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東京都内にて、昭和6年の新聞記事の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました

  
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連続でお送りしている戦前のスクラップ記事、本日は昭和6年の新聞切り抜きをご紹介いたします。

昭和6年と言えば、満州事変が起きた年です。

 

(以下、誤字脱字があった場合はご容赦くださいませ) 

まず目を引かれたのは、

「満州事変は子供の心理にどんな反映を与えたか」

親として教育家として敵愾心より正義心を導け

 

大人が戦争を恐るべき事だとすると、子供も、戦争は恐ろしいものだと思ふし、大人が戦争を勇ましいものだとすると、子供も戦争を勇ましいものだとするやうになる~

教育家の方面からいへば、敵愾心よりも正義心、敵を憎むといふよりも自分の國の意識、さういふものを、この際正しく導き、発展させて行きたいものと思ひます~

 

満蒙対策座談会 

 

出席者 

来賓側:伯爵、男爵、子爵、元内務大臣、政友会総務、貴族院議員、日清汽船社長、鮮銀総裁、満鉄東京支社長、陸軍少将、三井合名常務理事他

本社側(新聞社):社賓、副社長、本社顧問、副主幹、政治部長他

 

兵匪討伐の皇軍

戦線急速度に進展 

 

晴れの門出

家族に激励され わが勇士出発 

 

軍装検査中誤って中隊長を射殺す 

戦場でなら、、、と悲しむ母堂

 

錦州軍の挑戦 自衛上断乎膺懲

 

 

田庄台市街戦

 

山海関守備隊の武装検査と大隊教練

 

北寧線上の激戦 白旗堡で火蓋切らる 

戦史にもない新戦術

 

当時のメディアがどのように戦況を伝えていたのかわかりますね。

このスクラップ帖は女性が作成したもののようなので、もしかしたらご子息が出兵されて、熱心に記事を集めておられたのかもしれない、と想像しました。。。

byキョーコ

 

 


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「迷信の犠牲 丙午娘」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました


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連続でお送りしている大正・昭和頃の新聞記事スクラップ帖、

本日は「迷信の犠牲 丙午娘」シリーズ連載です。

 

 

 

丙午の娘を持ち悩み貫く親が日本国中百万人もいると社会問題に。

迷信打破の実例としてシリーズ連載されたとのことです。

 

では早速見て参りましょう。

  (以下、誤字脱字があった場合は何卒ご容赦くださいませ)

 

今年で二十五の娘盛り 全國で五十萬人 

幸福な実例はこんなにある 易者も笑ふ迷信

丙午の女は亭主を殺すと昔から言ひ伝へられ忌み嫌はれてきた~

ここの年に生れたばつかりに廿五の今日迄嫁入口は無い者

許婚の者が丙午と知れた為に破談となり世をはかなみ鉄路の錆海の藻屑とあたら若い命を捨てる者も少なくない~

 

夫は食ひませんと微笑む久子さん 

歌舞伎俳優中村福助夫人

 

『丙午は夫を食ふなどとは根も葉もない迷信だ』と中村家で日頃から信心する金光様東京出張所の畑先生が仰つたので私達が晴れて夫婦となれたのです~

 

娘時代は泣きの涙 今は楽しく孫の守

白虎隊の母 石田茂登さん

 初めて嫁の話の出たのは廿七(27)の時だつた、先方は妻に子供二人を残されて死なれた漢法医石田龍玄氏で初婚の女には喜ばれない後妻だつたが『どうせこの年まで売れ残つた午(うま)だ』と諦め嫁いだ~

 

 十九の厄に結婚した十違ひの御夫婦 

 迷信の打破に精進する 金光教の畑氏夫人 靜江さん

 

 この丙午御夫婦は世に忌み嫌ふ十違ひ、しかも靜江さんは十九才の厄年に結婚して居る、友達には『悪いからお止しなさい碌なことはない』などと言はれたものだがそんな事には頓着なく結婚してしまつたものだ、然しそれ以前御二人は切つても切れぬ青春の血を燃やした熱い仲だつた~

 

兄子爵も反対した結婚に愛の勝利

女校長さんが仲に入り幸福に浸る高木道峰氏夫妻

 

