買取事例

【第3回】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


人気ブログランキング

こんにちは、クラニャンです。
先日香港サザビーズでは、「北宋汝窯天青釉洗」が中国陶磁器史上最高額で落札されました。
くまねこ堂ブログでは、「汝窯」の青磁ってどんなものなの?という疑問について、シリーズで考えてみたいと思います。

 

第2回に続きまして、今回も近年の展覧会から「汝窯」の作例を見てみましょう!

【東京国立博物館】
③「中国陶磁の技と美」 、東洋館 5室 ( 2016年3月15日 ~ 2016年5月15日)

【大阪市立東洋陶磁美術館】
④特別展「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」、展示室J(2016年12月10日~2017年3月26日)

 

③まずは再び、東京国立博物館(以下、東博)の東洋館で昨年開催された展覧会。
同展には、本シリーズ第2回でご紹介した「青磁盤」(汝窯 北宋時代・11~12世紀 東京国立博物館蔵(香取國臣・芳子氏寄贈))がまたも出品されたほか、同作と双子のようにそっくりな、薄くととのった器形の「青磁盤」(汝窯 北宋時代・11~12世紀 上海博物館蔵)が並べて展示されました。

汝窯

青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 上海博物館蔵

東博所蔵品が川端康成のコレクションであったことは前回ご紹介しましたが、上海博物館のものも清朝末期の文人である呉大澂(ごだいちょう1835- 1902)の旧蔵品だったそうです。
明るく澄んだエメラルドグリーンのような東博版に対し、こちらの上海版は色調がより暗く青みを帯びており、落ち着いた風格を感じさせます。表面にのぞく貫入も黒っぽく、独特の趣を醸し出しています。

———————————————————————————————

④最後にご紹介するのが、昨冬から大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「北宋汝窯青磁水仙盆」展。
展覧会名にも「汝窯」と銘打たれているように、「青磁水仙盆の名品を通して、歴代の皇帝たちが愛した汝窯青磁の美の真髄」(同館HPより)を紹介するという内容。企画者の気合と自信がひしひしと伝わってくる、渾身の展覧会だったと思います。

汝窯

特別展「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」チラシ

 

チラシで「人類史上最高のやきもの」(!)とうたわれているのはこちらの「青磁無紋水仙盆」(台北國立故宮博物院蔵)

汝窯

「青磁無紋水仙盆」汝窯 北宋11世紀末-12世紀初 台北國立故宮博物院蔵

 

作品名の「無紋」とは、貫入(かんにゅう/釉薬にはいったヒビ)が一切ないということ
シリーズ第2回で紹介した、同じ台北故宮博物院蔵の「青磁輪花碗」などは表面の貫入がおだやかなアクセントになっていましたが、本作のアピールポイントは、表面が完璧になめらかだという点です。明時代の文献は「無紋」のものを汝窯青磁の最高ランクに位置づけており、続く清朝でも、乾隆帝(1711-1799)がとりわけこの作品を愛したことが伝えられています。

また、この「水仙盆」と称される器の、北宋時代における用途は今のところ分かっていません。
清時代には犬や猫の餌入れ(!)とも考えられていたようですが、本展では「水仙の水耕栽培に使われていたのでは?」という説をもとに、現代陶芸家によるレプリカに実際に水仙の造花を活けるという展示コーナーもありました。

 

 

さて、 「汝窯」を考えるシリーズ第1~3回では、サザビーズ競売のニュースを出発点に、汝窯青磁の優品とされる4点を見て参りました。
私もこれらを見比べてあらためて実感するのは、
「汝窯青磁とひとくちに言っても、作品ごとに結構印象が違うな…」ということ。

4点について端正な造形は共通するものの、釉薬の色味や明るさ、艶感にはかなり差があります。
東洋陶磁美術館HPには、「汝窯は「天青色(てんせいしょく)」とも形容される典雅な釉色[…]を特徴とします」と説明されるものの、その言葉が指す色には広がりがあるような気がします。

ここであらためてサザビーズの落札作品を見てみましょう。
こちらは台湾の台北鴻禧美術館の旧蔵品ですが、これまで見た4点と比べていかがでしょうか?

