすれば、上記の大江の文章は、論理というにはあまりにも荒唐無稽に思われるかもしれません。表現にしてもどぎついものがあります。しかしながら、当時の歴史をたどりつつ読んでいこうとすると、大江がそのような論理・表現を用いた背景も無視できないことがわかります。
戦争を無くしたいなら、戦争についてもっと知らなければならない。大江の『蘭印・仏印史』は、そんな思いを引き起こすような本でした。
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小野坂