日中戦争期の額装品とアルバムをお譲りいただきました! ~その2 武清県治安維持会とは何か? 傀儡政権?!
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前回の投稿(※)で、近年の日中戦争「和平工作」研究においては、これまで詳しく論じられてこなかった対日協力者をめぐる諸問題に光が当てられている、というお話しをしました。たしかに、対日協力者は南京政府の汪兆銘だけではなかったのです。今回は、この点に関する書籍を参照しつつ、最近入荷した日中戦争期の額装品とアルバムを紹介していきます。
※日中戦争期の額装品やアルバムをお譲りいただきました! あわせて日中戦争研究の必読書、戸部良一『ピース・フィーラー――支那事変和平工作の群像』(論創社、1991年)が入荷しました!(くまねこ堂骨董ブログ、2021年4月23日)
https://www.kumaneko-antique.com/17368/
まずは、以下の額装品をご覧ください。
この額装品は、日中戦争の勃発を受けて中国北部の北京・天津地方に派遣された日本軍に所属すする、安治県豆張荘警備隊長であった石井泰作に対して、天津市内の武清第三区地方治安維持会(主席委員:黎子明)より1937年11月付で贈呈されたものです。題字は「深感維護」、宛名は「石井隊長 徳政」とあります。描かれているのは、北京の萬壽山の全景です。
また、同時にお譲りいただいたアルバムを確認しますと、次の任務の写真がありました。
▲5行目、「固安県 隊長時代」
石井泰作は、翌1938年1月から天津市に隣接する廊坊市の固安県警備隊長として戦闘に参加しています。1937年7月末に北京・天津地方を一応の占領下に置いた日本軍でしたが、当地の治安を維持するために、引き続き各地での転戦を余儀なくされていました。こうした石井警備隊の動きをみれば、治安維持のための戦闘は、年を超えても収束に向かっていなかったことがうかがえます。
※先の説明で出てきた、天津市武清区と廊坊市固安県の位置は、以下のグーグルマップ上に作図したものをご覧ください。
それでは、額装品の送り手である「武清第三区地方治安維持会」とは何なのでしょうか? そもそも治安維持会とは? そして、北京・天津地方占領後の戦闘に従事していた石井警備隊長とどういった関係にあったのでしょうか? それらのことについて、広中一成『傀儡政権――日中戦争、対日協力政権史』(角川書店、2019年)を参照してみました。
同書によると、1937年7月28日の総攻撃によって、北京・天津一帯を占領した日本軍は、同地域の治安維持のために対日協力者による傀儡政権の成立に向けて動いていたことが指摘されています。そのような傀儡政権が、○○治安維持会の名で各地に設けられていきました。武清県治安維持会も、そうした傀儡政権のひとつということです。額装品には「武清第三区地方治安維持会」とありますから、さらに区域ごとに分かれていたようです。こうした各地の治安維持会は日本軍にとって、とりわけ石井泰作率いる警備隊にしてみると、その任務の遂行において重要なパートナーであったのではないか、と思われます。
しかしながら、これら各地の治安維持会の統廃合、その上で成立する新傀儡政権をめぐって、日本軍内部でも意見の違いがありました。また、そうした傀儡政権の対日協力者と、日本軍に抵抗する中国民衆との間で起こる対立は、避けようもありませんでした。こうして、状況は複雑化していきます。日本軍は、自らがつくり出した傀儡政権とともに、日中戦争の泥沼にはまっていくことになりました。
なお、広中『傀儡政権』80頁の表で、武清県治安維持会の指導者名が空欄になっています。ともすると今回紹介した額装品にみられる人物のいずれかが、そこに記入され得るのかもしれません。
以上のように、近年の日中戦争研究の動向に関わるようなお品物をお譲りいただく機会に恵まれました。記して感謝申し上げます。今回ご紹介したもの以外にも、取り上げるべきものもございます。それらについて追って投稿していく予定です。引き続きご覧くださいますようお願い申し上げます。
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小野坂