買取事例
八雲熊彫をお譲りいただきました。
本日は都内のお客様のお宅へ2件、お伺いさせていただきました!
今日は30度を超える真夏日の予報でしたので、お客様もそのような日射しの中、ご自宅等のご整理をされるのは大変と思います
少しでもそういった場面でのお力になれましたら嬉しいです
今回は足立区西綾瀬のお客様よりお譲りいただきました、
木彫りの熊をご紹介させていただきます!

ガラスで出来たお目目がなんともつぶら
な首を傾げたクマさん。
こちらは「木彫りの熊発祥の地」と言われる北海道八雲町で制作された熊彫です。
整ったお顔の表情も、力強く和やかな印象なのは素敵なのですが~~、
この裏印みてくださいっ!!!

てへぺろ☆彡
こんな遊び心ある伝統工芸の裏印あります~~?!
(舌なのか牙なのか、すみません、ちょっと明確ではないのですが
)
お客様のお宅にずっと置いてあったと伺いましたが、
そんな何十年の時を感じさせないお茶目マーク!
だってこの印、現代のTシャツとかトートバックとかに印刷されてても
全然おかしくなくないですかっっ?!
仕舞いにはタピオカ屋のタンブラーに刷られてたって、おかしくないですよっ!!!
(というか、ありそう(^O^)/!)
かわいい~~~~~!!!!!
粋のある裏印に、ときめいたくまねこスタッフなのでした。
他、香取 正彦、お茶道具、窯、炉縁、ソフビ、超合金、怪獣消しゴム、
スーパーカー消しゴム、1970年代のおもちゃ、ブリキ、木彫りの熊等、
沢山のお品物を拝見、買取させていただきました。
御依頼誠にありがとうございました
かこさん
1940年日本万博の計画趣旨とは~星野錫『紀元二千六百年記念日本万国大博覧会をなぜ開設せねばならぬか?』(博覧会倶楽部、1935年)が入荷しました!
先日、茨城県日立市へ買取に行かせていただきました!お家丸ごとの生前整理のご依頼でした! 昭和レトロもの、アクセサリー、洋食器、お酒、外国のコイン、古銭、書き損じはがき、切手、おもちゃ、服飾小物、絨毯、万年筆等をお譲りいただきました。ありがとうございます!
===
さて、最近こんなニュースがありました。来年夏に延期された東京オリンピック・パラリンピックの件です。ある政府関係者が毎日新聞の取材に対して、オリンピック開催にあたって観客数の削減や開閉会式などの規模を縮小する方針であり、その一方で、感染症対策として選手や大会関係者、観客らを対象に新型コロナウイルスのPCR検査を実施することも検討する旨回答したとのことです。
※政府、東京オリンピックの簡素化検討 観客数削減や開閉会式の規模縮小(毎日新聞、2020年6月4日)
https://mainichi.jp/articles/20200604/k00/00m/050/242000c
たしかに、観客数の削減や開閉会式の規模縮小、それとあわせて感染症対策を検討するというのは、現実的選択に見えるかもしれません。しかし裏を返せば、オリンピックのような、4年に一度ということで盛大さを売りにするイベントを、開催か中止かの間でどっちつかずという姿勢を保ちながら、その間をとったような奇妙な形で開催すること、であるともいえます。そうであるならば、そのことに果たしてどのような意味があるのか、という問いかけも出てきてもよいかもしれません。
そうしたことを考えるヒントして、1940年の幻の東京オリンピックをめぐる歴史はこれまでも注目されてきました。今回は1940年東京オリンピック返上に先立つ、1940年日本万博の計画とその中止に関してふれてみたいと思います。というのも、以下の資料を買い取らせていただいたからです。

