買取事例

東京都大田区で、昭和レトロな内藤ルネの陶器人形をお譲り頂きました


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東京都大田区で、昭和レトロな内藤ルネの陶器人形をお譲り頂きました。

んー、カワイイ。。。

 

昭和感ムンムンですねえ。 

子どもの頃、カワイイ美少女画を描いたり人形を作ったりするのは女性かと思っていましたが、あとあと作者が男性だと知って、何だか不思議な気がしたものです。

 

内藤ルネとは、、、

1932年 愛知県岡崎市に生まれる

1944年 12歳で中原淳一の世界に惹き込まれる

1948年 16歳で雑誌「ひまわり」や「それいゆ」のとりこになり、中原淳一へ何十通も手紙を送る

1952年 中原淳一に呼ばれ、20歳でひまわり社入社。内藤瑠根(のちにルネ)のペンネームで活躍し始める

1960年 フリーになり、女性誌にファッションや人形を発表。翌年はファンシーグッズの制作も開始

1971年 ルネパンダ発表。翌年一大ブームに

1972年 「私の部屋」創刊後、80年代「薔薇族」表紙、90年代には内藤ルネ人形美術館会館、コレクション展など開催 

2007年 惜しまれつつ亡くなる(享年74歳)

内藤ルネ年表を参考にさせていただきました)

 

内藤ルネの描く女の子は、可愛く、カッコよく、ファッショナブルで、今見ても全く色あせていないのがスゴイです。:hoshi1:

昨年や今年も様々な角度から内藤ルネを捉えなおそうと企画展が催されました。

いまだ人気は衰えていません! 

日本のカワイイ系サブカルの立役者のひとりですね。:wa-i:

byキョーコ


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川崎市中原区で、戦前の日露戦争戦跡めぐりのスタンプ帖をお譲り頂きました

 

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川崎市中原区で、戦前の日露戦争戦跡めぐりのスタンプ帖をお譲り頂きました 。

約7×8.5センチほどの小さなもので、スタンプの日付は昭和15年でした。

さてさて、めくってみましょう。

旅順表忠塔 15.4.25

塔は旅順港そばの白玉山(高さ約130メートル)山頂にあり、高さ66.8メートル。日露戦争に勝った日本が、軍の重鎮だった東郷平八郎と乃木希典の発案で、1909年に戦死者追悼のために建立。日本統治時代の旅順を代表する建築物で、新中国成立後、「白玉山塔」と改名。・・・大連市観光局のwebサイト参照

 

右: 旅順  東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざんきたほるい)

日露戦争時、堡塁の正面で2.3tのダイナマイトを爆破させ、これに乗じて日本軍が堡塁を占領。この戦闘で日本軍は約8,000人の死者が。・・・Wiki

 

右:旅順戦跡二〇三高地 巡拝記念 15.4.25

ロシア海軍の基地のあった旅順港を巡り、日露の争奪戦による激戦地となった場所・・・Wiki

 

左:旅順戦跡 爾霊山高地 記念 

乃木希典は自作の漢詩で203高地を二〇三(に・れい・さん)の当て字で爾霊山(にれいさん)と詠んだ。 ・・・Wiki

 

右:奉天忠霊塔 忠霊塔とは陸軍による戦争の跡地に建立された戦死者を慰霊する塔・・・Wiki

左:奉天同善堂

右:奉天 昭和15年5月12日

左:北大営戦跡 (昭和九年九月十八日ニ於ケル) 戦跡記念塔

昭和9年9月18日とは満州事変の日付ですね。

事件現場の柳条湖近くには国民革命軍(中国軍)の兵営である「北大営」があり、関東軍は爆音に驚いて出てきた中国兵を射殺し、北大営を占拠。・・・Wiki

 

 右:奉天神社 

1915(大正4)年に建立された、天照大神、明治天皇を祭神とする神社。現在はもうないそうです。

左は明治神宮外苑の聖徳記念絵画館なので、日本ですね。

 