汝窯

「北宋汝窯天青釉洗」([香港 10月3日 ロイター]より)

 

第4回以降には、汝窯をめぐる研究史を概観しながら、その位置づけについて考えを深めていきたいと思います。
すこし時間が空くかもしれませんが、どうぞご覧ください(*^-^*)

 

なお、くまねこ堂では中国美術品全般(書画・掛軸・書・文人画・絵画・仏像・書道具・文房四宝・硯・墨・硯屏(けんびょう)・筆架(ひっか)・石印材(せきいんざい)・紙・水滴・やきもの・中国切手・古家具)を幅広く買取りしております。
ご自宅に眠る作品がございましたら、ぜひご用命くださいませ。
経験豊富な店主が、確かな眼で査定させていただきます。

 

Byクラニャン

人気ブログランキング

【第2回】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


人気ブログランキングこんにちは、クラニャンです。

前回は、10月3日に香港サザビーズの競売で、「北宋汝窯天青釉洗」が中国陶磁器史上最高額の42億5000万円で落札されたニュースをお伝えしました。
第2・3回では、「汝窯」の青磁ってどんなものなの?という疑問について、実際の作例を見ながら考えてみたいと思います(*^-^*)

 

下記に挙げるのは、日本国内で汝窯青磁の優品が出品された近年の展覧会の情報です。
(※大きな話題になったもので、私が足を運んだものに限っています)

【東京国立博物館】
①特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」   、 平成館 特別展示室  (2014年6月24日 ~ 2014年9月15日)
②特集「日本人が愛した官窯青磁」、東洋館5室( 2014年5月27日~10月13日)
③「中国陶磁の技と美」 、東洋館 5室 ( 2016年3月15日 ~ 2016年5月15日)

【大阪市立東洋陶磁美術館】
④特別展「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」、展示室J(2016年12月10日~2017年3月26日)

これらの展覧会には、どのような作品が展示されていたのでしょうか?

①まずは、東京国立博物館(以下、東博)における台北故宮博物院の所蔵品展。
こちらの展覧会では、「翠玉白菜(すいぎょくはくさい)」を見るために長蛇の列ができたことでも話題になりましたね。

同展で出品された「汝窯」青磁は、こちらの「青磁輪花碗(せいじりんかわん)」です

汝窯

青磁輪花碗(せいじりんかわん)
汝窯 北宋時代・11~12世紀

東博HPでは、「酒器を温めるための温碗と呼ばれる器」であると説明されています。
釉調は、マットな薄緑色に近いでしょうか。繊細な貫入(かんにゅう/釉にはいった細かいヒビのこと)が、表面の調子に変化を与えています。
ふわりと軽やかな器形も愛らしいですね。私はハクサイよりもこちらが欲しいかな~♪

 

———————————————————————————————

②次にご紹介するのは、①の台北故宮展とほぼ同時期に東博の東洋館で開催された展覧会。
東博のほか、常盤山文庫など国内のコレクションから構成された大変見ごたえのある内容でした。

汝窯

「日本人が愛した官窯青磁」チラシ

 

同展の目玉は、「青磁輪花鉢(せいじりんかばち)」(横河民輔寄贈、重要文化財)など南宋官窯の作品群でしたが、北宋汝窯の作例として「青磁盤(せいじばん)」(下写真左)も展示されました。

汝窯

※左の作品※
青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 東京国立博物館蔵(香取國臣・芳子氏寄贈)

本作は、文豪の川端康成旧蔵品としても有名です。
写真では十分に伝わりにくいかもしれませんが、そのしっとりとした艶は大変美しく、吸い込まれるような複雑な釉色はいつまで見ていても飽きません。
収集家としても知られる川端氏の眼にかなったというのもうなづける優品です。

 

いかがでしたか?
次回は、③・④の展覧会に出品された汝窯青磁をご紹介します!

