買取事例
イミテーションジュエリーもご遠慮なくお見せください♪
本日は神奈川県横浜市鶴見区のお客様より、
ジュエリー、アクセサリー、高橋敬典、風炉釜、炉縁、掛け軸、香合、茶入れ、棗等をお譲りいただきました。ご依頼ありがとうございました!
そこで、お客様からこんなご質問があったので、ご紹介します!
Q. アクセサリーはイミテーション(模造品)やおもちゃはダメですよね。
A.もしお客様ご自身でイミテーションと判断できるものも、
ご遠慮なく先ずはお見せいただけましたら幸いです♪
このような質問やお悩み、結構お持ちのお客様にお会いするので、記事にさせて頂きました。
類似の質問ですと、
「そもそも本当に金なのか、銀なのか、
メッキなのかステンレスなのか、材質がはっきりしない、わからない」
「デザインが古いから、欲しい人いないわよね」
「石や部品が一部取れてしまっていたり、
チェーンが切れてたりするから、見てもらうまでもないと思う」
ざっとこういった感じでしょうか(*’ω’*)
↑こちらの画像にあるようなアクセサリーやジュエリーが箪笥の肥やしに長年なっているが、
行先がなくて困っている…
これらのようなお悩みをお持ちの皆さま!!
是非一度、くまねこ堂にお気軽に拝見させてくださいっ
上記のようなお品物を、元から期待してないわ(*_*)とお困りでしたお客様から
ため息交じりで拝見させていただきましたところ、
お値段が付いた(!)ものがあり、
「うっそ~~!臨時収入嬉し~~っ!!」
と大変喜んでいただけた場面に立ち会えた事が沢山ございます(∩´∀`)∩笑
お値段がつくものも、がらくただ~、おもちゃだ~と思っている物の中に、
あるかも!?しれません!!
そもそも、お家のものをご整理するのは本当に時間も労力も掛かりますよね
そのような状況の中で、何か少しでもお力になれることがございましたら、
くまねこ堂はとっても嬉しいです!
ちなみに、
当店では買取金額の一部~全額を、
犬と猫のためのライフボート、日本赤十字社、セーブ・ザ・チルドレン、
ユニセフ、赤い羽根共同募金、あしなが育英会 等、
NPOなどの慈善団体様へ寄付させていただくことも可能です(*´▽`*)
是非、ご検討くださいませ♪
かこさん
「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の機関誌、『ツーリスト』が入荷しました~1940年東京オリンピックに向けた観光国策の時代
先日は横浜市中区山手町のお宅に出張買取にうかがいました。大正時代からお住まいとのことでした。オールドノリタケ、オールド香蘭社、錫の茶托、煎茶器、書道道具、鉄瓶、軍用品、軍装品、万年筆、掛け軸をお譲りいただきました。ありがとうございます!
===
そういえば、7月末から東京で大きなイベントが予定されていたはずですね。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、東京オリンピックを開催する運びになったのでしょうか。しかしながら、日本各地で相次ぐ豪雨災害を思うと、オリンピックを素直に楽しめたかどうか、と考え込んでしまいます。
様々な問題が招致の段階から指摘され続けてきた2020年の東京オリンピックではありますが、それでもなお、オリンピック開催をあきらめない方もおられるかもしれません。それは、心から開催したいと願っている、という場合もあれば、悩んでいるけれども開催中止と言い出せないので、できれば開催に漕ぎ着けたい、ということも想像されます。
なぜ、後者のような想像をしたのかといえば、オリンピックは開催国の政府が主導する大掛かりな計画から距離をとることが難しいからです。オリンピックに個人としてどのような思いで関わるにしろ、推進側に入ってしまったら、政府関係の事業に否応なしに巻き込まれることになるでしょう。そうなれば、スポーツないし観光にかける真っ当な気持ちと折り合いを付けなくてはいけない事態にも直面するかもしれません。あるいは、そのような汚れなき思いを持ちつつも、想像もできないような害悪に加担してしまう可能性があります。
ここまで若干抽象的な話をしましたが、とはいえ全く根拠のない話ではありません。そこで、具体例を挙げるべく、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の機関誌、『ツーリスト』をひもといていきます。『ツーリスト』の1936年3月号のある記事を題材に、オリンピックに関わること、とはどのようなことなのかを考えるきっかけを提示したいと思います。
