買取事例
銀杯、メダル、リトグラフ、ウェッジウッド、洋食器、ギフト、ファイヤーキング、レコード、薬箱などをお譲りいただきました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
最近は過ごしやすい気候で有難いですね!買取もはかどります!
本日は横浜市港北区のお客様より銀杯、メダル、リトグラフ、ウェッジウッド、洋食器、ギフト、ファイヤーキング、レコード、薬箱などをお譲りいただきました!ありがとうございます!
こちらはライトのようなんですがなかなか趣があってかっこいいですよね!
くるみ割り人形ですね。赤いほっぺが可愛らしいです。
こちらでの買取を終えた後、近くの神社でお参りをしました。
ご神木が立派でとてもよいエネルギーを感じることが出来ました!
金木犀も咲いていて、秋の空気を味わえて少しの時間でしたがとても癒されましたー!
この後ありがたいことに即日買取も入りましてそのまま同行させていただきました。ありがとうございます。
くまねこ堂では古本だけでなく、古道具・骨董品、おもちゃなど幅広いジャンルの買取を行っております。また、ご整理依頼も大歓迎です。ご整理をお考えの方がいらっしゃいましたら、まずはお電話またはメールフォーム、LINEにておうかがいさせていただきます。どうぞ、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同、心よりお待ちしております。
最後までお読みいただき有難うございました。
クウスケ
ひとつぶ300メートル! グリコのおもちゃを買取致しました! 東京都北区にて。
今日は東京都北区へ出張買取にお伺いしました!
即日出張買取です!
今回は、
テレホンカード、昭和のおもちゃ、おまけ、ソフビ、ノベルティグッズ、キャラクターもの、サンリオ、チョロQ、ディズニー、モンチッチ
など、細かいものを色々とお譲りいただいたのですが……。
ひときわ目を引くのは、コレ!

グリコのおまけです!
がっさぁー。
こちらのお客様のご家族が昭和40、50年代にグリコをはじめオモチャのたぐいをよく購入されていたようで、かなりの数が綺麗な状態で残っていました。
わたくしフジタンはちょっと後の世代の生まれでしてジャストミートではないのですが、
こうして箱いっぱいの小さいオマケを見ると胸の中に湧いてくるものがありますね。
あくまでオモチャとして作られているグリコのおまけ。
デフォルメのきいた色とデザインに加え、オモチャとして動かしても楽しい細かなパーツがイイですよね。

いよいよ秋の到来、という時期ですが、
くまねこ堂は変わらず営業中です!
もちろん出張買取もお受けしております。
今月は即日出張買取もたくさんお伺いできると思います!
内容と場合によっては、本日のお客様のように
お電話をお受けしてから24時間以内にお伺いすることも可能です。
古本、骨董、古道具、おもちゃやコレクターズアイテムまで、ご整理をお考えの際は
フリーダイヤル 0120-54-4892 までぜひともご相談ください!
LINE査定もやってますよ!
フジタン
(その3)昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~ある情報部門の海軍軍人の『工業奨励』寄稿にみる「戦時日本」の雰囲気
先日は、品川区八潮のお宅へ買取りでうかがいました!
万年筆、ライター、腕時計、海外紙幣・コイン、ギター、ソフビの赤ちゃん人形、世界の名著、古本(戦記)などをお譲りいただきました、ありがとうございます!
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最近入荷しました、昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌につきまして随時、このくまねこ堂ブログにアップしてきました。今回は3回目になります。
初回は、1926年(大正15年~昭和元年)に設立された産業デザインの振興団体の帝国工芸会を手がかりに、当時の国際情勢もあわせて、買取品の一部を紹介しました。2回目は、1939年8月、商工業振興機関の東京府立工業奨励館が、『工業奨励』という機関誌を創刊したことを取り上げ、この機関誌が日中戦争期に発行されていたことの意味について見ていきました。ここではとくに、創刊号の「工芸部の使命」という論考に着目しています。
※昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~芸術と経済政策の交点(くまねこ堂骨董ブログ、2020年9月24日)
https://www.kumaneko-antique.com/16768/
(続)昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~日中戦争期における工芸品の使命とは⁉(くまねこ堂骨董ブログ、2020年9月26日)
https://www.kumaneko-antique.com/16778/
3回目の今回は、戦時色がますます濃くなる『工業奨励』の内容についてふれていきます。まずは、1941年6月発行の第7号の表紙からです。どんな記事が採録されているのでしょうか。