この方が中国で戦跡めぐりをした昭和15年とはどんな年だったのか、おさらいしてみました。

内務省より芸名などのカタカナ名を漢字名へ改名命令。隣組強化法が制度化。

ぜいたく禁止令が発令され、東京には「ぜいたくは敵だ」の立看板が。

国民服の着用が義務化。

ゼロ戦登場。。。

 

ちなみに、翌年には上野動物園の熊を射殺。12月に真珠湾攻撃をし、開戦。

 

、、、、軍事色一色の時代に押されたスタンプ帖だったのでした。  

byキョーコ

 

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川崎市中原区で、戦前の駅スタンプを多数お譲り頂きました

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川崎市中原区で、戦前の駅スタンプを多数お譲り頂きました。

主に昭和7年~10年の日本国内のみならず、中国の大連、平地泉なども含む駅スタンプです。

時代が時代ですから、のどかな絵柄から、戦時下のものまで!

いくつかご紹介いたします。

 

↓昭和7年城崎駅

↓昭和8年 御殿場駅

 

 ↓昭和8年大阪 旭日旗に陸戦隊 観兵式記念とあります。

 ↓鹿児島駅 西郷さん

↓宮崎駅 敵国降伏!

 

↓久留米駅 左上の方に戦車や日の丸のついた空軍機が!

 

↓金沢駅 金沢城

↓西宮市駅 野球ボールがモチーフですね。

↓尼ヶ崎駅 太閤記十段目

 

↓岡山駅 岡山城

 

 ↓札幌駅 年月日不明

 

↓支那事変の郵便はがきに平地泉駅スタンプ 民国27年4月(昭和13年)

↓大連駅 昭和8年

 

全部お見せできないのが残念なのですが、

日付を見ると、短期間の内に鹿児島から北海道まで移動しているのがわかります。

まるでスタンプラリーです!

 

おぉ!?

この束の下から何やら小さなスタンプ帳も出てきました。

次回はこちらをご紹介させて頂きますね!:wa-i:

byキョーコ 

 

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川崎市中原区で、明治・大正期の鉄道食堂車チラシをお譲り頂きました

 
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川崎市中原区で、明治・大正期の鉄道食堂車(列車食堂)チラシをお譲り頂きました。

 

名刺よりも一回り大きいサイズでステキなイラスト入り。 

 チラシのメッセージは様々です。 

 

「朝食/昼食/夕食の御支度が出来ました」

 

「一品料理の御支度が出来ました」

 

「お定食は間もなく終ります 御召上りの方はお早くお越し下さいませ、、、」 

大正モダンな雰囲気ですねえ。 

ライスカレー 三十銭   合ノ子弁当 五十銭

ん?合ノ子弁当?Weblioによると、「米の飯に西洋風に調理した惣菜を添えた弁当。明治末・大正期に流行。」なのだそうです。

 

「程なく休ませて頂きます。 どうぞ御はやく食堂へお出下さいませ。」

 

 

「冷たいお飲みものいろいろ御座います」

 

 

「只今食堂がスイてゐます!」  あら?もしやベティちゃん?

 メニューにはお刺身やビーフステーキまであったのですねえ!

 

日本初の食堂車は1899年山陽鉄道が運行した官設鉄道京都―山陽鉄道三田尻間。

写真にもある精養軒は1901年に官営鉄道(国鉄)新橋駅 – 神戸駅間の急行の車両に入ったのが最初だそうです。

東松軒は1908年の鉄道国有化以降に東海道・山陽線に。→Wiki

 

ところで、このチラシは座席に配布されたものだったのでしょうか。 

座席で居眠りをしてふと目を覚ますと、このチラシが目の前に置かれていたりしたのかもしれませんね!