ここで取り上げるのは、斎藤光正「ベンフェス・クラブ(Benfes Culb)に就て」です。ベンフェス・クラブとは、1935年10月に設立された、旅行ガイドや観光事業に関する研究に従事する学生が集う団体です。ベンフェスとは、聖書の “Be forgetful to entertain strangers”を略したものです。これを団体名としたということは、「旅人たちを楽しませることを忘れないで」という決意表明でしょうか。
しかし、そのような決意表明が貫徹されるような環境だったかどうか、この点が気になります。自分たちがコントロールすることのできないような、大きなシステムの中の歯車となってしまったのではないか、と疑わせる文言が、この記事の中にあります。少し長くなりますが、引用します。
「目下、来る一九四〇年即ち皇紀二六〇〇年を期して万国オリンピック大会の招請を目して国際観光局は厖大なる観光事業5ケ年計画実施せんとして居る、今や観光事業は重大なる国策遂行の時代に入らんとして居るのである。」
こう述べた上で、ベンフェス・クラブはこの流れに貢献していきたいと表明しているのです。純粋に旅人たちを楽しませる、だけであったかどうか、現在の私たちが直面している問題を併せて振り返ってみるべき歴史だと思われます。
現在、くまねこ堂には『ツーリスト』が、1932年の第22巻第6、12号、1933年の第21巻第6、7、9号、1934年の第22巻2、9、11、12号、1935年の第23巻第2号、1936年の第24巻第3号の計11冊ございます。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂
モントリオールオリンピック記念硬貨セット、天皇皇后両陛下金婚式記念メダル、こけし 中国絵画などをお譲りいただきました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます!
昨日今日と天気の良い東京ですが、いよいよ本格的な夏が来そうな予感がします。
梅雨明けまで、あともうひと辛抱ですね。
本日は東京都荒川区のお客様より買取のご依頼を頂きました。
誠にありがとうございます!
こちらは1976年にカナダで開催された、モントリオールオリンピックの記念硬貨セットです。
様々なデザインの硬貨がズラーっと並んでいるのを見るとワクワクします。
そしてそれらを眺めているとなんだか無性に造幣局の見学に行きたくなってきました。
その他にも、中国絵画や天皇皇后両陛下金婚式記念メダル、こけしなどたくさんのお品をお客様にお譲りいただきました!
くまねこ堂では古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同心よりお待ちしております!
タカハシ
プラモデルを大量にお譲りいただきました。
降ったりやんだりの空模様が続きますね。
お陰様でなかなかベランダにお布団やらなにやらが干せていません。お日様の光を浴びせたい。
本日は、世田谷区松原のお客様より、
プラモデル、軍服、軍曹品、モデルガン、エアガン、絵画、洋食器、戦記等をお譲りいただきました!
御依頼誠にありがとうございました。
※当店倉庫にて撮影
中でもプラモデルを、、お、お店屋さんでした( ゚Д゚)!?
というくらいに、大量にお譲りいただきました!
写真に写っているもの意外に、
箱が小さめの女性くらいの全長程ある(!)
大型の模型キット等もお譲りいただきました!
本日は他にも軍服やヘルメット、モデルガン本体と他付属品等など、
沢山のお品物もご一緒にご整理をさせて頂きました。
くまねこ堂は朝からお昼過ぎにかけまして、
ハイエース2台、店主とスタッフ3人の
4人体制で大変お世話になりました。
お茶の差し入れも本当にありがとうございます
また何かご入用の際は、是非ご相談下さいませ!
スタッフ一同、心よりお待ちいたしております!
ありがとうございました。
かこさん
カール・ツァイス社の「ツァイス スーパーイコンタ」を買い取りました。
今回は、東京都世田谷区喜多見と大田区南雪谷の
二件のお宅に買取に向かいました!
大田区のお客様は即日買取です!
そのうち大田区南雪谷のお客様からは、
大理石(ドーム製)、戦前のカメラ(カールツァイス)をお譲りいただきました!