星野錫『紀元二千六百年記念日本万国大博覧会をなぜ開設せねばならぬか?』(博覧会倶楽部、1935年)です。著者の星野錫は、日本万国博覧会協会副会長および博覧会倶楽部会長です。
星野は国際的な博覧会の意義について次のように述べています。博覧会をお祭り騒ぎだと批判する論者に対する応答として星野は、「博覧会は寧ろお祭り騒ぎたるに存在の理由を有する」というと明言しています。ただしただのお祭り騒ぎではなくて、綿密な計画のために各方面からの知恵を結集して、それを近代科学の精粋を尽くして実現する、「充実無比のお祭り騒ぎ」でなければならないとも強調しています。「充実無比」の祭典を実現するには、国の総力を挙げての計画・運営が求められるでしょう。このような星野の主張にしたがって、現在のオリンピック延期問題を考えるならば、以下のようにいえるかもしれません。
オリンピック開催に賛成の論者であればこそ、オリンピックそれ自体の価値に鑑みる必要がある。万全なかたちでオリンピックが開催できないならば、はっきりとその開催中止を訴えなければならない、と。事実、日中戦争が泥沼化する中で1940年日本万博は中止となりました。
また、1940年日本万博が計画されていた1934、35年ごろというのは、日本の輸出超過に起因する貿易摩擦が激化した時期です。各国政府による日本製品に対する関税引き上げや輸入規制強化などは、この時期の日本外交が直面した難問でした。もちろん各国経済界でも日本製品排斥の運動が高まっていました。つまり、こうした経済上の対立によって国境の垣根が高くなりがちな昨今、万博でもやって心機一転しようじゃないか、というのが1940年日本万博計画の意図に含まれていたわけです。こうした内容も『紀元二千六百年記念日本万国大博覧会をなぜ開設せねばならぬか?』から読み取ることができます。むろん、1933年に国際連盟脱退を宣言した日本が、「万博をきっかけに国際協調を!」と訴えることにどれだけの説得力があったのか省みる必要はありますが。
一方で、新型コロナウイルスの蔓延に負けずに東京オリンピックを開催する、という目論見には正当性があるでしょうか。国境の壁が厚くなっていく貿易摩擦の1930年代と違い、現在問題となっているのは、国際経済が網の目のように、かつ高速でつながっているがゆえに、ウイルス感染が拡大したという点です。そのためにもはや現在においては、東京に各国代表選手や観客を集めるという形式そのものが正当化しにくい、という事態に直面しているのではないでしょうか。
このように見てくると、星野錫がいうように国際的な祭典は「充実無比のお祭り騒ぎ」であるべきならば、それが実現できないときはどのようにすべきか、という視点で2021年東京オリンピック開催を問い直すことの必要性を感じます。
くまねこ堂は、こうした歴史的な資料も歓迎しております。ご自宅を整理される際はぜひご一報ください! お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂
今右衛門、徳力富吉郎、田辺三重松などお譲りいただきました。
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
最近暑い日が続いておりますが、皆様体調にはお気をつけくださいませ。
先日は世田谷区方面のお客様よりご依頼をいただきまして、出張買取に同行させていただきました。
有田焼、今右衛門、徳力富吉郎、田辺三重松、洋食器、銀杯、硯、書道道具、ミケランジェロ素描全集などなど、たくさんのお品物をお譲りいただきました。誠にありがとうございます。こちらも買取をさせていただいたお品物の一つで、金工作家 森田美光作 鋳銅製の文鳥になります。

くまねこ堂では古道具や骨董品などの買取のご依頼大歓迎です。店主が一点一点丁寧に拝見させていただきます。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております。
56さん
武士火事装束をお譲りいただきました~現在の消防隊につながる歴史にふれる
先日、埼玉県行田市(天満)の方より買取のご依頼をいただきました。和本、戦前ラベル類の貼り込み帖、掛軸、古銭、切手、明治時代の紙もの資料等をお譲りいただきました。ありがとうございます!
今回はその中より、ちょっと珍しい一品を紹介します。

これは、火事装束という江戸時代の服飾です。

金の装飾があることから、武士火事装束の胸当ての一部かと思われます。町人の火消の火事装束は実用性に徹しています。
※風俗博物館 日本服飾史資料 武士火事装束
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000154
上半分の表裏はこのようになっています。


