買取事例
彫細工2:東京都内で、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 4
東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面(扇子)を多数お譲り頂きました 4
本日も 湘妃竹(斑竹) と親骨に彫細工のある物を1本ずつご紹介いたします。
次回もどうぞお楽しみに!
byキョーコ
彫細工:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 3
東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面(扇子)を多数お譲り頂きました 3
いずれも竹で、湘妃竹(斑竹)と親骨に彫細工のあるものになります。
覚書には前回までと同様に昭和53年頃購入、1930年頃活躍の作家(陳曽寿・陳文浩)とあります。
まだまだ続きます!
byキョーコ
牡丹と馬:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 2
東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面(扇子)を多数お譲り頂きました 2
昨日に引き続き、本日のご紹介はこちらの2本です。
華やかな牡丹が肉筆で描かれています。
覚書には昭和53年10月27日とあります。購入した日付のようです。
1930年前後に活躍の作家さんとあります。
親骨の細工も目を引きます。
↓ 細工部分アップ 馬がたくさんいます!
↓ こちらは文字がきれに彫られています。
細密に彫られる場合には湘妃竹(斑竹)のように模様の入った竹は向きませんね。
つづく。
byキョーコ
象牙と鼈甲:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 1
東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました。 1
たくさんあって目移りしてしまうのですが、少しずつご紹介させていただきます。
購入された時の値札シールが貼られたままです。
購入時の覚書がついているものもあり、扇は1920~30年頃のもの、購入したのは昭和50年はじめ頃のようです。
昭和50年当時の中国美術は今よりかなりお買い得でしたから良いお買い物でしたねえ!
↓ 長さ30.5cmと31.3cm です。
湘妃竹(斑竹)は独特な斑模様が入っています。(大きなシミの様に見える方)
本日くまきちさんに教わりました!
中国ではこの竹の模様/柄を湘妃竹、梅鹿竹、鳳眼竹などと呼ぶようです。
↓ こちら、要の部分には象牙と鼈甲が使われていました。
次回は親骨に彫の入った物などをご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都内にて、古く素朴な十三佛様の掛軸をお譲り頂きました
東京都内にて、古く素朴な十三佛様の掛軸をお譲り頂きました。
「これ、変わってるよねえ」とくまきちさんが見せてくださったものです。
達筆とは違う素朴な味わいにあふれています。
十三佛の掛軸は、江戸時代より法要をはじめとする仏事に飾られてきたものだそうです。
顔の表情や手足の表現など全体的に画力は見られませんが、独特な形の捉え方があるように思われます。
絵として見たら立派な個性ですね。
素峯謹寫とあるのでしょうか。
とても簡単な表装でかなりイタミがありました。
ちょっと楽しい仏画鑑賞でした。
byキョーコ
番外編 買い取り品の中に、、、
先日、買い取り本のチェックをしていた同僚のコロスケさん(♀)が、
「こんなものが本に挟まっていました!」
と見せてくれました。
あら、猫たちのスナップ写真が。。。猫好きな方がお読みだったのですね。うふ。
本は「ペリー日本遠征随行記」新異国叢書/雄松堂書店でした。
裏にはちゃんと名前が記入してありました。 日付は1996~1997年で4枚。
老猫マイケル 小林まことの『ホワッツマイケル』あたりから名付けられたのでしょうか。
まいまい ちょっぴりおデブさんですか?
野良猫メカ子?変わった名前ですねえ、どんな名付けのいきさつがあったのかわかりませんがかわいいです。うふふ。
ひと月ほど前、同じくコロスケさんが本のチェック中、 突然 「ゥオーー!!」と叫びました。
古い本にはいろいろなものが挟まっているものですから。。。えぇ。
女性でも急にびっくりした時には、あまり「キャー」とは言わないのかもしれません。
私も怖い夢の中では何度も叫んだことがありますが、「ゥオーー!」でした。
買い取り本の中には、古い葉書、手紙、写真、レシート・領収書、押し花、展覧会の半券、プリクラなどが挟まっていることがあります。
たくさんの本をチェックする中でこういったものを見つけると、ほんの束の間、どんな方がお持ちだったのかな、 何時ごろ読まれたのかな、 と思いを馳せます。
byキョーコ
東京都杉並区にて、京都京極さくら井屋 大正モダンな木版刷りご祝儀袋をお譲り頂きました。
東京都杉並区にて、京都京極さくら井屋の木版刷りご祝儀袋をお譲り頂きました。2
本日ご紹介するのは大正モダン的なデザインのものです。
大胆な構図、色鮮やかな赤
トランプ柄 ハートのエースが多いですね。
シルエットもの
草花のモチーフ
こちらはDOSHISHAとあります。同志社大学ですね。 こんなご祝儀袋もあったとは!!