ありがとうございます。
なお、お客様は他にも重い美術全集のご処分もご希望とのことでした。
買取が難しいお品物ではあったのですが、他にお値段のつくものをお譲りいただきましたので、今回は特別に処分料を買取価格と相殺という形でご処分させていただきました。
そして、今回ご紹介いたしますのはこちら!
カメラ?
でも、レンズがない……。
ガシャコン!
なんと、レンズが飛び出しました!
ロボットみたいでカッコイイ!
こちらはカール・ツァイス社の「ツァイス スーパーイコンタ」。
おそらくU490ではないでしょうか。
カール・ツァイスはドイツの光学機器製造会社でして、その傘下であるツァイス・イコンが発売したモデルのうちひとつがスーパーイコンタです。
レンズがカメラ本体に収納される「スプリングカメラ」というタイプのもので、そのなかでも極めて初期の機種だそうです。
写真家・白簱史朗も愛用していたとか。
戦前の機械は、ギアやネジなどアナログの技術を組合せて複雑な動きを実現しているものが多く、見ていてシビれますね!
カメラそのものだけでなく、レンズや三脚など周辺機器も取り扱っております!
コレクションのご処分をご検討でしたら。ぜひともお気軽にお声がけ下さい。
フジタン
「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の機関誌、『ツーリスト』が入荷しました~1930年代の満州旅行に関する英文記事について
先日は 品川区南品川のお宅へ買取りにうかがい、勲章、春画、備前焼、九谷焼、アクセサリー、テレカをお譲りいただきました。ありがとうございます!
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ところで、新型コロナウイルスの感染拡大は、一向に終息する気配を見せません。その一方で、政府は「Go To トラベル」キャンペーンなる政策を掲げて、旅行を推奨しています。日本全国で困惑が広がっていることが想像されますが、その困惑度合いを体感するのに恰好の記事がございます。それは、「旅行に行きなさい」と題された、長崎新聞の2020年7月16日付の記事(https://this.kiji.is/656296522741711969)です。その冒頭を引用します。
「「動詞」で始まるのは命令形。初歩の英文法だ。だから、直訳すると〈旅行に行きなさい〉。観光旅行はいつから政府に命じられて出掛けるものになったのか、と揚げ足の一つも取りたくなる。「Let’s」でも「Shall we」でもない旅へのいざないに、延期や再考を求める声が広がる」
「Go To 」では命令文だという同記事の指摘は至極もっともなことです。しかもどこへ行けというのでしょうか。「トラベル」というまだ見ぬ約束の地でもあるのだろうか、と勘繰りたくなります。しかも、観光の促進だというのに、日本人にすら理解できない和製英語が氾濫している現状について、政府はどのように認識しているのでしょうか。とくに英語については、1930年代の観光業界の気合と比べるならば、「Go To」の私たちは恥ずかしい限りです。
そこで、有望な旅行先として、場所ではなく時を移す形で、1930年代の日本を候補地に提案したいと思います。とはいえ、場所についても現在と過去との間で差異があります。1930年代の日本は、現在の日本より範囲が広いので、初めて知ることも多いかもしれません。そのため、「過去の日本の範囲」に関わる話題で、1930年代の日本への旅をご案内していきます。乗物は、下記画像に掲げた、気合の入った雑誌です。
これは、最近くまねこ堂に入荷した、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の機関誌、『ツーリスト』です。赤の背景に樹木の影、その間に金箔で鳥と夕日が浮かんでいます。オシャレです。さらに、和文欄と英文欄を備え、和文は日本人国内旅行案内、英文は外国人観光客に向けての日本の旅行案内であることに、旅行促進にかける『ツーリスト』寄稿者たちの気合を感じずにはいられません。たとえば、英文記事には次のようなものがあります。
1933年の『ツーリスト』(第21巻9号)の英文欄は、満州と朝鮮半島の特集となっています。その第一論文である、高久甚之助「観光国としての満洲」は、旅行案内らしく、満州国の地理的広大さを中心的な話題としています。しかし満州国が「観光国」である所以は、単なる地理的条件のみにとどまらないことも、この論文からうかがえます。事実、高久は、遼東半島の旅順港について「日露戦争で有名」と書き添えています。なぜ、このような文言が挿入されているのでしょうか。
上記の「日露戦争で有名」との修飾の意味合いは、以下の様な同時代的背景とあわせて考える必要があります。1930年代半ばの日本は、交通網の発達もあり、国内旅行どころか、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。実は、その観光先として強力な、あるいは鉄板のコンテンツとなっていたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡だったのです。こうした歴史的かつ業界的背景が、外国人向けに書かれた英文記事の中にも顔を覗かせているのが興味深いところです。
こうした点については、以前本ブログでも取り上げました、「三十周年記念 日露戦役回顧写真帖」「三十周年記念 日露海戦回顧写真帖」(日露戦争(1904-1905年)の30年後にあたる、1935年に陸海軍の親睦団体および東京日日新聞社・大阪毎日新聞社によって刊行されたもの)との関係でふれたことがあります。下記リンクよりご覧いただければ幸いです。
