買取事例
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から戦前のスクラップブックをお譲り頂きました。
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から戦前に作成されたスクラップブックをお譲り頂きました。
前回ご紹介したのは戦後すぐの日誌でしたが、こちらは遡る事9年。
スクラップブックの背には「一高入学の思い出集」とあります。
ご子息が昭和12年に一高(帝国大学予科)に合格/入学された際の紙資料になります。
昭和12年といえば、日中戦争勃発、ナチスのゲルニカ空襲のあった年です。
では早速、
ご子息から呉軍港内軍艦比叡士官のお父上に宛てた電報
「オヤヂ ヨロコベ 一コウ パス」
お父上からご子息に宛てた電報
「カッテカブトノヲシメヨ オヤヂ」
お父上から改めて毛筆のお手紙
ご子息から父上へお礼の手紙
2月7日の新聞も挟まっていました。
右下赤枠に氏名入りで合格速報
こちらは東京高等師範学校ということなので、東京教育大学(現・筑波大学)です。
一高と高師の両方に合格したのですね。優秀!!
たくさんのお祝いの手紙やはがきが入っていました。
洋品店からは営業の、一高ラグビー部からは入部勧誘のハガキ!
当時は皆寄宿制度(全寮制)であったことから、寄宿寮委員から「入寮の心得」(びっしり。。。)
「一高生タル以上時ト所トヲ問ハズ制服制帽又ハ和服ニ袴ヲ着用スベシ。」などなど
防寒具も黒色マント以外は禁止、襟巻もダメ!とあります。
同じく寄宿寮委員から、「新入生諸君に告ぐ」
第一高等学校生徒主事から「新入学生諸君」
抑抑高等学校は男子の高等普通教育を完成するを以て目的とし特に國民道徳の充實に力むべき國家の教育機関である。
即ち高等普通教育を授くると共に人格を陶治修養する所である。~
入寮後、お父上から生活費?を受け取った際のお礼の手紙
父と息子の心温まるやり取りに加え、当時の一高の校風が伝わる紙資料も貴重でした。
どの印刷物も大変規律が重んじられています。
時代はすっかり変わりましたね。
現役の東大生が読んだらどう思うでしょう。
来週はセンター試験です。
受験生の皆さんがベストを尽くせますよう、お祈り申し上げます!!
byキョーコ
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から日誌をお譲り頂きました。
あけましておめでとうございます。
本年も買い取り品をドシドシご紹介できたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します。
2016年第一回目は、業者を経由してお譲り頂いた軍艦比叡士官の日誌です!
日付は昭和21年1月1日から3月29日まで。
戦後間もない日本の様子を軍人の視点から読むことのできる貴重な資料です。
書き出しは、
「敵軍の占領下に第一回の新年を迎へた。」
天皇制、マッカーサ、神人一体、君民一体、軍閥などの言葉が続きます。
昭和19年パラオに赴任していた弟さんが1月2日に帰宅!
「一家揃って夜の更けるまで語りはつきなかった。」
饑餓(飢餓)に瀕する食料事情の中で軍紀の維持の為に多くの犠牲が払われたことにも触れられています。
「グラマン」六機の銃爆撃を受けて戦死した幼なじみのこと、
進駐軍を招待する宴会が数度開かれたこと、
自決した公使遺髪をご遺族に面会して渡す旨など、、、
肉筆ゆえ、書き手の気持ちが重く生々しく伝わってくるように感じました。。。
byキョーコ
明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました
明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました。
(連続でご紹介している明治期のラベルはちょっこっとお休みです!)
下等小学とは、明治19年制定の尋常小学校(義務教育)より以前の学校制度です。
日本の近代学校制度は明治5年の学制から始まったそうで、今回お譲り頂いた卒業候事(証書)は最初の制度時のものになります。
進級するごとに、八級、七級、六級、五級、四級と等級が上がります。
下等小学、上等小学は各4 年、ご紹介の年齢も9歳から10歳です。
身分の隔てなく就学できたそうですが、氏名の脇には平民あるいは氏族などと並記されていたようです。
京都府上京区第弐拾六(26)組!
次回は入荷ほやほやの貴重な資料、軍艦比叡士官の日誌、ご家族とやりとりされた手紙、電報の貼られたスクラップブックなどをご紹介いたします。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都世田谷区で、明治・大正頃のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その4
お饅頭の包み、名古屋電機鉄道の回数乗車券、染料のラベルなど、もりだくさんです。
↓ 雷様がなにか投げつけているようです。
↓ デザインがかっこよくて色合いもキレイ!
↓ 中国の曲芸師。玉乗りをしながら皿回し。
↓ 天照大神!
↓ 右ページに證券印紙がたくさん。このスクラップブックを作られた方の遊び心が!
↓ 月の兎。筆書きされた絵柄とアールヌーボー調の枠とのマリアージュがステキ。
つづく。。。
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治期・大正期のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その3
前回からのつづきです。
↓ アサヒビールのラベル
↓お目出度い鶴亀柄 マヤ商会 横浜 神戸
↓ またもやカールローデ商会!(11月21日、11月28日の記事)
↓ 上部:やまと煮 広島 牛肉の缶詰
カブトビール!