今回は、「国防国家と国民生活」を取り上げます。該当記事の著者は、情報局第二部第二課長の海軍大佐・大熊譲です。情報局とは1940年12月に発足した内閣直属の機関で、内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課の事務の統合をはかる目的で設置されました。したがって、この情報局はどこかの省庁の一部局ではありません。要するに戦時下での国策宣伝を目的にした新設の省庁横断的な統合機関ということです。
そのような情報部の課長である大熊はこの記事で、物資の少ない国が長期戦を戦うにあたっての、日本人の国民性の短所について述べています。「短期、焦燥、飽き易い、感情にはしり易い、デマや暗示にかゝり易いかういう点。これは特に直さねばならぬ」というのです。続けて大熊は、宮本武蔵と佐々木小次郎との巌流島の決闘の講釈に突入しています。この部分は、なんと巌流島の決闘を例えにして、近代の自由主義・個人主義を批判しているのです。これは、なぜこんな話になるのか、いささか戸惑われた方も多いでしょう。
しかし、この点に、「戦時日本」という時代の雰囲気が隠されています。長期の総力戦を戦おうとする日本では経済官僚や軍の中堅層を中心に、近代の自由主義・個人主義を克服すべきものとみなす、社会主義の影響を強く受けた計画経済の思想が受け入れられていました。こちらは近代の次の時代を求めた革新的な動きといえるでしょう。しかしながら、その一方でこの時期の近代批判には、武士道や戦国大名の駆け引きのごとく前近代的な価値を称揚する復古的な方向性も存在していました。そして、これら両者のキメラである「復古革新」あるいは「革新右翼」という勢力は、この時代の政治を大きく左右しました(※)。
(※)この点については、とりあえず、緒方貞子『満州事変――政策の形成過程』 (岩波現代文庫、2011年)
このように見てみると、今回取り上げた大熊譲の突飛な巌流島講釈も、当時の雰囲気の一部であったことがわかります。『工業奨励』は基本的には、工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究の雑誌なのですが、こうした戦時色濃厚な記事も時折出現します。
なお、くまねこ堂ブログで紹介した以外の号も入荷しておりますので、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。第12号(1944年3月)か国立国会図書館にも所蔵がないようです。
※国立国会図書館サーチ キーワード「工業奨励」
https://bit.ly/3j0ir4Z
第12号の目次は下記の画像を参照ください(※現物の目次はなぜか第11号と記載されています)。

スタッフ一同、心よりお待ちしております。
小野坂
東雲のお客様より尺八など楽器を大量にお譲りいただきました
こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをお読みいただき有難うございます。
ここのところ雨が続いて肌寒い日が多いですね。コンビニのおでんもそろそろでしょうか!おでん美味しいですよね。
本日は江東区東雲のお客様からのご依頼で出張買取をさせていただきました。楽器、カメラ、時計、古いおもちゃなど様々なものをお譲りいただきました。
楽器はギター、バイオリン、三味線など弦楽器も沢山お譲りいただいたのですが、中でも尺八を特に沢山お譲りいただきました。有難うございます。