※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/
上記で述べたような、観光業と戦争とのつながりの予感が、1930年代の日本への旅を提案した理由でした。さらに『ツーリスト』を精査していくことで、より良い旅となることでしょう。なお、『ツーリスト』の所蔵状況は、いくつかの公共図書館に点在しているのが実情です。現物も必ずしも容易に購入できるものではありません。復刻版もありますが、個人で手が出せる金額というわけでもありません。
現在、くまねこ堂には、1932年の第22巻第6、12号、1933年の第21巻第6、7、9号、1934年の第22巻2、9、11、12号、1935年の第23巻第2号、1936年の第24巻第3号の計11冊がございます。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂
亜土工房、内藤ルネの陶器人形、舟越保武のブロンズ像、書道道具等をお譲りいただきました。
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただき誠にありがとうございます!
すっきりしない天気が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
世田谷区給田のお客様より、亜土工房、内藤ルネの陶器人形、舟越保武のブロンズ像、書道道具、お茶道具、万年筆など様々なお品をお譲りいただきました!
誠にありがとうございます。
こうやってたくさん集まるとにぎやかですね!
今の時代とはまた違う魅力的なデザインのものばかりで見ているだけでわくわくします。
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同心よりお待ちしております!
タカハシ
昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その6 日中戦争期の軍事郵便や空中写真も含まれております!
先日は、府中市日鋼町のお宅へ買取りにうかがい、 掛軸、書、石印材、カメラ、ボヘミア、古伊万里、外国のお金、切手、テレカをお譲りいただきました!ありがとうございます!
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旧陸軍の第一師団技師および関東軍経理部長として、満州での工事や測量にあたっていた方が収集し、ご遺族によって保管されていたご史料につきまして、地図や回想記録を中心にこれまで紹介してきました。地図に関しては目録化に着手し、すでに本ブログでアップしております。
本日は、地図以外の貴重な史料として、日中戦争期の絵葉書を紹介いたします。これは軍事郵便のエンタイヤ(使用済みの郵便物)でもあり、大変興味深いものです。
実は、日中戦争から太平洋戦争にかけてのエンタイヤは、普通のエンタイヤではありません。普通のエンタイヤならば、使用済みを示す消印があるはずで、それだからこそ収集の価値があるわけです。しかし、戦時中のエンタイヤには消印がありません。ならば収集する価値がないではないか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。そこには検閲済みの印や部隊名の符牒など、この時期ならではの「エンタイヤ」性が備わっているのです(※)。
※財満幸恵「戦中の軍事郵便とその検閲について―日中戦争から終戦までを中心に―」『昭和のくらし研究』第8号(2010年3月)31-52頁
あわせて、絵葉書のアルバムの中に興味深いものが含まれておりました。以下の一枚です。
以前のブログで地図史料について取り上げた際、空中撮影した写真をもとにした地図があることにふれました。写真そのものが発見できなくとも、それに準ずる史料としてそうした地図が残存していることが、近年の研究において注目されています。このこととの関連で考えるならば、上掲の空中写真を用いた絵葉書も、同様の史料的価値があるのではないかと想像されます。空中撮影については、「その4 日中戦争の最中に作製された「保定市街要図」と「第一野戦測量隊」」でふれています。
これまでの関連投稿は下記よりご覧ください。
※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その1 謎深き戦争と地図の関係の解明の手がかりとして
https://www.kumaneko-antique.com/16456/
※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その2 陸軍第一師団の陸軍技師による1933年5月の満州視察記録と奉天軍閥・張作相邸の図面
https://www.kumaneko-antique.com/16465/
※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その3 1933年5月の満州視察に続く1934年3月からの関東軍経理部長時代
https://www.kumaneko-antique.com/16470/
※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その4 日中戦争の最中に作製された「保定市街要図」と「第一野戦測量隊」
https://www.kumaneko-antique.com/16480/
※昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図が入荷しました!~その5 地図を補完する写真史料の紹介
https://www.kumaneko-antique.com/16504/
※【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その1 中国編
https://www.kumaneko-antique.com/16521/
※【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その2 満州・朝鮮編
https://www.kumaneko-antique.com/16525/
※【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その3 日本内地・世界地図編
https://www.kumaneko-antique.com/16583/
なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないことにいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
小野坂
美術書、洋食器、ガラス器、銀器などをお譲りいただきました。
こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。最近は暑い日が続きますが、しっかり熱中症対策をして暑い夏を乗り切っていきたいですね。また、新型コロナウイルスの感染者数も増加傾向にあるので、そちらの方の対策も気を抜かずに続けていきたいです。
本日は東京都世田谷区のお客様より、美術書、洋食器、ガラス器、銀器など多数お譲りいただきました。
こちらがお譲りいただいた洋食器やグラスなどの食器類です。特に銀器などは、わたしは初めて実物を目にしたのでレミゼラブルみたいだなぁと感動しました。
食器にこだわったことはあまりなかったのですが、食器は料理のお洋服とも言いますから、やはり食器でお料理の印象も変わりますよね。素敵なお皿に盛られたお料理はより一層美味しそうに見えます。わたしも少し、素敵な食器を探してみたくなりました。
くまねこ堂は、古本・骨董品の他にも楽器・古いおもちゃ・アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております。また即日出張買取も可能な限り対応させて頂きますので、是非お気軽にお問い合わせ下さい。
皆さまからのご相談、ご依頼、スタッフ一同お待ちしております!
ち
【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その3 日本内地・世界地図編
先日は3件目の買取依頼がございました! そのうちの一つの横浜市旭区のお宅では、仏像、兜、信楽焼のたぬきをお譲りいただきました!ありがとうございます!
===
さて本日は、
【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その1 中国編
https://www.kumaneko-antique.com/16521/
【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その2 満州・朝鮮編
https://www.kumaneko-antique.com/16525/
に引き続きまして、日本内地および世界地図のリストを掲載します。日本内地については、「秘」と特記された陸軍関係の施設の見取り図や、将校養成学校の陸軍士官学校での教材と思しき地図が含まれています。
世界地図ではこんなものもございました。表6の三省堂刊の『Newest Atlas of the World』ですが、英語の勉強を兼ねた書き込みも見られます。その中には若干微笑ましい文法ミスもありましたが…。ともかく、この地図帳が刊行されたのは日露戦争中にあたりますが、「世界の中の日本」を少年ながらに意識していたのではないでしょうか。この少年は後に、陸軍技師として満州に渡ることになります。
以下より、目録になります。
【目録】昭和戦前期の日本内地・朝鮮・満州・中国の地図~その3 日本内地・世界地図編
日本内地
タイトル(作製者) | 作製or公刊日 | 縮尺 | 市販or青焼き(公的機関の発行で金額の記載のないものは、公刊とした) | 備考 | |
1 | 大宰府 | 記載なし | 5万分の1 | 市販? | |
2 | 須坂(地理調査所) | 1947年12月28日 | 5万分の1 | 市販 | |
3 | 妙高山(地理調査所) | 1952年9月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
4 | 中野(地理調査所) | 1952年8月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
5 | 鴨川(大日本帝国陸地測量部) | 1932年2月28日 | 5万分の1 | 市販 | |
6 | 大多喜(大日本帝国陸地測量部) | 1915年10月28日 | 20万分の1 | 市販 | |
7 | 京都東南部(大日本帝国陸地測量部) | 1932年7月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
