買取事例
東京都杉並区にて永樂善五郎の仁清写 柳に鞠茶碗をお譲り頂きました。
東京都杉並区にて、永樂善五郎の仁清写 柳に鞠茶碗をお譲り頂きました。
永樂(永楽)善五郎は前回に引き続きのご紹介になります。
箱の書き付けは同じく鵬雲斎です。
永樂善五郎については前回のブログ内で少々触れさせていただいております。
このお宅様からは他にもステキなお品をたくさん買取りさせていただいたのですが、
あれもこれも目移りしながらご紹介している寄り道だらけの当ブログ。
今日、またしてもくまきちさんから興味深いお品を拝見してしまったので、
次回はそちらをご紹介させて頂きます。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都杉並区にて永樂善五郎の黄交趾 菊唐草菓子鉢をお譲り頂きました。
東京都杉並区より永樂(永楽)善五郎の黄交趾(こうちやき) 菊唐草菓子鉢をお譲り頂きました。
永樂善五郎は京焼の家元であり、名誉ある千家十職※(せんけじっそく)の家筋です。
※千利休を祖とする表千家・裏千家・武者小路千家・三千家の家元が使う茶道具を作る家筋十家のこと。
共箱にある花押は鵬雲斎でしょうか。
永樂(楽)善五郎(初代から九代は西村姓)
室町時代、初代宗禅は奈良の西京西村に住み、春日大社の供御器を制作。
晩年には武野紹鴎からの依頼で土風炉を制作、土風炉師善五郎を名乗る。
二代宗善は堺に、三代宗全以降は京都に住む。
小堀遠州の用命を受けた際に「宗全」の銅印を拝領、以後九代まで作品に「宗全」印を捺用。
1788年天明の大火で家屋敷や印章を焼失するも、三千家の援助で十代了全再興。
十一代保全は1827年、紀州藩十代藩主徳川治寶の別邸西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印「永樂」の銀印を拝領。以降、「永樂」の印章を用いると共に十二代和全の代から永樂姓を名乗る。(のちに十代了全と十一代保全も永樂の名で呼ばれている。)
(Wikipediaを参考にさせていただきました)
現在は十七代目です。
十七代 永樂善五郎氏のHPを拝見しましたら、
東京芸術大学でまず日本画科を卒業、その春同大学大学院の工芸科陶芸専攻に入学し翌年修了されていました。
絵付けも大変緻密で美しいわけですね。。。
つづく
byキョーコ
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して南極観測船「宗谷」第二次観測隊帰港式の紙資料をお譲り頂きました。
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して南極観測船「宗谷」第二次観測隊帰港式の紙資料をお譲りいただきました。
封筒の中には観測隊員御家族へ来場に関するお願いの手紙、帰港式式場案内略図、新聞記事の切り抜きが入っていました。
封筒の宛名は前回までブログ記事に登場していた軍艦比叡士官(1/5記事、1/9記事)で、帰国する隊員は士官のご子息です。
第二次観測隊は、1957年10月21日出航、1958年4月28日帰国です。
悪天候や船の問題などにより南極で越冬できず、やむなく樺太犬を置き去りにせざるを得なくなりました。
後に南極物語として有名になったあのタロとジロの、といえばお分かりになる方が多いと思います。
封書の差出名は南極地域観測統合推進本部本部長と、海上保安庁長官です。
宗谷は東京湾の日の出桟橋に帰港。
帰港式式典においてのお願い
同封されていた新聞記事。

士官のご子息は東大附属病院勤務で宗谷では医療担当であったのですね。
「ご苦労さん、元気でなによりでした」と家族に迎えられ、
「越冬できなかったのがなにより残念です」と悔しさをにじませたとの事。
「無事帰国したし、今度は結婚式ですよ」と、両親の本音もしっかり記載されています。
戦前から戦後にかけて、あるご家族が保管されていた大変貴重な資料を拝見することができました。
次はどなたの手に渡るのでしょう。
しばし、くまねこ堂の倉庫で待機です!!
