買取事例

切手、金貨、ネクタイピン、着物、お酒、マオタイ酒、経済学、専門書、学術書などお譲りいただきました

こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをお読みいただき有り難う御座います。

本日は東京都渋谷区のお客様より、切手、金貨、ネクタイピン、着物、お酒、マオタイ酒、経済学、専門書、学術書など、大田区のお客様よりDVD、ボックス、ビジネス書、実用書など多数お譲りいただきました。即日出張買取も行いました。

こちらがマオタイ酒の写真です。世界三大蒸留酒の一角に数えられるそうです。わたしは初めて見たのですが、とても有名なお酒のようですね。もっとお酒について勉強してみようと思いました。

最後までお読みいただき有り難う御座います。

くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております。

 

 


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【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その2 満州・朝鮮編

 先日は、東京都大田区上池台のお宅へ買取りにうかがい、 中国書画や掛軸をお譲りいただきました!ありがとうございます!
===

 さて本日は、
【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その1 中国編
https://www.kumaneko-antique.com/16521/

に引き続きまして、満州・朝鮮の地図のリストを掲載します。関東軍経理部長であった陸軍技師の方が遺された史料のため、満州の地図は青焼きの未公刊地図が複数含まれております。朝鮮の地図は、陸軍技師の方の直接の職掌でなかったためか数は少ないです。とはいえ、作製者が陸地測量部あるいは朝鮮駐箚軍参謀部と明記してあることから見て、それらの地図の来歴は確かなものといえます。

 この画像は、満州の表2の、1933年5月21日作製と思われる「張作相公館平図」です。この地図については、下記に列記した過去記事のリンクのうち、「その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面」で扱いましたので、ご覧いただけますと幸いです。

原田家文書 張作相邸

【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その2 満州・朝鮮編

  タイトル(作製者) 作製or公刊日 縮尺 市販or青焼き(公的機関の発行で金額の記載のないものは、公刊とした) 備考
1 大連(関東庁陸地測量部) 1924年4月25日 1万分の1 市販  
2  張作相公館平図  1933年5月21日?  記載なし 青焼き  
3 第3版 国都大新京(満州帝国国務院国都建設局総務処)  1934年9月11日  各図参照 市販  
4  満州百三十景(財藤勝蔵)  1933年8月10日  旅行案内の写真 市販  
5  撫順附近図(満鉄)  1931年  5万分の1  パンフレット  
6  旅順市街図(満鉄)  1935年4月10日  記載なし  パンフレット  
7  新京市街図(満鉄)  1934年12月15日  記載なし パンフレット  
 北満州と哈爾浜(哈爾浜商品陳列館)所収の満蒙略図 1929年?   記載なし  パンフレット  
9  奉天市街図(満鉄) 1933年 ? 記載なし  パンフレット   
10 奉天市街図(満鉄) 1935年? 記載なし パンフレット  
11 市街図 安東及新義州 1934年 記載なし パンフレット  
12 斉々哈爾案内(附)昂々渓泰来(満鉄斉斉々哈爾公所) 1929年3月 記載なし パンフレット  
13 大連市街図(満鉄) 1935年 記載なし パンフレット  
14 最新吉林市街地図(芝元正次郎) 1934年4月27日 7500分の1 市販  
15 国都新京建設の全貌(日訳)(満州国国務院国都建設局) 1937年 6万分の1 パンフレット  
16 大奉天全図(濱井松之助) 1934年2月25日 1万5000分の1 市販  
17 最新新京明細地図(木下米三郎) 1932年1月10日 1万2000分の1 市販  
18 ハイラル市街全図 記載なし 1万分の1 青焼き  
19 日満露支交通国境大地図(大阪毎日新聞社) 1935年1月1日 325万分の1 市販 ダブりあり
20 満州新京国都計画図 記載なし 記載なし 青焼き 左半分欠か
21 満州里市街図 1934年7月 4000分の1 青焼き 「陸軍技師熊田三治」の記名あり
22 哈爾浜市街及近郊図 記載なし 2万分の1 青焼き  
23 最新地番入 新京市街地図(土屋高一) 1936年9月20日 9000分の1 市販  
24 関東軍司令官々邸庭園計画(関東軍経理部新京派出所) 記載なし(1934年から37年の間) 500分の1 青焼き  
25 最新満蒙絵図(陸軍省内「つはもの」編集部) 1931年12月1日 記載なし 市販  
26 満州大地図(大日本帝国陸地測量部) 1933年 記載なし 作業用の未校正版 4枚セット
27 満州里亜市街図 План расположения лута и здании ст. МАНЬЧЖУРИЯ 記載なし ロシア語にて記載? 青焼き  
28 満州哈爾浜都邑計画図 記載なし 記載なし 青焼き  
29 新京地図(満州国軍政部) 1935年5月31日 1万分の1 公刊  
30 天津略図  記載なし (独露墺租界が記載されているので、少なくとも第一次世界大戦前) 記載なし  市販?  
31 軍司令官々官邸配置変更図 新京派出所 記載なし 500分の1 青焼き 24の変更図か