火消について、少し調べてみました。江戸の町は大火に幾度も見舞われましたが、本格的な消防組織として町火消がつくられたのは、1718(享保3)年、徳川幕府8代将軍・吉宗の時代でした。東京都消防庁によれば、町火消を創設したのは、時代劇でも有名な南町奉行大岡忠相とのことです。「いろは48組」のほかに本所・深川の16組があり、江戸には64組の町火消がありました。明治維新後の1872(明治5)年、町火消は東京府に移管され、消防組となりました。ただ、この後も消防の制度をめぐって紆余曲折があり、1881(明治14)年に警察・消防は全て東京警視庁の所管となりました。
こうした点から見ても、江戸から明治へ(近世から近代へ)という転換点を具体的に考える際に、「火消」から「消防」へどのように移り変わっていったのか、という観点を持つことは非常に重要なのではないでしょうか。しかもその経緯は、私たちの時代へつながる歴史でもあります。
※東京都消防庁 江戸の火消
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/libr/times/times01.htm
※日本消防協会 消防の歴史
https://www.nissho.or.jp/nissho_or_jp/contents/static/syouboudan/rekishi.html
ところで、1999年~2000年に放送されたスーパー戦隊番組に、救急戦隊ゴーゴーファイブというものがありました。町火消の子孫の5人兄弟が災害を引き起こす悪者から地球を守るというお話でした。救急戦隊なので、彼らは悪者と戦うのと併行して、もう一方の重大な任務である救助活動も行っていました。その斬新な設定ゆえか、放送から20年を経た現在でもゴーファイブは、多くのファンを獲得しています。
最近では、ゴーゴーファイブのキャスト5人(西岡竜一朗、谷口賢志、 原田篤、柴田賢志、 坂口望二香)が5月5日に、「【報告】救急戦隊ゴーゴーファイブからのたいせつなメッセージです」というYouTube動画をアップしています。救急戦隊は不滅です!
くまねこ堂でもゴーゴーファイブのサントラを出品していましたが、すでに売れてしまいました。もし、DVDやサントラなどお譲りくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひともご一報ください。
※【報告】救急戦隊ゴーゴーファイブからのたいせつなメッセージです
https://www.youtube.com/watch?v=EzTTh1TCUnE
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂
ギター、ウクレレ、マイクなどお譲りいただきました!
蒸し暑い日が続きますね!
くまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます![]()
本日は神奈川県川崎市幸区に出張買取に行ってまいりました!
ギター、ウクレレ、マイク、アンプ、スネア、打楽器、CD、レコード、ペコちゃん人形等お譲りいただきました!ありがとうございます
お譲りいただいた中から打楽器を2つ写真付きでご紹介させていただきます!

こちらは捻るように横に振るとジャラジャラと音が鳴ります。ボールチェーンに程よい重みがあり、筋トレにも使えそう・・・?

こちらはゴム部分を押すと空気が筒を通り、ピューッ!と音が鳴ります。体育の授業で集合の合図に使えそうな音。
他にも沢山の楽しい楽器をお譲りいただきました!ありがとうございました
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
なか
鉄道模型、ライダーカード、トミカなど、多数お譲りいただきました!
いつもくまねこ堂ブロクをご覧いただき、誠にありがとうございます
日毎に暑くなってき参りましたね。皆様体調にはくれぐれもお気を付け下さいませ。
本日は品川区のお客様よりご依頼をいただきまして、出張買取に同行させていただきました。
ご家族の方の子供の頃からのおもちゃなど古いお品物を色々と拝見させていただき、鉄道模型、Nゲージ、プラモ、メンコ、カルビーライダーカード、カルビー野球カード、昭和40年代、貯金箱、ソフビ、トミカ、黒箱、ミニカーなどなど、多数お譲りいただきました。誠にありがとうございます!
こちらはトミカのミニカーの黒箱です。もちろんトミカのミニカー自体が人気で貴重なのですが、元々入っていたこの箱が残っていないそうで、こちらも大変貴重なお品物なのですね。(なんとなく当時の新聞を下に敷いてみました)
仮面ライダーカードです!No.28 人くい花ドクダリアン。かっこいぃ。
仮面ライダー5円引きブロマイドもまとめて入荷。やはり怪人に目が行ってしまいますね。
カルビープロ野球チップスカードとボウリング場のミニパンフでしょうか。まさに昭和40年代です。