byキョーコ
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から戦前のスクラップブックをお譲り頂きました。
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から戦前に作成されたスクラップブックをお譲り頂きました。
前回ご紹介したのは戦後すぐの日誌でしたが、こちらは遡る事9年。
スクラップブックの背には「一高入学の思い出集」とあります。
ご子息が昭和12年に一高(帝国大学予科)に合格/入学された際の紙資料になります。
昭和12年といえば、日中戦争勃発、ナチスのゲルニカ空襲のあった年です。
では早速、
ご子息から呉軍港内軍艦比叡士官のお父上に宛てた電報
「オヤヂ ヨロコベ 一コウ パス」
お父上からご子息に宛てた電報
「カッテカブトノヲシメヨ オヤヂ」
お父上から改めて毛筆のお手紙
ご子息から父上へお礼の手紙
2月7日の新聞も挟まっていました。
右下赤枠に氏名入りで合格速報
こちらは東京高等師範学校ということなので、東京教育大学(現・筑波大学)です。
一高と高師の両方に合格したのですね。優秀!!
たくさんのお祝いの手紙やはがきが入っていました。
洋品店からは営業の、一高ラグビー部からは入部勧誘のハガキ!
当時は皆寄宿制度(全寮制)であったことから、寄宿寮委員から「入寮の心得」(びっしり。。。)
「一高生タル以上時ト所トヲ問ハズ制服制帽又ハ和服ニ袴ヲ着用スベシ。」などなど
防寒具も黒色マント以外は禁止、襟巻もダメ!とあります。
同じく寄宿寮委員から、「新入生諸君に告ぐ」
第一高等学校生徒主事から「新入学生諸君」
抑抑高等学校は男子の高等普通教育を完成するを以て目的とし特に國民道徳の充實に力むべき國家の教育機関である。
即ち高等普通教育を授くると共に人格を陶治修養する所である。~
入寮後、お父上から生活費?を受け取った際のお礼の手紙
父と息子の心温まるやり取りに加え、当時の一高の校風が伝わる紙資料も貴重でした。
どの印刷物も大変規律が重んじられています。
時代はすっかり変わりましたね。
現役の東大生が読んだらどう思うでしょう。
来週はセンター試験です。
受験生の皆さんがベストを尽くせますよう、お祈り申し上げます!!
byキョーコ
神奈川県横須賀市にて、業者を経由して軍艦比叡士官のご遺族から日誌をお譲り頂きました。
あけましておめでとうございます。
本年も買い取り品をドシドシご紹介できたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します。
2016年第一回目は、業者を経由してお譲り頂いた軍艦比叡士官の日誌です!
日付は昭和21年1月1日から3月29日まで。
戦後間もない日本の様子を軍人の視点から読むことのできる貴重な資料です。
書き出しは、
「敵軍の占領下に第一回の新年を迎へた。」
天皇制、マッカーサ、神人一体、君民一体、軍閥などの言葉が続きます。
昭和19年パラオに赴任していた弟さんが1月2日に帰宅!
「一家揃って夜の更けるまで語りはつきなかった。」
饑餓(飢餓)に瀕する食料事情の中で軍紀の維持の為に多くの犠牲が払われたことにも触れられています。
「グラマン」六機の銃爆撃を受けて戦死した幼なじみのこと、
進駐軍を招待する宴会が数度開かれたこと、
自決した公使遺髪をご遺族に面会して渡す旨など、、、
肉筆ゆえ、書き手の気持ちが重く生々しく伝わってくるように感じました。。。
byキョーコ
明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました
明治前期の下等小学の卒業候事(修業証書)を入荷致しました。
(連続でご紹介している明治期のラベルはちょっこっとお休みです!)
下等小学とは、明治19年制定の尋常小学校(義務教育)より以前の学校制度です。
日本の近代学校制度は明治5年の学制から始まったそうで、今回お譲り頂いた卒業候事(証書)は最初の制度時のものになります。
進級するごとに、八級、七級、六級、五級、四級と等級が上がります。
下等小学、上等小学は各4 年、ご紹介の年齢も9歳から10歳です。
身分の隔てなく就学できたそうですが、氏名の脇には平民あるいは氏族などと並記されていたようです。
京都府上京区第弐拾六(26)組!