 

朝鮮

   タイトル(作製者) 作製or公刊日 縮尺 市販or青焼き(公的機関の発行で金額の記載のないものは、公刊とした) 備考
1 朝鮮平壌地図(陸地測量部) 1926年4月30日 1万分の1 市販  
2  朝鮮全図(朝鮮駐箚軍参謀部)  1911年3月補修 120万分の1  公刊  
 3  西鮮(朝鮮総督府鉄道局)  記載なし  記載なし  パンフレット  
4  龍山附近演習用地図  記載なし  1万分の1  軍当局の内部資料?  
 5  京城近傍図(臨時土地調査局軍参謀部  1913年4月  記載なし  公刊

 

これまでの関連投稿は下記よりご覧ください。

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして
https://www.kumaneko-antique.com/16456/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面
https://www.kumaneko-antique.com/16465/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代
https://www.kumaneko-antique.com/16470/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その4 日中戦争の最中に作製された「保定市街要図」と「第一野戦測量隊」
https://www.kumaneko-antique.com/16480/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その5 地図を補完する写真史料の紹介
https://www.kumaneko-antique.com/16504/

 なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないことにいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その1 中国編

 本日は、葛飾区のリピーターの方のお宅へ買取りにうかがいました! 仏具、法具、仏像、金剛杵をお譲りいただきました。ありがとうございます!
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 昭和戦前期の満州を始めとした外地の地図、そしてそれらを満州での滞在記録とともに残された陸軍の第一師団技師~関東軍経理部長であった、ある陸軍技師の方について、これまでの下記ブログで紹介してまいりました。

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして
https://www.kumaneko-antique.com/16456/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面
https://www.kumaneko-antique.com/16465/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代
https://www.kumaneko-antique.com/16470/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その4 日中戦争の最中に作製された「保定市街要図」と「第一野戦測量隊」
https://www.kumaneko-antique.com/16480/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その5 地図を補完する写真史料の紹介
https://www.kumaneko-antique.com/16504/

 今回は、その4で一部紹介いたしました、中国の地図につきまして暫定的なリストを作成いたしましたので、これを掲載いたします。以下の写真は、リスト1の「保定市街要図(甲集団参謀部第二課、第一野戦測量隊)」の一部です。その4でも申し上げました通り、野戦測量隊とは何か、その実態とは、といった点は解明が待たれるところであります。