 『私ほんとうに嫌でした、一生のうちにあんなに丙午を恨みまた悲しんだ事はないです』

 『丙午でも二月、三月に生まれた者は春駒と言つて鐘太鼓をたたいて捜してもないそうです~』

 

当時の丙午生まれの女性にとっては人生のかかった大変な問題だったのですね。

迷信を打ち破るべく、新聞が一役買っていたのでした。

(以下にも連載が続きますので、お時間のある方はどうぞお読みください!)

 byキョーコ

 

 


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「年々増加する不良の話」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました

 

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連続でご紹介している大正~昭和期の新聞記事切り抜き。

本日は、「年々増加する不良の話」シリーズ連載からです。

 

昭和4年の日付けが書きこまれていますね。

警視庁警部北紺屋署 飯島三安氏の談です。

 

手心を加へる少年法 落ち行く処は右傾派が多い

学生系統に属するものと一般青少年との区別はあるが何れも十八歳以上二十二歳未満のものが団長になつている場合が多い。而も斯うした不良性を帯びた者の将来は右傾的になり、右傾団に入るのが大体の彼らの常道であるのも面白い~

 

一番多いのは窃盗 危険なのは十八から二十の間

不良少年と一概にいつてもいろいろ手段とか方法があるが大体左記(以下)の三種で

一、硬派不良少年

二、軟派不良少年

三、掻浚、萬引、窃盗

 

金があればお互いに融通 彼等が目をつける異常な服装 

大流し―団体を組んでゴロリゴロリと押し歩く一種の示威運動

ゴロマク―喧嘩を吹きかけること

ヒンプリ―関西方面でよく用ひられる脅迫のこと

オンリョウ―金を借りること

のゐ―玉の井のこと

メイド―亀戸のこと

番犬付―愛人のある女

ピンツキ―警視庁のリストに載つていること

キング―団長

親類―警察のこと

退院―出獄のこと

ヨタ―仲間の不良のこと

ズベ―不良少女のこと

 

 不良の元祖は白井權八

「雉も鳴かずば撃たれまい・・・・テモ不憫なことをしたナー」

ポーン鈴ヶ森で有名な白井權八君は当時のモダーンで軟派の大将格であつた、今の軟派はあまり殺傷沙汰はないが、權八君時代には両方兼ねたのが多かつた~

団長格は~美少年を弟子とか或は稚児と称して自分の愛する少年を作つてゐた~

現在でも中学生や女学生間に斯うした風習は残つてゐる~

稚児の奪ひ合いから殺傷沙汰や決闘をすることがよくあつたものだ~

 

不良少年のつかふ言葉 怪しいと気付いたら警戒しなさい

年末に際してはびこり出す 

ヨタル・・・丸ビルや銀座をブラつくこと

モーション・・・異性の後を追ふこと

スタート・・・異性をだましはじめること

バンド・・・女学生

ボタン・・・男学生

バラ・・・かたい女、素人の美人

カモ・・・おごってくれる人 

トンボ・・・カフェーの女給 

オケラ・・・一文無し

バンコウ・・・交番 

ガチヤ・・・巡査

ナマ・・・現金

ドロン・・・逃げること 

マゲル・・・借りる

ホンケ・・・警視庁 

この他色々な言葉がありますがこれらの言葉は一番多く使用されるものですから女の方はこの言葉を覚えておき電車の中や活動館などでかうした言葉を使用するものがあつた場合警戒を怠らず其場を避ける事が必要です

 (以上、誤字脱字があった場合にはご容赦くださいませ)

 

自分の身を守るためにこれらの不良言葉を覚えるのも楽じゃありませんね!:kaomoji2:

今の時代の感覚からすると今一つピンとこない記述もありますが、

当時の世相や風俗を読み取ることのできる貴重なスクラップ帖には違いありません。

 

まだまだつづきます

 

 byキョーコ

 


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「家庭生活における能率増進」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました

 

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本日ご紹介する大正~昭和期の新聞のスクラップは、

「家庭生活における能率増進」シリーズ連載。

執筆者は能率推進運動協会幹事 塚本はま子女史です。

 

 

この記事を見るまで、このスクラップ帖の作成者は男性だと思っていたのですが、この記事からすれば女性ですよね!?

