買取事例

明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました


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明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました。

連続でご紹介している明治期のラベルはちょっこっとお休みです!)

 

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下等小学とは、明治19年制定の尋常小学校(義務教育)より以前の学校制度です。

日本の近代学校制度は明治5年の学制から始まったそうで、今回お譲り頂いた卒業候事(証書)は最初の制度時のものになります。

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進級するごとに、八級、七級、六級、五級、四級と等級が上がります。

下等小学、上等小学は各4 年、ご紹介の年齢も9歳から10歳です。 

 

身分の隔てなく就学できたそうですが、氏名の脇には平民あるいは氏族などと並記されていたようです。

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京都府上京区第弐拾六(26)組!

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 次回は入荷ほやほやの貴重な資料、軍艦比叡士官の日誌、ご家族とやりとりされた手紙、電報の貼られたスクラップブックなどをご紹介いたします。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ


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東京都世田谷区で、明治・大正頃のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。


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東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その4

 

お饅頭の包み、名古屋電機鉄道の回数乗車券、染料のラベルなど、もりだくさんです。

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↓ 雷様がなにか投げつけているようです。

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↓ デザインがかっこよくて色合いもキレイ!

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↓ 中国の曲芸師。玉乗りをしながら皿回し。

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↓ 天照大神!

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↓ 右ページに證券印紙がたくさん。このスクラップブックを作られた方の遊び心が!

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↓ 月の兎。筆書きされた絵柄とアールヌーボー調の枠とのマリアージュがステキ。

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つづく。。。

byキョーコ

 


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東京都世田谷区にて、明治期・大正期のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。


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東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その3

前回からのつづきです。

 

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↓ アサヒビールのラベル

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↓お目出度い鶴亀柄 マヤ商会 横浜 神戸

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↓ またもやカールローデ商会!(11月21日11月28日の記事)

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↓ 上部:やまと煮 広島 牛肉の缶詰

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カブトビール!

戦前の5大ビールのうちのひとつだとか。。。

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↓ カブトビールラベルの漢字バージョン

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↓ この男の子の帽子には「大日本三笠~」と読めます。

戦艦三笠のことでしょうか。

 

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↓ 丸いラベルは何の商品についていたものでしょう。たくさんあります。

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↓ 右:東京製薬株式会社 オリエンタルな絵柄が時々登場します。

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つづく

byキョーコ


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東京都世田谷区にて、明治~大正時代のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。


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東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その2

前回の続きとなります。

量が多いので、抜粋でと思いつつ、どれもこれもお見せしたいものばかり。

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↓ 国産ビール第一号 アサヒビール(大日本麦酒株式会社)

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アサヒビールのWEBサイトに興味深い記事が。(https://www.asahibeer.co.jp/news/2011/1012_2.html

「アサヒビール」は、大阪麦酒時代の1892年(明治25年)に発売されたビールで、ドイツに技術者を派遣して修得したビール製造技術と、当時としては最新鋭の設備を導入して、大阪府の吹田村醸造所(現 吹田工場)にて製造されました。発売以来、日本国内で愛飲されたばかりでなく、1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では“最優等ノ金牌”(いわゆる“金賞”)を受賞するなど、世界的にも品質の高さが認められた商品でした。

 

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↓ Yellow for cakes 3333 free of arsenic ヒ素を含まず、とありますね。

  染料のラベルでしょうか。中国輸出入とも記載されています。

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↓ 上:日韓通信業務合同記念切手

  この切手は、1905年に日本で発行されたものだそうです。

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↓ 桃太郎!

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つづく。

byキョーコ


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東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。


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東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その1

應用意匠抜萃と毛筆でタイトル書きされたスクラップブックは第一号から第八号まで、

日付は明治41年から大正8年までです。

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日本からドイツ向けに輸出されていた食料・飲料・繊維・薬品などの製品ラベルが多いようです。

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カールローデ商会とあります、

似島のドイツ人俘虜収容所の写真アルバムに同名の人物が写っていましたね!(11月21日11月28日の記事

 

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どれもこれもステキ過ぎです。  うぅ(涙)

大きなラベルが多いので、隅隅までじっくり鑑賞できます。  幸せ。。。

 

引き続きご紹介させて頂きますので、しばらくお付き合いいただけましたら幸いです。

次回もどうぞお楽しみに!

byキョーコ


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東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。


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東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。その4

収容所内でドイツ語の通訳をしていた方の記したノートです。

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輸送中、俘虜心得 1919年1月1日

左ページに日本語、右ページにはドイツ語。

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↓ 日本語のアップ。特に厳しいことは書かれていませんね。DSC09052

 

俘虜郵便物検閲要領

(我同盟國ニ居住スル敵國人ト敵本國トノ通信ヲ禁セシムル~など)

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↓ 左ページ:俘虜毛髪皮膚識別人員表 大正八年五月調

欄外の備考 本表ハ似島俘虜収容所俘虜四九三人ニ付調査セリ

毛髪別に観察スレバ金髪最モ多シ

皮膚別に観察スレバ赭(あかつち)最モ多シ

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↑ 右ページ:大正八年度俸給表(年額)

大将7,800から少尉783まで。単位は円でしょうか、、、?

 

検閲印見本イラスト?

