買取事例

「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」(1960年10月20日、日比谷公会堂)をお譲りいただきました~60年後の現在を考えるきっかけに

 葛飾区鎌倉のお宅に買取にうかがわせていただきました!
 陶磁器、洋食器、金銅仏、青銅器、懐中時計、アクセサリー、達磨、備前焼等をお譲りいただきました。ありがとうございます!
===

 

 別件ではありますが、先日の買取品の中より、「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」1960年10月20日(於日比谷公会堂)を発見しました。

浅沼稲次郎葬式

 浅沼稲次郎(1898-1960年)は、早稲田大学在学中に日本共産党結党(1921年)に加わり、第二次世界大戦後は社会党の指導者として活躍した人物です。1960年の安保改定をめぐって社会党から右派が分離して民主社会党が結成された際、浅沼は社会党委員長に就任しました。一方の与党自民党は、1960年6月の日米安保条約の改定をめぐる安保闘争から岸信介内閣退陣、そして所得倍増計画を掲げる池田勇人内閣の成立(同年7月19日)というように、日米安保から経済成長に力点を移していきました。安保闘争が退潮していく中で、同年11月20日予定された衆議院総選挙の前哨戦となった各地の知事選の結果は、社会党推薦候補の惨敗に終わります。

浅沼稲次郎葬式

 そんな中で発生したのが、10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件でした。現場は自民党・社会党・民社党3党首立会演説会が行われていたに日比谷公会堂。浅沼が登壇し、ヤジが一段と激しくなっていました。司会の静止によりいったんヤジはおさまったものの、次の瞬間、思いもよらぬ事態が発生します。浅沼が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺されたのです。

 各党首の演説会の場での暴力の問題、それを防げなかった警備、政治報道・事件報道のあり方など、現在でも議論が両極端に振れがちな主題が散見されます。議会制民主主義のルールに則った上での対立において政治的な緊張を維持し、よりよい政策の形成へとどのようにつなげていくべきなのか。現在の視点から、歴史的事実もふまえながら考えていく必要があります。それは、国会審議が議論として成り立っていない現在だからこそ、正面から取り組むべきなのではないでしょうか。

浅沼稲次郎葬式

 そのような観点で見ると、上掲の追悼歌のメッセージも当時とは異なった形で受け取れるのかもしれません。それは必ずしも、「二大政党制」「社会党政権」の実現を一つのゴールとする話ではありません。議会制民主主義のルールに則った上での対立の困難さを振り返るとき、「野党」あるいは「左翼」の言い分にまずは耳を傾けるべきではないでしょうか。

 くまねこ堂は古本や古記録はもちろん、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


人気ブログランキング

日本画家紹介シリーズ その⑤ ~古人浮世絵各派編~

だんだんと日差しが暑くなってきましたね!
くまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます!

日本画家紹介シリーズ第5弾目になりますb_body_jump.gif
今回は日本書画名覧の「古人浮世絵各派」の番付から日本の書画、絵画作品の作者を抜粋してご紹介させていただこうと思います。
「日本書画名覧」とは日本の書作品や絵画作品の作者をジャンルごとに分類し番付(ランキングのような形)方式で記載している品物になります。

前回までのシリーズはこちら↓
日本画家紹介シリーズ その①~故人国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その➁~現代国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その③~故人南書名家編~
日本画家紹介シリーズ その④ ~現代洋書家編~


江戸時代以前、戦乱の世が続く苦しい時代に世を嘆く言葉として「憂世」が使われていましたが、江戸時代が始まり、はかない世の中であるのなら浮かれて遊ぼう、という享楽的価値観が生まれ、「憂世」は「浮世」に文字を変えました。そうして世を謳歌しようとする人々の姿など、当時の社会風俗を描いたものを「浮世絵」と言います。
今回ご紹介するのはこの日本書画名覧発行当時明治45年6月時点での故人の浮世絵画家の番付、ということになります。

また画像では分かりづらいかと思いますので書き起こさせていただきます!