では早速見て参りましょう。

(お時間のある方は1枚ずつお読み頂ければと思います。) 

 

社交編(一)  結婚について

 

結婚は~子孫にも国家の将来にも重大なる関係を有するものであります~ 

 「男女七歳にして席を同じゅうせず」の思想が一般的には存在しておりますので、自然人を見る明を欠き~

自ら知情意の統合により配偶者を選択することは到底出来がたい状態にあります~

 

  社交編(二) 

政略的の結婚や、財閥的の結婚やを強いる事が今なほ少なくないやうであります~

離婚の統計による率は日本が世界一であると申します~

かの不良少年少女の多くが生みの両親の膝下に育ち得ずして他人の手で養育せられたるもの~

 

社交編(四)

婚約が成立すると両親の意思として、「足入れ」などと称へてしばらく娘をその家に行かせ、同居生活を営ませ、双方納得の出来た上で、改めて挙式し、且披露します~

 

社交編(五) 

各国に比して日本は非常に多く、国富が最も少なく、天産物に乏しい我國が、他國に比して遥に多い結婚費を消費することは、真に嘆かはしき事~

 

社交編(六) 

従来の習慣上困難な問題とせられて居りますのは、いはゆる嫁姑の問題や、親子別居の問題です~ 

一般に若い者が年寄りの意見を容れて、その習慣的生活に同化するやうにしてさへ居れば、何の紛争も困難も起こりはせず、犠牲的の精神で忍耐して行けば、親達も喜ばせる事が出来~

 

 社交編(七)

創作的家庭を築き上げる事もまた必要とする所であります。しかしながら~

老人に取りましては、自分の苦心惨澹して築き上げた生活を、丸で古草履でも捨ててしまふやうに捨てられた如くに感じて自分の所有するあらゆる権利をすべて奪ひ去られた如く感じて、どんなにか執着も多く未練も残る事でせう~

 

社交編(九) 

良き家風、美しき人格が、やがて國家社会の風俗を為すもの基となるものでありまして、家族生活の良否は、社会を善くも悪くもし、國家の隆昌、社会の繁栄には大切なる要素となるのであります~

 

社交編(十) 

準家族(女中や使用人等)は、~兎角素養の少ないものは目前の事のみを考へて将来の慮を為す事が出来難いものですから、与えた自由な時間、休養の時間にはつまらぬ事に費やさぬやうに、翌日の計量を建てさせ、あるひは裁縫を教へ、新聞の読み方を教へる等将来の生活に必要なことを教え導く事が最も大切であります~

 

社交編(十一) 

女中といへども立派な一個の人間であり大切な預物であることを思って、昔の様に機械の如く一日中働かせて休息も与へなかったり病気になっても薬もろくにろくに与へず暗い部屋に寝かせ放っておく様な事をせず~

 

社交編(十二) 

縁者は親戚関係よりも軽いものである、といふのが古来より存在する日本人の思想でありまして~

常に夫の家に対しては身を低くし、何事につけても下手に出て居らねばならなかったのでありますが~

従来の習慣を排して、親戚同様に円満なる交際をなすべきであります~

 (以上、誤字脱字はご容赦くださいませ!)  

 

昭和4年の記事かと思われます。

今と価値観が違いすぎて、かえって興味深く読んでしまいました!

( かつて祖母が、「結婚後はいろいろ大変だったわ」と言っていたことも思い出しました。。。:otya:) 

 

つづく 

 byキョーコ


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「乗馬夫人、令嬢を訪ねて」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました 後半

 
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昨日に続きまして、「乗馬夫人、令嬢を訪ねて」シリーズの後半のご紹介となります。

学習院武科教官 山本盛重氏夫人 富士江さま

馬の美しいローマンスの持ち主・・・夫君 盛重氏は遊佐中佐と並び称された馬術の名人であることも有名で、富士江夫人との間には馬にちなんだ美しいローマンスさへあります、、、

 

井上乗馬倶楽部 井上四一氏夫人けい子さま

何もかも忘れて乗馬に・・・この頃は余程気が乗りませんとやりません。それでも若い方がお出になって、あの美しいポーヅで馬場を駈けられてゐるのを見ると、何も彼も忘れて飛び乗りたくなりますわ、、、