日中戦争期の地図

 以下より、地図のリストになります。

【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その1 中国編

  タイトル(作製者) 作製or公刊日 縮尺 市販or青焼き(公的機関の発行で金額の記載のないものは、公刊とした) 備考
1 保定市街要図(甲集団参謀部第二課、第一野戦測量隊) 1938年3月 1万分の1 青焼き  
2 支那全図 1917年 560万分の1 市販  
3 特別絵とき学校日支事変参考地図 1937年 記載なし 市販  
4 上海新地図(杉江房造) 1932年2月25日 約2万分の1 市販  袋ありと袋なしの計2つ
5 最新南昌市馬路街道詳図(南昌市政府籌備処) 1940年6月 7500分の1 青焼き  
6 九江市全図 記載なし 5000分の1 青焼き  
7 武漢市街図(参謀本部) 1938年8月 1万2000分の1  公刊  
8  中支那(大日本帝国陸地測量部) 1938年8月30日 100万分の1 公刊  
9  南京広徳近傍図(大日本帝国陸地測量部)  1937年 25万分の1 

 公刊

 
10 最新南京地図(小山吉三) 1938年? 2万分の1

市販

 
11 北京地図(北京中東石印局) 1914年 1万5850分の1

市販

 
12 天津市街工事位置図 記載なし 1万7000分の1

青焼き

 
13  東部支那一般図(大日本帝国陸地測量部) 1937年8月30日 200万分の1 公刊  
14 北京市東西郊新市街地図(建設総署北京市建設工程局) 1940年8月 1万分の1 公刊  
15 済南都市計画道路一般図(済南工路工程局) 1929年? 2万5000分の1 青焼き  
16 最新実測 杭州西湖地図(小山吉三)  記載なし 1万5000分の1 市販  
17 石家荘都市計画要図(建設総署都市局) 1939年12月 5万分の1 公刊  
18 最新支那明細大地図(キング第14巻第1号、キング編集局) 1938年1月1日 300万分の1 市販  

19

 承徳付近図 航空写真ニ拠ル

記載なし 1万分の1 青焼き  

20

最新大亜細亜地図(キング第13巻第1号、キング編集局)

1937年1月1日 1000万分の1 市販  

21

無錫県城区図(無錫県公署指定藝海美術印書館)

記載なし 5000分の1 市販  

22

中支方面日支両軍態勢要図(陸軍省認可帝国在郷軍人会本部)

1938年9月12日 地図中に注記あり 市販  
23  上海蘇州近傍図(大日本帝国陸地測量部)  1937年9月25日  10万分の1  市販  
24 北支那地図(古山勝夫作製、満鉄発行) 1937年9月25日 200万分の1 市販  
25 北京都市計画要図(建設総署都市局) 1939年12月 5万分の1 市販  
26 上海杭州近傍図(大日本帝国陸地測量部) 1937年11月15日 25万分の1 市販  
27 最新大上海地図(杉江房造) 1940年5月1日訂正再版 2万4000分の1 市販  
28 最新蘇州地図(小山吉三) 1938年6月10日 記載なし 市販  
29 徐州方面戦局図(東京日日新聞) 1938年5月13日 記載なし 新聞に掲載  
30 蘇州新地図 記載なし 1万2500分の1 市販  
31 南京・上海地方詳細図(キング第13巻第14号) 1937年12月1日 記載なし 市販  
32 盧山鳥瞰図附盧山名勝一覧図(盧山管理局) 1937年6月  5万分の1  市販  
33 大徐州新区画明細地図(黒川重幸作製、満州日日新聞社発行) 1941年1月 7500分の1 市販  
34 冨士新年号附録 便利で見易い実用形 時局重要地図(帝国地図学館) 1939年1月1日 各図参照 市販  
35 広東地方要図(東京日日新聞) 1938年10月16日 図中のスケールを参照 新聞に掲載  
36 支那事変戦局並に処理明細地図、欧州大戦大地図(キング第16巻第1号) 1940年1月1日 330万分の1 市販  
 37 支那事変要覧東亜軍備現勢明細図(東京日日新聞社)  1937年10月5日 650万分の1  市販   

 

 なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないことにいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その5 地図を補完する写真史料の紹介