二枚目の素敵な袋の中身も尺八が入っています。
どれもとっても立派ですね。
最近は尺八に限らずですが、特に木管楽器などはカーボンやプラスチックで作られた楽器が増えて、それも技術の進歩でそこそこいい音が出るようになっているので、しっかりした素材の楽器を見るととても嬉しくなります。ちゃんとした尺八を生で見るのはたぶん初めてだったので、とても感動しました。
これだけいい楽器を、しかもこんなに沢山お持ちになられているということは、相当お好きでこだわりがあったのだろうなと伝わってきます。
お恥ずかしながらわたしは和楽器には明るくないのですが、小学生のころから10年ほどトランペットをやっていたので、好きな楽器にこだわりたくなる気持ちはすごくよくわかります。自分の好みや癖に合うマウスピースを探すのだけに何軒も楽器屋さんを回ったり、色々なネット記事を漁って情報を入手したり、自分が気になっていたメーカーを持っている友達や先輩に試し吹きさせてもらったり…今は楽器の性能もすごくよくなっていて、しかも種類も溢れているので自分にぴったりのものを探すのだけでとても時間がかかってしまうんですよね。
自分の話をしすぎました。
今日はなかなか見ない楽器を見る事ができてついつい興奮してしまいました。貴重な体験に感謝です。
くまねこ堂では古本だけでなく、骨董品や絵画、掛軸、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております。また、遺品整理なども行っております。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同心よりお待ちしております。
最後までお読みいただき有難うございました。
ち
(続)昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~日中戦争期における工芸品の使命とは⁉
先日は、埼玉県越谷市のお宅へうかがい、カメラ、コイン、銀貨、鉄瓶、木台のペコちゃん、中国切手などをお譲りいただきました。ご依頼いただきまして感謝申し上げます。
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先日の投稿で、昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌が入荷しましたことをお知らせしました。そこで、1926年(大正15年~昭和元年)に設立された産業デザインの振興団体の帝国工芸会を手がかりに、当時の国際情勢もあわせて、買取品を紹介しました。そのことによって、工芸品のデザインと政府の輸出奨励政策との関連性が見えてきました。
※昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~芸術と経済政策の交点(くまねこ堂骨董ブログ、2020年9月24日)
https://www.kumaneko-antique.com/16768/
そのようなデザインと経済政策の交錯が生まれた背景を前回で扱ったわけですが、今回はその後の展開を追っていきます。前回もふれたとおり、帝国工芸会は古代中国の工芸品調査に力を入れようとして、1931年7月に調査団体の啓明会と共催で講演会を開きました。この時期には、古代工芸品をめぐる国際文化交流つながるような可能性もあったのです。あわせて当時の経済思想との関連で見ても、国際通商の発展は国際平和への道とも考えられていました。しかるに、このような動きに水を差すように、約2か月後の9月18日、満州事変が勃発しました。
とはいえ、輸出振興という目的で産業デザインの研究が国策といったん結びついた以上、工芸品は戦争と無縁の地位にとどまることはできませんでした。それどころか、1937年7月より始まった日中戦争が泥沼化していくに従って、工芸品は戦時の国策に結びついていきます。そのような中で工芸部門には、優れた加工技術の担い手として資源の少ない日本の戦争を支える、という使命が与えられたのです。
注目すべきなのは、1939年8月、商工業振興機関の東京府立工業奨励館が、『工業奨励』という機関誌を創刊したことです。このことは、戦時経済における工芸品の役割がどのように考えられていたのかを紐解くにあたって、重要な出来事といえます。

上掲の画像のとおり、お譲りいただきました『工業奨励』第1巻の表紙には、鉛筆で「工芸部の使命」と書き込みがあります。これは収録された記事のタイトルです。著者は東京府立工業奨励館工芸部の主任技師・大宮秀次。彼は次のように述べています。
「云ふまでもなく資源に恵まれない我国に於ては少量原材料を以て其の加工技術の優秀さを高く海外に売ることは最も有利なると共に必要なる工芸の要諦であり又工芸品が海外市場にて其の国の製品との摩擦も少いと云ふ好条件にあることも我が工芸の将来性に弾力性を有するものと考へられる。」