上はペナントのようなデザイン、下は校歌です。楽譜を彫るのは大変だったと思います。
画像では伝わりづらいかもしれませんが、一部に金や銀のインクが使用されているものも多く、キラリとよく効いています。
小さな封筒だというのに、ひとつひとつデザインが凝っていて見飽きません。
レトロな年代物として使用するもよし、額装して飾るもよし。
印刷では出せない木版手摺りの魅力が満載なお品でした。
byキョーコ
東京都杉並区にて、京都京極さくら井屋 舞子の木版刷りご祝儀袋をお譲り頂きました。
東京都杉並区にて、京都京極さくら井屋の木版刷りご祝儀袋をお譲り頂きました。1
この木版刷り、たまらなくキレイです!!ムラムラムラ
他のお店のものも若干混じっていました。
このさくら井屋さん、 天保年間から創業されていたそうですが、 2年程前に閉店されていました。
木版摺り職人さんの不足により商品の製作・維持が困難となり、ひとまず閉店ということのようです。
いつか再開していただきたいものです。
このご祝儀袋、絵柄様々たくさんお譲り頂いたので、次回は大正モダン的な雰囲気のものをご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都杉並区にて、伊藤忠財閥の2代目当主伊藤忠兵衛直筆の御扇子をお譲り頂きました
東京都杉並区にて、伊藤忠財閥の2代目当主、伊藤忠兵衛直筆の御扇子をお譲り頂きました。
くまきちさん曰く、伊藤忠とかかわりのある方からの買い取りであったのだそうです。
左が伊藤忠兵衛直筆の御扇子です。
いつごろ書かれたものかわかりませんが、 二代目伊藤忠兵衛は明治19年の生まれ、昭和48年にお亡くなりになっているので、相応に古い物ですね。
芦乃芽や 志賀に(は) ささなみ/さくなみ・・・・・
ムムー、勉強不足の私には所々しか読めません。
(所々も間違っていたらゴメンナサイ)
二代目は初代伊藤忠兵衛が呉服店として創業した店を受け継いで経営を拡大し、商社の礎を築いた事業家です。
伊藤忠商事株式会社のwebサイトには 二代目についてこんな記述がありました。
大正9年の金融恐慌による経営危機の際は、「屈すべきときに屈しなければ、伸びるときに伸びられない」という哲学のもと、大胆な事業縮小と経営改革を断行し、未曾有の難局を乗りきりました。このとき彼が新たに組織した経営陣は、忠兵衛以下平均年齢35歳という若さ。まるで現代のベンチャー企業の経営体制をみるようです。
この御扇子、覚書が巻かれていて、「お母さま 忠兵衛さま 御直筆」と書かれていました。
こちら、お母さまが書かれたとある御扇子。
一見、何かしら?と思いますが、覚書にはこうあります。
「お母さまより 腹をたてるな ○○の宝もの 大切に」
とあります。
腹を立てるな!だから、「腹」の字が横になっていたのですね!
扇子を横にすると
これは素敵!
この御扇子を贈ってくださったお母さま、粋です。
私もこの御扇子を記憶に留めて、「腹をたてない」を心掛けたいと思います。
byキョーコ
東京都内にて、大正~昭和期のチラシをお譲り頂きました
連続でお送りしていました大正から昭和にかけての新聞記事スクラップ帖。
ご紹介は本日が最後になります。
読むのが辛くなるような戦況を伝える記事がびっしり貼られたスクラップ帖とは別に、こんなチラシもいっしょになっていました。
東京日日新聞
東日機ニツポン 世界一周大飛行
「懸賞募集」 ニツポンは何時間で太平洋を横断するか 締切八月二十日
・・・盟胞ドイツ、イタリーは勿論のこと、世界の各國からも壮挙を祝して激励歓迎の言葉や着陸の希望が申込まれてゐる。
・・・ニツポンこそは世紀の「人気もの」でまことに感激に堪えぬ次第である~
かなり高揚した表現ですね!
日独伊三国同盟後のようですので、昭和15年以降の記事のようです。
裏面には、「世界一周大飛行の歌」が。(橋本國彦作曲)
一 國をうづめた 日の丸の 歓呼の中に 羽搏いて
わがニツポンは まつしぐら 六萬キロの 空を飛ぶ
二 廣い海原 雲の峯 越えつつめぐる 五大洲
わがニツポンは たくましい つばさで 強く抱くのだ
三 すさぶ吹雪と熱風の 太洋ふたつ 飛び越えて
わがニツポンの 行くかなた 大空晴れて 虹を呼ぶ
四 遠く故國を 幾千里 異郷に暮らす 同胞も
わがニツポンを 仰ぎ見て 「君が代」たかく 歌ふのだ
五 銀の翼に 陽をうけて 世界を結ぶ この使命
わがニツポンは 高らかに かちどきあげて 帰へるのだ
楽譜の始まりには『勇マシク』と入っています。
メロディーを追ってみましたら、曲調はやはり軍歌ものでした。
こちらはガラリと変わって「割烹旅館 池袋草津」の広告郵便です。
池袋の草津をご存知ですか 外國美人と温泉の御歓待?
「汽車もいらない池袋草津 医者も学者も来る銘湯」呵々
山手線池袋駅下車北へ三丁 人力車賃五十銭
三丁は約327m、ほぉー、人力車が走っていた頃なのですねえ、
このチラシはいつ頃のものか不明です。
池袋は今は繁華街ですが、戦前は田んぼが広がるようなのんびりした所だったそうです。
それにしても、こんな広告郵便がよく残っていたものだと感心します。
くまねこ堂には幅広く様々なお品がたくさん入ってくるのですが、
見慣れるというよりは毎度毎度感心して見入ってしまいます。
次回はガラリと変わって小粋な御扇子をご紹介いたします。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