買取事例
川崎市中原区で、明治・大正期の鉄道食堂車チラシをお譲り頂きました
川崎市中原区で、明治・大正期の鉄道食堂車(列車食堂)チラシをお譲り頂きました。
名刺よりも一回り大きいサイズでステキなイラスト入り。
チラシのメッセージは様々です。
「朝食/昼食/夕食の御支度が出来ました」
「一品料理の御支度が出来ました」
「お定食は間もなく終ります 御召上りの方はお早くお越し下さいませ、、、」
大正モダンな雰囲気ですねえ。
ライスカレー 三十銭 合ノ子弁当 五十銭
ん?合ノ子弁当?Weblioによると、「米の飯に西洋風に調理した惣菜を添えた弁当。明治末・大正期に流行。」なのだそうです。
「程なく休ませて頂きます。 どうぞ御はやく食堂へお出下さいませ。」
「冷たいお飲みものいろいろ御座います」
「只今食堂がスイてゐます!」 あら?もしやベティちゃん?
メニューにはお刺身やビーフステーキまであったのですねえ!
日本初の食堂車は1899年山陽鉄道が運行した官設鉄道京都―山陽鉄道三田尻間。
写真にもある精養軒は1901年に官営鉄道(国鉄)新橋駅 – 神戸駅間の急行の車両に入ったのが最初だそうです。
東松軒は1908年の鉄道国有化以降に東海道・山陽線に。→Wiki
ところで、このチラシは座席に配布されたものだったのでしょうか。
座席で居眠りをしてふと目を覚ますと、このチラシが目の前に置かれていたりしたのかもしれませんね!
私、前回旅したのは飛行機で日帰りの高知。
このチラシを眺めていたら、無性に鉄道の旅をしたくなってきました。(お休みいただこうかしら。。。)
座席で食べる駅弁も乙ですが、たまには食堂車でゆったりと食事を楽むようなゆとりのある旅をしてみたいものです。
byキョーコ
川崎市中原区で昭和初期の小学生日記をお譲り頂きました
川崎市中原区で昭和初期の小学生日記をお譲り頂きました。
表紙には昭和9年9月 東須磨小学校第二学年とあります。
表紙をめくると、
ほぉー、、
・日記は自分の歴史
・日記は心の鏡
・日記は心の強いか弱いかをはかる試金石。必ず書くことによって辛抱強い人とならねばなりません。
記し方
・毎日何か一つでも善い行いをして書きなさい。
・綴り方のおけいこのつもりで本気で書きなさい。
ほか、、
さらに、1ページ目には「日記の誓」が5項目。
それでは日記をめくってみましょう。どれどれ。
男の子は兵隊ごっこ、女の子は看護婦さん役なのですね。
印刷文かと思うほどキレイな字で先生が一文添えておられます。
「にっきは一生書きませう。大人になって、君がりっぱな人になってをればをるほど、にっきはなつかしくたふといものになりませう。」
おにいさんの試験勉強中にうるさくして、「6時32分に寝ろ。」としかられています!
成績が上がっておとうさんおかあさんに褒められたそうです!
日記帳最後のページ。↓
大正天皇のお亡くなりになった日(12月25日大正天皇祭/大正天皇崩御日)、天皇の写真を見ながら勉強したとあります。
子どもの日記とはいえ、時代が反映されていてとても興味深かったです。
それにしても、言葉の使い方が丁寧ですね。書き手はなかなかお利口さんのようです。
それとも当時の小学二年生は皆このようにしっかりしていたのでしょうか!?
はたして、現代の平成の小学二年生たちは一体どのような日記を書くのかしら!?
byキョーコ
川崎市中原区で、戦前の観光絵葉書(満鉄関係含む)などをお譲り頂きました
川崎市中原区で、戦前の観光絵葉書(満鉄含む)などをお譲り頂きました。
昨日ご紹介した満鉄 (南満州鉄道) の切符など、戦前の古切符を買い取りさせて頂いたお宅では、古い絵葉書などもたくさんお譲り頂きました。
その中に、満鉄関係のものもありましたので、一部ご紹介いたします。
快速車“あじあ”の雄姿
(昨日ご紹介した中に、このあじあ号の切符がありましたね!)
大連にあった南満州鉄道株式会社全景
第一次満鉄総裁後藤新平伯銅像
下にいる人と比べるとこの銅像がかなりの大きさであることがわかります。まるで一国の指導者です!