8 | 勝浦(大日本帝国陸地測量部) | 1933年8月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
9 | 京都東北部(大日本帝国陸地測量部) | 1932年6月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
10 | 奈良(大日本帝国陸地測量部) | 1932年7月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
11 | 神戸(大日本帝国陸地測量部) | 1937年9月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
12 | 吉野山(大日本帝国陸地測量部) | 1932年6月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
13 | 掛川(大日本帝国陸地測量部) | 1932年2月28日 | 5万分の1 | 市販 | |
14 | 諏訪(大日本帝国陸地測量部) | 1934年7月25日 | 5万分の1 | 市販 | |
15 | 日光(大日本帝国陸地測量部) | 1935年4月25日 | 5万分の1 | 市販 | |
16 | 男体山(大日本帝国陸地測量部) | 1931年7月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
17 | 足尾(大日本帝国陸地測量部) | 1931年8月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
18 | 榛名山(大日本帝国陸地測量部) | 1932年7月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
19 | 草津(地理調査所) | 1952年8月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
20 | 岩菅山(地理調査所) | 1946年10月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
21 | 関東及北信越地方(地理調査所) | 1948年3月30日 | 50万分の1 | 市販 | |
22 | 大日本名勝遊覧地図(東京日日新聞付録) | 1930年12月26日 | 各図参照 | 市販 | |
23 | 大日本旅行地図(東京日日新聞付録) | 1927年1月1日 | 各図参照 | 市販 | |
24 | 大日本交通全図(大阪毎日新聞社新築記念) | 1922年2月1日 | 各図参照 | 市販 | |
25 | 最新日本全図(昭文社) | 1967年11月 | 各図参照 | 市販 | |
26 | 大阪市街全図(日下伊兵衛) | 1911年7月5日 | 1万7000分の1 | 市販 | |
27 | 新潟市全図(安達音治) | 1941年12月15日 | 1万8000分の1 | 市販 | |
28 | 大阪市街全図(日下伊兵衛) | 1920年7月10日 | 各図参照 | 市販 | |
29 | 奈良市実測図全図 | 1909年2月5日 | 記載なし | 市販 | |
30 | 英彦山々巡リ案内 | 1940年10月1日 | 記載なし | 市販 | |
31 | 名古屋港之図 | 1908年4月25日 | 記載なし | 市販 | |
32 | 長野(大日本帝国陸地測量部) | 1936年7月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
33 | 甲府(大日本帝国陸地測量部) | 1922年8月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
34 | 佐倉(大日本帝国陸地測量部) | 1915年4月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
35 | 宇都宮(大日本帝国陸地測量部) | 1935年11月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
36 | 宇都宮昭和十年修正版(大日本帝国陸地測量部) | 1936年11月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
37 | 京都及大阪(大日本帝国陸地測量部) | 1932年10月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
38 | 横須賀(大日本帝国陸地測量部) | 1921年10月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
39 | 熱海(大日本帝国陸地測量部) | 1927年4月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
40 | 東京昭和九年修正版(大日本帝国陸地測量部) | 1941年4月30日 | 20万分の1 | 市販 | |
41 | 最新仙台市街明細地図 | 記載なし | 8500万分の1 | 青焼き | |
42 | 最近大日本鉄道図(東京日日新聞付録) | 1930年1月1日 | 各図参照 | 市販 | |
43 | 大東京鳥瞰図(大日本文化協会) | 1921年12月5日 | 記載なし | 市販 | |