岩佐又兵衛、菱川政信、宮川長春、鳥居清信、鳥居清倍、鳥文斎栄之、礒田湖龍斎、西村重長、鳥山石燕、鳥居清満、菊川英山、歌川広重、恋川春町、菱川師永、西川祐信、窪俊満、西川祐尹、富岡永洗、倉橋豊国、宮川春水、月岡芳年、菱川師房、歌川国貞、葛飾戴斗、奥村政信、勝川薪水、歌川豊春、歌川国芳、菱川師宣、喜多川歌麿、菱川友房、宮窪北斎、柳川重信、宮川房信、鈴木春信、喜多川歌麿(2代目)、古山師政、鈴木春信(2代目)、石川豊信、堤等琳、鳥居清峰、渓斎英泉、鳥居清長、羽川珍重、歌川豊広、北尾重政、歌川国政、喜多川月麿、歌川国安、堤雪峰、小松屋百亀、卍楼北鵞、山東京伝(北尾政演)、有北坂馬、古山師重、喜多美麿、喜多川雪麿、山斎泉隣、近藤清春、南澤船ニ、葛飾北嵩、葛飾北斎

浮世絵といえばその魅力は海外にも広く知れ渡り、モネやマネ、ゴッホにも影響を与えました。
モネの代表作の一つ「睡蓮」は、自宅の庭で描かれたものですが、その庭にかけた日本風太鼓橋の参考にしたと言われているのが歌川広重の「名所江戸百景・亀戸天神境内」です。
モネは歌川広重の作品のどこに魅力を感じたのでしょうか。
歌川広重を少しご紹介させていただきます。

歌川広重は江戸時代の人気浮世画家です。江戸城の消防を職務とする下級役人の子として生まれ、わずか13歳でその跡を継ぎました。火消同心という本業を持ちながら、浮世絵師、歌川豊広に弟子入りし、16歳の時に「歌川広重」の名前で浮世絵師として活動していきます。
早くから人気が出たわけではなく、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の大流行などにより、影に隠れていた時期もありましたが、都と江戸をつなぐ東海道の道中での写生をもとにした「東海道五拾三次」で人気に火が付き、歌川広重の名前が広く知れ渡るようになりました。
「東海道五拾三次」、「名所江戸百景」など、広重の描く浮世絵の特徴として、風景の遠近感が非常に自然なことが挙げられます。そして自然な描写を得意としながらも、大胆にデフォルメし、遠景と近景の対比をつくりだす構図の面白さがあります。その風景と共に描かれる人々は情感に満ち活き活きと描かれ、輪郭線があり平面的な画面と共存するリアリティーは西洋画家に新鮮な驚きをもたらしたのではないでしょうか。

今回のご紹介はここまでとさせていただきますicon_surprised.gif
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

なか


古美術・骨董ランキング

日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その4(結)日露戦争を偲んで「金州駅ヨリ南山ヲ望ム」

 先日、東京都町田市木曽東での即日出張買取にうかがわせていただきました。学術書、専門書、格闘技、プロレスDVDなどをお譲りいただきました!ありがとうございます!
===

 これまで3回にわたり、日露戦争30周年を記念した写真帖、それとともにお譲りいただきました絵葉書について、昭和戦前期(1930年代)の観光産業の発展との関連でご紹介してまいりました。前回は、1910年5月14日から10月31日にかけてロンドンで開催された、日英博覧会を記念して発行された絵葉書を取り上げました。

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その3 帝国日本にとっての2つの1910年(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月9日)
https://www.kumaneko-antique.com/16050/

 その1、その2につきましては、下記リンクをご覧ください。

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その2 絵葉書になる歴史上の人物とはどんな人物?(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月6日)
https://www.kumaneko-antique.com/16034/

 これまで述べてきたように、昭和戦前期、とくに1930年代半ばの日本は、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。そして、そうした旅行先に選ばれたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡でした。

 お譲りいただいたものの中には、1930年代半ばと思われる遼東半島の大連の様子を写した写真があります。大連は、1895年の日清戦争の講和に際しての三国干渉の結果、ロシアの租借地となりました。その後、1905年の日露戦争の講和により、この地は日本の租借地となり、日露戦争の戦果を象徴するものの一つに数えられました。