 

灘馬術研究会長 生島五三郎氏令嬢 千惠子さん

女平九郎もどきの基盤乗り・・・写真は古名人をしのばす碁盤乗りです。聖心女学院に在学中です、、、

 

大川田中事務所会計課長 越野三蔵氏令嬢 千鶴子さま

お馬可愛いや人参やれば・・・千鶴子さまの可愛らしい手から人参が渡されます。お馬は美味しそうに食べました。東京女学館に在学中です、、、

 

東京電機株式会社総務部長 津守豊治氏令嬢 明子さま 

霜踏むも好きな道なればこそ・・・鎌倉にをりましたときに弟達が乗ってをりましたものですから、、、でも元からお馬は好きでした、、、

 

馬具商 井川右五郎氏令妹 惠礎子さま

裾野への遠出に思ひをよせて・・・十七の年から始めましたのよ、でも学校がありますので思ふようにお稽古もできません、、、

 

私事ですが、偶然にも乗馬に行こうじゃないかという話が知人から出ています。

乗馬経験がなくアウトドアも苦手な私は、落馬した挙句にお馬さんに蹴飛ばされるような予感がするので、打開策として、ポニー限定とするか、あるいはミニチュアホース(体高70センチほど)とお散歩をするのもいいかしら、などと思案しています。

 

それはさておき、バナナのたたき売りの記事があるかと思えばこんなおハイソな記事もあったりと、好奇心が他分野に渡る方がお作りになったスクラップブックなのだなと思います。 

次回の切り抜き記事もどうぞお楽しみに! 

byキョーコ

 


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事「乗馬夫人、令嬢を訪ねて」の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました 前半


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連続でお送りしている大正・昭和期頃の新聞記事のスクラップ、

本日は昭和5年に掲載された「乗馬夫人、令嬢を訪ねて」のシリーズ12回分の前半をご紹介いたします。

 

台北帝国大学*理農学部長 大島金太郎博士の二令嬢

(*日本領時代の台湾に設置された帝国大学)

姉妹なかよくお馬のお稽古・・・御両人とも成城学園に在学中でお姉様は女学部です、、、

 

男爵徳川厚氏令嬢 喜和子さま

愉快なのは障害物越え・・・本当に練習を始めたのは震災後からださうですが、乗馬の競技会のあるごとに喜和子さまのお姿を見ぬことがないほどのファンであることはもう既に皆様が御承知でせう、、、

 

堀口九萬一氏令嬢 マブロヂ岩子夫人

義経の鵯下りも何のその・・・日本の婦人は何故に乗馬を練習しないでせうか、新しく目覚めた御婦人方に私は切にこの事をおすゝめ致します、、、

 

女流彫塑家 太田嘉女野さま(藤井浩裕門下の秀才)

馬に乗り馬を彫刻する・・・御商売柄馬の研究は大したもので、馬を展覧会に出品して世人をあつといはせようと目論まれています、、、

 

貿易商 生方繁三郎氏令嬢 紅葉子さま

外國仕込の見事なお服・・・永和女学校を出られてからカナダに長らく御留学だったさうですが、その学校にお馬先生が居てそれからお稽古を遊ばしたのだそうです、、、

 

実業家 島津巧二郎氏の二姉弟

小さいお馬に小さい乗り手・・・お馬と並べばお馬のお腹位しかありません。しかし一度お馬にお乗りになりますと「オーラオーラ」といつてお馬の頸のあたりを軽くたゝいやると、大きなお馬もヒンヒンとうれしそう、、、

 

家柄の良いご夫人・ご令嬢ばかりですね!

次回はシリーズの後半をご紹介いたします。どうぞお楽しみに。ゆらゆら デコメ絵文字

 byキョーコ

 


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東京都内にて、大正~昭和期の動物に関する記事の切り抜きが貼られたスクラップをお譲り頂きました


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前回に引き続き、大正~昭和期のスクラップ帖のご紹介です。

動物に関する記事が多くありましたので、今回はその中で目を引いた記事を見ていきましょう。 

↓ 動物に関する面白い話  獅子や虎も三舎を避ける世界一物騒な動物

それはスカンクである。世にも強烈な毒瓦斯(ガス)を発射するからであり、お尻(おなら)をやったならば、傍らの人は死んでしまふのである。

勇猛を以って自ら任ずる獅子や虎もスカンクに対しては當(まさ)に三歳の童子の如くである。

マァマァ!大変な書き様ですね!

