買取事例

《神奈川県横浜市港南区!》貴金属・お茶道具・煎茶道具・カメラなどを即日買取させていただきました


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今回は鉄道マニアの方から多くの鉄道グッツをお譲りいただきました!!
その中には1960年代~1980年代までに使用された切符もたくさんございました。

マニア向けの国鉄時代の硬券の数々…。
日本の鉄道チケットはサイズによって、基本的に A券(3 cm×5.75 cm)、B券(2.5 cm×5.75 cm)、C券(6 cm×8.75 cm)、D券(3 cm×8.75 cm)と区別されており、ここもマニアがこだわるところですね!
行き先を見てみると、お持ちだった方は日本全国を旅されたことがわかり、「国鉄線」の表示が時代を感じさせます。
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そして1960年代半ばに発行された「周遊券」の外袋の数々。レトロな雰囲気が魅力ですね!
地域の特色を反映したもの、モダンなデザインのものなど…このシンプルさに昭和を感じます。
またJRになる直前の青春18キップもありましたが、今とはデザインも大きさも別物ですね~

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そしてそして、極め付けはこちら!!
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加山雄三の父で伝説的な二枚目俳優・上原謙と昭和を代表する美人女優・高峰三枝子、往年の美男美女コンビが数十年振りに復活し、世のおじいちゃんおばあちゃんを喜ばせたフルムーンの広告入りチケット袋まで(涙)
さすがは昭和のウルトラスターだけあってお二人とも華やかでバブリーで、様になっております!

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※若い頃のお二人(1940年頃)

高峰三枝子さんは市川崑監督の「犬神家の一族」で「佐清!この薄情な人たちに仮面をめくっておやり!」と家族会議の場面で叫ぶ長女・松子夫人(すけきよの母)を演じたことでも知られていますが、高峰三枝子ファンの私としましては終戦直後に制作された五所平之助監督の映画「今ひとたびの」の気高く美しい姿を忘れることができません。

…と話がだいぶそれてしまいましたが、フルムーンのチケットは現在でいうところの休日倶楽部のようなのですすが、規約をみると特にシニア向け、60歳以上限定などの制約はなく、70歳以上は割引になるとのことのみ記されているので、年齢は関係なく夫婦割引のようなものだったようですね。

くまねこ堂では古書や古美術品のほかにも、鉄道グッズなどのコレクターズアイテムも積極買取をさせていただいております。

byこばちゃん

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【杉並区善福寺】 絵画、酒瓶大量(サントリー等)、酒類ノベルティ、ビアマグ、日本刀、銀製品(タバコケース、銀杯)、戦時品、ベルト、切子グラス(デカンタ)、腕時計、レコード、ガラス瓶、置き物、万年筆、ネクタイピン、記念コインなどをお譲りいただきました!


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今回お譲りいただいた中には、『復員引揚の皆様への栞』(香川県厚生課・同胞援護会香川県支部)、『復員の手引』(舞鶴上陸地支局)など、大東亜戦争から帰還した復員者に配布された貴重な冊子や書類などがございました!
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戦後50年と言われた時代からはや20年以上も経過し、今年で戦後72年という歳月が流れました。
兵士として戦地に赴き、或いは銃後を護った世代も90代以上の御高齢となり、今やなかなか当時の話を伺うのも難しい時代となりつつあります。
仙花紙といわれた粗悪な洋紙に印刷された案内の数々はかなり興味深いものばかり。
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『復員の手引』に目を落としてみますと、
【皆様長い間ほんとうに御苦労様でした。幾多の苦難を突破して今日祖国日本への期間が実現しまして皆様の御喜びは如何ばかりでせう。私達も心から御喜び致します。又御留守宅ではどんなに御待ちでせう】
とあり、このやさしい言い回しに胸を打たれる思いがいたします。
【後一両日であこがれの内地に到着されますが終戦後祖国は明朗に又健全に復興を続けております。どうかご安心下さい】
とあるので、復員船に乗船した際に配布されたものであろうことが推測でき、また実際の日本の状況とは異なる「明朗」「健全」「復興」などの希望の言葉が散りばめられてあるのが引っ掛かります。
他に貴重な記載として、復員者の支援がどこでどのように行われていたかが明確に記されており、「元陸軍省が復員局になった」「厚生省の中に引揚援護院が開設されていた」などなど、とても勉強になります!
また「未だに帰らない人々の消息を教えてください」「帰郷されたら」などの解説がされておりますが、私が注目したのは「身分処理について」という部分。
【軍籍にあったからとて  内地に帰還してから労役に服したり、戦争犯罪者に問われたりすることは決してありません。安心して家庭に帰れます。】
とあります。終戦後に多くの噂が飛び交い、戦犯として処分されるのではないかと軍籍のあった方々や文化人の方々まで心配されたということを耳にしたことがあります。それにしても、生々しく当時の様子が伝わってきますね。