 この大連旅行に際しての写真も、ブログその1で述べたような、日露戦争戦勝30周年記念と外地旅行の振興といった歴史的背景から無縁ではないように思われます。

 キャプションがついている写真ということでは、以下のものがありました。

大連アルバム

 上掲の写真は、下部に「大連旧露国寺院」と記載されています。1930年代半ばの旅行案内などを調べれば、これと同じロシア式寺院が紹介されているかもしれません。

 次の写真は、おそらく日露戦争の激戦を偲んで撮影されたものだと思われます。

金州駅と南山

 この写真の下部には、「金州駅ヨリ南山ヲ望ム」とあります。 南山とは、遼東半島の金州城南近に位置する南山のことですが、日露戦争の戦場でした。この南山での戦いは、要塞化された陣地に立て籠もったロシア軍による機銃掃射に対し、日本軍が三度の突撃の末に南山を占拠するという激戦になりました。日本軍は勝利したとはいえ、多大な損害を被りました。ドラマや小説でも取り上げられてきましたが、第三軍の司令官・乃木希典の息子で第二軍に所属していた乃木勝典は、この戦いで戦死しました。

 ちなみに、南山の戦いの日露両軍の配置を記録した地図によると、金州停車場付近に布陣した日本軍が東から西へ、南山のロシア軍陣地に向かって進軍していったことがわかります。そうすると上掲の写真の方向は、日本軍の進行方向と一致していることになります。このように日露戦争の南山の戦いの経緯や、写真が撮られた方向をあわせて考えると、この写真には日露戦争を偲ぶ意図があるというのも、あながち間違いではないかもしれません。

※明治卅七八年日露戦史. 第1巻 附図十二 南山附近第二軍之戦闘(五月二十六日)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774357/57?tocOpened=1

 ところで、1935年に日露戦争勝利30周年を祝った日本は、1937年以降中国との事実上の全面戦争に突入します。当時の中国の首都南京を日本軍は占領しますが、その後の掃討戦(に名を借りた略奪・強姦など)は凄惨を極めました。その様子は、在外公館員の避難もあり公的記録に残らない中、現地のキリスト宣教師や国際的なキリスト教団体の活動家の記録に残されています。

 驚くべきは、日露戦争勝利30周年を祝った観光と同じように、中国の首都南京陥落を祝った南京旅行のガイドブックや絵葉書セットが発行されていたという事実です。この点については、下記リンクの、近代日本史研究者のポートランド州立大学准教授・ケネス・ルオフ氏による学習院大学での講演で教えられました。

※ケネス・ルオフ「移動する帝国―絵葉書が語る大日本帝国―」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』第2号(2016年)、4-21頁
https://bit.ly/2VJKoU4

 戦争の勝利を記念することと、観光産業の振興という結びつきに関して、30年前の日露戦争を偲ぶ、ということなら正直にいって想像の範囲ではありました。しかし、日中戦争の場合は、現在進行形の戦争が観光コンテンツになっていました。この事実はどのように受け止めればいいのでしょうか。事の重大さに加え、あまり事実関係が解明されていないということもあわせ、この問題は今後の日本史研究の課題といえましょう。なお、これに関連して、戦時郵便に関するご資料もお譲りいただいたことがございます。下記リンクをご覧くだされば幸いです。

※郵政官僚の従軍アルバムのご紹介その2 日中戦争期の野戦郵便局の写真がございました!(くまねこ堂骨董ブログ、2020年3月11日)
https://www.kumaneko-antique.com/15537/

 くまねこ堂では歴史資料・古記録などの買取のご依頼大歓迎です!その他にも、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。

 お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


人気ブログランキング

トリオ・ザ・パンチ他芸人さんのサイン色紙をお譲りただきました☆彡

こんにちはbeer01.gif
なぜが最近肉が食べたいくまねこ堂スタッフです。
最近過ごしやすいお天気や気温の日が多いからでしょうか、、、beer01.gif

先日は、千葉県野田市のお客様より、
サンリオ、絶版漫画、昭和40年代物、内藤ルネ、モンチッチ、ガラスケース、CD、レコード、カメラ、ディズニー、グリコのおまけ、煙草入れ、煙管等!
即日出張でお伺いさせていただき、お家1軒様々なお品物をお譲りいただきました。

御依頼、誠にありがとうございました。

 

その中から、こんなサイン色紙がございましたので、ご紹介させていただきます。

 

日本の高度経済成長期、昭和60年~70年代頃に「おら、ハアド・ボイルドだど!!」というネタで一世を風靡した、トリオ・ザ・パンチ(内藤陳、井波健、久里みのる)のサイン色紙です!!!

