買取事例

東京都内で 小針樹生作の「佛頭(菩薩面)」本象牙根付をお譲り頂きました


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東京都内で 小針樹生(こばり じゅしょう)作の「佛頭(菩薩面)」本象牙根付をお譲り頂きました 

大きさは、タテ3.7×幅3.7×厚み1.5cmです。

 

 

小針樹生は象牙彫刻一家に生まれ、お父様に師事。父、小針敏生は平櫛田中の内弟子だったのだそうです。 

 とても穏やかな菩薩面です。

 

菩薩像や観音像、女性像など、樹生の象牙彫刻は大変人気があり、高値で取引されています。

 

[小針樹生経歴]
1982年(昭和57年)  第七回 日本の象牙彫刻展「めばえ」にて奨励賞受賞     
1983年(昭和58年)  第八回 日本の象牙彫刻展「ときめき」にて上野の森美術館賞受賞 
1984年(昭和59年)  第九回 日本の象牙彫刻展「讃歌」にて上野の森美術館賞受賞  
1985年(昭和60年)  第十回 日本の象牙彫刻展「白い妖精」にて冨永記念賞受賞
1996年(平成 8年)   第十九回 日本の象牙彫刻展「妖精のささやき」にて森村豊明会賞受章賞
  〃         第一回 日本象牙工芸展「美の調べ」にて大阪府知事賞受賞
1997年(平成 9年)   第二十回 日本の象牙彫刻記念展「白い妖精」にて第一回 高円宮賞受賞
1998年(平成10年)  第二十一回 日本の象牙彫刻展「妖精のきらめき」にて冨永記念賞受賞
  〃       第三回 日本象牙工芸展「いすと妖精」にて通産大臣賞受賞
2000年(平成12年)  第四回 日本象牙工芸展「帽子の女」にて通商産業省生活産業局長賞受賞
2001年(平成13年)  第二十四回 日本の象牙彫刻展 「予感」にて奨励賞受賞
2002年(平成14年)  第二十五回 日本の象牙彫刻記念展「ゆりいすと妖精」にて読売新聞社賞受賞
  〃       第五回 日本象牙工芸展「踊る妖精」にて通商産業省生活産業局長賞受賞
2003年(平成15年)  第二十六回 日本の象牙彫刻展 「聖なる誓い」にて文部科学大臣賞受賞
  〃         第五回 日本象牙工芸展「踊る妖精」にて通商産業省生活産業局長賞受賞
2003年(平成15年)  第二十六回 日本の象牙彫刻展 「聖なる誓い」にて文部科学大臣賞受賞
  〃         第六回 日本の象牙工芸展 「祈りの舞い」にて東京都知事賞受賞
2004年(平成16年)  第二十七回 日本の象牙彫刻展 「終演」にて読売新聞社賞受賞
2005年(平成17年)  第二十八回 日本の象牙彫刻展 「聖大士」を高円宮家の当主である憲仁親王妃久子殿下へ献上
2007年(平成19年)  横浜高島屋 悠遊会展に「唄う妖精」を出品
2010年(平成22年)  第三回 横浜高島屋悠遊会展に「夏の香り」を出品
  〃       第四回 横浜高島屋悠遊会展に「希望の空天までとどけ」を出品
2013年(平成25年)  第一回 名古屋高島屋 悠遊会展に「人魚の想い」を出品
  〃       第六回 横浜高島屋 悠遊会展に「チェロワルツ」を出品
  〃       第一回 日本橋高島屋 悠遊会展に「風の舞」を出品
Wikipedia参照)

 

 byキョーコ


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東京都内にて、古い鼈甲の簪(かんざし)をお譲り頂きました


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東京都内にて、古い鼈甲の簪(かんざし)をお譲り頂きました。

 

光が当たった時の色味・上品ななめらかさ。

なんともいえない美しさです。!

 

鼈甲はタイマイというウミガメの甲羅を加工したものだそうで、

明るい色から濃い色までありますが、明るい色の部分はたくさんとれないため、価値が高いのだそうです。(くまきちさんより)

 

くまねこ堂にいるかめ子さん(ミドリガメ)の甲羅はよくはがれ落ちて水槽内に沈んでいるのですが、スタッフのもも子さんはこのはがれた甲羅を集めています。

集めてどうするおつもりなのでしょう。。。。

 byキョーコ


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東京都内にて、人間国宝 藤原啓作 備前徳利をお譲り頂きました

 
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東京都内にて、人間国宝 藤原啓作 備前徳利をお譲り頂きました。

 

鑑定人である長男雄氏(人間国宝)は平成13年に70歳で逝去されましたが、現在は雄氏のご長男、和氏が活躍されています。 

 