 先日は、川崎市幸区へ出張買取でおうかがいしました! 駄玩具、ブリキ、セルロイドの人形、双六、めんこなど珍しい品々をお譲りいただきました!ありがとうございます!
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 旧陸軍の第一師団技師および関東軍経理部長として、満州での工事や測量にあたっていた方が収集し、ご遺族によって保管されていた地図や回想記録などをこれまで紹介してきましたが、それはお譲りいただいたもののほんの一部にすぎません。あわせて、その中には、地図や文字史料とは趣が異なる史料も含まれております。その例としては、以下のアルバムが挙げられます。

満州の写真

 そこで今回は、満州事変の一幕を収めたいくつかの写真を取り上げたいと思います。満州事変の時期だというのは、1ページ目から、1931年9月19日の関東軍司令官本庄繁の布告があるからです。

満州の写真

 戦闘による死傷者の存在を生々しく伝える写真もあります。「血染ノ日ノ丸敵弾ヲ受ケタル鉄カブト」とのキャプションがあります。

満州の写真

 戦争は単なるドンパチ騒ぎでは成り立ちません。輸送路の確保など通信・交通のメンテナンスは、軍事行動において重要な意味があります。その中でも、鉄橋の修理などは、陸軍技師の活躍の場だったのでしょうか。これについては、以下の様な写真があります。

満州の写真

 戦利品として敵軍の兵器を押収することが盛んに行われていた様子も、以下の写真からも見て取れます。

満州の写真


 このアルバムの収められた写真には、単なる戦闘行為にどどまらない、広い意味での軍事行動について考えるきっかけが随所に含まれているように思われます。その意味で貴重な史料であると考え、今回ご紹介させていただきました。

 なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないことにいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その4 日中戦争の最中に作製された「保定市街要図」と「第一野戦測量隊」

 先日は、神奈川県青葉区美しが丘へ出張買取のためおうかがいしました! 九谷焼の大きな花瓶、掛け軸、茶釜、お茶道具、風炉釜、硯、備前焼、源右衛門をお譲りいただきました!ありがとうございます!
===

 昭和戦前期の満州を始めとした外地の地図、そしてそれらを満州での滞在記録とともに残された陸軍の第一師団技師~関東軍経理部長であったある技師(便宜上、〇〇技師と呼ばせていただいております)の方について、これまでの下記ブログで紹介してまいりました。

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして
https://www.kumaneko-antique.com/16456/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面
https://www.kumaneko-antique.com/16465/

※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代
https://www.kumaneko-antique.com/16470/

 ○○技師が満州で勤務していたのは、まさに満州事変と日中戦争との間の時期の、1933年5月から1937年4月でした。満州事変以降の日中関係の悪化は、緊迫しつつも小康状態をつくり出そうとした両国外交当局者の努力もあり、決定的な破局には陥ってはいませんでした。しかし、1937年7月7日の北京郊外の盧溝橋で放たれた一発の銃声が、いくつかの偶然や日本政府首脳の慎重さを欠く判断と重なってしまい、日中間の全面戦争を招いてしまいました。

 それゆえ、地図製作の歴史も、舞台は戦場となった中国に移ります。この問題を考える上で大変興味深い一枚の地図がございましたので、今回はこれを取り上げます。「保定市街要図」という1938年3月付の市街図です。

日中戦争期の地図

 「保定」というのは、当時の河北省の省都だった都市です。ここで日中戦争の初期の1937年9月24日、日中全面戦争を予感させる大規模な衝突が発生しました。その後も中国側の抵抗は続きます。とりわけ、保定郊外では中国共産党を中心としたゲリラとの戦闘で、日本軍は泥沼にはまっていきます。

 つまり、1938年3月付の「保定市街要図」の作製は、そのような緊迫した情勢の中で進められたのだと考えられます。

 ところで、この「保定市街要図」は外地、なかでも戦地における地図作製の歴史を考える上での重要なキーワードが記載されていることに気づきました。たとえば、表題の下に次のような文言が記されています。

