買取事例
戦前ドイツの豪華客船ブレーメンのランチメニュー表をお譲り頂きました
西東京市で、戦前ドイツの豪華客船ブレーメン号のランチメニュー表をお譲り頂きました。
ブレーメン客船(NORDDEUTSCHER LLOYD BREMEN)の絵がメニュー表の表紙を飾っています。
カードを広げると23×31センチほどのしっかりしたつくり。
左側にはドイツ語、右側には英語で表記されています。
どれどれ、、、
ジャガイモがいろいろな調理法で提供されていますね。ベイクド、ボイル、マッシュ、マケール(マッシュポテトを焼いたもの)などなど。 、さすがドイツ!
また、各国の乗客が乗船する配慮からでしょうか、イタリアンやメキシカンもちらほら。
ムー、、今は夕刻、お腹がグーグー鳴ってしまいます。![]()
メニュ―下には日付けが印字されていました。1936年2月13日、昭和11年です。
ドイツを出航しニューヨークへ向かう航路途中、定期的に日本へ寄港することもあったようです。
当時、日本からは一体どのような方がどういった用件でこの豪華客船に乗り込んだのでしょう。
昭和11年2月13日といえば、2・26事件の起こる少し前になります。
余談ですが、メニュー表の一番下には食事中禁煙の一文も入っています。今でこそ当たり前ですが、当時からも大事なマナーであったのですね!
感心しました。
Byキョーコ
昭和レトロなクマの振り子時計をお譲り頂きました
東京有楽町で昭和レトロなクマの振り子時計をお譲り頂きました。
仕事中、 達磨大師の置物の方からカチカチカチカチ音がするので何かと思いましたら、その背後でひっそりとくまちゃんが目玉を右に左にしっかり振って稼働中でした。
背面には阿寒湖1985年8月8日とあります。買った日付をお店の方が彫ってくれたのでしょうか。
それにしても、この振り子時計、 昭和感満載で懐かしいです。
1970年代から80年代にかけて、避暑地のペンションやお土産屋さんにはこういったファンシーな木製のグッズがたくさんあったように思います。
ちなみに平成生まれのモモコさんにこれが懐かしく感じるか尋ねてみましたところ、
「平成のものでないことだけはわかりますっ」と率直な感想をいただきました。
ですよねえー、、
巷では「渋カジ」や「女子大生」、「テクノカット」などが流行っていた時代ですから。。。
(ハ!年がばれちゃうわ
)
byキョーコ
明治期頃の源内焼をお譲り頂きました。
西東京市ひばりが丘で、明治期頃の源内焼をお譲り頂きました。
8月9日の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第7回目(最終回)になります。
源内焼とは、江戸時代中期頃、マルチな学者、平賀源内が故郷の香川県志度(香川県さぬき市)で広めた鑑賞用の三彩の焼き物です。
明・清時代の中国南部の焼物、交趾焼(こうちやき)がルーツだそうです。
ご紹介させていただく飾り皿のサイズは約25×31センチ。
くまきちさんによると、明治期頃の再興品/オリジナルではないかな、とのことでした。
浮彫の凹凸で絵柄が表現されていて、かなり独特な焼きなのですね。
他の源内焼を拝見しますと、緑をベースにしたものが多く、いずれにも絵柄や文様が美しく入っています。
縁に凝っているのが特徴のひとつであるとのことで、なるほど、ご紹介のお品も中の絵柄を引き立てる額縁のごとく、手数がかけられているように感じます。↓
 
当時、高貴な家柄の個人宅で所蔵されていたため、市場に出回ることがほとんどなく、評価されるまでには大分時間がかかったのだそうです。
この飾り皿もその中の一枚であったのでしょうか。。。
明治以降、残念ながら源内焼は衰退してしまったそうですが、香川の焼き物にはその面影を残すものもあるそうです。
ある一軒のお宅から買い取らせて頂いた品々を7回に分けてご紹介させていただきました。
初めて拝見する貴重な工芸美術品ばかりで、私も勉強にもなりました!
byキョーコ
明治期の擬堆黒のお盆をお譲り頂きました。
西東京市ひばりが丘で、明治期の擬堆黒のお盆をお譲り頂きました。
8月9日の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第6回目になります。
表面には山水画、裏面には中国で福の気を表すといわれている蝙蝠(こうもり)や霊芝(れいし)、果物など、縁起物の吉祥図案が所狭しと彫り込まれています。
サイズは30×30センチ、重さは1239グラムで、石製?のようです。
裏面 ↓
絵柄だけでなく、書(詩でしょうか)まで刻まれています。
明治十有九年(19年)とありますね。
堆朱や堆黒は漆を何層にも重ねて彫られた中国の漆芸で、くまねこ堂でも時折取扱いがあるのですが、擬堆黒は私初めて拝見しました。高岡漆器の原型となった工芸技術なのだそうです。
堆朱・堆黒などは本当に繊細で、ダイナミックな絵柄の背景に繊細な文様がびっしり入ります。一体どのようにして作業されているのかと思うほど気の遠くなるような仕事量に思えますが、今日ご紹介のお盆も同様、いえ、それ以上の迫力です!