[藤原啓 略歴] 

明治32年(1899) 岡山県和気郡伊里村穂浪字井田(現、備前市)で生まれる。
昭和13年(1938) 39歳 陶工三村梅景を知り、築窯、原土の入手、ロクロ成形などの指導を受ける。
昭和14年(1939) 40歳 初窯を焚く。
昭和17年(1942) 43歳 備前焼研究家桂又三郎の斡旋により、第一回個展を岡山市禁酒会館で開催。
昭和23年(1948) 49歳 国の指定による丸技作家の資格を受ける。
昭和24年(1949) 50歳 岡山県文化連盟賞受賞。
昭和28年(1953) 54歳 日本橋壼中居で個展開催。
昭和29年(1954) 55歳 北大路魯山人の斡旋により、日本橋高島屋で個展開催。
昭和30年(1955) 56歳 東京日本橋三越で個展を開催。岡山市の天満屋でも隔年で個展開催。
昭和31年(1956) 57歳 日本工芸会正会員。
昭和32年(1957) 58歳 岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定。
昭和33年(1958) 59歳 日本工芸会理事就任。
昭和37年(1952) 63歳 プラハ国際陶芸展にて金賞を受賞。ヨーロッパ、中近東諸国を巡る。
昭和38年(1963) 64歳 山陽新聞賞、岡山県文化賞、中国文化賞受賞。
昭和40年(1965) 66歳 中南米へ旅行。
昭和43年(1968) 69歳 古希記念展を東京日本橋三越にて開催。
昭和44年(1969) 70歳 新宮殿に゛擂座壼゛一対を納める。「備前・藤原啓」出版。岡山県天満屋で「藤原啓回顧展」開催。
昭和45年(1970) 71歳 重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。 
昭和46年(1971) 72歳 勲四等旭日章受章。
昭和48年(1973) 74歳 「第二回日本陶芸展」岡山高島屋にて「平櫛田中・藤原啓二人展」開催。岡山県より三木記念賞受賞。「藤原啓備前作品集」出版。
昭和49年(1974) 75歳 岡山天満屋にて「藤原啓喜寿記念展」開催。
昭和50年(1975) 76歳 迎賓館に゛備前水指゛゛備前花入゛を納める。
昭和51年(1976) 77歳 備前市名誉市民に。岡山天満屋葦川会館にて「古備前と藤原啓・雄父子陶芸展」開催。フランス、スイス、ベルギー三カ国巡回。日本橋高島屋にて喜寿記念「藤原啓自選展」開催。岡山山陽新聞画廊にて「唐津茶碗―荒川豊蔵・小山冨士夫・藤原啓合作展」開催。
昭和52年(1977) 78歳 東京高島屋にて「ヨーロッパ巡回帰国記念藤原啓・雄展」開催。財団法人「藤原啓記念館」完成。
昭和53年(1978) 79歳 岡山高島屋にて「藤原啓一門展」開催。旧宅跡に藤原啓記念碑建立。
昭和54年(1979) 80歳 傘寿記念展を岡山天満屋、姫路山陽、東京高島屋にて開催。
昭和55年(1980) 81歳 岡山県郷土文化財団に自作三十点を贈呈。
昭和56年(1981) 82歳 東京高島屋、大阪高島屋、姫路山陽、広島天満屋にて「藤原啓のすべて展」開催。「藤原啓自選作品集」出版。名誉県民(岡山県)に。
昭和57年(1982) 83歳 岡山天満屋にて「藤原啓の世界展」開催。記念館にて「藤原啓の交友展」開催。
昭和58年(1983) 84歳 死去。勲三等瑞宝章受章。

(藤原備前三代「炎の詩」ウエブサイトより参照させて頂きました。 http://www.fujiwarabizen.com/index.html

 

四十歳にして陶芸の道に入り、華々しい活躍をした藤原啓の足跡を辿れるのが財団法人藤原啓記念館です。

岡山県へお越しの方はどうぞお立ち寄りください!

byキョーコ 


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東京都内にて、九谷焼の巨匠 北出不二雄の色絵更紗 竹文盒子をお譲り頂きました


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東京都内にて、九谷焼の巨匠 北出不二雄(1919-2014) の色絵更紗 竹文盒子をお譲り頂きました。

 

 サイズは約5.8×4.3×3.8cmと小振りですが、とても華やかで存在感があります。

 

 