また香川県で発行された『復員引揚の皆様への栞』には、
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【皆様を迎へる日本の国状は予想以上に荒廃して居ります(略)】と記されてあります。

これらを踏まえ、復員の流れとしては
《外地で復員船に乗船》→《舞鶴港・函館港に到着》→《予防接種やDDTを受ける》→《日本に上陸》→《復員連絡所》→《帰宅》
となっていたようです。

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買取をさせていただいた中には、日本に上陸するにあたって受けた予防接種の證明書も含まれておりました。現在の日本では耳にすることはありませんが、当時としては身近な恐ろしい病気であった「コレラ」や「腸チブス」(チフスに非ず)などが記されております。

本当に戦争とは大変なことなんだなぁとつくづく感じられる貴重な資料ありがとうございました!

このようなことを書いていると、耳の奥底から田端義夫さんの「かえり船」が聴こえてくるようです。

byこばちゃん

 


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名品、重要文化財などの復刻工芸品の掛け軸を大量にお譲りいただきました。


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上村松園、雪舟、横山大観 、鏑木清方など

有名な日本画家の複製掛け軸が大量に入荷いたしました。
いくら複製とはいえども、しっかりと絹本、額装、桐箱、などが揃えば値段もお高いという事が今回初めてわかりました。

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上記の絵は「狩野探幽」という江戸初期に活躍した狩野派の絵師の作品です。

狩野派といえば日本最大の画派で、室町時代中期~江戸時代初期のその間400年にもわたり画壇の中心として活動してきた専門画派集団です。

一口にサラッと400年とか書いてますけどとんでも膨大な時間の中で活動してますね……..
先日、大量に複製工芸品がくまねこ堂にも入ってまいりました。
複製と言っても単純に印刷がされたものだけではなく、木版画からリトグラフ、シルクスクリーン等大分手の込んだしっかりしたものです。

シルクスクリーンは私の専門ですが、布の場合は基本的には色の重なりによって色数を増やしていくのが普通なため
全部で5版もあればだいぶ凝った色合いやデザインができる、という感覚だったのですが
今回複製品のシルクスクリーンの版を見てみたところなんと「27版」というものすごい版の数を使っているシルクスクリーンがありました:shock:

経験者から見ると眩暈を起こしそうな版の数で…….
溜息がでるほどボリュームのある印刷と、軸装などなど
技術を贅沢に詰めた掛軸は複製といえども、本物よりも需要があるという話には頷けます。

技術を愛でるということや、部屋に絵を飾るという習慣も絶やしたくないものだなあと思います。

 

ヨシダ

 


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豊島区巣鴨にて【即日出張買取】 国風盆栽カタログ、水石、鑑賞石、盆景等の本、色紙、中国書画などをお譲りいただきました!


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今回は戦前からレコード会社に勤務されていた方の遺品整理で書画のほか、1950年代の国内外EPレコード、テスト盤をたくさんお譲りいただきました!ありがとうございます!!
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1950年代までシングルレコードといえば、重く落とすと割れてしまうSPレコードが主流でしたが、ビニール製で落としても割れず数十分の音楽が収録可能なLPレコード(LP=Long playの略)の開発を追うように、SPレコードよりサイズが小さいEP盤が開発されました。

