1920年の尼港事件と1923年の関東大震災~最近入荷した紙もの資料を紹介します

 いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。今回は、とある古物商の方のご遺族からお譲りいただいた、いわゆる紙もの資料を紹介します。

尼港事件

 買取品の中には、「報告書」と題された「本郷区尼港殉難者追弔会」の冊子がございました(※)。「本郷区」とは1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)までの期間存在した、現在の文京区の一部です。たとえば、在ニコラエフスク副領事の石田虎松は「本郷区」在住の人物でしたが、まさに尼港事件に遭遇して亡くなっています。石田副領事については、この「報告書」の冒頭でふれられています。

(※)「尼港殉難者」とは尼港事件で亡くなった方のことを指しています。尼港事件とは、シベリア出兵中の1920年に発生した紛争事件です。「尼港」は地名で、オホーツク海河口、「ニコラエフスク」の当て字です。このシベリア出兵とは、1917年11月のロシア10月革命(ロシア歴では10月にあたる)に際し、その革命に干渉するため(表向きの理由はともかくとして)に欧米列強および日本がロシアへ派兵した出来事です。これは事実上の戦争でした。尼港事件とは、上記のシベリア出兵の最中に同地を占領していた日本軍と革命ロシアの義勇兵との衝突で、日本人居留民を含む住民が多数殺害された事件です。

 近所に在住の外交官が在外の任地で死亡するといった形で、当時の人々は軍事衝突や居留民殺害事件が意外にも身近な事件だと感じていたかもしれません。それから3年ほど経って、関東大震災が発生します。こうした直近の過去と、未曾有の地震との結びつきが何を引き起こしたのでしょうか。この問題はこの場ですぐには答えられないものの、今日あらためて考える必要があると思われます。まずは、買取品の中から、関東大震災の被害を示すものをいくつか紹介していきます。

関東大震災 絵葉書

 そこで、絵はがきの写真をみてみましょう。上掲の写真は、国府津―二宮間(相模湾沿線)の線路が地震で湾曲した様子を写した写真です。震災時の避難は、当然ながら普段通りにはいきません。線路から列車が脱線するどころか、線路自体が脱落してしまう揺れの中で避難しなくてはならないのは、本当に恐ろしいことです。

関東大震災 絵画

 いうまでもなく、震災の被害は揺れによるものだけではありませんでした。上掲の画像は、「帝都大震災画報」の関東大震災の火災の絵です。震災時の火災については、たんなる天災ということだけでなく、燃えやすい都市をつくってしまったという、都市計画や防災の問題といった人災というべき部分を含んでいます。関東大震災を体験した外交官として、駐日フランス大使ポール・クローデルがいますが、彼がまさに軍事との関連で日本の都市が火災に弱いことを指摘した、といいます。このことはあるフランス外交史がご専門の先生からうかがったことがあります。

 関東大震災の被害の様々な側面や、その直前にあった出来事に関する文献をお譲りいただきました。古本屋という形で、こうした史料の保存に関わりつつ、タイムリーに発信していきたいと考えています(※)。

※ 関東大震災下での事実を示す史料は現在にも伝わっています。それらは、あの火災を経て、さらにアジア・太平洋戦争中の空襲を経て燃えずに残った史料だということになります。とはいえ、それは自然に残るものではなく、歴史研究者の執念によってかろうじて現在に伝わっているものです。関東大震災では、自然災害には含み得ない惨劇も発生しました。最近では、次のような報道もあります。「関東大震災での戒厳軍の配置図まで…姜徳相先生の寄贈資料は想像以上」(ハンギョレ、2023年6月18日)https://japan.hani.co.kr/arti/culture/47064.html
関東大震災について、たんに自然災害の話としてのみブログをアップすべきではないと考え、このように最近の報道との関連で付記いたしました。ご理解くださいますと幸甚です。

小野坂

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