買取事例
イタリアもの:東京都板橋区にて明治期のマッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その7
東京都板橋区にて明治期のマッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その7
昨日はお花から上半身がにょきっと出ている大胆なデザインのラベルをご紹介しました。
本日はこどもがモチーフのユニークな絵柄を集めてみました。イタリアのものですね。

やんちゃな男の子が昆虫、爬虫類、カメ、鳥などとと戯れている様子。
だんだん、悪戯が度を越してきます。
大きなバッタにまたがって飛んでいるのでしょうか!?
楽譜をまたいで譜面台に座っています!
シャンパンを飲んで酔っ払っているようですが、、、
あーーー、悪すぎです!
バッタの脚を、、、、、なんてことでしょう。すごい絵柄です。
まだまだあります。
次回につづく。
byキョーコ
洋もの:東京都板橋区にて明治期のマッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その6
東京都板橋区にて明治期のマッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その6
前回のご紹介から大分間があいてしまいました。
本日は洋もののマッチラベルの中から、一際目を引いたこちら。
お花の中心からにょきっと上半身が出ている絵柄のものを集めてみました。
MILANO、Made in Italyと印字されています。
男性も女性も、衣装もポーズもいろいろです。
久しぶりにスクラップブックのページをめくりましたが、やはりこの分量はすごいです。
よりどりみどりの中からまた気になるラベルをご紹介させて頂きます。
次回もどうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都内にて、三代 佐々木二六の二六焼、細密片口茶碗と沢蟹刻湯呑をお譲り頂きました
東京都内にて、三代 佐々木二六の二六焼、細密片口茶碗と沢蟹刻湯呑をお譲り頂きました。
ひゃー、ステキ。。。ドキドキ
小振りな沢蟹刻湯呑は直径約7センチ、高さは5.5センチほど。
沢蟹が2匹、こちらの様子を窺っているようです。
ニ六は湯呑、茶碗、急須、水差し、花器などにもよく蟹を登場させています。
こちら、片口茶碗には細密な彫りが施されています。
たった約3センチ四方の中に、木立と東屋の風景が。
まるで物語の一場面がひっそり立ち現れたようです。
ろくろを使わない技法だからでしょうか、手仕事のぬくもりが伝わってくるなんとも素朴なたたずまいです。
愛媛県生涯学習センターさんのweb siteに三代 佐々木二六についての記述がありましたので、参照させていただきます。
三代 佐々木二六(1857-1935/明治-昭和期の陶工)
昭和7年(1932年) 旧制三島中学校卒業後、初代・2代のもとで陶磁器製造に従事
昭和15年(1940年) 三代目佐々木二六を襲名
昭和34年(1959年)~ 干支置物も製作、皇太子殿下の御成婚を祝して「おもと」を献上
昭和37年(1962年) 伊予三島市無形文化財指定
平成6年(1994年) 「陶磁器焼成工」として卓越した技能者「現代の名工」の労働大臣表彰受賞
ロクロを使わず竹ヘラ1本を使って緻密(ちみつ)な細工を施す伝統的な技法を受け継いでいる。「心を彫る」を信条とし、人物、仏像をはじめ、おもと・天神ガニ・ネズミなどの動植物を生きている姿のようにとらえ、土の上に再現している。特に、釉薬の研究に力を注ぎ色彩に独創性を発揮している。
※初代 佐々木二六・・・宇摩郡村松村(現四国中央市村松町)出身。本名六太郎。代々瓦製造に携わる家に生まれる。徳島で、熊本の生人形に出会ったことから人形制作に興味を持つ。その後、焼物を志し、各地の窯元を訪れて、研究を重ねる。明治20年、相馬焼に着想を得て、村松村に二六焼を創設する。以後、内外の展覧会、博覧会に数多く出品し、何度も受賞。宮内省への献上もあった。へらで形づくり、独特の彩色と釉薬を施した写実的な人物、万年青などの植物、蟹や虎などの動物を得意とした。
(以上愛媛県生涯学習センターweb site参照)
くまきちさんが参考までにに真葛香山の壺も見せてくださいました。
従業員でしばし鑑賞会。
いろいろあります。くまねこ堂!
byキョーコ
千葉県船橋市にて、明治末頃の唐木・紫檀の指物家具をお譲り頂きました
千葉県船橋市にて、明治末頃の唐木・紫檀の指物家具をお譲り頂きました。
前面の蓋には龍の彫り、引き出しの部分には斑竹がはめ込まれています。
くまきちさん曰く、
「日本で作られたものだけれど、当時流行った中国趣味を反映させたものかな」 とのこと。
前面の蓋には中国の吉祥文様である龍が彫りこまれています。
引き出しには斑竹が。
(買取りほやほや、ほこりもそのままにパチリ)
角は凸凹(ほぞ)で組まれています。釘は使われていないですね!