40代以上の方で、記憶にある方、いらっしゃいますでしょうか(*^-^*)

emoji782.gifこの内のおひとり、内藤陳さん、その言葉の通りハードボイルド作家の一面もあり(!)、
月刊プレイボーイで連載をお持ちだった「読まずに死ねるか!」シリーズを、書籍化されていらっしゃいます。しかもお父様も作家で、プロレタリア文学作家の内藤辰雄さんです。
なんという血筋。

この色紙に描いてあるアゴが特徴的なイケメソも恐らくご本人の絵でしょうか(*‘ω‘ *)

あと、スタッフが個人的に調べて知ったことで気になるのが、内藤陳さんが開いた

「深夜+1 (しんやぷらすわん)」という、新宿ゴールデン街のバー!

新宿3丁目にあるそうで、ググってみたら食べログもありましたbeer01.gif( ´艸`)
新宿の飲み屋街は九龍城かっ!ってツッコミたくなるようないろんなお店があって面白いですよね。だからちょっと行ってみたい!(今は行けないですが、いつか是非beer01.gifshine.gif

人気芸人 タレント 色紙

他、コント55号!!牧伸二さん等など、shine.gif才師の神様cat_5.gifのような方々の色紙もお譲りいただきました。crown04.gif

大切にお持ちでしたお品物を、ありがとうございました。
少しでもお役に立てたのであれば嬉しいです!また何かお売りになりたいものがございましたら、お気軽にご相談くださいませlove0079.gif

 

かこさん

 


人気ブログランキング

 

日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その3 帝国日本にとっての2つの1910年

 先日、東京都町田市鶴川での即日出張買取にうかがわせていただきました。掛軸、香蘭社、象彦などをお譲りいただきました!ありがとうございます!
===

 日露戦争30周年を記念した写真帖、それとともにお譲りいただきました絵葉書について、昭和戦前期(1930年代)の観光産業の発展をヒントにご紹介してまいりました。その1では、前回は日露戦争記念の陸海軍写真帖と、これと同時期に発行された昭和10年頃の「旅行案内」との関連性を取り上げました。その2では、修学旅行と史跡観光とのセットが定着していくにあたり、1930年代の観光産業にその起源があるのではないか、という仮説に関係するような絵葉書を扱いました。

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その2 絵葉書になる歴史上の人物とはどんな人物?(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月6日)
https://www.kumaneko-antique.com/16034/

 今回は、これまでも述べてきた時代背景である、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んだった1930年代半ばの日本により迫っていきます。この問題を考える際には、その観光先として鉄板のコンテンツとなっていたのが日清・日露戦争の戦勝記念史跡だったこと、両戦争の実際の戦場は、朝鮮半島や中国東北部(満州)だった事実が重みを持ってきます。ここまでは、くまねこ堂ブログにてすでに述べたことですが、この歴史には当然続きがあります。そのヒントも、今回お譲りいただいた絵葉書の中に潜んでいました。

 その絵葉書とは、1910年の日本の国際的地位に関わる出来事を扱ったものです。

1910年日英博覧会絵葉書1

 この絵葉書は、1910年5月14日から10月31日にかけてロンドンで開催された、日英博覧会を記念して発行されたものです。絵葉書自体は昭和期のものと思われます。この博覧会は、日本初の国際相互博覧会となりましたが、その実現に向けて小村寿太郎外相が活躍しました。また、日本が関税自主権を回復するための条約改正は翌年に実現しますが、それを日本側で主導したのは、いうまでもなく小村外相でした。明治の45年間のそのほとんどをかけた交渉の末、ようやく日本はイギリスから平等扱いされるようになった、と当時の日本人が感じるような出来事が1910年、1911年にあったわけです。

