買取事例
陸軍将校のご礼装:東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古写真を沢山お譲り頂きました。5
東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。4
ここにご紹介する以外にも軍人さんの写真がたくさん保管されていました。
こちらは、陸軍将校の正装/礼装でしょうか。
襟元にはやはり25と入り、歩兵第二十五連隊であることがわかります。
こちらには、旅順二〇三高地の写真店の印が押されていました。
奥に見えるのは旅順白玉塔※でしょうか。
(※日本海軍大将東郷平八郎と陸軍大将乃木希典の提案で造った表忠塔。1907年6月着工、1909年11月完成)
歩兵第二十五連隊は明治37年(1904年)に第7師団の歩兵第13旅団 として旅順攻囲戦に参加したようですが、1909年完成の旅順白玉塔 が背景に写っているということは、後年訪れた際の記念写真かもしれません。
つづく
byキョーコ
歩兵第二十五連隊 第九中隊:東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古写真を多数お譲り頂きました。4
東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。4
本日ご紹介するのは、歩兵第二十五連隊 第九中隊の写真帖他です。
まずはこちら。写真帖といっしょにあった大判の記念写真です。
襟元には25と入っています。
そしてこちらが歩兵第二十五連隊の写真帖です。
表紙をめくると書「信義 凌雪」
次のページには軍人の心得、末尾には明治44年初秋とあります。
歩兵第二十五連隊正門と連隊長稲村大佐
見習士官、少尉、中尉、大尉
准士官下士や第一~第八内務班の写真が続きます。
こちらはいっしょに保管されていた写真です。
裏面に「北樺太亜港 犬橇(いぬぞり)ノ集団トギリヤーク人」と覚書きがありました。
(ギリヤーク人=ニヴフは、樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住む少数民族)
歩兵第二十五連隊は大日本帝国陸軍の連隊のひとつで、札幌、樺太の真岡町を所在地にし、日露戦争、満州事変、ノモンハン事件に関わっています。
つづく。
byキョーコ
職業学校の授業風景:東京都練馬区で、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真を多数お譲り頂きました。3
東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。3
今回は明治42年頃、札幌区立女子職業学校の授業風景他になります。
前回、雛壇といっしょに写っていた女の子が成長し、進学したのでしょうか!?
皆撮影のためにポーズをとっているのですね。
生徒さんたちの手元が気になります。
すり鉢や蒸籠、それから左下に写っているのは七輪のオーブンでしょうか。
こちらはテニスの合間?明治期に?
よく見ると後方は背景画、手前の草木は設置したもののように思われます。
こちらは愛犬と一緒です。
いずれの写真もお嬢様感満載。髪の結方などは当時の流行なのでしょうか。興味深いです。
次回は一冊のアルバムをご紹介いたします。
陸軍関係、学校での軍事訓練の様子など が写っています。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
桃の節句:東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族より戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。2
東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。2
前回は端午の節句の珍しいお飾りのご紹介でしたが、今回は桃の節句、雛飾りの写真をお見せいたします。
女雛のかぶっているのは華やかな天冠です。
下の段には大きな鯛のお菓子でしょうか。瓢箪型の酒器に白酒も入っています。おいしそう。。。
お飾りはこちらも立派ですが、写真は端午の節句の半分ほどの大きさでした。
やはり男の子が大事にされていたのだと感じます。
次回も当時の珍しい写真をご紹介いたします。どうぞお楽しみに!
byキョーコ
端午の節句:東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました
東京都練馬区にて、元陸軍少将のご家族から戦前の古い写真をたくさんお譲り頂きました。
本日は端午の節句の記念写真をご紹介させて頂きます。
雛壇のようになっていますね!
主役はこの男の子です。
大きなお餅とその後ろには竹のこなどの形をした干菓子が置かれているようです。
水槽も置いてあります。もしかして子亀でも入っているのでしょうか? その後ろの段にはちまきがたくさん盛られています。
ミニチュアの鎧兜!
ミニチュアの旗も威勢よく!