戦前の5大ビールのうちのひとつだとか。。。
↓ カブトビールラベルの漢字バージョン
↓ この男の子の帽子には「大日本三笠~」と読めます。
戦艦三笠のことでしょうか。
↓ 丸いラベルは何の商品についていたものでしょう。たくさんあります。
↓ 右:東京製薬株式会社 オリエンタルな絵柄が時々登場します。
つづく
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治~大正時代のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その2
前回の続きとなります。
量が多いので、抜粋でと思いつつ、どれもこれもお見せしたいものばかり。
↓ 国産ビール第一号 アサヒビール(大日本麦酒株式会社)
アサヒビールのWEBサイトに興味深い記事が。(https://www.asahibeer.co.jp/news/2011/1012_2.html)
「アサヒビール」は、大阪麦酒時代の1892年(明治25年)に発売されたビールで、ドイツに技術者を派遣して修得したビール製造技術と、当時としては最新鋭の設備を導入して、大阪府の吹田村醸造所(現 吹田工場)にて製造されました。発売以来、日本国内で愛飲されたばかりでなく、1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では“最優等ノ金牌”(いわゆる“金賞”)を受賞するなど、世界的にも品質の高さが認められた商品でした。
↓ Yellow for cakes 3333 free of arsenic ヒ素を含まず、とありますね。
染料のラベルでしょうか。中国輸出入とも記載されています。
↓ 上:日韓通信業務合同記念切手
この切手は、1905年に日本で発行されたものだそうです。
↓ 桃太郎!
つづく。
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その1
應用意匠抜萃と毛筆でタイトル書きされたスクラップブックは第一号から第八号まで、
日付は明治41年から大正8年までです。
日本からドイツ向けに輸出されていた食料・飲料・繊維・薬品などの製品ラベルが多いようです。
カールローデ商会とあります、
似島のドイツ人俘虜収容所の写真アルバムに同名の人物が写っていましたね!(11月21日、11月28日の記事)
どれもこれもステキ過ぎです。 うぅ(涙)
大きなラベルが多いので、隅隅までじっくり鑑賞できます。 幸せ。。。
引き続きご紹介させて頂きますので、しばらくお付き合いいただけましたら幸いです。
次回もどうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所資料をお譲り頂きました。その4
収容所内でドイツ語の通訳をしていた方の記したノートです。
輸送中、俘虜心得 1919年1月1日
左ページに日本語、右ページにはドイツ語。
俘虜郵便物検閲要領
(我同盟國ニ居住スル敵國人ト敵本國トノ通信ヲ禁セシムル~など)
↓ 左ページ:俘虜毛髪皮膚識別人員表 大正八年五月調
欄外の備考 本表ハ似島俘虜収容所俘虜四九三人ニ付調査セリ
毛髪別に観察スレバ金髪最モ多シ
皮膚別に観察スレバ赭(あかつち)最モ多シ
↑ 右ページ:大正八年度俸給表(年額)
大将7,800から少尉783まで。単位は円でしょうか、、、?
検閲印見本イラスト?
右ページ:スイス大使館に宛てた手紙の覚え書き?
赤十字戦争捕虜関連の部署への手紙宛名見本?
↓ 名古屋俘虜収容所人員増員表
↓ 俘虜労役一覧表
↓ 俘虜特殊技能調査票
↓ 俘虜病類別新患統計表
↓ 救恤金及寄贈金一覧表
解放ニ際シテ一言ス 大正八年十二月二十四日
似島俘虜収容所長 菅沼大佐 (左ページ:日本語、右ページ:ドイツ語)
他にも様々な書きこみがありました。
このノート以外に似島俘虜収容所の記録資料が一体どれだけ残っているのでしょうか!?
次回はこのノートの書き手の方の「驚きのラベルコレクション」をご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
足立区
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サッカー部・声楽団・女装?:東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その3
東京都世田谷区にて、1919~1920年頃の似島のドイツ人俘虜収容所写真アルバムをお譲り頂きました。その3
その2に引き続きご紹介いたします。
↓ 左から、海軍経理秘書官ヒルピット、電気技師ワルデマー・アーペル(直筆サイン入り1920年)、歩兵卒リーバー、カール・ヂートリッヒと其の旅館
↓ 二等水兵ケッテルリン、エルンスト・カイニング、井戸の部分(鉄筋コンクリート)
↓ 青島独亜銀行副頭取オッファーマン、上海・青島・天津・芝宗ジータースプラムベック商会支配人カール・ローデ(直筆サイン入/その1にも登場)、ハッス中佐とチンメルマン少尉、漢米汽船会社青島支店長プリッツ・ニコライ
↓ 上:サッカー部? 下:似島演芸!!
↓ 似島演芸部 女装しています。そういえば、これまで女性がひとりも登場していません。。。
↓ 似島声楽団!
↓ 支那の佛寺
↓ 四天王立像アップ
お腹部分の獅噛(しかみ)が大きくて立派です。
私はこの名称を知らなかったのですが、くまねこ堂の新人スタッフさん(スタッフ紹介にはまだ入っていないです)が「獅噛があるので四天王だと思います!」と教えてくれました。なんて頼もしい。うふ
↓ ニコリスク ウスリキー収容所(シベリア) 左からFischer、黒川中尉、前山通訳、Meszey
右上の写真は石臼のようです。
次回はこの写真アルバムといっしょに買い取りさせていただいた、収容所の関連資料をご紹介いたします。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