1910年日英博覧会絵葉書2

 ただ、こうした日本人にとっての「お祝い事」は、それだけではありませんでした。イギリスを始めとした欧米の列強は、国内の体制は近代の国民国家であると同時に、外に向けては植民地獲得競争に明け暮れていました。明治日本の政治指導者は、この点でも欧米と同格になることを望んでいました。この文脈での重大な出来事で、しかも1910年だというのなら、他でもありません、韓国併合です。1910年8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本は、大韓帝国を併合して統治下に置きました。8月29日のことですので、日英博覧会の会期中であることは明白な事実です。だとすると、この日英博覧会は、ヨーロッパとアジアの植民地帝国の共催ともいえ、単なる「お祝い事」とだけ捉えることはできないような気がしてきます。

 こうした2つの1910年に着目すると、朝鮮半島や中国東北部(満州)の日清・日露戦争の戦勝記念史跡が、観光コンテンツと化していく流れを理解するヒントが得られるかもしれません。日露戦争は当時の日本の軍事力・経済力を超えた無茶な戦争であったわけで、国民に多大な負担を強いました。講話条約に不満を持った民衆は暴動を起こしました。とても国民的なお祝い事になるとは思えません。それがいつのまにか「偉大な明治の成功体験」になっていたのはなぜでしょうか。こうした疑問に答えようとすると、1910年日英博覧会がどのようなもので、それは後々にどのように記念されていったか、日英共催のお祝い事は韓国併合どのような関係にあったのか、といった問題を検証しなくてはならないように思われます。

 次回も、こうした問題に関わって、昭和戦前期の満州、とくに大連の写真などを取り上げてまいります。引き続きご覧くだされば幸いです。

 くまねこ堂では歴史資料・古記録などの買取のご依頼大歓迎です!その他にも、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。

 お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


人気ブログランキング

日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その2 絵葉書になる歴史上の人物とはどんな人物?

 先日、国立市に買取にうかがいました。三室小石、酒井 雄哉、三浦小平二、坂田泥華、三輪休雪、島岡達三、田辺 三重松、平山 郁夫、といった陶芸家、書家、洋画家、日本画家の作品や、木彫、仏像、古銭、銀杯、腕時計等を多数お譲りいただきました!ありがとうございます!

===

 さて、5月4日のくまねこ堂ブログにて、日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきましたこと、お伝えいたしました。前回は日露戦争記念の陸海軍写真帖と、これと同時期に発行された昭和10年頃の「旅行案内」を取り上げました。そして両者の関連から、日本の観光産業の発展が垣間見えるのではないか、という観点で紹介いたしました。

※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/

 改めてこの点を説明すれば、次のようになります。1930年代半ばの日本は、交通網の発達もあり、国内旅行どころか、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。その観光先として強力な、あるいは鉄板のコンテンツとなっていたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡だったのです。両戦争の実際の戦場は、朝鮮半島や中国東北部(満州)であったことを思い返す必要があります。もしかすると、修学旅行と史跡観光とのセットが定着していったのは、この時期の観光産業の勢いと関係があるのかもしれません。

 そこで前回の予告のとおり、あわせてお譲りいただきました絵葉書や満州で撮影された写真を取り上げていきます。まずは、前述した「修学旅行と史跡観光とのセット」という仮説に関わる絵葉書を見ていきます。

北条貞将絵葉書

 上掲の絵葉書は、鎌倉時代末期の北条氏金沢流の武将とされる、北条貞将(ほうじょう・さだゆき)です。鎌倉時代末期の倒幕運動の中で幕府軍の将として各地を転戦して活躍しましたが、新田義貞軍に敗れて壮烈な最期を遂げたことで知られています。なお、この場面は軍記物語『太平記』の名場面のひとつに数えられます。

 鎌倉幕府滅亡への道で数々のドラマが生まれましたが、そのような悲惨さと勇敢さがない交ぜになった逸話に直面したとき、どのような感慨を抱くかはともかくとしても、私たちはなかなか素通りできないものです。この北条貞将の戦死やそこにいたる人生が史跡観光のコンテンツとして、あるいは教材として扱われたとしても不思議ではないように思われます。

足利基氏絵葉書

 こちらは、鎌倉幕府打倒で活躍し室町幕府を開いた足利尊氏の四男にして、初代鎌倉公方の足利基氏です。基氏は武芸に秀で、かつ教養ある人物として伝えられ、しかも28歳の若さで亡くなったこともあり、講談において脚色し甲斐のある要素が詰まっています。

