1932年の第一次上海事変に関する絵はがきを紹介します

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 先日、1923年の関東大震災に関する絵はがきを紹介しましたが、それに引き続き、戦前日本で発行された絵はがきを紹介していきます。今回は1932年の第一次上海事変に関わる絵はがきを扱います。以下の絵はがきは、陸軍軍人の親睦団体である偕行社から発行されたものです。

上海事変

 1932年の第一次上海事変とは、同年1月28日から3月3日にかけての、上海共同租界周辺での日中両国の軍事衝突です。紛れもなく、実態としては日中両国の正規軍同士の戦争というべき事態でした(※)。租界とは当時の中国に存在した外国人行政区画のことで、この存在が上海を国際都市たらしめていた大きな要因の一つです。そのような場所の至近距離で日中両軍が衝突しました。この上海事変は、上海での日本人僧侶殺害事件を発端にして日中間の軍事衝突にまで発展した一件です。実はその端緒となった殺害事件が旧日本陸軍の謀略であったことは現在、首謀者の戦後の証言を通して知られています。

(※)この意味で戦争と表現した部分があります。他方でいうまでもなく、国際法的に「戦争」と認定するかどうかが、大きな政治的意味を持つ時代であったことにも留意する必要があります。

上海事変

 さて、この作戦に参加した日本の兵隊らは、自軍の謀略ゆえに命がけで戦わなくてはならなかったとは思いもしなかったことでしょう。彼らが上海事変をどのように記憶していたのか考える際、陸軍軍人の親睦団体の偕行社発行の絵はがきは、もしかすると重要な糸口になり得るかもしれません。

上海事変

 当事者の記憶だけではありません。私たちのこれまでの来し方も問われます。実際に起きた軍事衝突の詳細やそこでの戦争責任を知るとともに、その出来事をどのように私たちが扱ってきたのかが問い直される時期にきていると思われます。私たちが当時の戦争を経験していないからといっても、その戦争をどのように考えてきたのかという責任からは逃れられないはずです。こうした意味で、現在の私たちは「戦後責任」を負っていると考えます。しかも、国家間の戦争であるからには、相手が確実に存在します。それゆえに、戦争責任および戦後責任から逃れられないというより、逃れるべきでないのではないでしょうか。

 絵はがきを史料としてどのように用いるべきか、はっきりとした答えを持っているわけではありませんが、この機会に苦し紛れにしろ上記のように考えてみました。ご関心をお持ちの方がおられましたら、このホームページのメールフォームなどを通じてご一報ください。

 なお、帝国日本の旅行という観点で、昭和戦前期の観光業に関する文献を以前紹介したことがあります。こちらもご覧いただきますと幸いです。
※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/

小野坂


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