日中戦争期の地図

 上掲の画像のように、備考として、「本要図ハ昭和十〔1935〕年撮影空中写真ヲ基礎トシ保定市街図ヲ参考トシ作成ス」と注記があります。日本での空中撮影による地図作製の本格的な導入はやはり、軍事行動と深くかかわっていました。1927、1928年に3度にわたって行われた、山東出兵という中国における日本人の保護を名目とした軍事行動です。

 だとすると、満州国建国の過程や、その後での馬賊の構想などを通じて、満州において盛んに空撮写真が撮られていたとしても不思議ではないでしょう。とするなら、これまで紹介してきた一連の地図や記録を残された〇〇技師は、1934年から1937年まで関東軍経理部長だったわけですから、満州での空撮に何らかの関係があったのかもしれません。ただ、この満州にかかわる話は、現在の研究でも未解明の部分が多いため、憶測の域を出ません。

日中戦争期の地図

 もう一つ重要なキーワードがあります。この地図を印刷したのは、「第一野戦測量隊」と記載されています。この野戦測量隊の実態というのも、研究上で注目されています。「測量隊」と呼称されているわけですが、日中戦争の最前線における「測量」の重要な任務は、中国側が作製した地図の押収であったという見方もあります。この問題は、今後の詳細な検証が待たれるところです。

※その1で挙げた、小林茂『外邦図――帝国日本のアジア地図』(中公新書、2011年)を参照しました。

 以上のように、戦地での地図作製を検証する上で重要な、「空中撮影」と「野戦測量隊」とが、今回ご紹介しました地図で共演しているのです。その意味でこの地図は、ジグソーパズルのわりと重要な1ピースなのかもしれません。

 なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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お茶道具、青磁、カメラなどをお譲りいただきました。

いつもくまねこ堂ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

 

本日は江戸川区のお客様よりご依頼をいただきまして、出張買取に同行させていただきました。お茶道具、美術書、図録、街道をゆく、青磁、カメラなど、多数お譲りいただき、誠にありがとうございます。

柳根瀅

 

こちらの写真は柳海剛さんという韓国の陶芸家さんの青磁の蓋の写真になります。本名は柳根瀅さんというようです。

わたしは初めて出張買取に同行させていただいたのですが、普段生活している中ではなかなか見かけないものなどを沢山目にすることが出来て大変感動いたしました。

ところで柳海剛さんですが、失われた高麗青磁の製造技術を復活させた方だそうです。そこで高麗青磁が気になり少し調べてみたのですが、青と緑の境目のような綺麗な色で、艶があってとても素敵な焼き物でした。朝鮮半島の高麗時代に製作され始めた焼き物のようですが、約1100年も前からこのような焼き物を人間が作っていたと考えると何だか不思議な気持ちになりました。

出張買取に同行させていただいて新しい世界を知ることができたり、様々な知識を身につけられそうだなと感じました。これからの人生の糧にできたらと思います。

最後までお読みいただき有難う御座います。

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昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代

 先日は、千葉県稲毛区緑町へ出張買取のためうかがいました! 昭和30年代当時物のおもちゃ、切手、万博記念メダル、オリンピック記念メダル、古銭、銀貨、外貨等をお譲りいただきました!ありがとうございます!

