東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「迷信の犠牲 丙午娘」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました


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連続でお送りしている大正・昭和頃の新聞記事スクラップ帖、

本日は「迷信の犠牲 丙午娘」シリーズ連載です。

 

 

 

丙午の娘を持ち悩み貫く親が日本国中百万人もいると社会問題に。

迷信打破の実例としてシリーズ連載されたとのことです。

 

では早速見て参りましょう。

  (以下、誤字脱字があった場合は何卒ご容赦くださいませ)

 

今年で二十五の娘盛り 全國で五十萬人 

幸福な実例はこんなにある 易者も笑ふ迷信

丙午の女は亭主を殺すと昔から言ひ伝へられ忌み嫌はれてきた~

ここの年に生れたばつかりに廿五の今日迄嫁入口は無い者

許婚の者が丙午と知れた為に破談となり世をはかなみ鉄路の錆海の藻屑とあたら若い命を捨てる者も少なくない~

 

夫は食ひませんと微笑む久子さん 

歌舞伎俳優中村福助夫人

 

『丙午は夫を食ふなどとは根も葉もない迷信だ』と中村家で日頃から信心する金光様東京出張所の畑先生が仰つたので私達が晴れて夫婦となれたのです~

 

娘時代は泣きの涙 今は楽しく孫の守

白虎隊の母 石田茂登さん

 初めて嫁の話の出たのは廿七(27)の時だつた、先方は妻に子供二人を残されて死なれた漢法医石田龍玄氏で初婚の女には喜ばれない後妻だつたが『どうせこの年まで売れ残つた午(うま)だ』と諦め嫁いだ~

 

 十九の厄に結婚した十違ひの御夫婦 

 迷信の打破に精進する 金光教の畑氏夫人 靜江さん

 

 この丙午御夫婦は世に忌み嫌ふ十違ひ、しかも靜江さんは十九才の厄年に結婚して居る、友達には『悪いからお止しなさい碌なことはない』などと言はれたものだがそんな事には頓着なく結婚してしまつたものだ、然しそれ以前御二人は切つても切れぬ青春の血を燃やした熱い仲だつた~

 

兄子爵も反対した結婚に愛の勝利

女校長さんが仲に入り幸福に浸る高木道峰氏夫妻

 

 『私ほんとうに嫌でした、一生のうちにあんなに丙午を恨みまた悲しんだ事はないです』

 『丙午でも二月、三月に生まれた者は春駒と言つて鐘太鼓をたたいて捜してもないそうです~』

 

当時の丙午生まれの女性にとっては人生のかかった大変な問題だったのですね。

迷信を打ち破るべく、新聞が一役買っていたのでした。

(以下にも連載が続きますので、お時間のある方はどうぞお読みください!)

 byキョーコ

 

 


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