日本でEP盤(ドーナツ盤)が生産がはじめられたのは昭和20年代の後半からのことで、当時の最大手レコード会社・日本コロムビアでは昭和29年から流行歌のEP盤が発売されるようになりましたが、今回お譲りいただいたのはこの時代のもの!
EPといっても4曲収録のCP盤(コンパクト盤)で、当時のトップアイドル美空ひばりさんのものから、特に珍品といえるのは日本人が歌ったカバー曲を集めたEP盤の数々…。
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コメディアンでジャズドラマーだったフランキー堺さん、今も現役のジャズシンガー柳沢真一さん、日本が誇るエンターテナー越路吹雪さん、少女ジャズ歌手でハリウッド映画にも出演した沢村みつ子さん、また画家・東郷青児氏の娘である東郷たまみさんの歌手時代のものまであり、またジャケットの昭和レトロなデザインも素敵ですね!シビれます。

山口淑子さん(李香蘭)や胡美芳さんの中国の歌謡曲を収録したものもあり、これも名盤といえるでしょう!

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「ジャパニーズ・ルムバ」「ゴメンナサイ」など進駐軍ソングも収録されたレコードもあり時代を感じさせます。
進駐軍ソングとは敗戦後、進駐軍の兵士たちに唄われたもので、とにかく日本語の単語をただちりばめただけの日本語練習ソングともいえるかと思います。
例えば「ジャパニーズ・ルンバ」の歌詞をみてみると、「♪どこいくの ここいらっしゃい ちょっとあのね おはようございます ジャパニーズ・ルンバ アイアイアイ…」というもので、歌うのはノーメン西本、ジャージ島袋。どうやら日系人のジャズシンガーらしく片言の日本語で歌う音源は、とてもユーモラスです。

これらのレコードが発売された昭和30年頃はまだまだSP盤が主流の時代、EP盤用のプレーヤーを所有していた方はごく限られていたと思われるので、どれくらい売れたのかは想像がつくかと思います。

これらジャケットがあるものから社内の「編成課」のスタンプが押印された無地のジャケットに、レーベル面には万年筆で曲名と歌手名が記された、これぞテスト盤!が何枚も何枚も…目が回りそうです。そこには美空ひばりさん、島倉千代子さん、越路吹雪さんなどなど…伝説の名歌手の方々のものが!これでお蔵入り盤、テイク違い音源が発見されたら、まさに音楽史の事件になりそうですね。

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くまねこ堂では古書、書画、骨董、美術品のほか、LP、EP、SPなどのレコード類も買取をさせていただいております!

byこばちゃん


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神奈川県川崎市にて、SONYデジカメ、掛け軸、工芸画、リトグラフ、カメラ、ノリタケ、オークラ、ローゼンタール、鉄瓶をお売りいただきました


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くまねこ堂では鉄道、電車、車、船、戦車、飛行機等の乗り物のプラモデル、コレクション、おもちゃ等も査定させて頂いております:track:

 

「TOYOTA2000GT」、「日産スカイライン2000GTーR」、「ランボルギーニ イオタSVR」、「ジャガー Eタイプ クーペ」、「ダットサン240Z 1972モンテカルロ No.5」のプレミアムコレクションモデルと精密スケールモデルが入荷致しました!

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写真右側「TOYOTA2000GT」はトヨタ2000GTは1967年~1970年のスポーツカーブームが流行り始めた時代に開発された、日本が世界に誇れるスポーツカーの代表格:crown:なんですね!
現代に生きる私が見ても、どこか未来を感じるフォルムが目を惹きます!

写真左側の4台は、ファンも多いビックネームのオンパレードです:b_body_jump:あまり車に詳しくない私も聞いたことがある名前です!
ボンネットが開閉式なんですよ~:wa-i::hand:細部まで見どころが満載です!

 

かこさん


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◆神奈川・鎌倉◆ ロックバンドの帯付きレコード ギャグマンガ(モーレツア太郎、がきデカ、トイレット博士、ド根性ガエル) 、古銭、象牙の像、ミニカー、キャラクター消しゴム、古書などをお譲りいただきました!


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本日お譲りいただいた中には、「弥栄(いやさか)」と記された昭和30年代?の芳名帳がございました!
どのような会だったかは記録がありませんでしたが、栄転だったりお祝い事だったと推測ができます。

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何気なくページをめくっていると、とんでもない人たちの名前が!!
腰を抜かしそうになりつつ確認していくと…

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昭和を代表する写真家のひとり岡田紅陽(1895-1972)は日本写真協会の設立者。写真マニアの私にはドキリとさせられるビッグネームです。
そして極め付けは、こちらの二人!!!