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 今回も、昭和戦前期の満州を始めとした地図についてご紹介していきます。本ブログで3回目になります。

 この度継続してご紹介おります満州の地図などを残された、陸軍第一師団所属の〇〇技師は、先般取り上げました1933年5月の満州視察に続いて、1934年3月29日から1937年4月8日まで正式に満州で働くことになりました。満州での勤務にあたり関東軍経理部長となった〇〇技師は、満州国の建設業務を主に担当することになります。

原田家文書

 満州での建設事業は日本内地とは環境が異なります。それゆえにどのような困難に直面したのでしょうか? 〇〇技師は自身が作成した1937年4月付の「渡満三年」というガリ版刷り冊子で、次のように述べています。

「元来満州ハ工事期限ガ非常ニ短イ、即五月ニ於テ尚地下二尺ノ地点は結氷シテ居ル、十月ニナレバ既ニ結氷ヲ初メル従テ工事期ハ五、六、七、八、九、一〇の六ヶ月ガヤツトノ事デアル」

 このように満州の気候を理由としてた工期の短さゆえに「血ノ出ル思ヒデ仕事ヲ急グ、何ト苦シイ事デアル」ことを、〇〇技師は吐露しています。

 その他、満州における航空機航路の発達についての記述など、「渡満三年」ならではの興味深い記述が含まれています。

 この時期の図面には、建築計画を示した青焼きのものも含まれています。その一例として以下に掲げたのは、「関東軍司令官々邸庭園計画」です。縦横ともに約80センチの大きさのため、表題が判別できるところまで寄って撮影しています。

原田家文書

 また、発行された地図ですが、満州国首都の新京の市街図もございます。1936年9月20日発行のものです。

新京市街図

 新京市街図

 満州国の都市に特徴的な、中央から放射上に伸びた幹線道路がはっきり見てとれると思います。興味深いのは、この道路の赤線がただの配色の都合ではなくて、バスの路線図を示したものであることです。日本内地では実現しなかった都市計画の実験場として、〇〇技師は張り切って仕事をしたことでしょう。

新京市街図 
 なお、本ブログでは、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしましたこと、あらためてお伝えいたします。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面

 先日は、横浜市中区山手町での出張買取でした! ご依頼くださったのは大正時代からお住まいのお方で、オールドノリタケ、オールド香蘭社、錫の茶托、煎茶器、書道道具、鉄瓶、軍用品、軍装品、万年筆、掛け軸をお譲りいただきました! ありがとうございます!
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 さて、引き続き昭和戦前期の陸軍が作製した地図につきましてご紹介してまいりたいと思います。前回のブログでは、1931年9月の満州事変の勃発から、それが一応の収束を見た1933年5月末の過程でのある興味深い出来事を取り上げていくと予告いたしました。というのも、これら史資料が、陸軍第一師団所属の人物のご遺族の方よりお譲りいただいたものであり、そのご祖父様が、1933年に満州での業務に従事していたからです。今回はこうしたことにまつわる記録について記してまいります。

 まずは、歴史的背景を簡単に確認していきましょう。満州(現在の中国東北部)の奉天郊外において1931年9月18日、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破されました。このことを理由に当地に駐屯していた日本軍である関東軍が、鉄道の警備にとどまらず満州占領に向けて軍事行動を開始しました。これが満州事変の発端なのですが、実は当時から関東軍の自作自演が疑われていました。そのため事態の収束を模索する日本政府と軍事行動を強行する関東軍の綱引きで、満州占領よりは穏便と見られた、親日的な新国家の建設へと事態が進行していきます。この新国家が1932年3月1日に建国された満州国であり、日本政府は満州国を同年9月15日に承認しています。

 しかしながら、国際的には満州国建国の正当性は認められず、国際連盟でもこの件について審議されることになりました。ところが、外務省を始めとして日本政府は、自ら満州国を国家として承認している手前もあり、国際連盟とは妥協しない姿勢を見せました。結局、日本は1933年2月に国際連盟脱退を通告するにいたりました。

 しかし、日本の国際連盟脱退で満州問題はいったんの解決、とはなりませんでした。なぜなら、満州での「親日国家の成立」が、陸軍による他の親日国家建国の画策という新たな企てを生んでいったからです。今回ご紹介いたします記録や地図は、この新たな親日国家ないし親日政権設立のための陸軍の謀略と関係しています。