 

鶏や鳥の記事も多くありました。

↓ 洗ひ流しで鶏が飼へる お子さんのある御家庭にすゝめしたい事

 

「鶏は子供の二三人ある家ではその喰べこぼしで、飼ふことが出来るものですから、少し空地のある郊外にお住まひの方には、是非ともおすゝめしたい事です。」 

のだそうです。

そういえば、実家の前のお宅ではかつて鶏を飼っていました。

日が昇る前からコケコッコーとさかんに鳴いていたのを思い出します。

郊外ではなく住宅街でしたから、今の時代だったらご近所から苦情が出てアウトですね。 

 

↓ 鶏の記事

 

↓ 鶏だけではありません。小鳥の会社関連の記事も。 

そういえば、昭和の時代でも鳥を飼っている家庭が今より断然多かった気がします。

どこの商店街にも鳥屋さんがありましたが、平成になる前にほとんど閉店してしまったような。。。

 

↓ またまたちらりと裏を覗いてみると、時代を反映するこんな広告が。 

 

目下の国難は外国への借金である。家庭の合理的緊縮は優秀なる国産品の愛用が第一。

こんな記事が出る時代だったのですねえ、

 

 ↓ 同じく裏には懸賞の記事も。 愛用者優待 レートクレームの大懸賞

お子様にもできる~課題~

(1)お父様とお母様とお姉様とで毎日レートクレームを三グラム使ひます 一週間では何グラムになりますか

(2)夏の日ヤケ止メに何が一番よくキクでせうか

(3)黄色と赤色をまぜたら何色になりますか


 

震災や戦争も無事に乗り越えた私的なスクラップ帖。

持ち主の方の興味や時代の空気が感じられます。 :wa-i:

 

つづく。

byキョーコ

 


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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事の切り抜きが多数貼られたスクラップ帖をお譲り頂きました

 
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東京都内にて、大正~昭和期の新聞記事の切り抜きが多数貼られたスクラップ帖をお譲り頂きました。

時代を反映した様々な記事が納まっていますので、 数回に分けてご案内させて頂きます。 

 

では早速、見ていきましょう。

 

↓ 「夜店でバナナ 問屋は何処」

夜店でバナナを売らうと思ひますが問屋は何処でせう。何処へ届け出るのでせう

↓ 答 バナナの 問屋は神田多町の青物市場に行けば沢山あります、露店でバナナの安売りをする旨を打ち明けて品物を仕入れるがよいでせう、届出は警察へすると同時に店を出す場所により露店商人の組合がありますから、それに加入しなければなりません。

これはバナナのたたき売りのことでしょうか!?

この記事の脇には別の記事が。

挑戦してみようと思ったのはバナナだけではなかったようです。

 

 ↓ 「食用蛙は将来有望か」

 

問:食用蛙を養殖したいのですが将来有望でせうか 取引はどの方面でしますか 親蛙は何処で分譲するでせう

答:食用蛙の養殖は有望でないことはありません、取引は現在の所では横浜方面の大きな洋食店でせう 親蛙の分譲は愛知県中島郡奥町野々垣 養蛙場へお聞合せなさい 尚食用蛙の養殖法を書いたものも同場にある筈です。

 

こういう投稿が市民から寄せられる時代だったのですねえ、

 

同じページには、

「皇宮警手に奉職したい  募集は何時ごろ」

 

問:皇宮警手を奉職したいと思ひますが何時でも募集しているでせうか 

答:皇宮警手は普通の警官とは異なりますので一般から募集と云ふようなことは余りないやうです、主として在郷軍人や東京の師団の除隊者のうちで志望のものを採用するやうですが、一般の希望者は履歴書と願書を 皇宮警察署長宛に送って置きますと、欠員のあった場合には試験の上で採用されることがあります、詳細は宮内省内 皇宮警察署宛 直接お聞合せなさい 