 

by クラニャン

人気ブログランキング

【第1回】「汝窯天青釉洗」、香港サザビーズにて●●億円で落札!!


人気ブログランキング
こんにちは、クラニャンです!

先ほど、くまきち店主が出勤するなり従業員にクイズを出しました。
「このあいだ香港サザビーズのオークションで青磁の筆洗 ↓ が売れたんだけど、いくらだったと思う…?

汝窯

「北宋汝窯天青釉洗」([香港 10月3日 ロイター]より)

 

「数千万…?」「一億くらい…??」と声が上がりましたが、正解は…

「42億」

あと「5000万円」

 

なんと、某芸人さんのネタのようですね~(*´ω`*)
この「約42億5000万円(2億9430万香港ドル)」という額、中国陶磁器としては史上最高だそう。

なぜこのような高値がついたのでしょうかのでしょうか。
今回落札されたのは「北宋汝窯天青釉洗(ほくそうじょようてんせいゆうせん)」。陶磁器の名称って漢文みたいで難解な感じがしますが…
かみ砕けば「北宋時代(960〜1127)に『汝(じょ)』という窯でつくられ、天青色(雨上がりの空のようなしっとりとした青色)の釉薬がかけられた、洗(洗うための容器)」ということを示しています。

この「汝」という窯(「汝窯」)で焼かれたとされる磁器は、その釉調の気品ある美しさが比類ないこと、そして伝存する作例が非常に少ないことから、これまでにも世界中の美術館やコレクターの垂涎の的となってきました。

汝窯青磁ってそんなにすごいの?いったいどんなものなの?
次回から2回に分けて、その概要をお伝えしたいと思います(*^-^*)
お楽しみに…!

 

by  クラニャン

人気ブログランキング

「中国文物局」による「文化財海外持ち出し審査基準」についての考証~第3話!


人気ブログランキングへ

本日も引き継きまして、くまねこ堂流に「中華人民共和国文物保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」に基づいた「文化財海外持ち出し審査基準」について記していきたいと思います!
今回は「9、輿、服」について取り上げてみたいと思います!
日本では重要文化財級の骨董品が海外持ち出し禁止のラインになっておりますが、中国では庶民の生活用品までこと細かく分類がなされており、さすがは歴史大国・中国!

9輿・服
9.1車・船・輿・駕籠 部品を含む 1911年以前のものは持出禁止
9.2車の道具、馬車の道具 部品を含む 1911年以前のものは持出禁止
9.3靴・帽子   1911年以前のものは持出禁止
9.4衣服   1911年以前のものは持出禁止
9.5首飾り   1911年以前のものは持出禁止
9.6装身具   1911年以前のものは持出禁止

「輿(こし)」という言葉はなかなか聞きなれませんが、移動手段のひとつであり、日本流にいうならば「駕籠」ですが…そのような質素なものではなく「お神輿」といえばどんなものか想像がつきやすいかと思います。


中国の輿(※Wikipédiaより)

輿にも世界各国たくさんの種類があるそうで、庶民のなかの手軽に利用のができる簡素な輿から王族などが使用する豪華絢爛なものまで…
当時の輿に関する写真をみてみますと、なんとも優雅でのどかですね!

現在日本で輿に乗る機会はそうそうなく、相当昔に廃れてしまった乗り物なので「1911年以前」と言われてもピンときませんが、なんと中国、インド、ミャンマーなどの一部の地域ではいまだに存在するそうです!
文物局では、輿の本体のみならず部品や、自動車、馬車、船なども持ち出し禁止項目に挙げおり、現役の移動手段だからこそ、より一層貴重な生活資料として取り扱いが行われていると思われます。

そして生活資料として、やはり欠かすことができないのが同じく分類されている「服」ですね。
この在中国日本大使館の表を見る限りでは「民族衣装」が別に存在するので、「9類」に分類されている「服」とは庶民の生活用品としての何の変哲もない「服」と推測が出来ます。
日本でも同じ事が言えますが特別な時にしか着用しない「民族衣装」は大切に保存されていることが多いのですが(軍服、大礼服然り)、1911年以前とはいわずとも昭和戦前時代の普段着の洋服、和服というものの現存数ですらかなり低く、さらに虫食いなどがなく状態が良好なものといったら珍品の部類に入るのではないでしょうか。