満鉄自動車局発行の道路地図
上記は全て絵葉書です。
以下、南満州鉄道“株式会社”というだけあって、株主への配当支払票です。
まあ、、よくも捨てずに。。。
持ち主の方は昨日の古切符に限らず、様々なものを捨てずに保管される方だったようです。
ご家族(特に奥様)のご理解があったのではないでしょうか!?
お陰様で今となっては貴重なものばかりです!
byキョーコ
川崎市中原区で、満鉄切符など戦前の鉄道古切符をお譲り頂きました
川崎市中原区で、満鉄(南満州鉄道)切符など 戦前の鉄道古切符をお譲り頂きました。
くまきちさん、買い取りから戻られてすぐに切符の種類を仕分けし始め、
他と区別したのがこちらの3枚!
南満州鉄道の切符、いずれも昭和13年で、快速車“あじあ”や大連、新京、吉林の駅名が見えます。
買い取りに伺ったのが、かつて満州でお仕事をされていた方のお宅だったとのことで、
戦前の切符がこれだけまとまってあれば、必ずや満鉄の切符も混じっているに違いないと一目見て確信した!とくまきちさん。
他を拝見しましたら、赤線硬券入場券や寝台券、日本各地の鉄道切符、バス切符までありました。 お仕事の関係か、大分移動の激しい方だったようです。
私は古切符の知識がないのでそれぞれの珍しさや面白さは残念ながら分からないのですが、お分かりになる方は1枚1枚手に取るのがさぞかし楽しいでしょうねえ、、、
byキョーコ
余談ですが、倉庫でまこちゃん発見
余談になりますが、、、
先日倉庫に入ってふと古い携帯電話が目につきました。
ハッ!まこちゃんのシールが。。。
(「まこという名の不思議顔の猫」ブログに登場する猫です)
かなり使い込んであるけれど、もしやこれはくまきちさんの古い携帯電話??
伺ったところやはりそうでした。
くまねこ堂でお仕事をさせていただく前のことになりますが、私実はこのまこちゃんがきっかけでネコのボランティアを始めたのです。
まこちゃんはかつて多頭飼いが崩壊した場所から施設に引き取られたネコでした。
それまで動物の保護施設はどこか近寄りがたい印象があったのですが、飼い主の方のブログを拝見している内に、私もネコを飼うときはペットショップからではなく保護施設から引き取ろうと思うようになりました。
ただ住環境によりすぐには飼えなかったため、まずは少額でも寄付から始めようと施設を訪問したところ、スタッフの方からボランティアに誘われたのでした。
そして、、先日目出たく念願のペット可の住まいに移り、施設に保護されていた野良出身の6歳のマツコを引取ることになりました。
(施設のブログの方でも書かせて頂きました。→「公園のネコたち」)
くまねこ堂で求人の面接を受けた際に、「ネコのまこちゃんが好きです!」
と口走ったことが採用につながったような気もしなくもないですが、その後もにゃん子さんやくまきちさんには気にかけて頂き、有り難いことに施設のネコ達にと差し入れや寄付をして頂いています。
いつもいつもありがとうございます!!
元を辿れば、、、やっぱりまこちゃん様々なのでした。
byキョーコ
東京都豊島区西池袋で、金属製のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました
東京都西池袋で年代物のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました。
前回に引き続きご紹介するのは、こちらです!!
前回は木製でしたが、こちらは鉄と銅からできているようです。(くまきちさんに確認してからと思いましたが買い取りに出られていて生憎伺えませんでした。間違っていた場合には後日訂正させていただきます!)
そして形状が大分異なります。側面には象嵌などの細工や文様がびっしりと入り、見るからに贅沢で凝ったつくりとなっています。
そして、肝心のお香を入れるところは、、、
何だか迷路みたいですね!
↑左側が蓋の裏で、右側が型枠です。両者ぴったりとはまります。
溝が直角に折れるだけでなくカーブしていたり蛇のようにうねっていたりと複雑な形をしていますが、そこはやはりお香時計。区切りがありますので、ぴったり時間通りに作られていたのでしょう。
時間が狂ってはいけませんから、作家の方はきっとご苦労されたことでしょう。
それにしても、この形は珍しいのではないでしょうか。
さすが、コレクターの方は珍しい物をお持ちです。
次はどのような方がこのお香時計をお持ちになるのでしょう。。。
byキョーコ
東京都豊島区西池袋で、木製のお香時計(常香盤)をお譲り頂きました
豊島区西池袋で、コレクターの方から年代物のお香時計(常香盤)を数点お譲り頂きました。
ドドーン!
くまきちさん、またまた珍しい骨董品を買い取りされてきました。。。
元々はお寺などで使われていたもので、 およそ江戸時代くらいのものかな、、、とのことです。
ほーー!