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「藤田小女姫」「早川雪洲」の署名!!!すごすぎて眩暈がいたします。

まず藤田小女姫(1938-1994)は少女時代から「天才少女」「十代の生神様」と謳われた占い師。政治家などの大物たちを顧客としながらも若く愛くるしい容貌がメディアで取り上げられてアイドル的な人気を集めておりました。しかし息子とともに暗殺されるという謎に包まれた生涯を終えることになります…。
そんな小女姫氏のうら若き頃の署名になります。

そしてそして早川雪洲(Ⅰ886-1973)といえば、日本人初のハリウッド俳優であり、ハリウッド映画史上一番最初のスター俳優ともいわれている方です。1914年に映画俳優デビュー後、東洋エキゾチックの代表的な人物としてアメリカで絶大な人気を博し、プライベートでは城を買取り、毎晩豪華なパーティーを主催。ある雨上がりの日、パーティー会場入りしようと車から降りた雪洲の目の前には大きな水たまりが…
すると駆け付けた女性ファンたち、自分たちが着用していた高価な毛皮を水たまりに投げうって雪洲の靴を濡らすまいとしたという逸話が残されております。

関連画像

日本に帰国後も映画や舞台俳優として活躍し、現在観られる作品には1937年にドイツの映画会社と提携して制作された「新しき土」があります。本作品では若き原節子の父親役として重厚な演技を示しております。
また晩年にはハリウッド映画「戦場にかける橋」で、その存在を再び示したことは、あまりにも有名だと思います。早川氏の豪傑的な人物像を物語るような、力強い筆跡ですよね!

私の独断と偏見で三人しかご紹介できませんでしたが、今回の芳名帳には政治関係、芸能関係、報道関係などなど、幅広い方々の名前が見受けられ、どんなパーティーだったのか想像するだけで興奮ものです!

くまねこ堂では、書家、政治家、文化人などによる揮毫、色紙、掛軸、短冊なども積極的に買取をさせていただき、口コミでの評判もいただいております!

こばちゃん


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【第4回】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


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こんにちは、クラニャンです!

今月初めに、香港サザビーズの競売で「北宋汝窯天青釉洗」が中国陶磁器史上最高額で落札されました。
このニュースをきっかけに、くまねこ堂ブログでは「汝窯」の青磁ってどんなものなの?という疑問について、シリーズで考えてみることにいたしました(*^-^*):hoshi1:

第1~3回(10月15日~17日)ブログでは、まず実際の作例を近年の国内展覧会からいくつか眺めてみました。釉調に幅はあったものの、どれも上品で神秘的な青が印象的でしたね。

後半の第4~6回では、そもそも「汝窯」とは何なのか?という問題について、研究史を簡単に振り返りながら勉強してみたいと思います。なおその際、『聚美』Vol.22、学研プラス(Gakken Mook)、2017年を参考文献とさせていただきました。

汝窯

 

まず今回のテーマは…
「汝窯」という名称はどこから出てきたの??
 北宋末~南宋時代:文献に記された「汝窯」

「汝窯」という窯名は、最近の研究者がつけたものではありません。
この名前が最初に登場するのは実は約900年も前、北宋時代(960年 – 1127年)末~南宋時代(1127年 – 1279年)の諸文献のなかでした。(※以下の引用部分は、今井敦「汝窯への道—青磁の理想像を求めて」上掲雑誌56頁に依拠しています。)

◆周輝『清波雜志』(南宋)

例えばこちら、周輝という人物が著した『清波雜志(せいはざっし)』には、以下のような記述がみられます。

「汝窯は宮中の禁焼なり、[…] ただ御に供え、揀[えら]び退けてまさに出売を許す。近ごろ尤も得難し。」
(汝窯は宮中専用のやきものである。[…] 通常は天子のためだけに供され、選別され焼成不良品とされたものだけが販売を許される。近ごろとりわけ入手が困難である。)

◆陸游『老学庵筆記』(南宋)