 「絵葉書化」という側面から見た場合、和歌や料理の造詣が深いという点が注目に値します。基氏が詠んだ和歌で扱われた名所、あるいはご当地の料理などをもとにして、強力な観光コンテンツと化していたことでしょう。

 北条貞将にしても、足利基氏にしても、絵葉書となる理由に事欠かない歴史上の人物であったといえるでしょう。

 次回は、冒頭に述べたもう一つの観点に迫ります。1930年代半ばの日本は、交通網の発達もあり、国内旅行どころか、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んだったこととの関連を思わせる、ある絵葉書を紹介する予定です。若干の予告をすれば、その絵葉書とは、1910年の日本の国際的地位に関わる出来事を扱ったものです。どうか引き続きご覧いただければ幸いです。

 くまねこ堂では歴史資料・古記録などの買取のご依頼大歓迎です!その他にも、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。

お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


人気ブログランキング

日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり

 先日は横浜市都筑区のお宅へ買取りにうかがいました。和本、漢籍、日露戦争写真帖、絵葉書、岩波文庫をお譲りいただきました!

 その中より今回は、日露戦争写真帖、絵葉書を取り上げ、どういった性格の資料なのか可能な限りお伝えしていきます。

 その取っ掛かりとなるのが、「三十周年記念 日露戦役回顧写真帖」「三十周年記念 日露海戦回顧写真帖」です。これらは、タイトルの通り、日露戦争(1904-1905年)の30年後にあたる、1935年に陸海軍の親睦団体および東京日日新聞社・大阪毎日新聞社によって刊行されたものです。

日露戦争記念写真帖

 発行日を確認してみると、次のことがわかりました。「三十周年記念 日露戦役回顧写真帖」の発行は1935年3月9日とあります。これは陸軍記念日(1905年3月10日の奉天会戦での陸軍の戦勝記念)の前日にあたります。「三十周年記念 日露海戦回顧写真帖」では、1935年5月24日の発行となっています。これも5月27日の海軍記念日の直前に発行されたわけです。5月27日の日露戦争にまつわる記念とは、もちろん日本海海戦の戦勝のことです。

 日露戦争における陸海軍の戦勝記念日に合わせて、大手新聞社も関わって刊行されたこの写真帖に、何やらビジネスの気配がすると感じた方、かなり鋭いと思います。その予感を検証するために、同じくお譲りいただきました、昭和10年頃の「旅行案内」を見ていくことにしましょう。

鉄道省の旅行案内

 その「旅行案内」とは、鉄道省編『山水名光』(ジャパン・ツーリスト・ビューロー事業部、1934年)、鉄道省編『麗山名水』(ジャパン・ツーリスト・ビューロー事業部、1936年)です。
なお、ジャパン・ツーリスト・ビューローとは、JTBの前身の旅行会社のことです。これら冊子には興味深いことに、日本各地の名所の紹介を終えた後に6ページ分、朝鮮と満州での旅行先が扱われています。

鉄道省編『山水名光』

 実は、1930年代半ばの日本は、交通網の発達もあり、国内旅行どころか、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。その観光先として強力な、あるいは鉄板のコンテンツとなっていたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡だったのです。もしかすると、修学旅行と史跡観光のセットが定着していったのは、この時期の観光産業の勢いと関係があるのかもしれません。

 つまり、こうした旅行案内や写真帖が意味していることは、日本が植民地や在外権益を獲得として、その領域を拡大して「帝国日本」となっていった経過を追うように、観光産業が「帝国日本」の範囲で成長していった歴史なのでしょう。このような観点については、下記リンクの講演録が参考になります。近代日本史研究者のポートランド州立大学准教授・ケネス・ルオフ氏による学習院大学での講演です。この講演録をご一読されれば、今回ご紹介した旅行案内・写真帖の持つ意味がより理解できると思われます・

※ケネス・ルオフ「移動する帝国―絵葉書が語る大日本帝国―」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』第2号(2016年)、4-21頁
https://bit.ly/2VJKoU4