この引用のみを取り出すと、必ずしも戦時経済との関連は見えてこないかもしれません。しかし、日中戦争を継続する上での財政的裏づけがどのようなものであったか振り返るとき、この大宮秀次の認識は重要な意味を持ってきます。というのも、戦線を拡大し続けた日本は、軍需品輸入の激増に直面したからです。しかもその決済には、米ドルや英ポンドといった外貨が不可欠でした。
※松浦正孝『日中戦争期における経済と政治―近衛文麿と池田成彬』(東京大学出版会、1995年)
そのため、中国との戦争の出口を見失いつつあった日本政府は、世界大恐慌の衝撃からの立ち直りで効率化を図った工芸品部門に、またもや底力を発揮してもらおうとしました。この底力を動員して、アメリカやイギリス帝国圏との通商で黒字を獲得していったのです。こうした事情で日本は、繊維製品をめぐってイギリス、インド、オーストラリア、カナダといったイギリス帝国諸国との貿易摩擦を次々に引き起こしていきました。大宮が「其の国の製品との摩擦」を気にしていたのは、こうした現状について述べたものと考えられます。
だから、「工芸部の使命」とは、そのような摩擦を回避して黒字を稼ぐことだったのです。

また、この『工業奨励』第1号には、日本における「労働科学」の第一人者の日本労働科学研究所員・桐原葆見(しげみ)の「現在の設備と人員とで二割増産を期せ」も収録されています。前述の工芸品の輸出奨励策あわせて、この工場労働の合理化論を読むならば、「戦時日本」に「高度成長期の日本的経営」が見え隠れしてきます。
これ以降の号も入荷しておりますので、お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。第12号(1944年3月)か国立国会図書館にも所蔵がないようです。
※国立国会図書館サーチ キーワード「工業奨励」
https://bit.ly/3j0ir4Z
スタッフ一同心よりお待ちしております。
小野坂
昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌・公的機関の報告書などが大量入荷しました~芸術と経済政策の交点
先日は、品川区八潮へ出張買取にうかがいました! 万年筆、ライター、腕時計、海外紙幣・コイン、ギター、ソフビの赤ちゃん人形、世界の名著、古本(戦記)をお譲りいただきました、ありがとうございます!
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さて、くまねこ堂に興味深い書籍、雑誌、機関の定期刊行物が入荷しました。大まかには、昭和戦前・戦時期の工芸品に関する輸出の奨励やデザインの研究に関する雑誌になります。その中には、ガリ版刷りの内部報告書と思しきものも含まれます。


上掲の画像の通り、かなりの量をお譲りさせていただきました。あわせて、商工省工芸指導所が発行していた『工芸ニュース』や、帝国工芸会の機関誌『帝国工芸』はある程度まとまって入荷することができました。買取のご依頼者様には感謝申し上げます。
これらお譲りいただきました雑誌や資料については、帝国工芸会、というのが重要なキーワードに思われます。「コトバンク」によれば、帝国工芸会とは、「ドイツ工作連盟に刺激されて,1926年(大正15年~昭和元年)に結成された産業デザインの振興団体」とのことです。さらに同会は「富国強兵策に裏付けられた産業デザインの育成と輸出振興を目指し」て設立されたこと、そして活動は1943年まで継続されたことなどがふれられています。
しかしながら、昭和初年にあって、「富国強兵」は何を意味したのでしょうか。ここから先は「コトバンク」ではわかりません。とりあえずは、工芸品と国家目標が結びつく領域とは何だろうか、との視点を手がかりにで考えてみましょう。
まずは時代的な背景として、第一次世界大戦(1914-1918年)後の国際経済関係を確認します。この時期は思想的には経済的国際主義の時代であったといえなくもないですが、それは各国の保護貿易政策の高まりという現実とコインの表裏でもありました。なぜ保護貿易政策が求められたかというと、各国は自国通貨の価値を維持する政策の一環として、国際収支の赤字削減を進める必要があったからです。あわせて、当時のヨーロッパ諸国は失業率が高かったのですが、それゆえに国内産業を保護することは、失業対策のためもあって重視されました。
※Patricia Clavin, The Great Depression in Europre, 1929-1939, Palgrave, 2000.
一方で各国は、輸出奨励で攻勢に出ることも模索しました。実は、その興味深い例が当時の日本なのです。もとより日本は、綿製品の輸出国としての地位を確立していました。しかしながら、国際収支の面では、綿製品輸出にはある問題がありました。それは、原料品である綿花の輸入が増大してしまうことです。そのため、増産しても原料輸入が増加するという問題を持たない分野の重要性が高まることになります。そこで、国内に原料がある陶磁器やガラス製品の輸出奨励が国家的な課題と意識されていたのです。このような構図もあって、工芸品と経済政策とが結びつくようになっていったのです。
その上で、1929年のニューヨーク株式市場の暴落に端を発する世界大恐慌の渦中で、日本経済は大打撃を受けることになります。工芸品輸出奨励は日本経済にとってますます重要性を帯びていきました。そんな中で開かれたある講演会の記録が、今回の買取品の中にございましたので、紹介します。