「清時代 服装」の画像検索結果

上図は「旗袍」を身にまとう清時代(1644-1911)の女性たちですが、「旗袍」とはチャイナドレスのことを指すそうで、かつて日本では「支那服」と呼んでおりました。またチャイナドレスという言葉は和製英語で(!)、海外では「 Mandarin dress マンダリンドレス」と言うそうです。
着物にも銘仙、絽、錦紗、紬などの種類があるように、旗袍にも身分や状況に応じて生地や柄が区別されていたと思われますし、写真が珍しい時代の被写体になった人々は盛装して撮影にのぞんだことでしょう。
以上を踏まえると、庶民の旗袍はもっと質素なものだったと推測が出来ます。

上図を見る限りでは現在私たちが想像するようなチャイナドレスとはイメージが異なる感じがいたしますが、実は現在にも通じる下図(李香蘭)のようなチャイナドレスは1920年代に世界的に巻き起こったモダニズム旋風によって、道徳的な部分で肌の露出をすることが許される風潮になったことで可能になった型であります。
日本のモガは洋服を着用することでモダニズムを体現した訳ですが、中国モガは従来の普段着の型を変えて独自のモダニズム時代を築いていきました。

「李香蘭」の画像検索結果

従って1920年代以降に生まれた、肌の露出のあるチャイナドレスは中国文物局の海外持ち出し基準からは外れるということになりますが、法令の改訂が行われれば、これらの型のチャイナドレスも今後は持出禁止になる可能性が大いにある訳ですね。

また文物局の海外持ち出し禁止項目には「服」ばかりではなく、帽子、靴、装飾品なども挙げられておりますので、中国独特の習慣であった纏足靴などもその対象になると思われます。

…というわけで、本日は9類の輿・服について取り上げさせていただきました!

こばちゃん


人気ブログランキングへ

「中華人民共和国文物保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」に基づく「海外持ち出し禁止の骨董品」について…第二弾!!


人気ブログランキングへ

先日より書かせていただいております、「中国文物局」における「輸出禁止骨董品」についてですが、第二弾の今回は「演劇・演芸用品」
について執筆させていただきたいと思います!

国営の文化財保護機関である「中国文物局」では、「中華人民共和国文物保護法」のもと海外輸出する骨董品の鑑定を行い、規定外の骨
董品のみが国外持ち出し可能品となる…ということは以前のブログで紹介させていただきました!
鑑定の対象となる骨董は大きく16種類に分類されており、そこから更に細かく分類されて、それぞれの規約のもとに鑑定が行われる、とい
う流れになっております。
中国の骨董品といえば書画、陶磁器などを思い浮かべますが、「意外だな」と思われるものも含まれており、特に「レコード」の記載が
あったのには驚いてしまいました。(下図・在中国日本大使館HPより)

13演劇・演芸用品
  衣装、影絵、木偶及び各種演劇・演芸と関係のある道具を含む 1911年以前のものは持出禁止
レコード 1949年以前のものは持出禁止

 

まず中国の演劇・演芸といえば、やはり「京劇」が第一に挙げられることと思います。
京劇とは、1800年代に誕生したとされる歴史の浅い中国の伝統的な古典演劇のひとつで、きらびやかな女形の衣装や舞台化粧が印象的
ですね!
その京劇の代表的人物といえば、映画「花の生涯」のモデルとなった梅蘭芳(メイ・ランファン 1894-1961)を思い浮かべる方が
多いことと思います。
梅蘭芳は1924年(大正13)に日本にも来日しており、前年の関東大震災で被害を受けた人々のために慈善興行(現在のチャリティー)
を行ったことで、多くの日本人にも親しまれました。

来日した際の梅蘭芳。写真左(写真 Wikipediaより)

