買取事例
東京都千代田区で、佐藤助雄の一刀彫「猩」をお譲り頂きました。
 明けましておめでとうございます。
       本年もどうぞよろしくお願い致します。
さて、2015年最初にご紹介させていただきますのは、佐藤助雄の一刀彫「猩」です。
「う、上手い!」
なんて私が言うのは、大変身の程知らずで生意気で失礼なことです、すみません。。。
お能の「猩々(しょうじょう)」でしょうか。
(お能のことでしたらにゃん子さんが詳しいですね、 伺っておけばよかった!
)
どの角度から見てもホレボレする美しさです。
足元から扇子の端まで約33センチの高さですが、なかなかの緊張感と存在感があります。
佐藤助雄(1919~1987)
大正8年 山形市生まれ、仏師だった父に木彫を学ぶ
昭和11年 上京後、後藤良の内弟子となる
昭和14年 日本美術協会展で「ことり」が銅賞受賞
昭和16年 第4回新文展で「後庭菜果」が初入選
昭和18年 第6回新文展で「従軍看護婦」が特選を受賞、政府買上
 戦後、塑像に転じる
昭和23年 山形県展で「女の顔」が市長賞
昭和27年 「男の首」が日本彫塑家クラブ奨励賞を受賞
昭和29年以後、北村西望、富永直樹らに師事する
昭和30年 第11回日展で「布を纒ふ女」特選受賞
昭和31年 第12回日展で「清立」特選受賞
昭和34年 日展会員
昭和39年 日展評議員
昭和51年 第8回改組日展で「地と風」文部大臣賞  日本彫刻会委員
昭和55年 前年の第3回グループ絆展出品作「振向く」により日本芸術院賞受賞  日本彫刻会 理事 
昭和56年 日展理事 
昭和57年 日本彫刻会 委員長 
昭和62年 日展監事
(東京文化財研究所web参照) 
仏師だったお父様に木彫の手ほどきを受け、初期は能面を手がけていた時期もあったとの事。
“ぴたり”と決まったこの型/ポーズを彫り上げたのは、初期の能面制作での土台があったからなのかもしれませんね。
byキョーコ
余談 マツコの部屋 オールナイトマツコ
野良5年・保護施設9ヶ月を経て家ネコになったマツコの日常です。
深夜のひとり大運動会をしなくなってしばらく経ちますが、最近の流行は、夜中に段ボールハウスの中で段ボールをかみちぎったりおもちゃで遊ぶことです。
私たちが就寝するくらいの時間になると、マツコはおもむろに段ボールハウスに入ってスタンバイです。
「おやすみマツコ
。今夜もオールナイトだね。」
部屋のあかりを消すと、「人間は寝た=心置きなく遊ぶ時間」と思うらしく、間もなくバリッ、バリッと始まります。
しばらくすると、しゃかしゃかしゃか。猫じゃらしでひとり遊ぶ音が。
ぴちゃぴちゃぴちゃ。のどを潤し、カリカリカリ。フードも明け方までに平らげます。(マツコは1日量を時間をかけて食べます。)
何度も音で目が覚めてしまうので、できれば日中に遊んでくれればいいのになあと思うのですが、野良時代からの習性で夜間が主な活動時間帯です。昼間はグーグー。
寒い冬の晩、マツコといっしょにお布団で寝られる日はくるのでしょうか。
でも、遊んでいるのは元気な証拠と思うと、それが何よりかなぁと思います。
byキョーコ
↓ 今朝のマツコ。ガス栓の修理業者におののき、トイレの中で固まっています。
神奈川県で、萬古焼名工 人見洞永の雲錦模様蓋物「鈴」をお譲り頂きました
神奈川県川崎市麻生区で、 萬古(万古)焼名工 人見洞永の雲錦模様蓋物「鈴」をお譲り頂きました。
人見洞永は明治30年生まれ、皇室への献上品を数多く手がけました。
ご紹介するのは戦前頃のお品と思われます。
直径は約11.4センチ、高さは約12.4センチ。
桜や紅葉がびっしりと描きこまれています。
くまきちさんが、「とても出来が良いし、超絶技巧だよ!」と見せてくださいました。
人見洞永(ひとみ どうえい)
明治30年 四日市生まれ。
ロクロ師北村伊三に師事し、京都にて京焼の技法を学ぶ。
古萬古、有節萬古の写物など色絵物を多く手がける。