ウルトラ怪獣手帳も入荷しました。ギャンゴは怪力で象を1万1千頭もちあげられます。
お客様と色々とお話をさせていただきましたところ、なんと少し前にこういったおもちゃ類を大量にゴミとして出された後だったそうで、店主は心の涙を流しておりました泣。古いおもちゃやカードなどは捨てたりせずに是非くまねこ堂までご相談下さいませ。スタッフ一同、心よりお待ちしております![]()
56さん
日本画家紹介シリーズ その⑥ ~近代彫刻家編~
くまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます!
日本画家紹介シリーズ第⑥弾です![]()
今回は日本書画名覧の「近代彫刻家」の番付から作者を抜粋してご紹介させていただこうと思います。
「日本書画名覧」とは日本の書作品や絵画作品の作者をジャンルごとに分類し番付(ランキングのような形)方式で記載している品物になります。
こちらの日本書画名覧は明治四十五年六月に発行されたものなので、その当時の彫刻家の番付ということになりますね。
前回までのシリーズはこちら↓
日本画家紹介シリーズ その①~故人国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その➁~現代国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その③~故人南書名家編~
日本画家紹介シリーズ その④ ~現代洋書家編~
日本画家紹介シリーズ その⑤ ~古人浮世絵各派編~

またまた、画像ではわかりづらいので書き起こさせていただきます!
高村光雲、石川光明、竹内久一、海野勝珉、長沼守敬、白井雨山、新海竹太郎、沼田一雅、山崎朝雲、朝倉文夫、香川勝廣、岡崎雪聲、大熊氏廣、本山白雲、藤田文蔵、建畠大夢、米原雲海、北村四海、北村西望、海野美盛、渡辺長男、森鳳声、毛利教武、吉田芳明、大島如雲、杉本伝、水谷佳園、藤井浩祐、長愛之、松井信次、新野忠之助、細谷而楽、池田勇八、黒川栄勝、久野留之助、石井鶴三、平田宗幸、堀田秀鏡、加納鉄哉、鈴木鈴源斎、旭玉山、川上澹堂、堀進二、新田藤太郎、白井雨山、国方天海、山田政治、田口多州、柴田幸三郎、平坂芳文、小川静吾、小林誠義、平櫛田中、竹内友樹、佐藤金二郎、長束武雄、宇田川和雄、登山長蔵、安藤重兵衛、堀川光山、塚原賢雄、小林宗規、石川確治、上田直次、武石弘三郎、畑正吉、小倉右一郎、池田右八、宮本勝、服部唯三郎、伊東陶山、宮川香山、清水六兵衛、三浦竹泉、保井抱中、杉林古香、吉田三郎
この中から番付の一番初めに記載がある高村光雲について少しご紹介させていただきます!
高村光雲は江戸に町人の子として生まれ、11歳の頃に仏師という仏像を専門とする彫刻家の高村東雲の弟子になります。後に東雲の姉の養子に入り、高村姓となりました。
明治維新後、廃仏毀釈という仏教破壊運動が行われ、その影響から仏師としての仕事はなくなり、牙彫の流行により木彫の衰退を感じながらも木彫にこだわり続けます。そこから西洋美術を学び、西洋画の写実性を木彫に取り入れ、衰退しかけていた木彫を復活させます。
日本における近代彫刻の礎を築いた彫刻家の一人です。
代表作「老猿」に等にも見られる高村光雲の特徴は、西洋美術から取り入れたと言われる写実描写の精緻さです。
「老猿」の作品創りにおいて、モデルとなる猿は猿茶屋で飼っていた猿を借りてきており、栃木の山奥をまわりトチの大木を探し求め、自ら材質の選定をしたといいます。
その深いこだわりは観察の綿密さにも現れ、一つ一つの力強い毛の流れから老猿の貫禄が伝わってくるような迫力があります。
そして光雲の代表作の中には、東京の上野公園に設置された「西郷隆盛象」があります。
間近で光雲の技術、描写力を拝見したい方はぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか
今回で日本画家紹介シリーズは最後となります。
ご覧いただいた方、ありがとうございました!
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております
なか
「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」(1960年10月20日、日比谷公会堂)をお譲りいただきました~60年後の現在を考えるきっかけに
葛飾区鎌倉のお宅に買取にうかがわせていただきました!
陶磁器、洋食器、金銅仏、青銅器、懐中時計、アクセサリー、達磨、備前焼等をお譲りいただきました。ありがとうございます!
===
別件ではありますが、先日の買取品の中より、「故浅沼稲次郎日本社会党葬式次第」1960年10月20日(於日比谷公会堂)を発見しました。