また、南宋の代表的詩人としても知られる陸游(りくゆう)が著した書物にも、次のように書かれています。

「故都の時定器は禁中に入らず、ただ汝器を用う[…]」
(北宋の時代に定窯で焼かれた白磁は宮中に入ることがなく、もっぱら汝窯で焼かれた青磁が用いられた[…])

 

このような文献を読んだ後世の人々は、
「北宋時代、汝窯と呼ばれる窯で宮廷御用達のやきものが焼かれていたらしい……南宋時代にはすでに超レアアイテム(「近ごろ尤も得難し」)だったらしいが、いったいどのようなやきものなのか?今も目にすることは可能なのか?……気になる(゜゜)!!!」

と強い関心をそそられたようです。
こうして、文献中に記された汝窯とはどのようなものか?という問題が、長く中国陶磁史研究上の一大懸案となりました。
つまり研究史の流れとしては、まず「汝窯」という名前が先に知られており、その指し示す作品群を突き止めるという方向で調査が進められたのですね。

 

次回以降は、20世紀の研究者たちがどのような作品を汝窯とみなしてきたか、その変遷を見ていきたいと思います(^ω^)/

 

by クラニャン

 


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中野区: 即日出張にて、軍服、勲章、真鍮の印泥入れ、楽焼のグイ飲み、古書を買取させていただきました


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今回お譲りいただきました、第二次世界大戦中の指揮官として戦史に名を遺された某陸軍大佐(死後に中将となる)の遺品を紹介させていただきたいと思います!※プライバシー保護のため名前を伏せさせていただきました、ご了承くださいませ。

お譲りいただいた遺品の中には、ご本人が使用された大礼服から軍服の装飾品、未使用の襟章や勲章などがございましたが、特に写真の数々には今となっては見ることが出来ない貴重な様子が記録されておりました。
この陸軍大佐の簡単な経歴を記載させていただきますと、陸軍士官学校を卒業後ドイツに留学し、帰国後は横浜専門学校、陸軍士官学校のドイツ語教師などを経て、1940年に某連隊の連隊長に就任します。
当時の軍人と言えば豪傑なイメージがありますが、氏は学者肌の軍人だったということで、写真帖にはピアノを奏でる写真も含まれておりました!着物にピアノ、大正ロマンを思わせる一枚ですね。

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また1937年には朝鮮・安東の陸軍学校(?)にも赴任しており、当時の日記帳も残されておりました!
日記帳を紐解いてみますと…
「6月11日(金)晴 大分生徒の行儀が悪いので河内大尉のいやみあり。生徒一同を集め教官の顔に泥を塗るなと訓示する所あり。実際生徒の行動は公明正大でなく不快なり」と指導者らしい記載もありつつ、ほかにも日々の軍の行事などについて人間的な冷静な感想もみられるので「学者肌の軍人」だったという人物像にも納得ができます。
注目は日中戦争(当時は支那事変、日支事変などと言われた)の勃発時の日記!!
「…北支事変(ママ)に関しての準備なり…」などの記載があり、当時の軍人の様子を如実に知ることが出来ます。
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そして、このような時代を経て、1943年頃フィリピンのレイテ島に移駐したことが、その後の氏の運命をかえます…。

レイテ島の戦い(レイテとうのたたかい)は、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピンレイテ島で行われた、日本軍アメリカ軍の陸上戦闘である。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった(Wikipédiaより)

以上のように第二次世界大戦史のなかに特記されるほどの激戦となったレイテ島の戦いですが、この陸軍大佐も敵の砲弾を受けながら奇跡的に生還しましたが数日後に自決をされたとのことでした。日本軍の戦死者は 79,261名。本当に戦争は恐ろしいと実感させられますね。

今回お譲りいただいた写真には、氏がレイテ島に移駐した1943~1944年10月までのものが数十葉あり、激戦直前のレイテ島の様子を撮影した歴史的なショットがたくさん含まれておりました。
そもそも第二次世界大戦は、当時日本では大東亜戦争と称されており、1941年の真珠湾攻撃後、国際社会から孤立した日本は、連合軍側から資源の輸入を止められてしまうという状況に陥ったため、あらたな資源を求めるべくフィリピンやマレーシアなどの南方地方の国々を占領していき「大東亜共栄圏」を築き上げていきます。
その大東亜共栄圏時代のフィリピンの様子を記録したスナップ写真はかなり貴重といえますが、その理由としては「撮影できる人間が限られていたこと」「激戦のために写真が消滅」してしまったことがあげられるかと思います。そんな状況の中、激戦前の数ケ月間に内地の家族へ沢山の写真を送っていたことが、これだけの写真が残った理由になります。