次回は入荷ほやほやの貴重な資料、軍艦比叡士官の日誌、ご家族とやりとりされた手紙、電報の貼られたスクラップブックなどをご紹介いたします。
どうぞお楽しみに!
byキョーコ
東京都世田谷区で、明治・大正頃のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その4
お饅頭の包み、名古屋電機鉄道の回数乗車券、染料のラベルなど、もりだくさんです。
↓ 雷様がなにか投げつけているようです。
↓ デザインがかっこよくて色合いもキレイ!

↓ 中国の曲芸師。玉乗りをしながら皿回し。
↓ 天照大神!
↓ 右ページに證券印紙がたくさん。このスクラップブックを作られた方の遊び心が!
↓ 月の兎。筆書きされた絵柄とアールヌーボー調の枠とのマリアージュがステキ。
つづく。。。
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治期・大正期のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その3
前回からのつづきです。
↓ アサヒビールのラベル
↓お目出度い鶴亀柄 マヤ商会 横浜 神戸
↓ またもやカールローデ商会!(11月21日、11月28日の記事)
↓ 上部:やまと煮 広島 牛肉の缶詰
カブトビール!
戦前の5大ビールのうちのひとつだとか。。。
↓ カブトビールラベルの漢字バージョン
↓ この男の子の帽子には「大日本三笠~」と読めます。
戦艦三笠のことでしょうか。
↓ 丸いラベルは何の商品についていたものでしょう。たくさんあります。
↓ 右:東京製薬株式会社 オリエンタルな絵柄が時々登場します。
つづく
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治~大正時代のラベルのスクラップブックをお譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その2
前回の続きとなります。
量が多いので、抜粋でと思いつつ、どれもこれもお見せしたいものばかり。
↓ 国産ビール第一号 アサヒビール(大日本麦酒株式会社)
アサヒビールのWEBサイトに興味深い記事が。(https://www.asahibeer.co.jp/news/2011/1012_2.html)
「アサヒビール」は、大阪麦酒時代の1892年(明治25年)に発売されたビールで、ドイツに技術者を派遣して修得したビール製造技術と、当時としては最新鋭の設備を導入して、大阪府の吹田村醸造所(現 吹田工場)にて製造されました。発売以来、日本国内で愛飲されたばかりでなく、1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では“最優等ノ金牌”(いわゆる“金賞”)を受賞するなど、世界的にも品質の高さが認められた商品でした。
↓ Yellow for cakes 3333 free of arsenic ヒ素を含まず、とありますね。
染料のラベルでしょうか。中国輸出入とも記載されています。

↓ 上:日韓通信業務合同記念切手
この切手は、1905年に日本で発行されたものだそうです。
↓ 桃太郎!
つづく。
byキョーコ
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。
東京都世田谷区にて、明治・大正期のラベルのスクラップブックを多数お譲り頂きました。その1
應用意匠抜萃と毛筆でタイトル書きされたスクラップブックは第一号から第八号まで、
日付は明治41年から大正8年までです。
日本からドイツ向けに輸出されていた食料・飲料・繊維・薬品などの製品ラベルが多いようです。
カールローデ商会とあります、
似島のドイツ人俘虜収容所の写真アルバムに同名の人物が写っていましたね!(11月21日、11月28日の記事)
どれもこれもステキ過ぎです。 うぅ(涙)
大きなラベルが多いので、隅隅までじっくり鑑賞できます。 幸せ。。。
引き続きご紹介させて頂きますので、しばらくお付き合いいただけましたら幸いです。
次回もどうぞお楽しみに!
byキョーコ































































