浅沼稲次郎(1898-1960年)は、早稲田大学在学中に日本共産党結党(1921年)に加わり、第二次世界大戦後は社会党の指導者として活躍した人物です。1960年の安保改定をめぐって社会党から右派が分離して民主社会党が結成された際、浅沼は社会党委員長に就任しました。一方の与党自民党は、1960年6月の日米安保条約の改定をめぐる安保闘争から岸信介内閣退陣、そして所得倍増計画を掲げる池田勇人内閣の成立(同年7月19日)というように、日米安保から経済成長に力点を移していきました。安保闘争が退潮していく中で、同年11月20日予定された衆議院総選挙の前哨戦となった各地の知事選の結果は、社会党推薦候補の惨敗に終わります。

そんな中で発生したのが、10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件でした。現場は自民党・社会党・民社党3党首立会演説会が行われていたに日比谷公会堂。浅沼が登壇し、ヤジが一段と激しくなっていました。司会の静止によりいったんヤジはおさまったものの、次の瞬間、思いもよらぬ事態が発生します。浅沼が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺されたのです。
各党首の演説会の場での暴力の問題、それを防げなかった警備、政治報道・事件報道のあり方など、現在でも議論が両極端に振れがちな主題が散見されます。議会制民主主義のルールに則った上での対立において政治的な緊張を維持し、よりよい政策の形成へとどのようにつなげていくべきなのか。現在の視点から、歴史的事実もふまえながら考えていく必要があります。それは、国会審議が議論として成り立っていない現在だからこそ、正面から取り組むべきなのではないでしょうか。

そのような観点で見ると、上掲の追悼歌のメッセージも当時とは異なった形で受け取れるのかもしれません。それは必ずしも、「二大政党制」「社会党政権」の実現を一つのゴールとする話ではありません。議会制民主主義のルールに則った上での対立の困難さを振り返るとき、「野党」あるいは「左翼」の言い分にまずは耳を傾けるべきではないでしょうか。
くまねこ堂は古本や古記録はもちろん、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂
日本画家紹介シリーズ その⑤ ~古人浮世絵各派編~
だんだんと日差しが暑くなってきましたね!
くまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます!
日本画家紹介シリーズ第5弾目になります
今回は日本書画名覧の「古人浮世絵各派」の番付から日本の書画、絵画作品の作者を抜粋してご紹介させていただこうと思います。
「日本書画名覧」とは日本の書作品や絵画作品の作者をジャンルごとに分類し番付(ランキングのような形)方式で記載している品物になります。
前回までのシリーズはこちら↓
日本画家紹介シリーズ その①~故人国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その➁~現代国書各派名家編~
日本画家紹介シリーズ その③~故人南書名家編~
日本画家紹介シリーズ その④ ~現代洋書家編~