[北出不二雄 経歴 ]
 昭和25年 金沢美術工芸専門学校陶磁器科卒業、第6回日展初入選、以後連続入選
 昭和40年 第8回改日展に「青釉彫文鉢」を出品、特選・北斗賞受賞
 昭和46年 第3回改組日展で審査員となる
 昭和54年 金沢美術工芸大学教授に就任
 昭和59年 加賀市文化功労賞受賞
 昭和61年 日展評議員となる
 昭和62年 第19回改組日展に「青釉 石窟佛」を出品し、内閣総理大臣賞を受賞
 平成2年 九谷焼技術保存会会長(現・顧問)になる
 平成3年 金沢美術工芸大学学長となる
 平成8年 勲四等旭日小綬受賞
 平成9年 金沢美術工芸大学学長を退官する
 平成10年 県立美術館主催「九谷色絵の魅力 ー北出塔次郎・不二雄の世界一」開催
 平成11年 作陶50周年作品集刊行記念展を加賀アート・ギャラリーで開催
 平成14年 県九谷焼美術館主催「現代九谷の黎明 北出塔次郎と青泉窯三代展」開催
 平成17年 日本陶磁協会九谷支部長就任
 平成22年 日本陶磁協会特別賞受賞
(『加賀の九谷』さんWEB参照http://www.salon-de-kutani.jp/kutani/sakka10.html)

 

北出家はもともと九谷焼の素地造りを担う窯元で、不二雄氏も若いころから知識や技術を勉強していたそうです。

その素地の上で古九谷以来の色絵装飾の伝統と発展を追及。

不二雄氏 の「彩陶」と「青釉」の技法は、現代九谷のみならず今日の日本の色絵器の世界に、新境地を開いた言われています。

 残念ながら昨年お亡くなりになったのですが、伝統ある青泉窯は博嗣・三枝夫妻が北出家に入籍し、跡を継がれました。

 

今回ご紹介の作品の他にも表現の幅は大変広く、金沢21世紀美術館には磁器だけでなく陶の作品もたくさん収蔵されています。どうぞご覧くださいませ。http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=97&d=84

byキョーコ

 


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東京都内にて、萩焼作家 吉賀大眉の茶碗をお譲り頂きました


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東京都内にて、萩焼作家 吉賀大眉(よしが たいび)の茶碗をお譲り頂きました 。

 

 

桐箱が二重になっており、中の箱の底に銘が入っていました。

 

 

[吉賀大眉略歴]
 1915年(大正4年) 山口県萩市に生まれる。 
 1933年(昭和8年) 東京美術学校彫刻科塑造部に入学。朝倉文夫、北村西望、建畠大夢に彫刻を学ぶ。
 1938年(昭和13年) 東京美術学校彫刻科塑造部卒業。建畠大夢主宰の直士会に入り塑造の研究に励む。第二回新文展に「裸婦」(塑造)入選。
 1940年(昭和15年) 紀元二千六百年奉祝展に「裸婦」(塑造)入選。
 1942年(昭和17年) 陶芸家加藤土師萌に師事。(山崎覚太郎より紹介)
 1943年(昭和18年) 萩に戻り、泉流山窯にて作陶をはじめる。
 第六回新文展(現在の日展) 第4部工芸初入選 (以後連続・受賞多数)
 1945年(昭和20年) 泉流山の先賢者の名にちなみ、大眉と号す。
 1961年(昭和36年) 萩焼作家協会会長に就任。
 1962年(昭和37年) 日本現代工芸美術展に出品 (以後連続・受賞多数
 1965年(昭和40年) 現代工芸美術家協会理事に就任。北欧・中近東を旅行。
 1971年(昭和46年) 日本芸術院賞 連作「暁雲」
 1974年(昭和49年)「カラー日本のやきもの・萩」(淡交社)を出版
 1982年(昭和57年) 日本芸術院会員に選任される。 現代工芸美術家協会副会長に就任。山口県立美術館にて「吉賀大眉展」
 1983年(昭和58年) 新宮殿にて天皇陛下に陶芸について御進講。日展常務理事に就任。
 1986年(昭和61年) 勲三等瑞宝章受章。
 1990年(平成2年) 文化功労者に列せられる。
 1991年(平成3年) 10月歿。 勲二等瑞宝章追叙。

( 「吉賀大眉記念館」ウェブサイト参照)

 

東京藝術大学では彫刻科に入り、朝倉文雄や北村西望らに学んだというのが意外でした!

1965年には北欧や中近東を旅行し、エジプトでは「アラバスター」(大理石よりも柔らかい半透明の石・彫刻や壺などに加工される)に深い感銘を受け、その後作風が変わったのだそうです。

記念館には大眉作品にほか、水彩画や古萩茶碗なども展示されているとの事、おススメです!