 

私、前回旅したのは飛行機で日帰りの高知。:naku:

このチラシを眺めていたら、無性に鉄道の旅をしたくなってきました。(お休みいただこうかしら。。。)

座席で食べる駅弁も乙ですが、たまには食堂車でゆったりと食事を楽むようなゆとりのある旅をしてみたいものです。

byキョーコ

 

 
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川崎市中原区で昭和初期の小学生日記をお譲り頂きました


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川崎市中原区で昭和初期の小学生日記をお譲り頂きました。

表紙には昭和9年9月 東須磨小学校第二学年とあります。

 

 表紙をめくると、

ほぉー、、

・日記は自分の歴史

・日記は心の鏡

・日記は心の強いか弱いかをはかる試金石。必ず書くことによって辛抱強い人とならねばなりません。

記し方

・毎日何か一つでも善い行いをして書きなさい。

・綴り方のおけいこのつもりで本気で書きなさい。

 ほか、、 

さらに、1ページ目には「日記の誓」が5項目。

 

 

それでは日記をめくってみましょう。どれどれ。

 

 男の子は兵隊ごっこ、女の子は看護婦さん役なのですね。

 

 

印刷文かと思うほどキレイな字で先生が一文添えておられます。

「にっきは一生書きませう。大人になって、君がりっぱな人になってをればをるほど、にっきはなつかしくたふといものになりませう。」

 

 

 おにいさんの試験勉強中にうるさくして、「6時32分に寝ろ。:ikari:」としかられています!

 

 

成績が上がっておとうさんおかあさんに褒められたそうです!

 

日記帳最後のページ。↓ 

大正天皇のお亡くなりになった日(12月25日大正天皇祭/大正天皇崩御日)、天皇の写真を見ながら勉強したとあります。

 

子どもの日記とはいえ、時代が反映されていてとても興味深かったです。

それにしても、言葉の使い方が丁寧ですね。書き手はなかなかお利口さんのようです。

それとも当時の小学二年生は皆このようにしっかりしていたのでしょうか!?

 

はたして、現代の平成の小学二年生たちは一体どのような日記を書くのかしら!?

 byキョーコ

 
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川崎市中原区で、戦前の観光絵葉書(満鉄関係含む)などをお譲り頂きました


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川崎市中原区で、戦前の観光絵葉書(満鉄含む)などをお譲り頂きました。

昨日ご紹介した満鉄 (南満州鉄道) の切符など、戦前の古切符を買い取りさせて頂いたお宅では、古い絵葉書などもたくさんお譲り頂きました。

その中に、満鉄関係のものもありましたので、一部ご紹介いたします。

 

快速車“あじあ”の雄姿

(昨日ご紹介した中に、このあじあ号の切符がありましたね!)

 

 

大連にあった南満州鉄道株式会社全景

 

 

第一次満鉄総裁後藤新平伯銅像 

下にいる人と比べるとこの銅像がかなりの大きさであることがわかります。まるで一国の指導者です!

 

 

満鉄自動車局発行の道路地図

 

上記は全て絵葉書です。

 

以下、南満州鉄道“株式会社”というだけあって、株主への配当支払票です。

 

まあ、、よくも捨てずに。。。

 

持ち主の方は昨日の古切符に限らず、様々なものを捨てずに保管される方だったようです。

ご家族(特に奥様)のご理解があったのではないでしょうか!?

 

お陰様で今となっては貴重なものばかりです!:wa-i:

byキョーコ

 


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川崎市中原区で、満鉄切符など戦前の鉄道古切符をお譲り頂きました

 
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川崎市中原区で、満鉄(南満州鉄道)切符など 戦前の鉄道古切符をお譲り頂きました。

 

くまきちさん、買い取りから戻られてすぐに切符の種類を仕分けし始め、

他と区別したのがこちらの3枚!

南満州鉄道の切符、いずれも昭和13年で、快速車“あじあ”や大連、新京、吉林の駅名が見えます。

 

 

買い取りに伺ったのが、かつて満州でお仕事をされていた方のお宅だったとのことで、

戦前の切符がこれだけまとまってあれば、必ずや満鉄の切符も混じっているに違いないと一目見て確信した!:b_body_jump:とくまきちさん。

 

他を拝見しましたら、赤線硬券入場券や寝台券、日本各地の鉄道切符、バス切符までありました。 お仕事の関係か、大分移動の激しい方だったようです。

 

私は古切符の知識がないのでそれぞれの珍しさや面白さは残念ながら分からないのですが、お分かりになる方は1枚1枚手に取るのがさぞかし楽しいでしょうねえ、、、:wa-i:

byキョーコ

 


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余談ですが、倉庫でまこちゃん発見


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余談になりますが、、、

先日倉庫に入ってふと古い携帯電話が目につきました。

ハッ!まこちゃんのシールが。。。

(「まこという名の不思議顔の猫」ブログに登場する猫です)

 

かなり使い込んであるけれど、もしやこれはくまきちさんの古い携帯電話??