大正時代から各国芸術家を招聘することが一つの流行ーなっていたらしく、舞踊のパブロアやヴァイオリニストのブルメスタ
などが来日し、当時の日本人たちを熱狂させ、演劇や音楽関係の来日芸術家たちの多くが日本でのレコード録音を残しており、
梅蘭芳も日本蓄音器商会(現・日本コロムビア)でレコードが発売されました。

実は1949年以前に発売された中国のレコードは、意外にも日本に沢山残されているのですが、その理由としては戦前に中国在
住だった職業軍人の方が、戦況が悪化する以前に日本に引き上げた荷物のなかに入っていた、また一般人の海外旅行が夢の
また夢だった時代に唯一身近だったといえる上海や満州旅行のお土産として持ちこんだもの、そして「中華人民共和国文物
保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」が施行される前に日本国内に持ち込まれたものが殆どと言えるのではないでし
ょうか。

また中国および満洲、日本でも絶大な人気を誇ったレコード歌手といえば李香蘭(1920-2014)を忘れることができません。
日本人にも関わらず満州人と偽って活動し、その数奇な生涯はミュージカルやテレビドラマなどでも取り上げられ、後年まで
TVタレントや国会議員として活躍されているので、ご存知の方も多いかと思います。


一世を風靡した映画「支那の夜」の新聞広告(Wikipediaより)

李香蘭は日本ではコロムビアレコードの専属として多くのレコードを録音し、「蘇州の夜」「紅い睡蓮」などのヒットを
飛ばしておりますが、中国でも上海パテ(百代)や百樂(パイルー)などのレーベルで録音を行い、代表曲である
「夜来香」「売糖歌」などが1930年代後半から1944年にかけて発売されております。


1930~40年代、中国の代表的な歌手たち。左から姚莉、周璇、李香蘭、白光、鶯音。
(写真 Wikipediaより)

当然のことながら、当時の中国にも多くの歌手がおられますが、そのなかでも名曲「何日君再来」を歌った周璇(1918-1957)
や、日本でも多くのレコードを録音した中国の歌う映画女優・白光(1921-1999)は、当時の時局を反映した印象的な一曲である
「日満支親善歌 興亜三人娘」を奥山彩子、李香蘭と共に録音しています。

1940年頃は日本でも「中国歌謡」ブームだったことから、この当時に新譜として持ち込まれた本国・中国のレコードがたくさん
あったとも推測ができますね!
※ちなみに中国でしか発売されていない日本人歌手のレコードもあるそうですが、日本人に関するものは第二次世界大戦後に
廃棄されたということを耳にしたことがあります

中国文物局(在中国日本大使館)の記載によれば「1949年以前のものが持ち出し禁止」なので、梅蘭芳の古い録音や李香蘭、
周璇、白光などの現地発売のレコードは、例え現地の古物商で発見し買い求めても、日本に持ち帰ることはできないという
ことになりますね。

…中国で施行されている「中華人民共和国文物保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」に基いた「文化財海外持ち出し
審査基準」について、くまねこ堂流にランダムで掘り下げております!!
また引き続き次回も、興味深い項目をピックアップしてご紹介して参りたいと思います!

こばちゃん


人気ブログランキングへ

サントリー/寿屋 「洋酒天国」創刊号~50巻までをお譲りいただきました


人気ブログランキング

DSC04480

 

サントリーもとい旧名「寿屋」が1956年から7年間発行した広報誌「洋酒天国」をお譲りいただきました。

企業が社外読者を対象に発行する広報誌はメディアとして優れた特性を持ち ながら,現在,企業コミュニケーションの多様化,インターネット・e メールの普及などの情報社会化などを背景に廃刊されるケースが少なくないなかで、ここまで長続き、かつ発行部数を稼いだ広報誌もなかなかないんじゃないでしょうか。

広報誌、といっても洋酒天国はどちらかと言えばプレイ雑誌に近く、企業PRはせず骨董品や香水の話、女の話なんかを織り交ぜた広報誌だったそうです。
1949年から酒の自由販売がはじまったなかで、その7年後にこういった広報誌をだすということは要するに「ウイスキー」という洋酒が一般に普及し始め、バーに行っては気取りながらお酒をたしなむ人が多かったんじゃないでしょうか。

今でさえ女の人がメインの居酒屋などが増えましたが
やはりバーに行くと、あのくらい照明や、流れる音楽がどことなくスノビッシュな雰囲気をだしていて
たぶんどの時代にもお酒を挟む社交の場というのは少し鼻につくあの感じがまた良い!って感じなんでしょうねw
くまねこ堂ではお酒(古酒)の買い取りも行っております!