吉賀大眉記念館(http://www.taibi-hagi.jp/index.html

 byキョーコ

 


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千葉県内にて竹細工名人・梶原光峰の蟲籠花入をお譲り頂きました


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千葉県内にて竹細工名人・梶原光峰(かじわらこうほう)の虫籠花入をお譲り頂きました。

 

梶原光峰・・・昭和10年大分県日田市出身、日本工芸会正会員。

竹や籘、漆等を素材に繊細な花籃を作る作家さんです。

日本工芸会賞 花籠「半月」 

OAB大分朝日放送賞 花籠「窓灯」 

正会員賞 花籃「灯」 

正会員賞 飛越編花籃 

NHK会長賞 飛越編花籃「雨」

など、受賞歴多数です。

 

 

 

作家さんについてもっと詳しく調べたかったのですが、あまり情報を得られず残念に思っていましたら、今回ご紹介の虫籠と同じものをいつも床の間に飾られていた方のブログを発見しました。

毎回お花の生け方がとってもステキなのです。

書き手の方のプロフィールには華道茶道をたしなまれているとあり、花器もたくさんお持ちでした。ステキです。。。

 

昨年、念願だったペット可の部屋に引っ越しをし、今は猫のマツコと暮らしていますが、次は(いつかは)床の間のある部屋で、季節のお花を楽しんでみたいです!

byキョーコ 

 


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東京都内にて明治期頃のシガレットカードを多数お譲り頂きました

 
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明治期頃のシガレット(タバコ)カードを多数お譲り頂きました。

 

煙草カード(シガレットカード)とは、紙巻たばこのパッケージにおまけとして入っていたものです。歴史は古く、19世紀の中葉以降から欧米で、日本では明治になってから。

当時からコレクターズアイテムであったようです。

 

日本は長らく煙管(きせる)による喫煙でしたが、明治期に紙巻き煙草が入ってくるようになって製造販売が始まり、京都で最大手だったのがこの村井兄弟商会です。

花札とトランプをかけあわせた図案がユニークです。 

 

ほかにウィルズ社/Wills Cigarettes(英国)、The American Tabacco Co(アメリカ)、SWEET CAPORAL(アメリカ)、デューク社/DUKE’S CIGARETTE(アメリカ)、Allen & Ginter Cigarette(アメリカ)などのカードもありました。

 

それにしてもなんでしょうか、このカキコミは。。。 

 

たばこと塩の博物館には3500枚を超えるカードが収蔵されているそうです。

Webサイトには大変詳しく 煙草カードの歴史が掲載されていました。

ご興味のある方はどうぞ!

ちなみに博物館自体は4月25日リニューアルほやほやです。

 

この博物館には一生ご縁がないように思っていたのですが、以前ブログでも紹介させて頂いた喫煙具などの展覧会も開催されていたようです。

くまねこ堂の買い取り品ド真ん中も取り扱う博物館だったとは。。。

今さらですが気付けてよかったです。

今度行ってみようっと。

byキョーコ

 


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象牙と黒檀:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 7

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東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面(扇子)を多数お譲り頂きました 7

本日は親骨が象牙のもの、黒檀(紫檀?)のものと2本のご紹介です。 

 

 

ひとつはかなり年季の入った刺繍入りの布袋に入っていました。

 

 

↓ ハッとするようなピンクと紺地

 

他の扇面は肉筆でしたが、これは版画のようでした。

暗い中にコオロギが。

縁には銀が貼られていたようですね。酸化して黒くなっています。

 

駆け足でご紹介した中国の古い扇面、他にもまだたくさんありましたが、早くもくまねこ堂倉庫から旅立っていきました。 

さようなら~:sayonara:

 

次回は明治時代のたばこカードのご紹介です。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ

 


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竹製と黒檀:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 6

 

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東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 6

本日は素材の違う2種類(竹製と黒檀)で作られた扇面/扇子をご紹介いたします。

 

 

 

 

 

  ↓ 親骨が波打ったような彫になっているため、にぎり心地が良かったです。 

 

 

次回が最後の扇面のご紹介になります。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ  

 


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彫細工3:東京都内にて、湘妃竹(斑竹)等で作られた中国の古い扇面を多数お譲り頂きました 5


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東京都内にて、湘妃竹(斑竹)などで作られた中国の古い扇面(扇子)を多数お譲り頂きました 5

 

 

この扇面のご紹介初回でも触れましたが、竹の模様・名称は中国では湘妃竹、梅鹿竹、鳳眼竹などと呼ばれるようです。

今回ご紹介のものは目がびっしり!趣があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次回もどうぞお楽しみに!

 byキョーコ


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