何に使われたものでしょう
お茶の道具入れ?煙草盆?
試しにニオイをかいでみましょう。くんくん
お香のような良い香りがしました。
もしかしたら匂い袋とともに、便せんや封筒などが入っていたのかもしれません。。。
byキョーコ
東京都内にて「鋳銅の亀」と称される名工、野上龍起の銅製置物をお譲り頂きました
東京都内にて、「鋳銅の亀」と称される名工、野上龍起の銅製置物をお譲り頂きました。
作者の野上龍起は、大島如雲に師事し、皇居前の楠公像や上野公園の西郷隆盛像の鋳浚仕上げを担当しました。
「鋳銅の亀」と称されるだけあって、1900年のパリ万博には持てる技術をいかんなく発揮した亀の置物数点を出品したのだそうです!
コロコロした仔犬が亀を押さえつけています。
こちら、大きなものではありません。
15×7×高さ約12センチ、亀の甲羅部分にいたっては約6センチです!
余談ですが、 亀オタクであり実際に ニホニシガメを飼育しているくまねこ堂従業員のコロスケさんによると、踏みつけられている亀は日本の固有種ニホンイシガメで、仔犬の比率から見て大人の亀だろうとのことです。
また、広重や国芳の版画の絵柄にも登場するのがこの亀なんだとか。
ははー、勉強になりました!
ちょっと失礼して、よいしょ。
さすがですね、置くと見えなくなってしまう部分も 、手を抜くことなく精巧に作られています。
ワンコもあどけなくてかわゆいです。
亀は踏まれてムッとしているようですね。うふ。
野上龍起(のがみりゅうき)
1865年生まれ
蝋型鋳造を得意とした大島如雲に師事
1900年パリ万博出品
1932年逝去
現在、亀の置物数点が東京芸術大学美術館に所蔵されています。
byキョーコ
東京都日野市にて、1961年の黒澤映画「椿三十郎」の決定稿台本をお譲り頂きました。
東京都日野市にて、黒澤明の映画「椿三十郎」の決定稿台本をお譲り頂きました。
連続でご紹介させていただいている昭和30年代の映画台本やドラマ台本。
特撮ものだけではなく、世界のクロサワの台本もあったのでした!
1961年 東宝株式会社とありますね。
公開は1962年1月1日でした。
ババーン!
キャストは直に書き入れられていました。 主演はもちろん三船敏郎です。
冒頭。。。

中盤
ラストシーン
昭和30年代の黒澤映画の台本が目の前に。
なんと素敵なお仕事でしょう・・・
くまきちさんによると、もともと古本買取りで伺ったお宅だったのだそうですが、
おうちの方が「こういったものもあるのですが、買い取りの対象になりますか?、、、」と奥から出してくださったのだとか。
買取りジャンルの幅が広いのがくまねこ堂の強みです。
是非、ご相談・お声かけくださいませ。
どうぞ宜しくお願い致します。
byキョーコ
東京都日野市にて、「ウルトラセブン」の初回台本!決定稿他をお譲り頂きました
東京都日野市にて、「ウルトラセブン」の初回台本!決定稿他をお譲り頂きました。
初回台本だけあって、表紙タイトルにはまだ(仮)の文字が残っています。

表紙をめくると、、ぺらり

その次のページには、ダダーン!
監修:円谷英二
株式会社円谷特技プロダクション初代社長さんです!
そして「特撮の神様」です。
↓ キャスト
↓ モロボシダンの変身シーン
↓ 初回エンディング、モロボシダンの心の声。
ほかの2冊は、ウルトラセブン「宇宙囚人303」とウルトラマン「恐怖のルート87・高原竜ヒドラ登場」です。
モスラやゴジラもかなりレアでしたが、ウルトラセブン初回台本もかなりドキドキものです。
これらはコレクターの方からではなく、当時の関係者のご家族からお譲りいただいたものなのです。
ありがとうございました!
大事に取り扱いをさせて頂きます!