ヨシダ

 


人気ブログランキング

「中国文物局の蝋印入り骨董品」と「中華人民共和国文物保護法」「中華人民共和国文物保護法実施条例」について~第一弾!


人気ブログランキングへ
秋も深まり、朝夕は涼しい季節になってきましたね!
急須 蝋印

 

以前ご紹介させていただきました「中国文物局の蝋印入り骨董品」についての記事ですが、
思いのほかのご反響をいただいておりまして、誠にありがとうございます!
※我々が日ごろよく口にする「骨董」という言葉、中国では「文物」と表記されます。

中国では骨董品の国外輸出についての規定がもうけられていること等を書かせていただきましたが、
改めまして…まず、いつから持ち出し制限がかかったのかと申しますと(当ブログ9月4日、掲載より)

『そもそも1960年に施行された「文化財輸出鑑定参考基準」から輸出制限が開始さ れ、現在では旧
法令は廃止されておりますが、2007年に公布された「中華人民共 和国文物保護法」「中華人民共和
国文物保護法実施条例」に基づいて制定された 「文化財の海外持ち出し審査基準」によって、中国の
骨董品は現在も国家から守られております。』

1960年に施行された「文化財輸出鑑定参考基準」では、1795年(清代乾隆帝)以前の骨董品・美術品
などが対象になっていたそうですが、2007年に公布された「中華人民共 和国文物保護法」「中華人民
共和国文物保護法実施条例」に基づいて制定された 「文化財の海外持ち出し審査基準」では、急激に
時代が下って、分類によって「一律持ち出し禁止」のものから「1911年以前のものは持出禁止」「19
49年以前のものは持出禁止」「1966年以前のものは持出禁止」などと年代が細かく選別されたうえ、
規準がかなり厳しくなってしまいました。

それから、どのように鑑定が行われるかといいますと、まず中国文物局に集められた骨董品は、
文物局内に設置されている文物鑑定セン ターの専門家によって鑑定がなされ、規定から外れた骨董品
のみが「文物局鑑定証明書」「文物局公認の鑑定印」(蝋印)を押印されて、市場に流出する、という
流れになっております。

もちろん、海外への貴重な骨董品の流出防止策を立てているのは中国ばかりではありません!!
実は日本にも「文化財保護法及び関係法令」が設けられており、これは国内での文化財保護のためのみ
ならず、重要文化財クラスの骨董および美術品の海外流出を防ぐためにも重要な役割を果たしており、
文化庁ホームページでは、

『円滑な通関検査に資するとともに,貴重な国民の財産である文化財が誤って海外に流出することを防
ぐため,古美術品を海外に輸出しようとする際には,当該輸出品目が国宝・重要文化財に指定されてお
らず,重要美術品等認定物件にも該当しないことの証明を,税関に対し提出する取扱いとなっております』

と『古美術品輸出鑑査証明書』の発行を推奨しております。

これらを踏まえて…
本日から複数回に分けまして在中国日本大使館のHP内にある
【「文化財海外持ち出し審査基準」に関する通知(仮訳)】をもとにして、くまねこ堂流に記事を
掘り下げていきたいと思います。

まず第一回目は中国文物「書画」について書き進めていきたいと思います!
書画については以下のように分類がなされ、規定が定められております(在中国日本大使館HPより)