戦後は三重県窯業試験所に勤め、皇室への献上品など多くの作品を残す。
絵付けもしたが、彼のひいたものに東錦堂が絵付けした作品が多く現存する。
 (四日市市文化会館Webサイト参照)
あぁ、、、なんてステキなのでしょう、、我が家に連れて帰りたいです。。。
byキョーコ
東京都中野区で、昭和初期頃の広島伊藤久芳堂の銅蟲喫煙具セットをお譲り頂きました
東京都中野区で、昭和初期頃の広島 伊藤久芳堂の銅蟲喫煙具セットをお譲り頂きました。
共箱の蓋内側には、伊藤久芳堂のラベルや、この喫煙具が贈られた日付け、昭和9年などと毛筆で書かれています。
銅蟲(どうちゅう)細工は、江戸時代の初めころに広島藩主、浅野侯がお抱え職人の清氏に創案させた技法で、銅板を槌で打って表面にツチ目模様を施し、稲の藁で燻して磨き上げる広島県の伝統工芸品です。
また、銅蟲と呼ばれるようになった由来は、銅細工師の佐々木伝兵衛が仕事熱心なあまり「銅の蟲(むし)」と呼ばれたから、なのだそうです!
参考ページ/広島県Web サイト
お盆の裏には、「記念 中国新聞社」とありました。
灰皿や煙草入れの上部にある模様は中国新聞社の社章なのですね。なんと立派な記念品なのでしょう。
くまきちさん曰く、「とても出来のよい品」とのこと。
この喫煙具を作られた職人さんも、仕事の蟲となって一心不乱にお作りになったのではないでしょうか!
 
byキョーコ
東京都杉並区にて、古い京鉄瓶をお譲り頂きました
東京都杉並区にて、古い京鉄瓶をお譲り頂きました。
昨日までご紹介していた豆鉄瓶ではなく、通常サイズのものになります。
参考までに豆鉄と並べて撮影してみました。
うふふ、親子のようです。
蓋が銅製で梅のつまみがついているので、南部鉄瓶ではなく、関西風の京鉄瓶、羽付きタイプになるでしょうか。(南部鉄瓶は蓋とつまみが一体型になっているそうです)
こちらはこれまでくまねこ堂に入荷した鉄瓶から比べると、とても素朴な一品です。
以前くまねこ堂の倉庫には、それはそれは繊細で美しい鉄瓶たちがたくさん、それぞれの出番を待っていました。 既にお客様の元へ旅立っていますので、ここでご紹介できないのが残念です。
この素朴な鉄瓶も無事にどなたかの元へ行けるといいのですが。。。
次回は昭和初期頃の銅製の煙草盆セットをご紹介いたします。
(くまきちさん曰く、「とても出来が良い品」とのことです!)
byキョーコ
東京都武蔵野市で、南部鉄器の豆鉄瓶をお譲り頂きました。
東京都武蔵野市で、南部鉄器の豆鉄瓶をお譲り頂きました。
昨日より更におチビな豆鉄瓶のご紹介です。
画像だけだとサイズがわかりづらいですね。
こんな時にタバコの空き箱は便利です。
(くまねこ堂に喫煙者はいませんが、撮影用に常備しています。)
高さは約3.5センチくらい。かわいいです。
赤い色(カラー)鉄瓶の方でも高さは7センチほどですので豆鉄瓶です。
蓋の上には桜模様、胴体は桜の木肌のようです。(南部特製)
チビ豆鉄は両方とも霰文で、小さくとも細部までしっかり作られています。
子どもの頃、佐藤さとるのコロボックル物語が大好きでした。
私たちの周りには本当にコロボックルがいると信じていたものですから、よく庭の草陰を探しました。
結局蛙ぐらいにしか会えませんでしたけれど、、、
ミニチュアのものを目にすると、「コロボックルが使うかもしれない、、、」と思ったものです。
鉄瓶だってきっと喜ぶと思います。
次回は通常サイズの鉄瓶をご紹介いたします。
byキョーコ
東京都武蔵野市で、鉄瓶(黒豆鉄)をお譲り頂きました
東京都武蔵野市で、鉄瓶(黒豆鉄)をお譲り頂きました。
サイズは一番大きい物で直径約10.5センチ、小さい物で約9.5センチです。
急須サイズですので、普段使いで丁度良さそうです。
↓ 体型ぽってり、桜文 がかわいらしいです。
↓キリッとしてます、南部白新堂
↓ お馴染み文福茶釜(南部)
狸がなにか叫んでいるような。。。
やはり「熱い!