 買取でお譲りいただきましたものの中には、絵葉書や満州で撮影された写真もございます。追ってくまねこ堂ブログで紹介していきたいと考えておりますので、引き続きご注目くださると幸いです。

 くまねこ堂では歴史資料・古記録などの買取のご依頼大歓迎です!その他にも、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。

お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

小野坂


人気ブログランキング

日本画家紹介シリーズ その④ ~現代洋書家編~

こんにちは、くまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます!
日本画家紹介シリーズ第4弾ですicon_surprised.gif
今回は日本書画名覧の「現代洋書家」の番付から日本の書画、絵画作品の作者を抜粋してご紹介させていただこうと思います。
「日本書画名覧」とは日本の書作品や絵画作品の作者をジャンルごとに分類し番付(ランキングのような形)方式で記載している品物になります。

前回までのシリーズはこちら↓

日本画家紹介シリーズ その①~故人国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その➁~現代国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その③~故人南書名家編~

「現代洋書家」の洋書、とは西洋画、ヨーロッパで普及した画材・技法で描かれた絵画のことで、主に油絵のことを指します。
この日本書画名覧は明治45年6月に発行されたものですのでその当時存命だった西洋画家の番付ということになります。

また画像では分かりづらいため、書き起こさせていただきます!

中村不折、満谷国四郎、吉田博、岡精一、高村眞夫、中川八郎、小杉放庵、石川寅治、川合新蔵、都鳥英喜、松岡寿、石井柏亭、渡部審也、小山正太郎、和田三造、中沢弘光、山本森之助、藤島武二、湯浅一郎、川村清雄、久米桂一郎、岩村透、跡見泰、岡吉枝、小林萬吾、小林鐘吉、黒田清輝、和田英作、松井昇、南薫造、寺松小太郎、青山熊治、丸山晩霞、倉田白羊、渡辺与平、藤島英輔、三上知治、山下繁雄、中村彝、間部時雄、正宗得三郎、永池秀太、伊藤快彦、大橋正尭、川端龍子、長尾黙、鹿子木孟郎、五性田義松、長原孝太郎、橋本邦助、石橋和訓、三宅克己、九里四郎、矢崎千代二、熊谷守一、村上天流、柴田節蔵、高木誠一、田辺至、加藤静児、坂本繁二郎、赤松麟作、山下新太郎、眞山孝治、高橋芝山、岡田三郎助、中野營三、石川欽一郎、有島生馬、相田寅彦、磯部忠、赤城泰舒、伊藤善一郎、中林僊、土岐芳助、佐々木義雄、夏目七策、織田一磨、森川松之助、水野以文、森田恒友、長谷川曹一、平木政次、茨木猪之吉、真野紀太郎、松山忠三、宮崎興平、松村巽、片多徳郎、白滝幾之助、津田青楓、井垣嘉平、池田治三郎、田辺至、寺松国太郎、佐藤均、岡野榮、有田四郎、田崎延次郎、森田太三郎、鈴木一之亮、細井未明、久米福衛、山脇信徳、庄野宗之助、二宮俊一、五島健三、渡辺亮輔、渡辺省三

この中から岡田三郎助を少しご紹介させていただきます。

岡田三郎助は明治から昭和にかけて活躍し、美麗な女性像を多く描いた洋画家です。
曽山幸彦の画塾や洋風絵画専修のために大幸館に入学し技術を磨き、
卒業後は黒田清輝なども指導を受けたラファエル・コランに師事。フランスに留学した後、東京美術大学の教授も務めました。
フランスから帰国した岡田三郎助は、パッチリとした目や卵型の輪郭など、江戸時代で美人だとされてきた細い目、面長の特徴とは違う女性像を描いています。

代表作「婦人像」の頬杖をつき、物憂げな様相の女性は、
大きな眼から様々な心感が伝わってくるようです。
西洋の影響を受けたと思われるその作画は、当時その時代までの世間の「美人」イメージを変化させたとも言われています。
固定されたイメージを変化させてしまう程の魅力を宿す岡田三郎助の作品達、是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。

日本画家紹介シリーズ、まだ続きます!随時更新していきますのでよろしくお願いしますb_body_jump.gif
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!