3絵画、書法
3.1中国画及び書法   1911年以前のものは持出禁止
1911年より後のものは人名表を参照して執行
 
肖像、映像、画像、風俗画、戦功図、紀事図、行楽図等 1949年以前のものは持出禁止
本人またはその親族に属する肖像、映像、画像等はこの限りではない
 
3.2油絵、水彩画、ガッシュ デッサン(スケッチを含む)、マンガ、版画の原作と原版等を含む 1949年以前のものは持出禁止
1949年以前のものは人名表を参照して執行
 
重大な歴史的、芸術的価値を有し、広範な社会的影響を伴うもの 一律持出禁止  
3.3壁画 宮殿、廟宇、石窟、古墳中の壁画等 1949年以前のものは持出禁止  
近現代の著名な壁画の原稿、設計案及び設計図 一律持出禁止

書画以外にも多くの文物鑑定の規定が「1911年」と「1949年」に置かれているのですが、1911年は辛亥
革命によって中華民国が建国した年、1949年中国大革命によって中華人民共和国が建国した年というこ
とに由来していると推測ができます。

文物局には鑑定の際に基本となる人名表が存在するそうですが、残念ながらHPなどでは公表はされて
おりません。
100年前に既に「四億の民がいる」と歌にまで唄われているだけあって、なにしろ中国の代表的書家の
多さときたら大変なものなので、清から中華人民共和国の時代に活躍したほんの一部、それも独断と
偏見、順不同での名前のご紹介となりますこと、ご了承くださいませ。

金農(1687-1763)、何紹基(1799-1873)、呉昌碩(1844-1927)、康有為(1858-1927)
于右任(1879-1964)、王雪濤(1903-1982)、賀天健(1891-1977)、黄君壁(1899-1991)
魏紫煕(1915-2002)、啓功(1912-2005)、黄冑(1925-1997)、黄賓虹(1865-1955)
呉湖帆(1894-1968)、劉海粟(1896―1994)、謝稚柳(1910-1997)、李苦禅(1899-1983)

などなど。。。
いずれも人気の高い書家、画家になりますが、王雪濤は中国美術家協会の理事長、黄冑は同協会の
常務理事をされた方で、また政治家の傍ら書家として名を成した方には于右任、康有為のほか、
毛沢東も中国の代表的な書家として数えられております。
これらの方々が文物局の鑑定人名表のなかに登録されていると推測ができますが、恐らくこちらも
人物によって「一律持出禁止」「物によって」などの規定が定められていることと思われます。
いずれにせよ骨董の世界は奥深いですね~

また後日、中国文物について第二弾を掲載させていただきたいと思います!!!

こばちゃん

人気ブログランキングへ

戦前の紙モノ資料のご紹介です。【東京朝日新聞/東朝 歴史資料】


人気ブログランキング

ありがとうございました(*^-^*)!

本日も、お譲りいただいた戦前の紙モノ資料をご紹介させていただきます!

こちらは「東京朝日新聞」の郵便はがき。左は「新聞のできるまで(Ⅲ)」、右は「東朝社管轄の重なる通信販売網図」と題されています。

朝日はがき

『東京朝日新聞(東朝)』は、いまの『朝日新聞』の東地区における旧題で、1940年に西地区の『大阪朝日新聞』と統合され、現在の名前に改題されました。

朝日新聞といえば、2014年に慰安婦強制連行に関する記事の一部を捏造と認め、謝罪・訂正したことが大きな話題となりました。深刻な国際問題に発展してしまった事案であるだけに、検証不十分な記事が掲載され、長らく訂正されずに放置されたことは残念でなりません。
(参考「記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

こちらの絵葉書裏面には、以下のような文言が印字されていました。

朝日はがき

「新聞は権利に動かされず、黄金に惑わされぬものを以つて第一とします」(「東朝社管轄の重なる通信販売網図」裏面より)

朝日はがき

「広告には読者層の最も堅実な朝日新聞を利用しませう」(「新聞の出来るまで(三)」)

朝日新聞は、自らが誇る「最も健実な」(ママ)読者層が離れないように努めてほしいと願います。

メディアが多様化した今日においても、いまだ新聞の影響力は絶大です。
いずれの新聞社も、私たち一般市民が社会を正しく知ることができるよう、誠実な報道姿勢を貫いてほしいと思います。

貴重な歴史資料をお譲りいただきありがとうございました!