つづく
byキョーコ
東京都日野市にて、「モスラ対ゴジラ」(1964年東宝)の映画台本・決定稿をお譲り頂きました
東京都日野市にて、「モスラ対ゴジラ」(1964年東宝)の映画台本・決定稿をお譲り頂きました。
前回の「モスラ」に続きご紹介いたします。
「モスラ対ゴジラ」はゴジラシリーズの第4作。「モスラ」の続編にあたります。
インファント島のモスラは寿命が迫っているにもかかわらず、酒井らの説得に応じ、ゴジラと戦うために日本へ向かいますが、日本の海岸に流れ着いていたモスラの卵をかばうように着地し、絶命します。
暴れるゴジラが子供たちのいる島に迫ろうとしているところ、モスラの卵が孵化し始め。。。
ああ、余命いくばくもないモスラ、はるばる日本まで来て、卵をかばうようにして絶命って切ないです。。
切ないと言えば、くまねこ堂のかめ子さんもこの季節、時折卵を産みます。
お相手がいるわけではないので、無精卵です。
ゴメンなさいね、カメ子さん。ひとりぼっちで産ませて。。。(泣)
映画台本、まだまだ続きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都日野市にて、「大怪獣 モスラ」(モスラ第一作目/1961年)の映画台本をお譲り頂きました
明治期のマッチラベルのご紹介をちょこっとの間お休みして、入荷したばかりの映画台本を数冊ご紹介させて頂きます。
お譲り頂いた「大怪獣 モスラ」(モスラ第一作目/1961年)映画台本の表紙には第3稿と入っています。
東宝 TOHO SCOPE 総天然色
第3稿 1961東宝株式会社
モスラ第一作目の台本です、大変大変貴重なお品です!!
福田善一郎役のフランキー堺の名前が。
1961年公開の「モスラ」では1958年の竣工の東京タワーに繭を張って成虫になり、タワーを壊すのですから、なんとも大胆な設定です。
そのあたりのシーンを探してみましたら、
「モスラ、激しく怪声をあけると、大きく羽ばたく。
東京タワーその羽に一たまりもなく、へしおれる。」
とありました。オー、本当にあった!
じ~ん。。。。
次回も引き続き貴重な台本をご紹介させていただきます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
当時の世相:明治期の商標マッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その5
明治期の商標マッチラベル(燐票)のコレクションを大量にお譲り頂きました。その5
マッチラベル初心者の私でも明らかに中国向けとわかる絵柄がちらほら。
↓ 中華民國萬歳 (榊原 JAPAN)
1912~1928年の中華民國国旗「五色旗」と1911年中華民國湖北軍政府が掲げた十八星旗(鉄血十八星旗/九角十八星旗)が振られています。
↓ 人物のポーズが上の絵柄と そっくり!!
↓ 自転車つながりでこちら (徳嶋製燧恵製造)
↑ 絵柄がほんのちょこっとずつ違っていますね。間違い探しのようで楽しいです。
(恰和洋行/佳志吉治洋行/良燧社製)
(三上商店)
↓ これ好きです!梅図かずおの描く漫画バリにびっくりしています。
お! 
また 十八星旗(鉄血十八星旗/九角十八星旗)が入っています。
変わった絵柄ですねえ。松の脇で理髪。
↓ こちらも絵柄違い。2枚目、3枚目の男生体操ってなんでしょうね。
↓ 当時このようなものもあったのですね。婦人衛生必携品とあります。
↓ 脳病全治保證薬ですって! 絵が怖いわ。。。
大日本帝国脳病院長の先生の処方、神経衰弱全治、のぼせ、卒中を防ぐと書いてあるようです。
↑ 次亜燐(じありん)は滋養の大関 牛乳の数倍 次亜燐を飲んでこんなに肥りました
各薬店にあり升
次亜燐とは何ぞや、と思いググってみたところ、内藤記念くすり博物館さんのページに詳しく記述されていました。(以下は要約です)
明治時代に入ると、海外の列強と対抗するため富国強兵の政策がとられるようになり、滋養強壮を目的とした薬剤の需要が高まりました。
次亜燐の効能は肺病・貧血病・胃病の際、消化を助け、体格を強固にするというもので、その広告ではたくましい体の力士がトレードマークになっていたそうです。
これは商標ラベルではありませんが、いずれの絵柄も当時の世相が反映されていて興味深いです。
まだまだつづく!
byキョーコ






























































