江戸時代以前、戦乱の世が続く苦しい時代に世を嘆く言葉として「憂世」が使われていましたが、江戸時代が始まり、はかない世の中であるのなら浮かれて遊ぼう、という享楽的価値観が生まれ、「憂世」は「浮世」に文字を変えました。そうして世を謳歌しようとする人々の姿など、当時の社会風俗を描いたものを「浮世絵」と言います。
今回ご紹介するのはこの日本書画名覧発行当時明治45年6月時点での故人の浮世絵画家の番付、ということになります。
また画像では分かりづらいかと思いますので書き起こさせていただきます!
岩佐又兵衛、菱川政信、宮川長春、鳥居清信、鳥居清倍、鳥文斎栄之、礒田湖龍斎、西村重長、鳥山石燕、鳥居清満、菊川英山、歌川広重、恋川春町、菱川師永、西川祐信、窪俊満、西川祐尹、富岡永洗、倉橋豊国、宮川春水、月岡芳年、菱川師房、歌川国貞、葛飾戴斗、奥村政信、勝川薪水、歌川豊春、歌川国芳、菱川師宣、喜多川歌麿、菱川友房、宮窪北斎、柳川重信、宮川房信、鈴木春信、喜多川歌麿(2代目)、古山師政、鈴木春信(2代目)、石川豊信、堤等琳、鳥居清峰、渓斎英泉、鳥居清長、羽川珍重、歌川豊広、北尾重政、歌川国政、喜多川月麿、歌川国安、堤雪峰、小松屋百亀、卍楼北鵞、山東京伝(北尾政演)、有北坂馬、古山師重、喜多美麿、喜多川雪麿、山斎泉隣、近藤清春、南澤船ニ、葛飾北嵩、葛飾北斎
浮世絵といえばその魅力は海外にも広く知れ渡り、モネやマネ、ゴッホにも影響を与えました。
モネの代表作の一つ「睡蓮」は、自宅の庭で描かれたものですが、その庭にかけた日本風太鼓橋の参考にしたと言われているのが歌川広重の「名所江戸百景・亀戸天神境内」です。
モネは歌川広重の作品のどこに魅力を感じたのでしょうか。
歌川広重を少しご紹介させていただきます。
歌川広重は江戸時代の人気浮世画家です。江戸城の消防を職務とする下級役人の子として生まれ、わずか13歳でその跡を継ぎました。火消同心という本業を持ちながら、浮世絵師、歌川豊広に弟子入りし、16歳の時に「歌川広重」の名前で浮世絵師として活動していきます。
早くから人気が出たわけではなく、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の大流行などにより、影に隠れていた時期もありましたが、都と江戸をつなぐ東海道の道中での写生をもとにした「東海道五拾三次」で人気に火が付き、歌川広重の名前が広く知れ渡るようになりました。
「東海道五拾三次」、「名所江戸百景」など、広重の描く浮世絵の特徴として、風景の遠近感が非常に自然なことが挙げられます。そして自然な描写を得意としながらも、大胆にデフォルメし、遠景と近景の対比をつくりだす構図の面白さがあります。その風景と共に描かれる人々は情感に満ち活き活きと描かれ、輪郭線があり平面的な画面と共存するリアリティーは西洋画家に新鮮な驚きをもたらしたのではないでしょうか。
今回のご紹介はここまでとさせていただきます![]()
くまねこ堂は古本、骨董品や絵画、アクセサリーなど幅広いお品物の買取りをしております!
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
なか
日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その4(結)日露戦争を偲んで「金州駅ヨリ南山ヲ望ム」
先日、東京都町田市木曽東での即日出張買取にうかがわせていただきました。学術書、専門書、格闘技、プロレスDVDなどをお譲りいただきました!ありがとうございます!
===
これまで3回にわたり、日露戦争30周年を記念した写真帖、それとともにお譲りいただきました絵葉書について、昭和戦前期(1930年代)の観光産業の発展との関連でご紹介してまいりました。前回は、1910年5月14日から10月31日にかけてロンドンで開催された、日英博覧会を記念して発行された絵葉書を取り上げました。
※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その3 帝国日本にとっての2つの1910年(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月9日)
https://www.kumaneko-antique.com/16050/
その1、その2につきましては、下記リンクをご覧ください。
※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その1 昭和戦前期の観光業の隆盛と戦跡めぐり(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月4日)
https://www.kumaneko-antique.com/15955/
※日露戦争を記念した写真帖、絵葉書などをお譲りいただきました!~その2 絵葉書になる歴史上の人物とはどんな人物?(くまねこ堂骨董ブログ、2020年5月6日)
https://www.kumaneko-antique.com/16034/
これまで述べてきたように、昭和戦前期、とくに1930年代半ばの日本は、外地の朝鮮や満州への旅行が盛んでした。そして、そうした旅行先に選ばれたのが、日清・日露戦争の戦勝記念史跡でした。
お譲りいただいたものの中には、1930年代半ばと思われる遼東半島の大連の様子を写した写真があります。大連は、1895年の日清戦争の講和に際しての三国干渉の結果、ロシアの租借地となりました。その後、1905年の日露戦争の講和により、この地は日本の租借地となり、日露戦争の戦果を象徴するものの一つに数えられました。
この大連旅行に際しての写真も、ブログその1で述べたような、日露戦争戦勝30周年記念と外地旅行の振興といった歴史的背景から無縁ではないように思われます。
キャプションがついている写真ということでは、以下のものがありました。