両面に趣の異なる絵柄が施され、大変見応えのあるお品です。
第7回(このお宅での買い取り品、最後のご紹介)につづきます。
byキョーコ
大正頃の尚美堂製 純銀の香炉をお譲り頂きました
西東京市ひばりが丘で、大正頃の尚美堂製 純銀の香炉をお譲り頂きました。
8月9日の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第5回目になります。
横幅約29cm、高さが約16.7cmと大ぶりで、重さは1547gです。 (台座は除いて採寸)
はじめ、中国製かしら?と思ってしまいましたが、日本製です。
底には「純銀」と「尚美堂」の刻印がありました。
木箱の中には尚美堂のモダンな印刷物もいっしょに入っていました。
尚美堂は1900年に大阪淀屋橋に創業した老舗です。
webサイトを拝見しましたところ、印刷物の写真は大正元年~昭和16年の店舗と同じでした!(こちらです)
ヨーロピアンな雰囲気満載です。大正ロマンですねえ、、、
お品とともにチラシなどの資料をいっしょに拝見できるのはなかなか貴重なことです。
尚美堂は昭和20年には大空襲で全焼してしまったそうですが、この香炉はそれ以前に人の手に渡って無事に今日まで残ったお品のひとつなわけですね。
これからまた、どなたかの手に渡ってさぞ大事にされることと思います。
旅をする古道具たち、ロマンですねえ、、、
第6回につづく、、、
byキョーコ
木彫りの達磨大師をお譲り頂きました
西東京市ひばりが丘で古い木彫りの達磨大師をお譲り頂きました。
8月9日の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第4回目になります。

かなりの年代物です。
全体の高さは30センチで幅は23センチ。達磨大師自体の高さは20センチほど。
眼光鋭く前方を見据えています。
目にはガラスが入っています。
表面にイタミがありますが、近くでよく見ると着物は細部に至るまで柄が描きこまれていました。
(開いた胸元には胸毛まで丁寧に!)
坐像をひょいと持ち上げると、椅子の台座にはかつての彩色、 若竹色、赤、空色など が残っていました。
達磨大師はインド人仏教僧で中国禅宗の開祖、日本へは鎌倉時代に伝わったそうです。
9年にも渡る座禅修行により手足が腐ってしまったという言い伝えから、縁起物として手足のない形での像や置物が発展したのだとか。
ちなみに、江戸時代に中国から伝わった起き上がり小法師は達磨とはまったく別物だそうです。
それにしても、この達磨大師、男前です。
かなりデフォルメされて表現されたものが多い中、こんなステキな達磨大師もおられたのね、と嬉しくなりました。
経年のイタミなぞなんのその、立派に威厳があります。
銘などは確認できなかったのですが、素晴らしい技術を持った作者の手によるものと思われます。
第5回につづく
byキョーコ
明治期頃の高岡銅器の花器をお譲り頂きました
西東京市ひばりが丘で明治期頃の高岡銅器の花器をお譲り頂きました。
8月9日の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第3回目になります。
高さは約37センチ、胴回りは約32.5センチ。重さは12.6キロ。
私などが持ち上げるには気合のいる重量です。
遠目からこの花器を見た時に、「何かいる!?」と感じて近寄ってみますと、
美しい曲線の中でひっそりと鯉が泳いでいました。
夜、月明りに枝葉の合間から池をのぞき見たようなドキドキ感です。
静謐さが漂います。
表面はわずかな凹凸があるのみですが、陰影によって驚くほど写実的な表情を見せてくれます。
原型師さんの大変なデッサン力・技術力を感じずにいられません!さすが高岡銅器です。
底には刻印がありますが、んー、すみません。
部分的に読めません。
中には口径のサイズに合わせた円柱状の水入も入っており、花器として使用する場合の実用性も兼ね備えています。
とはいえ、この特別に上品な花器に花を生けるのは容易なことではありませんね!
