1923年の関東大震災直後の、東京貯蓄銀行絵はがきを紹介します~「震災も焼き得ぬは貯金なり」⁉
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再び絵はがきの紹介になります(※)。東京貯蓄銀行、というあまり聞きなれない銀行の絵はがきです。この銀行について、試しに設立者や沿革を確認したところ、意外にも興味深い事実に接することになりました。
(※)日露戦争時のロシア兵俘虜収容所の絵はがきについての以前の投稿はこちら
https://www.kumaneko-antique.com/17495/
東京貯蓄銀行とは、小口貯金奨励のために1892(明治25)年に創設された銀行です。資本金10万円を基にした同年7月1日の開業は第一銀行店内でしたが、その2年後の1894年12月に神田に初の支店が設置されています。
東京貯蓄銀行設立を主導したのは、どういった人々でしょうか。まずは、明治期に数々の会社、経済団体の立ち上げに関わった渋沢栄一(1840-1931)の名が挙がります。そして渋沢の下には、第一銀行の出世頭の佐々木勇之助(1854-1943)など、渋沢にその能力を見込まれた人物が集っていました。
※渋沢栄一ゆかりの地 株式会社東京貯蓄銀行本店(渋沢栄一記念財団ウェブサイト)
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/yukarinochi/album/13-J-0016-B0053-ph01.html
明治期に順調に業務を拡大していった東京貯蓄銀行ですが、大正期に入ると、第一次世界大戦後の不況~1923年関東大震災~1927年金融恐慌~1929年世界大恐慌といった経済危機で生じた、一連の金融界の統廃合の波に呑まれていくことになります。1936年に東京貯蓄銀行は、川崎財閥の中核銀行でありながら経営が悪化していた川崎第百銀行の建て直しの一環で同行に合併されました。川崎第百銀行は、東京貯蓄銀行が扱っていた小口貯金をかき集めて企業に投資することで苦境を脱しようとしたのです。
こうしてみると、小口貯金というのは、個々の金額は少なくとも、それをどう集めるか、集まったお金をどう活用するかという点で、日本経済を左右するものであったといえます。
今回紹介するのは、関東大震災直後の東京貯蓄銀行絵はがきです。これら絵はがきに挿入されている標語が面白いので取り上げることにしました。
▲震災も焼き得ぬは貯金なり
▲震災の苦をおもえば堪へ得られぬものはなし
▲復興の魁は貯金にあり
…どうでしょうか。現在の銀行がこんな標語を添えて絵はがきを発行していたら、焼き討ちにでも遭うのではないでしょうか。そこまでいかなくても、被災者から反感を買うこと請け合いです。
日本人の貯蓄性向の異常な高さの由来は、日本経済史の大きな謎のひとつですが、一方で近年では貯蓄のない世帯が増えているとの報道もあります。歴史を学ぶ途上で、過去と現在との断絶に直面して驚くことは、ままあることです。この絵はがきが、貯蓄からみた日本史(※)といったような読書の導入になれば幸いです。
(※)以前の投稿で、日中戦争下での郵便貯金についてふれています。
https://www.kumaneko-antique.com/17406/
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小野坂