」と言っているのでしょうか。
鉄瓶は模様も形も実に様々。
次回も引き続き豆鉄をご紹介いたします。
byキョーコ
東京都世田谷区で、封蝋付き、閻魔様が手描きされた象牙の板絵をお譲り頂きました
東京都世田谷区で、中国文化大革命以降の封蝋(ワックス)付き、閻魔様が手描きされた象牙の板絵をお譲り頂きました。
単なる紫檀の硯箱かと思いきや、蓋を開けてみると、中には一面六臂三目の怖い閻魔様が、象牙の板に細密に描かれていました。
サイズは約8.5×15センチ、厚さは1mmです。
こ、怖いです、、、
17~18世紀のチベット仏画にこれと近い絵柄のものがありました。
閻魔様の体からぶら下がっている頭部は罪人たちでしょうか。。。
裏面のシールには日本に輸出された際の税金のことが何やら書かれています。
まるで重い蓋で閻魔様が封印されているかのようでした!
byキョーコ
東京都杉並区で、蓋付きの古い硯をお譲り頂きました
東京都杉並区で、蓋付きの古い硯をお譲り頂きました。
蓋の木は花梨のようです。
くまきちさん曰く、中国の唐物趣味を日本が重用/融合したものではないかな、とのことでした。
サイズは蓋なしで約10×16×4センチ。とても重いです。
墨を磨る部分と墨汁を溜める部分にあまり段差がなく、ゆるやかです。
それに対し、裏側はぐっとカーブしていますので、裏は裏で何か使い道があったのではないかしら、と思ってしまいたくなるような形状です。
不勉強なもので、側面の文字に読めない部分が。。。
この硯に限らず、買取品の中には、印、漢字や仮名で読めないものが時折あります。![]()
先日も戦後すぐの頃の毛筆の手紙が判読できなかったのですが、後日、プロの方が解読されたもののコピーをにゃん子さんがくださいました。
へぇ~なるほど!というレベルではなく、訳文すら日本語に見えない部分が多々あり、自分の無学が悲しかったです。
読めなかったときは悔しく、運よく読めたときは本当に嬉しいです。
判読は楽しい仕事のうちのひとつです。
byキョーコ
神奈川県鎌倉市で、昭和40年代頃の中国の硯(茄子型)をお譲り頂きました
神奈川県鎌倉市で、昭和40年代頃の中国の硯(茄子型)をお譲り頂きました。
茄子の形をした硯で同型の木箱入りです。
サイズは20×13.5センチほど。どっしりとしています。未使用品でしょうか。
上部にヘタや葉が彫られています。背面や側面にひょうたんや蔓がちらりと見えているのもオツです。
古くから茄子の形の硯は様々あるようですが、形状が硯に向いているということなのか、他に何か意味があるのか、、、
こちらは同封されていた説明書きです。
中国語のお分かりになる方、どうぞお読みくださいませ!
私、実は、子どもの頃のあだ名が「習字」でした。
習字のお教室に通うのが楽しく、学校でもよく貼り出していただいていたのですが、ある日クラスでえばっていた男子に「今日からお前のあだ名、習字だからな」と。。。
姉のお古だった何の変哲もない硯と、当時集めていたきれいな絵柄 (龍など) の墨は今も実家の天袋にしまってあります。
その頃は、こんなにもたくさんの硯がこの世に存在するとは考えもしませんでした。
くまねこ堂の倉庫で硯や墨を見かけるたびに、「あ、
」と思い、手に取りたくなります。 
byキョーコ

























 
















