第4回につづく、、、
byキョーコ
蒔絵螺鈿の笄と櫛のセットをお譲り頂きました
西東京市ひばりが丘で、蒔絵螺鈿の笄と櫛のセットをお譲り頂きました。銘入りです。
前回の記事「皇室に近しい、由緒ある血筋のお宅」での買取り品ご紹介の第2回目になります。
表から裏にかけて絵柄が続きます。
螺鈿で細工された花びらや葉の部分は、見る角度によって色合いが変わり、まるでホログラムの様です。
笄と櫛とで絵柄が呼応していているので、並べてみるとその遊び心が楽しいです。
くまきちさん曰く、江戸や明治期のものほど古くはなく、恐らく大正か戦前くらいのものでしょうとのことでした。
金銀が鮮やかで華やかな絵柄なので、ハレの場で身につけられたものかしら、と想像します。
笄や櫛は左右対称の形をしていますが、絵柄の入り方、非対称のズレが何とも心地よいです。
奥行きではなく平面世界での間合いと申しましょうか。また、その中で直線や曲線が絶妙に交じり合って古典的でありながら粋な絵柄だと感じます。
美しいですねぇ、、、眺めていると何だか日本人の血がうずきます!
第3回につづく
byキョーコ
ヴァル・サン・ランベール(Val Saint Lambert)の古い花器をお譲り頂きました
西東京市ひばりが丘でヴァル・サン・ランベール(Val Saint Lambert)の古い花器をお譲り頂きました。
ヴァル・サン・ランベール(Val Saint Lambert)は1826年創立のベルギーのクリスタルメーカーです。
ベルギー王室御用達で、ベルギーのバカラとも呼ばれています。
刻印はVAL St LAMBERTのほかに、BREVETEとあります。製造技術の特許という意味でしょうか。
ヴァル・サン・ランベール は、20世紀初頭には職人を5000人も抱え、分業制で技術力の向上と生産性を高め、1日あたりの生産量はヨーロッパ最大であったそうです。
製造時期はデザインから見て1930年~戦前頃ではないかと思われますが、いかがでしょうか。
大胆なデザインと洗練されたカットが目を引きます。
高さは17センチほどでどっしりと存在感があり、肩のカーブや切込みのライン、どの角度からながめてもプロポーションが美しいです。
んふふ、楽しいですねえ。。。仕事冥利に尽きます、、、
ヴァル・サン・ランベールは当時の日本ではほとんど流通していなかったようですが、
一体どういったいきさつではるばる海を渡ってきたのでしょう。
特別な方が特別に所有されていた、ということでしょうか。
くまきちさん曰く、「皇室に近しい、由緒ある血筋の方」とのことです。
こちらのお宅からお譲り頂いた素晴らしい品々を数回に分けてご紹介させて頂きます。
byキョーコ
中谷翫古の木彫坐像をお譲り頂きました
東京都中央区で中谷翫古(なかたに がんこ)の美しい木彫坐像をお譲り頂きました。
幅は約68センチ、高さは約58センチ。一木造かと思われ、かなり重いです!
中谷翫古 (なかたに がんこ) ・・・明治元年生れ、昭和12年没(1868-1937年)
広島県安芸出身の彫刻家です。
上京前は鈴木年基に浮世絵、父の中谷省古(豊吉)に彫刻の手ほどきを受けました。
日本彫刻界の巨匠・平櫛田中も 中谷省古に師事していますので、 中谷翫古とは兄弟弟子ということになるそうです。(くまきちさんより)
上京後は竹内久一*に入門します。
竹内久一 *…明治時代の彫刻家/東京美術学校教授(現・東京芸術大学)
大変美しい女性が、何かを大事そうに胸元に抱えています。
大事そうに掌の上に載せている小さな箱は何なのでしょうか、
むむむ、気になります!

どの角度から見ても、物憂げな雰囲気を醸し出しているように感じます。あるいは物語性を纏っているかのような。
平櫛田中もそうですが、 生きてそこにいるかのような存在感を放つ 写実性の高い作風ですね。
あぁ、、作品名がものすごーく気になります。。
【2015/02/16追記】
中谷翫古のご遺族のかたが当店に連絡を下さいまして、
この作品名を教えて下さいました!作品名は、「香り」というのだそうです。
(関連記事:「中谷翫古の作品名が判明!」(くまねこ堂・妻のブログ))
存在感と言えば、くまねこ堂の倉庫の奥で一際存在感を放っている彼も、せっかくですのでご紹介。
とっても大きなオバケのQ太郎です。
いつも笑顔で癒されています。
byキョーコ


































