なか


古美術・骨董ランキング

ドーム・ナンシーのガラスの小瓶をお譲りいただきました。

本日5月初日の本日は快晴ですね。b-hare.gif
今月1軒目のお客様の元へ、早速お伺いさせていただきました!
今回が2回目のご依頼となる、
東京都墨田区のリピーター様から!
お譲りいただきましたお品物をご紹介させていただきます。

welcome01.gif

 

ドーム・ナンシー 出張買取

crown04.gifドーム兄弟(ドームナンシー Daum Nancy)の蓋つきの小瓶です。

フランス・ナンシーでは、エミール・ガレの作品に影響を受けたアールヌーヴォーを代表する素晴らしい芸術家が数多くの誕生しましたが、ドーム兄弟はその中でも、特にガレに引けを取らない職人として有名です。

アザミ文様の香水瓶です。

ドーム兄弟 出張買取

ドーム・ナンシー 出張買取

 

ドーム兄弟 出張買取

出張査定中はお客様と、とっても可愛いねこちゃんず
(査定を見物している猫ちゃんもいました( ´艸`))に
あたたかくお迎えいただきました。
スタッフは緊張していたのですが、そのお気遣いがとても有難かったです。

アンティークのお話undefined→猫ちゃんの話emoji310.gif→アンティークの話shine.gif→猫ちゃんの話emoji310.gifetc…
といったような流れで、お客様も面白いお話をたくさんしてくださり、終始勉強させていただけた時間となりました。本当にありがとうございました。

最後、くまねこ堂で用意をしておりました折りたたみコンテナ(お品物を運ぶ箱)に、
お譲りいただいたお品物を入れている最中、
猫ちゃんが一匹、ヌルンと中に!!
コンテナの中へ入ってきてしまいまして(*‘ω‘ *)カワ(・∀・)イイ!!!!!

かわいい猫ちゃんもお譲り頂いてしまいそうになりましたheart.gifheart.gif
とても可愛かったheart.gif

ドーム・ナンシー他、
ガレ、洋食器、アンティークガラス、アンティーク美術品等をお譲りいただきました。
ご依頼誠にありがとうございました!

かこさん

 


人気ブログランキング

ゴールデンウィークも出張買取、お受けしています!

ようやく暖かい日が戻ってきましたね!
普段なら、行楽シーズン! と浮足立っているフジタンですが、今年はあんまり浮かれてもいられません。ソーシャルディスタンス! をとりつつも春の日差しを感じてみたいものです。

話は変わって。
くまねこ堂は基本的に年中無休、365日体制で買取のご相談・予約をお受けしているのですが、この時期になるとたまにお客様からこのようなお声をいただきます。

「買取希望なんですけど、ゴールデンウィークは、やってないですよねぇ~」

お気遣いありがとうございます!
私フジタンがお答えしましょうっ!

 

くまねこ堂は、
ゴールデンウィークでも毎日営業!
出張買取致します!

もちろん、即日出張買取にも可能な限りお伺いいたします!
お気軽にご相談下さい。

 

買取の際は、掛軸、置物、アクセサリーや貴金属、お茶道具、美術品などなんでも査定! リカちゃん人形や特撮グッズなど昔遊ばれていたおもちゃも買取いたします。
ゴミと思われているものの中にも思わぬお宝が眠っているかもしれません、お気軽にお見せください。

お譲り頂いたお品物は折りたたみのコンテナをお持ちいたしますので、そのままの状態で大丈夫。
運び出しも全て当店スタッフが行いますのでご安心ください!

もちろん骨董だけでなく、古本も査定・買取いたします!
様々なジャンルのお品物をなんでも査定しますので、家一軒まるごとのご整理もお任せください!

買取のご相談は、フリーダイヤル
0120-54-4892(古書! 予約にゃ~!)
までお問い合わせ下さい!
また、LINEからも画像を送って査定することができますので、ご活用ください。
(※日時によっては先約が入っている場合もございます。その際は何卒ご容赦下さい)

スタッフ一同、きっちりマスク装備でお伺いさせていただきます。
ぜひともよろしくお願いいたします!

 

フジタン


人気ブログランキング

くまねこ堂 出張買取対応エリア

関東を中心に承っております。
詳しくは対応エリアをご確認ください。

PAGE TOP