44 | 大日本鉄道全図(東京日日新聞付録) | 1925年1月1日 | 各図参照 | 市販 | |
45 | 日本鉄道交通図(鉄道省嘱託高橋勝先生監修) | 記載なし | 各図参照 | 市販 | |
46 | 給水工事配置図② | 記載なし | 1200分の1 | 青焼き。水圧等に関するメモ、付図あり | |
47 | 出雲大社並国造館之図訂正四版(曽田勝三郎) | 1924年7月10日 | 記載なし | 市販 | |
48 | 全国鉄道地図附名勝交通案内(大阪毎日新聞第壱萬五千号記念付録) | 記載なし | 記載なし | 市販 | |
49 | 習志野演習場東廠舎配置図 | 記載なし | 1800分の1 | 謄写版 | 2部あり |
50 | 習志野演習場東新廠舎配置図 | 記載なし | 1200分の1 | 謄写版 | |
51-1 | 臨時東京第三陸軍病院配置図 | 記載なし | 記載なし | 内部資料 | 2部あり |
51-2 | 部外秘 | 1940年3月 | 5000分の1 | 内部資料 自動車の経路の朱書きあり | |
51-3 | 陸軍砲工学校 | 記載なし | 1200分の1 | 謄写版 | |
51-4 | 板妻廠舎配置図 | 記載なし | 記載なし | 内部資料 | 2部あり |
51-5 | 秘 陸軍経理学校建物使用区分要図 | 記載なし | 記載なし | 謄写版 | |
51-6 | 陸軍士官学校要図 | 記載なし | 3600分の1 | 内部資料 | 「満洲国生徒会」との文言あり |
52-1 | 騎兵隊第十五連隊配置図 | 記載なし | 1200分の1 | 謄写版 | 2部あり |
52-2 | 騎兵隊第十六連隊配置図 | 記載なし | 1200分の1 | 謄写版 | 2部あり |
53 | 東京横浜大震災焼失区域明細図面(櫻井常吉) | 1923年10月18日 | 記載なし | 市販 | |
54 | 戦災焼失区域表示帝都近傍図(日本地図株式会社) | 1946年2月25日 | 各図参照 | 市販 | |
55 | 部外秘 陸軍士官学校配置要図 | 1939年7月 | 2000分の1 | 内部資料 | |
56 | 野戦砲兵学校配置図(其二) | 記載なし | 1200分の1 | 内部資料 | |
57 | 騎兵第十五連隊営内一般図 | 記載なし | 250分の1 | 謄写版 | |
58 | 三浦半島めぐり周遊コース略 | 記載なし | 記載なし | 謄写版 | |
59 | 静岡(大日本帝国陸地測量部) | 1936年7月30日 | 20万分の1 | 市販 | 2部あり |
60 | 東京西部近郊(大日本帝国陸地測量部) | 1934年4月25日 | 2万5000分の1 | 市販 | |
61 | 〔小田原付近の地図〕(陸軍士官学校か) | 記載なし | 2万5000分の1 | 不明 | 裏面に、朱・青の鉛筆書き込みあり |
62 | 冨士裾野附近其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
63 | 相模原演習場 | 記載なし | 1万分の1 | 教材 | 裏面に、朱・青の鉛筆書き込みあり |
64 | 豊橋近傍図 | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
65 | 東京西部其一 | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
66 | 冨士裾野演習場(大日本帝国陸地測量部) | 1937年6月30日 | 2万5000分の1 | 市販 | 2部あり |
67 | 富士裾野及箱根附近図其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
68 | 習志野及̪四街道附近図其一其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
69 | 駿河大宮及吉原附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | 2部あり |
70 | 冨士裾野附近其一其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材か | 2部あり |
71 | 箱根及冨士裾野附近其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材か | |
72 | 吉原(大日本帝国陸地測量部) | 1934年4月30日 | 5万分の1 | 市販 | |
73 | 横浜西部附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
74 | 豊橋及浜松近傍図其一其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | 3部あり |
75 | 習志野演習場(大日本帝国陸地測量部) | 1933年4月30日 | 1万分の1 | 市販 | |
76 | 三河大野及浜松(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
77 | 新京及奉化附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 50万分の1 | 教材 | 陸軍士官学校作成地図のため、ここに含めた。 |
78 | 駿河大宮吉原三島附近図第三次現地戦術(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