「支那の工芸」という、帝国工芸会と調査研究団体の啓明会との共催で行われた、1931年7月23日の講演会の記録です。開会のあいさつでは、昨今のヨーロッパにおけるエジプトやギリシャの古代工芸品がブームであることから切り出されています。それに続けて、いずれ中国ブームが来たときに備えなければならないということが強調されています。

動機はきわめて商業主義的であったとしても、1931年というのは古代工芸品つながりでの国際文化交流、ともいうべき可能性が存在していたのでしょうか。ただ、その2カ月後に満州事変が起こされてしまったは悔やまれます。未発の可能性は未発のままに終わりました。
これ以降、工芸品をめぐる問題は、否応なく戦時経済に巻き込まれていきます。次回はそうした点と関係のある文献を買取品の中から紹介していきます。
くまねこ堂では今回取り上げたような、歴史的価値の高い雑誌・史資料も扱っておりますし、骨董品や絵画、掛軸、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りもしております。また、遺品整理なども行っております。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同心よりお待ちしております。
小野坂
扁額、金貨、アクセサリー、ロイヤルコペンハーゲン、花瓶、マイセンなどお譲り頂きました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
だいぶ過ごしやすい気温になり少しずつ秋の訪れを感じますね。
本日は板橋区小茂根のお客様より扁額、金貨、アクセサリー、ロイヤルコペンハーゲン、花瓶、マイセンなどお譲り頂きました!ありがとうございます!
西郷隆盛の書

榎本武揚の扁額

歴史の重みを感じますねー。
こういう書を拝見すると少し背筋が伸びるような気持ちになります。
貴重なお品物をお譲りいただき誠にありがとうございます。
今後も様々な作品に出会えることを心待ちにしております!
くまねこ堂では古本、骨董品や絵画、掛軸、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております。また、遺品整理なども行っております。
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
スタッフ一同心よりお待ちしております。
クウスケ
早稲田大学の学生誌『ワセダ』の創刊号(1965年4月)と第2号(1965年11月)が入荷しました~ベトナム戦争の最中に「理解と寛容」を求めて
先日は、横須賀市久比里のお宅へ即日出張買取でうかがい、ハガキ、アクセサリー、古本(海洋学、水産学)、洋食器、酒、ギター、貴金属、腕時計、化石、金歯をお譲りいただきました。このように採算次第では即日でもご対応してまいりますので、どうかご依頼のほどよろしくお願い申し上げます。
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最近、くまねこ堂に、興味深い雑誌が入荷しました。

早稲田大学の学生誌『ワセダ』の創刊号(1965年4月)と第2号(1965年11月)です。
創刊号には、ケネディ米大統領の実兄で早稲田大学とも縁の深いロバート・ケネディが前文を寄せています。その一部を引用します。
「私の国のほとんどの学生達は、これらの自明の理〔前段は言論の自由について――引用者〕を、我々の時代に与えられた課題の中で、もっとも生命力に溢れた重要な部分として、受け取っています。理解と寛容を追求するにあたって、学生達は、ある一つの大きな冒険すなわち、平和部隊へ向って努力してきております。彼等は、他の人達の思想、希望や夢に耳を傾けているのです。私は日本の学生諸君も、同様に平和に献身し、自己を表現する手段を探し求めていることを知っています。学生達は、自分達の意見に耳を傾けてもらいたいと思っているし、又世界も彼等の意見を聞こうとしているのです。」
こうしたメッセージが、アメリカの有力政治家から伝えられたことは注目すべきでしょう。ここでロバート・ケネディは、ベトナム戦争の最中に「理解と寛容を追求」することを掲げていたのですから、なおのこと重要なメッセージといえましょう。
ベトナム戦争は、植民地にされていた国あるいは民族の自立をかけた闘争であるとともに、米ソを両極とする東西冷戦の影響を強く受けた出来事でした。実は、この問題を日本人自らの問題として問い直すために書かれたとも思える論考が、『ワセダ』第2号に掲載されています。ベトナムのように、民族の自立と東西冷戦が交錯した形で「熱戦」が起きた地域、そして日本の歴史と切り離すことのできない国、といえば韓国(大韓民国)・北朝鮮(朝鮮人民共和国)がまず思い当たります。実際に、ベトナム戦争が日を追うごとに深刻化していく中で、日本の朝鮮植民地化とそれに対する朝鮮独立運動の歴史を振り返る論考が、『ワセダ』第2号に掲載されているのです。