上掲の写真は、下部に「大連旧露国寺院」と記載されています。1930年代半ばの旅行案内などを調べれば、これと同じロシア式寺院が紹介されているかもしれません。
次の写真は、おそらく日露戦争の激戦を偲んで撮影されたものだと思われます。

この写真の下部には、「金州駅ヨリ南山ヲ望ム」とあります。 南山とは、遼東半島の金州城南近に位置する南山のことですが、日露戦争の戦場でした。この南山での戦いは、要塞化された陣地に立て籠もったロシア軍による機銃掃射に対し、日本軍が三度の突撃の末に南山を占拠するという激戦になりました。日本軍は勝利したとはいえ、多大な損害を被りました。ドラマや小説でも取り上げられてきましたが、第三軍の司令官・乃木希典の息子で第二軍に所属していた乃木勝典は、この戦いで戦死しました。
ちなみに、南山の戦いの日露両軍の配置を記録した地図によると、金州停車場付近に布陣した日本軍が東から西へ、南山のロシア軍陣地に向かって進軍していったことがわかります。そうすると上掲の写真の方向は、日本軍の進行方向と一致していることになります。このように日露戦争の南山の戦いの経緯や、写真が撮られた方向をあわせて考えると、この写真には日露戦争を偲ぶ意図があるというのも、あながち間違いではないかもしれません。
※明治卅七八年日露戦史. 第1巻 附図十二 南山附近第二軍之戦闘(五月二十六日)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774357/57?tocOpened=1
ところで、1935年に日露戦争勝利30周年を祝った日本は、1937年以降中国との事実上の全面戦争に突入します。当時の中国の首都南京を日本軍は占領しますが、その後の掃討戦(に名を借りた略奪・強姦など)は凄惨を極めました。その様子は、在外公館員の避難もあり公的記録に残らない中、現地のキリスト宣教師や国際的なキリスト教団体の活動家の記録に残されています。
驚くべきは、日露戦争勝利30周年を祝った観光と同じように、中国の首都南京陥落を祝った南京旅行のガイドブックや絵葉書セットが発行されていたという事実です。この点については、下記リンクの、近代日本史研究者のポートランド州立大学准教授・ケネス・ルオフ氏による学習院大学での講演で教えられました。
※ケネス・ルオフ「移動する帝国―絵葉書が語る大日本帝国―」『学習院大学国際研究教育機構研究年報』第2号(2016年)、4-21頁
https://bit.ly/2VJKoU4
戦争の勝利を記念することと、観光産業の振興という結びつきに関して、30年前の日露戦争を偲ぶ、ということなら正直にいって想像の範囲ではありました。しかし、日中戦争の場合は、現在進行形の戦争が観光コンテンツになっていました。この事実はどのように受け止めればいいのでしょうか。事の重大さに加え、あまり事実関係が解明されていないということもあわせ、この問題は今後の日本史研究の課題といえましょう。なお、これに関連して、戦時郵便に関するご資料もお譲りいただいたことがございます。下記リンクをご覧くだされば幸いです。
※郵政官僚の従軍アルバムのご紹介その2 日中戦争期の野戦郵便局の写真がございました!(くまねこ堂骨董ブログ、2020年3月11日)
https://www.kumaneko-antique.com/15537/
くまねこ堂では歴史資料・古記録などの買取のご依頼大歓迎です!その他にも、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい。
お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野坂