79 | 冨士裾野附近其一(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | 3部あり |
80 | 冨士裾野附近其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
81 | 箱根及冨士裾野附近其一其二(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | 2部あり |
82 | 三島附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
83 | 豊橋浜松附近(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
84 | 豊橋名古屋岐阜一般図(陸軍士官学校) | 記載なし | 20万分の1 | 教材 | |
85 | 三島附近図第三次現地戦術(陸軍士官学校) | 記載なし | 5万分の1 | 教材 | |
86 | 座間附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
87 | 参考書類綴 | 紐とじファイルの表紙のみ。なお、穴の開いた書類は見当たらない。 | |||
88 | 北條館山市街図 | 1922年 | 6000分の1 | 市販 | |
89 | 仙台市街全図(蓬田一郎) | 1923年 | 2万分の1 | 市販 | |
90 | 箱根名所地図 | 1922年7月23日 | 各図参照 | 市販 | |
91 | 雲仙(日本郵船株式会社) | 1924年3月10日 | 各図参照 | 市販 | |
92 | 神戸市街全図 | 1920年 | 1万2000分の1 | 市販 | |
93 | 東京府入新井・大森地図 | 1928年2月30日(原文ママ) | 5800分の1 | 市販 | |
94 | 東京西部近郊 (大日本帝国陸地測量部) | 1934年4月30日 | 2万5000分の1 | 市販 | |
95 | 大東京最近明細地図其一其二(東京日日新聞付録) | 1932年 | 記載なし | 市販 | |
96 | 携帯用大東京案内地図(東京日日新聞付録) | 1935年9月1日 | 記載なし | 市販 | |
97 | 日本国有鉄道線路図(日本国有鉄道) | 1953年 | 各図参照 | 市販 | |
98 | 品川台場・品川・碑文谷(大日本帝国陸地測量部) | 1917年2月15日 | 1万分の1 | 市販 | |
99 | 王子・早稲田・下練馬・新井(大日本帝国陸地測量部) | 1917年12月15日 | 1万分の1 | 市販 | |
100 | 千住・向島・三河島・上野(大日本帝国陸地測量部) | 1971年12月15日 | 1万分の1 | 市販 | |
101 | 相模原演習場(陸軍士官学校) | 記載なし | 1万分の1 | 教材 | |
102 | 座間附近図(陸軍士官学校) | 記載なし | 2万5000分の1 | 教材 | |
103 | 最新大東京地図(東京日日新聞付録) | 1925年11月10日 | 2万5000分の1 | 市販 | |
104 | 深川・洲崎・日本橋・新橋 | 1917年12月15日 | 1万分の1 | 市販 | |
105 | 最新大東京地図(東京日日新聞付録) | 1925年9月15日 | 2万5000分の1 | 市販 | |
106 | 東京地図 | 記載なし | 2万分の1 | 市販 | |
107 | 復興局監修 東京市街地図(東京日日新聞付録) | 1930年3月1日 | 各図参照 | 市販 | |
108 | 富士登山案内 | 記載なし | 記載なし | パンフレット | |
109 | 昭和製鋼所の概要 | 1934年 | 地図なし | パンフレット | |
110 | 満蒙毛織会社要覧 | 1933年1月 | 3万分の1 | パンフレット |
世界地図
タイトル(作製者) | 作製or公刊日 | 縮尺 | 市販or青焼き(公的機関の発行で金額の記載のないものは、公刊とした) | 備考 | |
1 | 中等教科 西洋歴史附図全(瀬川秀雄) | 1908年2月15日 | 記載なし | 市販 | |
2 | 新様式 世界現勢大地図(東京日日新聞編纂) | 1936年1月1日 | 4200万分の1 | 市販 | |
3 | 世界パノラマ地図(少年倶楽部付録) | 1933年12月1日 | 記載なし | 市販 | |
4 | 新体制世界全図(川俣鉄也著、佐藤弘 監修) | 記載なし | 記載なし | 市販 | 3枚セット |
5 | 大東亜共栄圏並その附近地図 (キング第17巻第1号) | 1941年1月1日 | 各図参照 | 市販 | |
6 | Newest Atlas of the World (三省堂) | 1907年10月18日 | 各図参照 | 市販 |
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なお、本ブログでは、先般から申し上げております通り、ひとまず史料の出所の詳細は公開しないことにいたしました。詳細につきましては、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。可能な限りお答えしてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
小野坂