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右ページ:スイス大使館に宛てた手紙の覚え書き?

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赤十字戦争捕虜関連の部署への手紙宛名見本?

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↓ 名古屋俘虜収容所人員増員表

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↓ 俘虜労役一覧表

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↓ 俘虜特殊技能調査票

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↓ 俘虜病類別新患統計表

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↓ 救恤金及寄贈金一覧表

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解放ニ際シテ一言ス 大正八年十二月二十四日

似島俘虜収容所長 菅沼大佐 (左ページ:日本語、右ページ:ドイツ語)

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他にも様々な書きこみがありました。

このノート以外に似島俘虜収容所の記録資料が一体どれだけ残っているのでしょうか!? 

 

次回はこのノートの書き手の方の「驚きのラベルコレクション:crown:」をご紹介させて頂きます。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ


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足立区

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サッカー部・声楽団・女装?:東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その3


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東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その3

その2に引き続きご紹介いたします。

 

↓ 左から、海軍経理秘書官ヒルピット、電気技師ワルデマー・アーペル(直筆サイン入り1920年)、歩兵卒リーバー、カール・ヂートリッヒと其の旅館

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↓ 二等水兵ケッテルリン、エルンスト・カイニング、井戸の部分(鉄筋コンクリート)

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↓ 青島独亜銀行副頭取オッファーマン、上海・青島・天津・芝宗ジータースプラムベック商会支配人カール・ローデ(直筆サイン入/その1にも登場)、ハッス中佐とチンメルマン少尉、漢米汽船会社青島支店長プリッツ・ニコライ

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↓ 上:サッカー部? 下:似島演芸!!

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↓ 似島演芸部 女装しています。そういえば、これまで女性がひとりも登場していません。。。DSC08626

 

↓ 似島声楽団!

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↓ 支那の佛寺

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↓ 左:雪だるま! 右:支那の佛寺DSC08630

 

↓ 四天王立像アップ 

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お腹部分の獅噛(しかみ)が大きくて立派です。

私はこの名称を知らなかったのですが、くまねこ堂の新人スタッフさん(スタッフ紹介にはまだ入っていないです)が「獅噛があるので四天王だと思います!」と教えてくれました。なんて頼もしい。うふ

 

↓ ニコリスク ウスリキー収容所(シベリア) 左からFischer、黒川中尉、前山通訳、Meszey

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右上の写真は石臼のようです。 

 

次回はこの写真アルバムといっしょに買い取りさせていただいた、収容所の関連資料をご紹介いたします。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ


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海軍関係者の肖像:東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その2

 
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東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その2

前回の続きになります。

 

建築土木業者 カール・ペター葬儀

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砲艦イルチス号

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艦首の装飾がすごいです。

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 こちらは2冊目冒頭です。

ミュンゲル海軍少佐からの直筆のお手紙が貼り付けてありました。日付は1920年です。

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お手紙をめくるとハッス海軍中佐の写真も。

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↓ 左から同じくハッス海軍中佐、 独亜銀行青島支店長リットミュラー、チーフェン・パッフェル、青島高等学校講師オートマー博士(ご本人の直筆サイン入り)

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↓ 左から掌砲特務曹長デットマー、ステルン海軍中主計、アルテルト海軍大主計

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↓ 左からハッス海軍中佐、一人飛ばして南満鉄道技師パウル・リヒター

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次回につづく。

byキョーコ


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陸軍独語通訳者の手製アルバム:東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。

 

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東京都世田谷区にて、1916~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。

陸軍のドイツ語通訳者の方による手製のアルバムで、俘虜となったドイツ人たちが収容所内でどのような待遇にあったか窺い知ることのできる大変貴重な資料です。

 

100年近く前のものになりますが、保存状態がよく、1枚1枚几帳面にメモが書き添えられていました。

 

 

 ジータス・プロムベック商会支配人 カール・ローデの読書室

 

 

 紅葉谷におけるチンメルマン少尉

 

上:ヒンナイ 下:ヘルマン

 

 1919年11月29日 宮島詣で

 

上:手紙の分配・・・階級によって異なりますが、俘虜一人当たり一ヶ月に3通の郵便を差し出すことが許されていたそうです。

 

 

チェスをするふたり

 

 

上:オーストリア人? 下:国民兵

 

 

 特志労働

 

 

大阪収容所に於けるクリスマス!1916年とあります。

 

私がイメージしていた収容所とは大分雰囲気が違います。

ハーグ条約により強制労働は禁止され、似島では朝夕の点呼と週一回の健康診断以外は、収容所内で自由に過ごしていたそうです。

 

そもそもドイツ人たちが収容された経緯は、、、

中国に進出していたドイツ帝国に対して、1914年日本軍が宣戦布告して中国に進駐。

陸海軍合わせて7万あまりの大軍を、中国山東半島の青島に派遣。

その際多くのドイツ人が日本軍の捕虜となり、日本に連れてこられたのでした。

 

日独戦争でのドイツ人、オーストリア人、ハンガリー人等の俘虜は4697人で、日本各地のチンタオ・ドイツ人収容所に送られたようです。

広島市似島臨海少年自然の家のwebsiteを参考にさせていただきました)

 

次回につづきます。

どうぞお楽しみに!

byキョーコ

 


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