引き出しの中には、、
ヘラのようなものと櫛状のもの、それから木の型が入っていました。
上部の格子をはずし、、
このように型枠を置き、溝にお香をヘラで押し込み、型枠を外して端に火を点けます。
すると、燃えたお香の位置で経過時間を正確に測れるのだそうです。
溝ごとにお香の種類を変えることもあったそうで、別室に居ても香りで時間がわかってしまうという、何とも粋な道具なのでした。
Wikipediaによると、(種類にもよりますが)その継続時間たるや、12時間から1か月まで及ぶものもあったそうです。
このくびれも気になります。。。。
次回はこれらと同時にお譲り頂いた、大変贅沢なつくりのステキなお香時計をご紹介いたします。
byキョーコ
東京都大田区で戦争漫画の軍事郵便はがきをお譲り頂きました
東京都大田区で戦争漫画の軍事郵便はがきをお譲り頂きました。
右上にそれぞれの場面の見出しがつきます。
出兵、船出、上陸・・・上陸先での生活の様子から様々な軍事訓練の場面へ続いていきます。(右上から下に)
宛名面にはやはり軍事郵便と印刷されています。
「船出」の中では船酔いをしてしまった仲間に、「今仁丹ヲモツテキテヤルゾ、、、、「食事」の中では慌てて食べていた下士官に、「オイオイユックリトタベロヨ 腹モ身ノ内ダゾ」と親切です。
「塹壕中の食事」では「コウシテ敵ヲ目前ニシテ・・・ユウユウ食事スルノモ愉快ナコトダ・・・」と少しのんきな言葉が。
現実は大変厳しい状況だったはずですが、漫画のタッチのせでしょうか、時折ほのぼのした雰囲気にも感じられます。故国に送る漫画はがきですから、あえて少しユーモアを交えた内容になったのでしょう。
たくさん手紙を書いて、戦争漫画はがきワンセットすべてを日本の家族に送った、なんて兵隊さんもおられたかもしれませんね!
byキョーコ
東京都大田区で戦時中の南方風俗写真の郵便はがきをお譲り頂きました
東京都大田区で戦時中の南方風俗写真の郵便はがきをお譲り頂きました。
発行時期など詳細は不明ですが、前回の軍事郵便はがきと同じ類のものになります。
当時の南方風俗写真自体とても興味深いのですが、それ以上に目を引いたのは、宛名面に印刷されていたメッセージです。1枚1枚異なります!
総力戦一人一人が皆戦士
明日の日本我らの腕で
偲べ戦線固めよ銃後(銃後…戦地での前線に対し、戦地でない後方)
一億の力で築け新体制
一家の赤心国家の躍進 (赤心/せきしん…嘘いつわりのない、ありのままの心)
事毎現はせ活かせ大和魂
一分の時間も活かせ国の為
等々。。
国民の士気高揚を促すような内容の文句ばかりです。
ただし中には、なぜかカメラマンに向けて、、、
国護る心で写せカメラマン
法を守って楽しくパチリ
というのもありました!
次回は戦争漫画はがきをたくさんご紹介いたします。
byキョーコ
東京都大田区で戦前の軍事郵便はがきをお譲り頂きました
東京都大田区で戦前の軍事郵便はがきをお譲り頂きました。
宛名面には、切手欄に軍事郵便、その下に検閲のチェック欄、中央に陸軍恤兵部発行と印字されています。
陸軍恤兵部 とは何かしら、、、Wikiによりますと、「戦地への慰問、或は慰問で送られるものを「恤兵」と呼ぶがこの部署では主にその恤兵の管理などを行っていた。」なのだそうです。
これらの絵はがきはくまきちさん曰く、従軍画家による絵柄のもので、主に戦地の兵隊さんから日本の家族宛に送られたそうです。
↑このような戦地の絵柄もありますが、お譲り頂いたものは現地ののどかな風景や、風土を描いたものが多かったです。
はがきを受け取った家族は、戦地からの無事を知らせる便りの嬉しさとともに、遠い海の向こうの異国の風景にも興味を持ったことでしょう。
あ、戦争画の作家サインがアルファベットであるのは意外でした。
しかもS.MISAKOとありますから女性です。一体どのような方だったのでしょう。
描かれている絵柄からは、赴いた先が危険な地域でなかったことはわかりますが、この時代ですから相当の勇気のある方であったのだろうと想像します。
私もかつて絵画を勉強していた時期がありましたが、、、イエイエイエ、とても真似はできません。。。
byキョーコ