よく見ると、金太郎は何か釣り上げているようです。うふふ
こんな立派なお飾りは初めて見ました。立派なおうちだったのでしょうね。
次回は別の写真をご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都内にて、銀製品のヨット/帆船置物をお譲り頂きました
東京都内にて、銀製品のヨット置物をお譲り頂きました。
STERLING 980(スターリング) SEKI(関工芸)の刻印が入っています。
このような銀製品の飾り、置物では帆船や七福神ものが時折入荷します。
「おうちにあるけれど、飾る予定がないわ!」「物置の整理をしていたら出てきたわ!」ということがありましたら、ぜひくまねこ堂までお問い合わせくださいませ。
(銀製品ではSILVER(シルバー) 925などと刻印されていることもあります。 )
ご連絡お待ちしております。
byキョーコ
東京都内にて、満州国総理 鄭孝胥(てい こうしょ)の書掛軸をお譲り頂きました
東京都内にて、清末官僚/満州国総理・書家の鄭孝胥(てい こうしょ)の書掛軸をお譲り頂きました。
大変貴重な作品です!
箱書きがあります。
鄭 孝胥(てい こうしょ/ 1860-1932 )
1860年 江蘇省蘇州府生まれ
清朝において大阪総領事・総理衙門章京・京漢鉄道南段総弁・広東按察使・湖南布政使等を歴任。
上海商務印書館(官営の出版機構)の支配人
上海儲蓄銀行重役
上海で復辟派の西本省三(西本白川)らとともに春申社をつくる
1924年 総理内務府大臣に就任
1924年11月 紫禁城を退去。溥儀に従って日本軍の庇護下に入る
1932年3月 満州国建国に伴い、初代国務院総理(総理大臣に相当)に就任
1932年7月 文教部総長(文部大臣に相当)を兼務
1934年3月 満州国の帝政移行に伴い、国務総理大臣(総理大臣に相当)に就任。文教部大臣(文部大臣に相当)を兼務
1935年5月 国務総理大臣・文教部大臣を辞任
1938年3月 逝去
1938年4月 満州国国葬
(Wiki参照)
鄭孝胥は溥儀の忠臣として尽くし、 満州国初代の国務院総理として溥儀を支えたそうですが、
関東軍を批判したことから辞任に追い込まれ、憲兵の厳しい監視下に置かれて不遇な晩年を過ごしたそうです。。。
今回ご紹介のような貴重なお品は、取扱いや撮影も特に慎重になります!
しばらく鑑賞していたいのは山々ですが、
商品に何かあると困るので、撮影したらすぐ箱に戻して保管倉庫行きです。
さようなら~
byキョーコ
東京都内にて、年代物の赤珊瑚の簪とお数珠をお譲り頂きました
東京都内にて、年代物の赤珊瑚の簪とお数珠をお譲り頂きました。
赤珊瑚の優しい色味が黒髪に映えます。
お数珠は水晶や天然石など様々ありますが、落ち着いた色の赤珊瑚もなかなかシックですね。
日本ではその昔、イタリア産の地中海珊瑚がシルクロードから渡り、大変珍重されていたそうですが、乱獲により希少となっていた矢先、土佐沖でも珊瑚が採れる事がわかり、今度は日本産の赤珊瑚がイタリアへたくさん売られていったのだそうです。
今も日本の赤珊瑚は中国の方々に大変な人気がありますね。
いつの世も人気者の赤珊瑚なのでした。
byキョーコ
東京都内にて、古い本象牙の吸口をお譲り頂きました。~2~
東京都内にて、古い本象牙の吸口をお譲り頂きました。~2~
前回よりも小振りになります。長さは約13.5センチ、重さは25g。
中国の水墨画のような絵柄です。
直径は1.4cmほど。
一体どんな道具で削っているのかと思うくらいの細い線です。
在銘で胡とあります。
次回は赤珊瑚の数珠や簪などをご紹介させていただきます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都内にて、雲龍浮彫の古い本象牙吸口をお譲り頂きました
東京都内にて、雲龍浮彫の古い本象牙吸口をお譲り頂きました。
太い部分で直径約2.8cm、 重さは92g。 手に取るとズシっときます。
龍は2頭彫られていますね。
龍の鱗がもりもり彫ってあります。
在銘(青同)でした。
喫煙具でいつも感心するのは、総柄の場合、どんなに細い筒であっても、絵柄がぐるりと一周してつじつまがしっかり合っていることです。
今回の絵柄も観察してみましたが、やはり柄の継ぎ目がどこかわからず、見ている私がこんがらがってしまって、龍に「ふんっ」と笑われている気がしてきました。。。
次回も本象牙の吸口をご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