その論考は、上掲の画像の、山本憲一「万歳事件」です。なおこの論考には、1919年3月1日の朝鮮独立運動(三・一運動)の宣言書が全文掲載されています。細かいことに思われるかもしれませんが、1965年11月の雑誌ですから、これは驚くべきことです。著名な史料集である、姜徳相編『現代史資料25 朝鮮 1 三・一運動 1』はみすず書房から1966年1月に刊行されています。三・一運動の宣言書が日本で一般に知られるようになったのは、通常は『現代史資料』の刊行以降のことといわれます。したがって、それ以前に『ワセダ』は同宣言書の全文を掲載しているということになるのです。この一点の事実だけでも、執筆者・山本憲一さんの並々ならぬ気迫を感じます。
くまねこ堂では今回取り上げたような、歴史的価値の高い雑誌も扱っておりますし、骨董品や絵画、掛軸、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りもしております。また、遺品整理なども行っております。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
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小野坂
即日出張買取で即日出張買取で荻須高徳、藤田嗣治、竹下夢二などのリトグラフ・洋画やお酒を大量にお譲りいただきました
こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをお読みいただきありがとうございます。
昨日は即日出張買取で世田谷区成城のお客様からのご依頼で、老人ホームに直接ご整理のお手伝いにお伺いさせていただきました。
荻須高徳、藤田嗣治、カシニョール、ビュッフェ、竹久夢二などのリトグラフや洋画、お酒や古本など、大量にお譲りいただきました。


こちらがお譲りいたいた額の写真です。たくさんあり、とても驚きました。

こちらは小さな植木鉢で、盆栽用の植木鉢のようです。右上の白い小さな植木鉢は、私の人差し指の第二関節ほどしかなく、こんなに小さな植木鉢は生まれてはじめて見たので、まだまだわたしの知らないこのような面白くて可愛らしいものが世の中に溢れるほどあると考えたらわくわくしました。

たくさんの洋酒などのお酒です!よくお飲みになられる方でも1年くらいはもちそうな量ですね。
くまねこ堂では古本、骨董品や絵画、掛軸、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております。また、遺品整理なども行っております。
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最後までお読みいただき有難うございました。
ち
古銭、ゲーム、洋食器、掛軸などをお譲りいただきました。
こんにちは。いつもくまねこ堂ブログをお読みいただき有難うございます。
いよいよ九月に入りましたね。もうそろそろ秋なので、過ごしやすい天気になりそうで嬉しいです。
本日は世田谷区玉川のリピーターのお客様より、古銭、ゲーム、洋食器、掛軸などをお譲りいただきました。

こちらは本日お譲りいただきました古銭です。ときどき、大きな50円玉やギザ10などは見かけますが、このように江戸や明治などのとても古い小銭をみることがあまりなかったので、面白いなあと感じました。
またこの他にも、ゲーム機や掛軸、ウェッジウッドの洋食器などもお譲りいただきました。有難うございます。ゲーム機も少し古いものなのか、わたしは見たことのない形のものだったので、斬新な形に思えて面白かったです。
くまねこ堂は掛軸、アクセサリー、銀製品、食器などの買取りをしております。また、古本の買取も行っております。
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最後までお読みいただき有難うございました。
ち