 この度お譲りいただきました史資料を残した陸軍第一師団所属の方は、1933年5月に満州を視察していました。今回ご紹介するのは、この時期の滞在記録と作製地図です。なお、彼は陸軍技師であったので、とりあえず〇〇技師と記しておきます。

 〇〇技師は、1933年5月21日に南満州の錦州に着いて、旧張作相邸を視察しています。まずは本人が残した滞在記録「満洲旅行記」を確認してみましょう。

原田家文書

 下記は、その中の5月21日の記録の一部書き起こしです。

「五月二十一日 快晴
五時ニ起床、今朝九時半山海関を出発スル迄ニ此ノ地ノ視察ヲ終ル目的デ、朝食ヲ早ク注文シテ置イタノニ、女中ガ中々起キテ来ナイ。…
午后一時半錦州着、錦州ホテルニ入ル。佐伯主計ノ案内デ市外六メートル程ノ地ニアル張作相氏ノ別邸ヲ見ル。非常ニ大規模ノ設計デ敷地ガ八万八千坪アルソウダ」

 

原田家文書 張作相邸

原田家文書 張作相邸

 上掲画像が錦州郊外の張作相邸の図面の一部になります。青焼きのため、とりあえず図面の表題をご覧ください。張作相とは、一時は北京も支配していた満州の軍閥の張作霖の義兄弟です。吉林省主席の任にあった張作相は満州事変に際して、東北辺防軍司令官代理に就任し錦州で指揮をとっていました。話は前後しますが、関東軍はここを爆撃したのです。この錦州爆撃(1931年10月8日)に際して、張作相は天津のイギリス租界に逃れたとされています。実はそのころ、日本陸軍は華北において、親日政権樹立に向けた策動の一環で張作相を擁立しようとしていました。ただ、この張作相に対する工作を含む陸軍の策動は不発に終わり、結局は1933年5月末の塘沽停戦協定で満州事変はひとまず収束したこととされました。こうしたは陸軍の史料からうかがえます。この点については下記論文を参照しました(※)。

※古屋哲夫「『満州事変』以後の対中国政策」『人文学報』第47号(1979年3月)
https://furuyatetuo.com/bunken/b/48_manshujihen.html

 〇〇技師の仕事が、陸軍による満州や華北での親日国家建設の謀略とどれほど関連があったかは、今のところ定かではありません。ただ、そもそも軍事行動の遂行にあたって地図を作製する陸軍技師の存在やその業務は、これまでの研究でも知られていないことが多いのです。図面とともに滞在記録も含むかたちで、〇〇技師が史資料を残されたことは、非常に貴重なことなのではないかと考えます。

 以降のブログでは、満州国の都市や、戦場となった中国の地形図などをご紹介しつつ、満州事変後の日本軍の動きや当時の国際関係などにふれながら、今回お譲りいただきました史資料の重要性を可能な限りお伝えしてまいります。

 重ねてになりますが、本ブログでは、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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プラモデル、ミニカー、ポスター、DVD、ゲームなど、多数お譲りいただきました。

いつもくまねこ堂ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

 

先日はさいたま市のお客様よりご家族の遺品整理のご依頼をいただきまして、出張買取に同行させていただきました。プラモデル、ミニカー、ポスター、DVD、ゲームなど、多数お譲りいただき、誠にありがとうございます。

 

TAMIYAの箱付きプラモデルが多数入荷いたしました。並べると壮観です。

TAMIYA_01

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その他にも、細かく荷物を1点1点整理して行きましたら、懐かしいものがたくさん出てきました。恐らく80年前後くらいの頃のクーポン券や入場券、ガムの包み紙まで。なんでもないように感じますが、こういったもののほうが探しても出てこなかったりするんですね。時代を感じるデザインもたまりません。

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こちらは瓶のコカコーラの王冠ですが、店主に伺うと当時はみんな集めていたそうです。こちらもデザインかわいいですね。