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1943年夏に撮影されたこの写真の裏面には「俘虜訓化所修業式」とあります。俘虜とは捕虜のことですが、訓化所とはどんなところだったのでしょうか?日の丸を掲げ、日本軍人が現地人に訓示を行っている様子は、当時の様子を象徴しているように思います。

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上写真と同時期に撮影されたこちらの写真には「コンセプションにて」と書き込みがされております。例えば「演説」や「訓示」と記さず、コンセプション(=「英語、フランス語で概念受胎などを意味する。(Wikipediaより)」)と記入してあるところに当時の日本軍の思惑をくみ取ることができます。

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こちらは現地の町長、知事、警察隊長らと撮影した一枚で、移駐した挨拶に訪れたときに撮影されたものでしょうか。割れた窓ガラスの目隠しに、当時日本で発行されたプロパガンダ写真誌が貼付されているのが、素朴で面白くもあり、どこか意味深な印象を受けます。

平和な時間が流れているような写真の数々ですが、これら写真が撮影された1年ほどの間に多くの命が奪われた「レイテ島の戦い」が勃発するのです。
1944年10月23日に 氏が自決したのちも戦いは続けられ、その2日後、レイテ島市街地を占領しかけていた米軍に対して「日本軍斬り込み」というとんでもない作戦が遂行されました。
当時の新聞によれば

『部隊長も斬込み(新聞名不明)』
「○○部隊長は自ら手兵数十名を引き連れて廿五日夜高地からタクロバン市街の敵陣地目がけて殴り込みを敢行、敵兵どもを震撼せしめた、
この部隊長自らの斬り込みは同戦線の最悪事態を示すものでなく旺盛な攻撃精神が抑へ切れず遂に同部隊長をして奮然突撃敢行をなさ
しめたものでこのため同部隊の士気はますます昂っている」

とあり、実際には部隊長であった氏は自決しているので作戦には参加しておらず虚報といえるでしょう。しかし報道する側もかつてのような美辞麗句を並べ立てて過大な戦果報告をするという姿勢はありません。日本軍の被害は一切記されてはおりませんが小さな記事にまとまられ、どこか負け戦が想像できるような記載になっています。

そして10月28日、氏なき部隊は玉砕。
これらの写真に写り込んでいる軍人や兵隊の殆どが、米軍との激戦で戦死したと思われますが、フィリピン現地の人々も犠牲になったのでしょうか?

氏の戦死は新聞でも報道され、東京湾要塞司令部の司令官で、かねてから友人関係にあり一時期はフィリピンにも移駐していた陸軍中将・大場四平(1890-1963)は氏の戦死の報せを受けて以下のような書簡を、1945年1月に遺族へ送付しています。

「(略)忠誠一徹なる閣下の御性格よりすればタクロバン附近に於ける斬込戦の御勇姿も眼前に髣髴として来り定めし鬼神を泣かしむる壮烈無比而も武功抜群なりしものと確信(略)茲に謹みてご生前に於ける深甚なる御友情を深謝し併せて敬弔の誠を捧げ候」

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大場四平陸軍中将の人柄が垣間見れる書簡ですね。
そしてレイテ島の激戦から1年も経っていない1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏で敗戦となったわけです。

くまねこ堂では陶磁器、書画などの骨董品以外にも、日本軍に関する軍服、大礼服、刀緒や勲章などの軍装品、古写真まで幅広く買取をさせていただいております!

byこばちゃん


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【神奈川県横浜市】 図録(日本画、仏像、骨董、青銅器など) 竹根の彫物 ★平凡社版 世界の陶磁などを買い取らせていただきました


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これは珍品!といった美術的価値の高い骨董品から、こんなものまでお金になるの!?といった古道具まで幅広く買取をさせていただいているくまねこ堂ですが、
今回は買取価格アップになるかもしれないポイントを、実際買取させていただいたお品物を実例としてご紹介させていただきます!