 

Byクラニャン


人気ブログランキング

さいたま市大宮区にて、土門拳・写真集、ミュシャの複製ポスター、銅製の薬缶、CD、象牙の彫像をお譲りいただきました。


人気ブログランキング
★★
お譲りいただきましてありがとうございます!

これまで続けて戦前の英語教材をご紹介してきましたが、『村井・メドレー ザ・ニュー・アート 英作文詳解』が発行された翌年1937年には盧溝橋事件が起き、日中戦争が勃発します。
その後中国に肩入れしたイギリスやアメリカとも対立が深まり、1940年(昭和15年)に入ると英語は「敵性語」として排斥されるようになりました。野球のストライクが「よし、一本」、サイダーが「噴出水」、パーマが「電髪」などと言い換えられたこともよく知られていますね。
Wikipédiaで紹介されている『写真週報』には「看板から米英色を抹殺しよう」と書かれており、この時期にはとても英語学習どころではなかったと思います。

敵性語

Wikipédiaより
「看板から米英色を抹殺しよう」 昭和18年2月3日付『写真週報』第257号

 

この度お譲りいただいた語学教材も、当時見つかってしまえば持ち主の方は「非国民」のレッテルを貼られ、大変なことになったのではないでしょうか。そんな時代をくぐりぬけ、今に伝わった貴重な資料。
くまねこ堂にお譲りいただきありがとうございました:hoshi1::hoshi1:
大切に取り扱わせていただきます!

 

By クラニャン

人気ブログランキング

★東京都杉並区★松庵にて歴史書、図鑑、掛け軸、腕時計(オメガ等)、お酒(ジャックダニエル等のウイスキー類)、アクセサリー、銀杯、ワイングラス(カガミクリスタル)、江戸切子、ミニカー、キャンディキャンディ・水森亜土・サンリオ等のキャラクターグッズ、古本、古道具をお譲りいただきました!


人気ブログランキング
★★
ご用命くださいましてありがとうございます(*’ω’*)!

本日も戦前の絵葉書をご紹介致します♪
こちらも先日ご紹介した雑誌『少年倶樂部』付録の絵葉書です:hoshi1:

飯塚羚兒

今回お譲りいただいた絵葉書を裏面の印字によって分類すると、飯塚羚兒、伊藤幾久造、村上松次郎、松添健、鈴木御水、田代光という6名の作家が描いたものに分けることができました。

お写真を載せた9枚はすべて、そのうちもっとも枚数の多かった作家、飯塚羚兒(1904-2004)氏によるものです。
「伊豆新聞」(平成28年5月8日発行)の記事によると、飯塚氏は戦前より挿絵画家として活躍したのち、1955年に51歳で海洋画家に転身、以降は木版画なども精力的に手がけたそう。同氏の作品は神奈川県大和市の画廊「花の画房」の運営する「飯塚羚児資料室」で扱われたのち、昨2016年、主要作品の大半が国立昭和館(東京・九段)と玉泉寺(伊豆・下田)へ寄贈されています。(参考 http://www.geocities.jp/kamosuzu/iidukareijiten.html

1972年のこちらの木版画では、もはや軍艦ではなく帆船をモチーフにしていますね。

飯塚

「海王丸と日本丸」のうち、海王丸?
沖縄国際海洋博出品、1972年

 

飯塚氏は戦中、海軍省の職を辞して灯台職員の慰問や物資の調達・配給を行い、晩年には海事・海軍関係の慰霊活動も行っていたそうですが、同氏の戦争観や平和に対する想いはどのようなものだったのでしょうか。
今後も引き続き、海軍を描いた少年雑誌の付録をご紹介したいと思います!

 

By クラニャン


人気ブログランキング

くまねこ堂 出張買取対応エリア

関東を中心に承っております。
詳しくは対応エリアをご確認ください。

PAGE TOP