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フリーコンサートのチラシなどもございました。内田裕也と水玉消防団、マジすか。あとヒーローって長沢ヒロのヒーローでしょうか。ボウイ以前に高橋まことがドラム叩いていましたよね。興味深し。

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そしてこちらはハイクラウンカードやドラえもんカード、プロ野球カード。今やどれもコレクターズアイテムですね。カードにめちゃくちゃ詳しい店主に色々とお話を伺っておりましたら、なんとハイクラウンカードもドラえもんカードも店主が集めておりました。

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こちらがたまたま近くに置いてあった店主のハイクラウンカードコレクションです。写真を撮らせていただきました。花と妖精を描いたカードなんですね。アルファベットがあるものとないものなど色々種類があったり、ディープです。

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くまねこ堂では古本のご整理はもちろん、懐かしいおもちゃやカードなどの買取も大歓迎です。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。

 

お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております。

 

 

56さん

 

 

 

 

 


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昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして

 先日、東京都小平市のお宅に買取へうかがいました! 切手、外国のコイン、古銭、オリンピック参加賞、腕章、メダルなどをお譲りいただきました。ありがとうございます!
===

 さて、別件での買取ですが、非常に貴重な史資料がくまねこ堂に入荷しました! 昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図です。陸軍第一師団所属の人物のご遺族の方よりお譲りいただきました。記して感謝申し上げます。

 現在、鋭意整理中です。

原田家文書

原田家文書

原田家文書

 

 まずは、本題に入る前に、地図の史資料的な価値について、若干ふれておきたいと思います。公的文書や政治家の書簡といった文字史料に比して、歴史を見ていく際に地図をどのように活用していくのか、ということは、未だ研究途上の課題なのです。

 ただ、「昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図」ということであれば、もしかして戦争との関連が濃いのでは、と想像される方もおられるかもしれません。こうした点に関する研究として、小林茂『外邦図――帝国日本のアジア地図』(中公新書、2011年)があります。戦前の日本が作製したアジア太平洋地域の地図である「外邦図」がなぜ重要なのか、同書で小林氏は次のように述べています。

「海外の見知らぬ土地で戦闘する場合、地図がなければ攻撃目標だけでなく味方のいる場所さえわからない。また戦争の結果獲得した植民地での近代的行政をめざした帝国日本にとって、インフラの整備や徴税など、地図なしには進められない多様な業務が課題となった。戦争と植民統治は地図を要求し、それに応じて地図作製機関が整備され、多彩な地図が作られていった。」

原田家文書

原田家文書

 戦争が切り口になるのでは、と考え小林氏の著作を参照しましたが、上記の引用からは、戦争からそれに引き続く占領統治、そして植民統治への過程で、軍事のみにとどまらない分野の問題が浮かび上がることや、地図を作製するという行為にまつわる組織の問題に気づかされます。こうした裾野が広く、かつ細部から目を切らないことが求められる戦前期日本軍の地図作製の研究は、やはり始まったばかりというべきでしょう。

 ところで、なぜそうした重要性を孕む地図研究は始まったばかりなのか。それは、やはり戦争との関係が影響しています。地図が軍事機密であったことで隠匿されやすいものであったこと、日本の敗戦と軍の解体によって地図を管理する主体が消滅したことにより、そもそも研究素材としての地図の収集やその作製者・作製時期の特定が困難だったからです。

 公文書で体系的に整理保存できたものでなかったからこそ、くまねこ堂で買い取らせていただくという機会を得られたわけで、そうした意味でも今回お譲りいただきました地図を中心とする史資料は、大変貴重なものといえます。

 これらのことをふまえつつ、今回入荷しました地図につきまして随時紹介していこうと考えております。

 次回は1931年9月の満州事変の勃発から、それが一応の収束を見た1933年5月末までの過程でのある興味深い出来事を取り上げてまいります。引き続きご覧くだされば幸いです。

 なお、本ブログでは、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないとの判断をいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

小野坂


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