:!!!:(お品物の状態や、種類等々、一概にこちらでご紹介したポイントが全てに当てはまるという事はございません!ごめんなさい!あくまでもご参考としていただけましたら幸いです!)

 

Pioneer(パイオニア社)製 NOISE CANCELLING +SURROUND ヘッドフォン

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ではこちらのヘッドフォンで、プラスとなるポイントを挙げていきます。
今回は3つのプラス要素が見つかりました!

 

①まずは箱付き!このような電子機器のほかにも、オモチャやフィギュア、ジュエリーやアクセサリー等もパッケージやケースは残っていますでしょうか?焼物なら桐箱がありますでしょうか?作家名等、作品についての貴重な情報が書かれている可能性もあります。捨てていなければ押入れにあるかもしれませんので、査定の前に探してみてください!

②なんといっても未使用未開封!①で例として挙げさせていただいた品物の他に食器、陶器等、これ、買ったけど(貰ったけど)一回も使ってなくて結局箪笥の肥やしになっちゃってるのよね…ほこりかぶっちゃってるし…というお品物がもしかしたら買取対象のお品物かもしれません!物置の整理がてらに見てみましょう!

付属品に欠品がない!箱はあったけれど、この小さいくぼみに入ってたものってなんだろう…?といった、品物に付随するアクセサリー類。コードやメモリーカード、オモチャの部品、お部屋のどこかにつなぎっぱなし、置きっぱなしにしていませんか?また、骨董品の一例としましては、絵画であれば鑑定書、刀であれば銃砲刀剣類登録証をご一緒にご用意いただければありがたいです!

 

査定の前に、お時間があれば是非一度ご確認くださいませ:neko::hoshi1:

 

かこさん

 


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珍品◆1960年代に発売された電化製品カタログを大量入荷いたしました◆東芝、ソニー、ナショナルぼうや、紙モノ、昭和30年代


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買い取らせていただきました1960年代に発売された電化製品のカタログをご紹介させていただきたいと思います!

戦後、朝鮮戦争の特需景気や神武景気を経て、1959年今上天皇の御成婚、1964年の東京オリンピックなど明るいニュースが続いた高度経済成長期。それまで戦争の傷を負っていた日本から一気に世界の経済大国にのし上がり、総中流家庭といわれる時代に突入します。
その高度経済成長時代の象徴といえるのが、一般家庭への電化製品の普及だったのではないでしょうか?
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今回の買い取りでは1960年代に発売された電化製品のカタログが大量にございました!!
まず抱くのは戦後の惨めな時代から抜け出た「豊かな国 日本」というイメージです。
昭和30年代を語る際に欠かせない「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)ほか、掃除機やポンプ、タイマー、炊飯器、フィッシュグリルなどのカタログの数々…

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中身を見てみると、とにかく楽しいです!

↓は東芝冷蔵庫(GR100ND形)のカタログですが、この人工着色的色彩がたまりません!
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基本的な形や配置は変わりないかと思いますが、冷凍庫の部分が冷蔵部分と同じフロアになっていますね。

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また別購入のオプションとして、冷水器(380円)やアイスクリームフリーザー(4500円)などが紹介されており、今もあったらいいなぁと思われるような品々が紹介されております。自動でアイスクリームができるというアイスクリームフリーザ―の4500円は結構高価だったのではないでしょうか?

また掃除についてのページには
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「直接水をかけて掃除しますと、絶縁が悪くなりますから…」

『絶縁』って!?

ちょっと穏やかではない感じがします(笑)

そして↓「電気釜」のパンフレットもなかなか面白いです。
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この時代の電気釜はお米を入れる釜の部分だけではなく、外釜の部分にも水を入れたんですね!
ご飯が炊けると勝手にスイッチが落ち、そこから20分くらい蒸らすとあるので、今と比べると幾つか手順が多いようですが、当時としては画期的だったと推測ができます。

これら日本人の貴重な生活資料、お譲り下さいましたお客様ありがとうございました!

こばちゃん

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くまねこ堂 出張買取対応エリア

関東を中心に承っております。
詳しくは対応エリアをご確認ください。

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