伺ったところやはりそうでした。

 

 

 

くまねこ堂でお仕事をさせていただく前のことになりますが、私実はこのまこちゃんがきっかけでネコのボランティアを始めたのです。

まこちゃんはかつて多頭飼いが崩壊した場所から施設に引き取られたネコでした。

それまで動物の保護施設はどこか近寄りがたい印象があったのですが、飼い主の方のブログを拝見している内に、私もネコを飼うときはペットショップからではなく保護施設から引き取ろうと思うようになりました。

ただ住環境によりすぐには飼えなかったため、まずは少額でも寄付から始めようと施設を訪問したところ、スタッフの方からボランティアに誘われたのでした。

 

そして、、先日目出たく念願のペット可の住まいに移り、施設に保護されていた野良出身の6歳のマツコを引取ることになりました。

(施設のブログの方でも書かせて頂きました。→「公園のネコたち」

 

くまねこ堂で求人の面接を受けた際に、「ネコのまこちゃんが好きです!」

と口走ったことが採用につながったような気もしなくもないですが、その後もにゃん子さんやくまきちさんには気にかけて頂き、有り難いことに施設のネコ達にと差し入れや寄付をして頂いています。

いつもいつもありがとうございます!!

 

元を辿れば、、、やっぱりまこちゃん様々なのでした。:wa-i:

byキョーコ

 


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東京都豊島区西池袋で、金属製のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました


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東京都西池袋で年代物のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました。

前回に引き続きご紹介するのは、こちらです!!

前回は木製でしたが、こちらは鉄と銅からできているようです。(くまきちさんに確認してからと思いましたが買い取りに出られていて生憎伺えませんでした。間違っていた場合には後日訂正させていただきます!)

そして形状が大分異なります。側面には象嵌などの細工や文様がびっしりと入り、見るからに贅沢で凝ったつくりとなっています。

 

そして、肝心のお香を入れるところは、、、

何だか迷路みたいですね!

↑左側が蓋の裏で、右側が型枠です。両者ぴったりとはまります。

溝が直角に折れるだけでなくカーブしていたり蛇のようにうねっていたりと複雑な形をしていますが、そこはやはりお香時計。区切りがありますので、ぴったり時間通りに作られていたのでしょう。

時間が狂ってはいけませんから、作家の方はきっとご苦労されたことでしょう。

それにしても、この形は珍しいのではないでしょうか。

さすが、コレクターの方は珍しい物をお持ちです。

 

次はどのような方がこのお香時計をお持ちになるのでしょう。。。:wa-i:

byキョーコ 


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東京都豊島区西池袋で、木製のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました

 
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豊島区西池袋で、コレクターの方から年代物のお香時計(常香盤)を数点お譲り頂きました。

ドドーン!:b_body_jump:

くまきちさん、またまた珍しい骨董品を買い取りされてきました。。。

元々はお寺などで使われていたもので、 およそ江戸時代くらいのものかな、、、とのことです。 

ほーー!

 

引き出しの中には、、

 ヘラのようなものと櫛状のもの、それから木の型が入っていました。

 

 

 上部の格子をはずし、、

このように型枠を置き、溝にお香をヘラで押し込み、型枠を外して端に火を点けます。

すると、燃えたお香の位置で経過時間を正確に測れるのだそうです。

溝ごとにお香の種類を変えることもあったそうで、別室に居ても香りで時間がわかってしまうという、何とも粋な道具なのでした。 

Wikipediaによると、(種類にもよりますが)その継続時間たるや、12時間から1か月まで及ぶものもあったそうです。

 

このくびれも気になります。。。。

 

次回はこれらと同時にお譲り頂いた、大変贅沢なつくりのステキなお香時計をご紹介いたします。:wa-i:

byキョーコ


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