起業関連では他に煙草小売店を開きたい、無線電信技士(独学では駄目でせうか)などの記事がありました。

 

↓ ブラジルへ移住をしたい 

条件を満たせば渡航費の補助もあったのですね。

独身者の渡航は政府としてはあまり推奨していなかったようですが、日本力行会が、同会会員であること、キリスト教者であること、農業に労働に耐える体格を有するもの、資本金三百五十円以上を持つものなどを条件に移住の便宜を計っていたようです。

 

 その他には夫婦問題・訴訟に関する記事なども。何か悩みがおありだったのかしら、、、 

 

記事の裏をめくると、薬の商品広告も目を引きました。

上は解熱剤の薬か、マラリア熱にも効くようです。

下は鎮痛剤のようですね頭痛にも歯痛にも。

おでこに矢印で回(くわい)とありますが、これはめまいのことでしょうか?

 

 

次回もどうぞお楽しみに!

byキョーコ


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東京都内にて、三越呉服店時代の純銀製、鶴の小皿をお譲り頂きました

 
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東京都内にて、三越呉服店時代の純銀製、鶴の小皿をお譲り頂きました。

 

誰もが知っている百貨店の三越ですが、このラベルの時代には店名が三越呉服店だったのですね。

さらに、東京本店、大阪支店、京城出張所、大連出張所と印字されていますので、戦前のものであったことがわかります。

 

サイズはおおよそ5.5×9.6cmと小振りな銀の小皿ですが、 見事に鶴がおさまっています。 

↓ 頭部はかなり写実的。

 

↓ 対し、柔らかな羽の表現。

 

↓ それらがこんな薄い中に表現されているのです。スバラシイ!

 

↓ ちゃんと脚もありますョ!!!感動。。。 細部に魂が宿っている!?  

 

↓ ラベルを裏返してみるとこんな覚書が、、、

当時のとても素敵なお祝い品だったのでした! 

 

私も何かのお祝いにはこういうお品を戴きたいですっ。。。

byキョーコ

 


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神奈川県横須賀市で神戸港に於ける大日本帝国観艦式艦列全影の図をお譲り頂きました

 
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 神奈川県横須賀市で「神戸港ニ於ケル大日本帝国観艦式艦列全影」の図をお譲り頂きました。

明治36年4月の発行です。

 

 

サイズは約47×62センチで作画者は村田清平。

 

 

観艦式(かんかんしき)とは軍艦による軍事パレードです。

ご紹介の絵図は発行年と軍艦の並びから明治36年(1903年)神戸沖の大演習観艦式と思われます。

参加:軍艦32隻、駆逐艦13隻、水雷艇23隻、その他1隻、計69隻(21万7,176トン)
御召艦
『浅間』
供奉艦
『宮古』『千早』『金剛』
『夕霧』
『呉丸』
参加軍艦
『三笠』『初瀬』『敷島』『朝日』『富士』『八島』
『常盤』『磐手』『出雲』『八雲』『吾妻』
『笠置』『千歳』『高砂』『吉野』『浪速』『高千穂』『秋津洲』『須磨』『明石』『和泉』『千代田』
『鎮遠』『扶桑』
『平遠』『高雄』『筑紫』
駆逐艦
『雷』『電』『曙』『叢雲』『不知火』『陽炎』『薄雲』『暁』『霞』『白雲』『朝潮』『漣』
水雷艇
『隼』『白鷹』『鵲』『真鶴』『千鳥』『第三十九号』『第四十号』『第四十一号』『第四十二号』『第四十三号』『第六十二号』『第六十三号』『第六十四号』『第六十五号』『第六十六号』『第三十一号』『第三十二号』『第三十三号』『第三十四号』『第三十五号』『福龍』『第二十一号』『第二十四号』

Wiki参照

 御召艦 である『浅間』の観艦式中のルートも点線で入っています。 

 

 

この観艦式の翌年に日露戦争が始まり、明治38年10月23日 (1905年)には横浜沖にて日露戦争終結凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)が横浜沖で行われています。

 

お譲り下さったのは、当時軍人さんを相手に軍関係の本を販売されていた本屋さんの関係者の方です。

このような100年以上前の絵図がよく保存されていたものです! 大変貴重な資料ですね。

 

 byキョーコ


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